菊の御紋 使用許可。 『菊の御紋』と 日本・【十六八重表】の由縁(動画あり)

菊水の紋章

菊の御紋 使用許可

概要 [ ] 観賞用のキクはにより伝えられた。 高潔な美しさがに似ているとされ、、、と共にとされた。 上は、『』には詠まれておらず、『』、『』などから登場する。 には、をと呼び、を「の」「菊の節句」とし、を飲む「菊花の宴」「菊花の杯」で邪気を払い、を祈った。 菊文様もとして、好んでに用いられた。 には、がことのほか菊を好み、自らの印として愛用した。 その後、・・が自らの印として継承し、慣例のうちに菊花紋、ことに32弁の八重菊紋である 十六葉八重表菊がの紋として定着した。 にはにより厳しく使用が制限されたとは対照的に、菊花紋の使用は自由とされたため一般庶民にも浸透し、菊花の図案を用いたやなどの飾り金具が作られるなど各地に広まった。 図案 [ ] 菊花紋は古くから、・の、店舗のなどとして豊富な種類が図案化され、変種も多い。 主に、花弁の数、花弁の重なり(一重または八重)、表と裏(蕊(ずい、しべ) があれば「表菊」、萼(がく) があれば「裏菊」)、その他の意匠(輪郭を浮かせた「陰菊」、円形でなく菱形にした「菱菊」、水流をあしらった「菊水」、が考案した「光琳菊」、半円形に割った「割菊」「半菊」、井筒・井桁・文字・菊葉等と組み合わせたものなど)により表記される。 ただし、文献により表現の仕方に違いがある。 とりわけ・関係の紋には、詳しく花弁の数に弁や葉(十六弁( )・十六葉())などの単位がつけられることがある。 例えば、10の花弁があるのなら「十菊」あるいは「十葉菊」、12なら「十二菊」あるいは「十二葉菊」である。 花弁が一重なら「一重菊」、複数重なっていれば「八重菊」「九重菊」となる。 中心に蘂が表現されるなど表を向いているものは「表菊」、萼を表現するなど裏を向いたものは「裏菊」である。 これらを合わせて、16の花弁で裏を向いた八重菊であるのなら「十六八重裏菊」(十六葉八重裏菊)となる。 皇族の家紋(十四葉一重裏菊) 菊紋のうち、八重菊を図案化した菊紋である 十六葉八重表菊は、およびを表す紋章である。 俗に 菊の御紋とも呼ばれる。 などの皇族は、この紋の使用が()のをもって制限され、(15年)の皇室儀制令(大正15年第7号)13条により「十四葉一重裏菊」が皇族の紋章とされた。 この「十四葉一重裏菊」や「十六葉一重裏菊」に独自の図案を加えたもの(家・家など)や、「十六葉八重表菊」を小さな図案に(家・家・家など)。 戦前(明治・大正・昭和初期~第二次世界大戦) [ ] ()、諸藩の宮門警衛に際して、旗・幕・提灯等に菊花紋章を使用するよう布達された。 その後、「十六葉八重表菊」が公式に皇室の紋とされたのは、2年()の太政官布告第802号である。 同布告は、親王家の菊花紋として十六葉の使用を禁止し、十四葉・十五葉以下あるいは裏菊などに替えることを定めた。 また、(明治4年)の太政官布告第285号で、皇族以外の菊花紋の使用が禁止され、同第286号で、皇族家紋の雛形として 十四葉一重裏菊が定められた。 その後、(15年)に制定された皇室儀制令(大正15年皇室令第7号)第12条 、第13条 によって正式に定められている。 (1868年4月20日)の「菊御紋並禁裏御用等ノ文字濫用禁止ノ件」(明治元年太政官布告第195号)で、・・貢物などに菊紋を描くことを禁止し、2年()の「社寺菊御紋濫用禁止ノ件」(明治2年太政官布告第803号)で、で使用されていた菊紋も、一部の社寺 を除き一切の使用が禁止された。 その後、徐々にの装飾や・提灯には菊紋の使用を許され、(明治12年)の「明治二年八月菊御紋禁止ノ布告前神殿仏堂ニ装飾セシ菊御紋ニ限リ存置ヲ許ス件」(明治12年太政官達第23号)で、一般の社寺でも・の装飾として使用することが許されている。 ただ、社寺以外の団体や個人による菊花紋章の使用は、引き続き厳しく制限された。 菊花紋章の取り締まりに関する主な法令・通達• 菊御紋並禁裏御用等ノ文字濫用禁止ノ件(明治元年3月28日太政官布告第195号)• 社寺菊御紋濫用禁止ノ件(明治2年8月25日太政官布告第803号)• 皇族ノ外菊御紋禁止ノ件(明治4年6月17日太政官布告第285号)• 官幣社社殿ノ装飾及社頭ノ幕提灯ニ限リ菊御紋ヲ用フルヲ許ス件(明治7年4月2日太政官達)• 国幣社社殿ノ装飾及社頭ノ幕提灯ニ限リ菊御紋ヲ用フルヲ許ス件(明治12年4月2十2日太政官達第20号)• 明治二年八月菊御紋禁止ノ布告前神殿仏堂ニ装飾セシ菊御紋ニ限リ存置ヲ許ス件(明治12年5月22日太政官達第23号)• 菊御紋章ヲ売品ニ画ク者禁止方(明治13年4月5日宮内省達乙第2号)• 菊御紋章取締ニ関スル件(明治33年8月18日訓第823号)• 菊御紋章取締ニ関スル件(明治37年8月9日訓第507号)• 菊御紋章類似品取締ニ関スル件(大正13年9月25日警発甲第96号)• 菊御紋章ニ関スル件(大正14年2月26日警発乙第296号)• 菊御紋章類似図形取締内規(昭和4年11月21日訓第1368号) 上記各法令のうち、「菊御紋並禁裏御用等ノ文字濫用禁止ノ件」(明治元年3月28日太政官布告第195号)と「皇族ノ外菊御紋禁止ノ件」(明治4年6月17日太政官布告)は、法律に匹敵する法令として、取り締まりの法的根拠とされた。 この2つの太政官布告は、いずれも(昭和22年)12月31日限りにおいて失効している。 なお、皇室儀制令についても、「」(昭和22年5月2日皇室令第12号)により廃止されている。 菊は「菊花紋章」から皇室の代名詞とされ、のにも「 (=皇室)は咲く咲く、(=)は枯れる」と歌われている。 においても、幕府や諸藩が明治政府へ環納した小銃に種々様々な紋所や刻印が刻まれていたのを、菊花紋章に改刻して統一したのを端緒に、以降のすべての国産軍用に刻印されていた。 これらの小銃を部外に払い下げる場合には、菊花紋章を削り取る、または丸印等の刻印を重ねて打って潰す措置が行われた。 またの(旗)の旗竿先端(竿頭)や、の の艦首に金色の菊花紋章 が付されていた。 戦後(第二次世界大戦後~昭和後期・平成) [ ] のセント・ジョージ・チャペルに掲げられたの。 右側にはの菊花紋章()が見える。 1947年(昭和22年)に皇室儀制令は廃止されたため、菊花紋章を天皇・皇室の紋章と定め、または日本の国章と定める現行法令はない。 しかし、慣例的に天皇・皇室の紋章として、またはに準じる紋章として、菊花紋章が用いられ続けている。 日本のの玄関には、戦前から引き続き、菊花紋章のが飾られている。 また、日本国発行のの表紙にも「十六一重表菊」をデザイン化したものが使われている。 のには「十一菊」の図案が使用されている。 そのほか、菊花紋はの意匠にも取り入れられるなど、菊はと並び、に準じた扱いを受ける。 日本の国章に準じた扱いを受け、法的にはに準じた扱いを受けるため、それに類似した商標等は登録できない(第4条第1項第1号)。 国際的にも、十六八重表菊は、第6条の3 に基づいて、1967年に同条約の同盟国に通知されており 、これらの国では商標登録をすることができない。 またが司法機関紋章であり使用できない(による規制)ため、業者が権威を表現するために自社の表号として使用する例がある。 のは、かつて絵の背景に菊の花をあしらった模様を頻繁に描いていたが、これが菊花紋章に酷似していることに気付きに問い合わせたところ「 できれば使わないでいただきたい」と言われ、以後は描画を差し控えている、と語っている。 宮家の紋章 [ ]• 他編 『古語辞典』• 「十六弁菊(十六葉一重表菊)はの紋で、三十二弁菊(十六葉八重表菊)は(および現・)の紋である」との説明も見かけるが根拠不明である。 アークシステム編 『自由に使える家紋大図鑑』 グラフィック社、• 皇室儀制令(大正15年皇室令第7号)第12条「天皇太皇太后皇太后皇后皇太子皇太子妃皇太孫皇太孫妃ノ紋章ハ十六葉八重表菊形トシ(後略)」• 皇室儀制令(大正15年皇室令第7号)第13条「親王親王妃内親王王王妃女王ノ紋章ハ十四葉一重裏菊形トシ(後略)」• は・・など、は・など。 日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律(昭和22年法律第72号)1条「日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定で、法律を以て規定すべき事項を規定するものは、昭和22年12月31日まで、法律と同一の効力を有するものとする。 明治流行歌史。 他にも(4年)に誕生した誕生の際に製作された『伏見小唄』の歌詞で使用。 特に銃は雑な扱いをしようものなら懲罰や私刑が待っている事もあったほど丁寧にされた。 や、など。 やは狭義の軍艦ではないとされたので菊花紋章は付けられなかった。 当初は磨き上げられた製であったが、後に掲章する軍艦が大型化するとそれに伴って菊花紋章もデザイン上の都合から大型になり、重量上の問題が出たことから、木材(が用いられた)の上に金箔を貼って仕上げたものが使われるようになっている。 (出典::刊 :著『軍艦雑記帳 下巻』 p4 - 6、p18)• 粟生こずえ 2015年12月25日. 2016年5月27日閲覧。 皇室儀制令(大正15年皇室令第7号)19条では「親王旗親王妃旗内親王旗王旗王妃旗女王旗(後略)」。 関連項目 [ ]• (ロゼット紋) - 菊花紋章のように放射状に広がる紋章を学術的には「ロゼット紋」という。 ロゼット(rosette)は「バラ状の」という意味であり、バラ(rose)に由来する。 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 河野圭司編『』文林堂、1892年• - (2019年1月1日アーカイブ分)(大正15年皇室令第 7号)、中野文庫.

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菊のご紋と国旗

菊の御紋 使用許可

概要 [ ] 観賞用のキクはにより伝えられた。 高潔な美しさがに似ているとされ、、、と共にとされた。 上は、『』には詠まれておらず、『』、『』などから登場する。 には、をと呼び、を「の」「菊の節句」とし、を飲む「菊花の宴」「菊花の杯」で邪気を払い、を祈った。 菊文様もとして、好んでに用いられた。 には、がことのほか菊を好み、自らの印として愛用した。 その後、・・が自らの印として継承し、慣例のうちに菊花紋、ことに32弁の八重菊紋である 十六葉八重表菊がの紋として定着した。 にはにより厳しく使用が制限されたとは対照的に、菊花紋の使用は自由とされたため一般庶民にも浸透し、菊花の図案を用いたやなどの飾り金具が作られるなど各地に広まった。 図案 [ ] 菊花紋は古くから、・の、店舗のなどとして豊富な種類が図案化され、変種も多い。 主に、花弁の数、花弁の重なり(一重または八重)、表と裏(蕊(ずい、しべ) があれば「表菊」、萼(がく) があれば「裏菊」)、その他の意匠(輪郭を浮かせた「陰菊」、円形でなく菱形にした「菱菊」、水流をあしらった「菊水」、が考案した「光琳菊」、半円形に割った「割菊」「半菊」、井筒・井桁・文字・菊葉等と組み合わせたものなど)により表記される。 ただし、文献により表現の仕方に違いがある。 とりわけ・関係の紋には、詳しく花弁の数に弁や葉(十六弁( )・十六葉())などの単位がつけられることがある。 例えば、10の花弁があるのなら「十菊」あるいは「十葉菊」、12なら「十二菊」あるいは「十二葉菊」である。 花弁が一重なら「一重菊」、複数重なっていれば「八重菊」「九重菊」となる。 中心に蘂が表現されるなど表を向いているものは「表菊」、萼を表現するなど裏を向いたものは「裏菊」である。 これらを合わせて、16の花弁で裏を向いた八重菊であるのなら「十六八重裏菊」(十六葉八重裏菊)となる。 皇族の家紋(十四葉一重裏菊) 菊紋のうち、八重菊を図案化した菊紋である 十六葉八重表菊は、およびを表す紋章である。 俗に 菊の御紋とも呼ばれる。 などの皇族は、この紋の使用が()のをもって制限され、(15年)の皇室儀制令(大正15年第7号)13条により「十四葉一重裏菊」が皇族の紋章とされた。 この「十四葉一重裏菊」や「十六葉一重裏菊」に独自の図案を加えたもの(家・家など)や、「十六葉八重表菊」を小さな図案に(家・家・家など)。 戦前(明治・大正・昭和初期~第二次世界大戦) [ ] ()、諸藩の宮門警衛に際して、旗・幕・提灯等に菊花紋章を使用するよう布達された。 その後、「十六葉八重表菊」が公式に皇室の紋とされたのは、2年()の太政官布告第802号である。 同布告は、親王家の菊花紋として十六葉の使用を禁止し、十四葉・十五葉以下あるいは裏菊などに替えることを定めた。 また、(明治4年)の太政官布告第285号で、皇族以外の菊花紋の使用が禁止され、同第286号で、皇族家紋の雛形として 十四葉一重裏菊が定められた。 その後、(15年)に制定された皇室儀制令(大正15年皇室令第7号)第12条 、第13条 によって正式に定められている。 (1868年4月20日)の「菊御紋並禁裏御用等ノ文字濫用禁止ノ件」(明治元年太政官布告第195号)で、・・貢物などに菊紋を描くことを禁止し、2年()の「社寺菊御紋濫用禁止ノ件」(明治2年太政官布告第803号)で、で使用されていた菊紋も、一部の社寺 を除き一切の使用が禁止された。 その後、徐々にの装飾や・提灯には菊紋の使用を許され、(明治12年)の「明治二年八月菊御紋禁止ノ布告前神殿仏堂ニ装飾セシ菊御紋ニ限リ存置ヲ許ス件」(明治12年太政官達第23号)で、一般の社寺でも・の装飾として使用することが許されている。 ただ、社寺以外の団体や個人による菊花紋章の使用は、引き続き厳しく制限された。 菊花紋章の取り締まりに関する主な法令・通達• 菊御紋並禁裏御用等ノ文字濫用禁止ノ件(明治元年3月28日太政官布告第195号)• 社寺菊御紋濫用禁止ノ件(明治2年8月25日太政官布告第803号)• 皇族ノ外菊御紋禁止ノ件(明治4年6月17日太政官布告第285号)• 官幣社社殿ノ装飾及社頭ノ幕提灯ニ限リ菊御紋ヲ用フルヲ許ス件(明治7年4月2日太政官達)• 国幣社社殿ノ装飾及社頭ノ幕提灯ニ限リ菊御紋ヲ用フルヲ許ス件(明治12年4月2十2日太政官達第20号)• 明治二年八月菊御紋禁止ノ布告前神殿仏堂ニ装飾セシ菊御紋ニ限リ存置ヲ許ス件(明治12年5月22日太政官達第23号)• 菊御紋章ヲ売品ニ画ク者禁止方(明治13年4月5日宮内省達乙第2号)• 菊御紋章取締ニ関スル件(明治33年8月18日訓第823号)• 菊御紋章取締ニ関スル件(明治37年8月9日訓第507号)• 菊御紋章類似品取締ニ関スル件(大正13年9月25日警発甲第96号)• 菊御紋章ニ関スル件(大正14年2月26日警発乙第296号)• 菊御紋章類似図形取締内規(昭和4年11月21日訓第1368号) 上記各法令のうち、「菊御紋並禁裏御用等ノ文字濫用禁止ノ件」(明治元年3月28日太政官布告第195号)と「皇族ノ外菊御紋禁止ノ件」(明治4年6月17日太政官布告)は、法律に匹敵する法令として、取り締まりの法的根拠とされた。 この2つの太政官布告は、いずれも(昭和22年)12月31日限りにおいて失効している。 なお、皇室儀制令についても、「」(昭和22年5月2日皇室令第12号)により廃止されている。 菊は「菊花紋章」から皇室の代名詞とされ、のにも「 (=皇室)は咲く咲く、(=)は枯れる」と歌われている。 においても、幕府や諸藩が明治政府へ環納した小銃に種々様々な紋所や刻印が刻まれていたのを、菊花紋章に改刻して統一したのを端緒に、以降のすべての国産軍用に刻印されていた。 これらの小銃を部外に払い下げる場合には、菊花紋章を削り取る、または丸印等の刻印を重ねて打って潰す措置が行われた。 またの(旗)の旗竿先端(竿頭)や、の の艦首に金色の菊花紋章 が付されていた。 戦後(第二次世界大戦後~昭和後期・平成) [ ] のセント・ジョージ・チャペルに掲げられたの。 右側にはの菊花紋章()が見える。 1947年(昭和22年)に皇室儀制令は廃止されたため、菊花紋章を天皇・皇室の紋章と定め、または日本の国章と定める現行法令はない。 しかし、慣例的に天皇・皇室の紋章として、またはに準じる紋章として、菊花紋章が用いられ続けている。 日本のの玄関には、戦前から引き続き、菊花紋章のが飾られている。 また、日本国発行のの表紙にも「十六一重表菊」をデザイン化したものが使われている。 のには「十一菊」の図案が使用されている。 そのほか、菊花紋はの意匠にも取り入れられるなど、菊はと並び、に準じた扱いを受ける。 日本の国章に準じた扱いを受け、法的にはに準じた扱いを受けるため、それに類似した商標等は登録できない(第4条第1項第1号)。 国際的にも、十六八重表菊は、第6条の3 に基づいて、1967年に同条約の同盟国に通知されており 、これらの国では商標登録をすることができない。 またが司法機関紋章であり使用できない(による規制)ため、業者が権威を表現するために自社の表号として使用する例がある。 のは、かつて絵の背景に菊の花をあしらった模様を頻繁に描いていたが、これが菊花紋章に酷似していることに気付きに問い合わせたところ「 できれば使わないでいただきたい」と言われ、以後は描画を差し控えている、と語っている。 宮家の紋章 [ ]• 他編 『古語辞典』• 「十六弁菊(十六葉一重表菊)はの紋で、三十二弁菊(十六葉八重表菊)は(および現・)の紋である」との説明も見かけるが根拠不明である。 アークシステム編 『自由に使える家紋大図鑑』 グラフィック社、• 皇室儀制令(大正15年皇室令第7号)第12条「天皇太皇太后皇太后皇后皇太子皇太子妃皇太孫皇太孫妃ノ紋章ハ十六葉八重表菊形トシ(後略)」• 皇室儀制令(大正15年皇室令第7号)第13条「親王親王妃内親王王王妃女王ノ紋章ハ十四葉一重裏菊形トシ(後略)」• は・・など、は・など。 日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律(昭和22年法律第72号)1条「日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定で、法律を以て規定すべき事項を規定するものは、昭和22年12月31日まで、法律と同一の効力を有するものとする。 明治流行歌史。 他にも(4年)に誕生した誕生の際に製作された『伏見小唄』の歌詞で使用。 特に銃は雑な扱いをしようものなら懲罰や私刑が待っている事もあったほど丁寧にされた。 や、など。 やは狭義の軍艦ではないとされたので菊花紋章は付けられなかった。 当初は磨き上げられた製であったが、後に掲章する軍艦が大型化するとそれに伴って菊花紋章もデザイン上の都合から大型になり、重量上の問題が出たことから、木材(が用いられた)の上に金箔を貼って仕上げたものが使われるようになっている。 (出典::刊 :著『軍艦雑記帳 下巻』 p4 - 6、p18)• 粟生こずえ 2015年12月25日. 2016年5月27日閲覧。 皇室儀制令(大正15年皇室令第7号)19条では「親王旗親王妃旗内親王旗王旗王妃旗女王旗(後略)」。 関連項目 [ ]• (ロゼット紋) - 菊花紋章のように放射状に広がる紋章を学術的には「ロゼット紋」という。 ロゼット(rosette)は「バラ状の」という意味であり、バラ(rose)に由来する。 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 河野圭司編『』文林堂、1892年• - (2019年1月1日アーカイブ分)(大正15年皇室令第 7号)、中野文庫.

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菊文様 その1 ~いろいろな菊文様と菊の紋章~

菊の御紋 使用許可

菊水 十六菊 十六八重菊 十二菊 十二八重菊 十六菊菱 半菊に一の字 菊水 菊に波 三つ割菊に矢 四つ割菊 半菊に 一の字 菊浮線 十六菊中 桔梗 葉付き 十六裏菊 十六弁八重菊 に青 丸に十六弁菊 くずれ菊 十八弁菊 八弁八重菊 八咫鏡に十六菊 十六八重菊菱 丸に十六菊菱 八弁菊 菊 十六裏菊 牡丹野菊 抱葉菊 丸に十六菊 十六菊に花菱 十六八重菊に葵 十六菊 菊 双葉菊花 十四弁葉菊花 三割菊 十四弁菊花 菊菱 十五弁菊花 三割菊 半菊 菊に花菱 八菊花 葉付菊水 菊に桜 十六菊に花菱 菊花心に剣梅鉢 半桐半菊 八弁菊菱 菊に双葉葵 菊水 菊花と菊の葉を図案化した紋。 菊は古くから中国において観賞用とされていた。 また、延命長寿の薬餌として、九月九日の重陽の祝いの菊酒などにも用いられている。 わが国では、古いところで、延暦十六年(七九七)、桓武天皇が和歌をもって菊花を惜しんだことが、古文書に記されている。 この文様は、平安時代の流行文様で、衣服や甲冑に用いられている。 鎌倉時代、後鳥羽上皇が、特に菊を好まれ、その文様を持物に使われ、後宇多法皇を経て、この時代の末に皇室の私的、専用文様とされた。 その後、足利尊氏は後醍醐天皇から菊紋を下賜されたという。 また豊臣秀吉も菊紋を好んで用いている。 皇室の紋章であるため、その類似をさけたせいか、その形状や種類は多い。 花は表菊と裏菊に分かれ、単弁(二重菊)、複弁(八重菊、五弁から三十六弁まで)、かぶろ菊、乱菊、横見菊、割菊などがある。 葉は、違い菊と割菊など。 さらに、枝菊、葉菊、青山菊、菊水紋、浮菊など他紋との複合、変化もある。 菊花紋は、皇室の紋章として著名である。 明治二年(一八六九)八月二十四日に、使用に関する太政官布告が出され、皇室は十六弁八重表菊、皇族共通は十四弁一重裏菊となり、各宮家はそれぞれ独自の菊の変形紋を用いることになった。 臣籍降下の元皇族方も多くは菊にちなんだ紋を用いている。 菊水紋。 菊と水の流れの文様を転用した紋で、菊紋の一種である。 菊水とは延命の瑞祥的意義にもとづくもので、古来中国の伝説にある。 最初は、菊花三輪を流れに配した、かなり写実的なものであったが、のち花輪をへらして図案化された。 ほとんど楠木氏一族が独占する紋で、種類は少ない。 花の数で分類すると、一輪(肘張菊水、葉付菊水)と三輪、それに遠雁を添えたものの三種にとどまる。 また、武家や地方豪族が家紋として盗用する場合があり、その影響下の神社でも菊紋を使用する神社は存在した。 ・明治二年、太政官布告により、上記四社以外の神社での菊紋の使用が禁止され、 明治四年、すべての神社での菊紋の使用が禁止された。 ・ところが、明治十二年の政令により、官国幣社では一般に菊紋の使用が許可され、菊紋使用の拘束力は低下した。 ・終戦後、太政官令が無効となり、菊紋使用に関する制約はなくなった。

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