こんな夜更けにバナナかよ 評価。 【みんなの口コミ】映画『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』の感想評価評判

愛しき実話、とは

こんな夜更けにバナナかよ 評価

今年見た中で最低の1本。 あんまり酷い出来だったから、見た後事実を確認した。 映画版の大きな変更点は、主要ボランティアとして大きく話を動かす三浦春馬や高畑充希。 このカップルは架空の人物らしい(!?) それから、タイトルにもなっているバナナの話。 あれはもともと家にバナナがある状態で、それを取ってこいと言ったわけであって、映画で描かれたように家に無いから深夜に買ってこいと命令したわけではないよう(誇張にしてもこの改変、やりすぎ) 他にも沢山あるけど割愛。 で、本題。 映画は役者が演じる時点で限界があるわけだし、事実を忠実に再現しろとは決して言わない。 変えたことで映画が面白くなるならそれで納得できる。 ただ、「愛しき実話」と題しておいてこの大幅な脚色っぷりはどうか。 実際にはやってないことがやっていたことかのように扱われ、実際にいない人が話を動かす…これじゃあもう作り話の域だ。 実際の人物に対する敬意を感じようがない 肝心の映像といえば、無理に緊張感を演出しようとしたのか接写だらけ、手ブレだらけ。 全編を通して変わり映えがなく、集中が何度も切れた。 事実から変えたところを面白く見せようという工夫すらないわけだ。 めまいがしてくる ところで主役の鹿野はかなりの喫煙者だったようだけど、そこの生活描写なんかもバッサリなくなっている。 製作にデカデカと出る(24時間TVでお馴染み!)日テレ側としての、なんとしても障碍者を清潔にしたいという願望の表れだろうと邪推してしまう。 それから大泉洋の役作りにも気になる。 あの筋ジストロフィー患者には到底思えない流暢なセリフの数々。 何度でも言う。 「愛しき実話」と題するこの映画の、一体どこを事実だと信じればいいというのだろうか….

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こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち

こんな夜更けにバナナかよ 評価

北海道札幌市。 鹿野靖明は幼い頃より難病の筋ジストロフィーを患い、体で動かせるのが首と手だけ。 24時間365日だれかの介助がないと生きていけない体にも関わらず、医師の反対を押し切って病院を飛び出し、自ら集めた大勢のボラ(ボランティアの略称)たちと、自立生活を送っている。 夜中に突然「バナナ食べたい」と言い出したりする自由すぎる鹿野を介助するボラの一人、医大生の田中はいつも振り回される日々。 ある日たまたま鹿野宅を訪れた田中の恋人・美咲まで新人ボラに勘違いされてしまう。 おまけに鹿野は美咲に一目ぼれし、田中は彼の代わりに愛の告白まで頼まれる始末!最初は戸惑う美咲だが、鹿野やボラたちと共に時間を過ごす内に、自分に素直になること、夢を追うことの大切さを知っていく。 ところが鹿野が突然倒れ、命の危機を迎えてしまう…。 C 2018「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」製作委員会 実は、先日「筋萎縮性側索硬化症」と診断され、その話を友人にしたところ、 この映画を勧められました。 大泉洋主演ということも聞き、早速鑑賞しました。 人の世話になって生きるしかないのか、と思い、だったら死んだほうがマシ くらいに思いました。 だけど、この主人公鹿野は夢や希望を持ち、またそこを支えようとするボランティアの みなさんがいること、 なぜ、そこまでボラはするのか、と不思議に思ってみました。 鹿野が生きているということ自体が、周りで支えている人たちにとって 希望であり、勇気なんだ、ということがだんだんわかってきました。 そして、自分も、そんなふうに生きてみたい、自分に正直に生きていきたいという 気持ちも映画からもらいました。 障がい者や、難病で不自由な人たちが現に生きています。 世話してもらうだけの人生かもしれませんが、 そういう人たちが、周りの人たちにしていることがあるんだ、と、考えさせられました。 何もできなくても、存在そのものが、みんなの希望になり得る生き方があるように思い、 人生とは何か改めて考えさせられる映画でした。 剣幕や、わがままや、シャレにならない悪戯 同情や、優しさや、笑顔などを組み合わせ 人心を混乱させ、執着させ、生きる目標化させ 神格化させ、崇拝させ、従属させる 主人公はそこそこ善人であったと思うが この映画に記されたプロセスは乙武氏や麻原氏や寂聴氏のような 活動家や、宗教家や、扇動者が人心を掌握する流れに 通じる薄ら怖いものを感じさせる内容だった。 みんな笑顔、みんな自分から進んでやっている だから、家族や私生活を犠牲にしてでも、周りから忠告されても より一層、私がやらなきゃ、私が理解しなきゃと より一層、頑なに、近視眼的に、視野が狭くなって 活動に邁進していく。 そうして延べ数百人が、一人の男を生きさせることに必死になる。 この状況に、単に美談や感動だけで受け取れるほど平和ボケしていて 良いものかと感じる作品だった。 これが原作を忠実に再現されてるのなら、私は原作を読まなくてよかった。 さて、私はこちらの原作本を持っていますが読まずに積本となっていました。 映画化 されたとのことで、見てみましたがなにこれ? といった感じです。 夜中の2時にバナナを買ってきて! などの無茶な注文や、セクハラ発言の数々…。 今とは時代やモラルが違うのかもしれませんが、根本的に根っこがクズの人間です。 障害者の自立… 自立とは自己決定、自己選択の元、それらの行動に責任を持つことだと思います。 私も夜中にラーメンが食べたくなることがあります。 でも、自分で作るのは面倒だし、買いに行くのも面倒… 諦めるか… と我慢します。 もちろん、誰かが自分のために買ってきてくれるなら喜んで頼み食べることでしょう。 本当に自分が動く(労力を使う)となれば… と考えれば諦めもつくものです。 それを人に行かせれば と考えるのはクズの不良と同じ考えです。 パシリです。 体交や三大介護はいろいろ頼むのもいいでしょう。 また、無理のない範囲で希望を伝えるのもいいでしょう。 常軌を逸した行動は障害者だからと許されるものではありません。 時と場合、社会性、相手のことを思いやるといった 自律 も求められます。 (介護者自身が断る というのも、その介護者自身の自立としても必要ですが。 ) また、セクハラな言動や行動はどうかと思います。 我々なら逮捕や社会的制裁を加えられることでも、障害者だからときっと許されることでしょう。 そんな立場にあるからこそ、障害者にはより一層の自律 を求めてます。 これを見て、自分もセクハラや可愛い介護者に強引な押しをしてやろう と思うアホな障害者が生まれないことを願います。 (ただでさえ人手不足な業界です。 セクハラで辞める人もいるので本当に勘弁してあげてほしい) あと、若干寝取られぽい感じの内容もあり、見ていて気分も少し悪くなりました。 NTRが好きな方は見るのもいいと思います。 追記・ 病院で人工呼吸器の空気を抜き声を出す といったことが勝手にされていましたが、本当にやめてください。 試してみて、その結果死ぬのは自由です。 でも、場所を考えてください。 病院や施設内でされ、なにか問題が起こると、それは病院、施設の問題となります。 自宅や道路など外に出て試しましょう。 病院にいる間は最低限の方針には従い、今回のような件では医者や言語聴覚士、理学療法士辺りに相談してください。 筋ジストロフィー患者の鹿野氏がボランティアの助けを借りてできる限り自立していこうとする作品。 難病患者であったり身体障碍者の方は何かにつけ助けがなくてはいきていけない。 与えつつ与えられしながら生活を営んでいってる。 ただ、どうしても昨今弱者が大手を振るって生きていってるのには違和感を覚える。 一昔前なら弱い個体は生きてはいけない。 なのに、生かされている感謝がみれない人がすごく目立つようになった気がする。 特に、へりくだって生きていく必要はないが生かされていることに感謝していれば 横柄な態度にはならない。 生きている以上、どんなに障害を抱えようと人権があるのは間違いない。 その人権って健常者と同じことをできるまでのことをいうのだろうか? 自分が健常者であるから人の痛みがわからないんだろ?っていう文句が聞こえてきそうではあるが そもそも人の痛みがわかるというのは傲慢であるとおもっている。 人なんて所詮寄り添うことしかできない。 この手の話は、なぜこうも歪んだ極論が横行するのだろうか。 ここからは、細かくこの映画の主張がいかに「舌先三寸」なものであるかを、細かく明らかにしていきたいと思う。 ロールズの「格差原理」によれば、人間のあらゆる境遇はいわゆるクジ引きのようなものとされる。 生得的な境遇はもちろん、後天的に自助努力で獲得したものであったとしても「努力できる境遇」は先天的な要素によるもので、さらにそれによって伸びる才能があるかどうかは「生得的」なものであるとされる。 この原理に基づけば、人々は「社会に一定数存在する不遇を引き受けてくれた」人々に対し、等しく負い目がある。 だから、社会の構成員は、不遇な人々に益する責任があるのだ。 わたしは基本的にこの考え方を支持しているリベラルで、社会人ボランティアとして数年間にわたり障害者の社会教育にも積極的に参加してきた経験もある。 本来は支持者の側に回る類の人間だろう。 しかし、この映画の皮相的な権利観に支えられた「一方的」「原理的」主張にはまったく共感できない。 映画の賛否を呼ぶ中心的な問題は、筋ジストロフィー症の鹿野さんの生き方をどう評価するかであろう。 彼個人の幸福や権利を最大化しようとする生き方は、それ自体は正しいだろう。 障害を負っているからと言って、自分の希望や欲求を押し殺したり、自由を制限されていい道理はない。 障害者だって人生を謳歌してもいい。 それは間違いない。 しかし、個人の幸福や権利・自由の最大化は、えてして他人や社会との間に大きな矛盾をもたらす。 このことで、顕著なのがセクハラ問題だ。 この映画ではオープニングで鹿野さんが、ボランティアに対して度を超したセクハラをしている現場が描かれる。 これは一体「誰の、何の自由、何の権利」なのだろうか? 「セクハラする自由や権利」など、誰に認められているのか。 セクハラされた被害者の人権はどうなるのだ。 もちろん障害者にも、エロいことをする権利はあるだろう。 だが、誰にでも無条件にエロいことができるわけではないし、セクハラが認められるわけでもない。 それはキモ金オジサン(キモくて金のないオジサン)が、いくら性的に不遇な立場にあっても、彼らに性交渉の機会やパートナーが保証されるわけではないのと同じことだ。 「する権利がある」ということと「できる」は、必ずしも一致しない。 これは理念や政治哲学の話ではない。 現実的な制約の話である。 実は、こうしたことは障害者支援の現場では度々起こることでもある。 そして、ボランティアに訪れた女性支援者が、それに悩まされる例も少なくない。 しかし、この映画は、こうした鹿野さんの行動の是非について言及しない。 むしろ支援者の「暖かな」反応を強調する。 そこに批判的な視線は一切存在しない。 「障害者の権利を最大化するためには、その是非は脇において周囲は寛容であるべきだ」とでも言いたげに。 これは鹿野さんの考えを好意的にとらえるこの映画に通底する価値観である。 しかし、個人が自分にとって最良の選択のみに至上の価値を置き、他者を踏みつけにすることはどこまで許されるのか。 それが際限なく(と言ってもいいほどに度を超えて)許されるというのは、全くもってリバタリアン的な価値観だ。 リベラルの格差原理に乗りながら、リバタリアン的な「自由の最大化」を主張するのはハッキリ言って、筋悪の議論にしか思えない。 それは障害者の権利を支える土台「格差原理」とは全く異質の価値観だからだ。 この辺の論理の脆弱さについては、たぶん本当は鹿野さん周辺や映画の製作者も自覚している。 だから、途中で「そんなに障害者は偉いのか?」という問いかけに対して、鹿野さんに「みんな愛してるから、やってる」と答えさせている。 要は「この関係性は当事者と支援者の信頼関係によって成り立っており、支援者は自発的な好意によって鹿野さんの人生を豊かなものにすべく働いている」と言いたいのだ。 支援者に度を超えたサービスや献身を求めたとしても「支援者が好きでやってるんだ」というわけだ。 この手の意見は、福祉の現場ではよくある。 善意の要求水準を常識はずれに引き上げていることを正当化するには、「それだけ支援者の意識が高いんだ」というストーリーに頼るよりほかはない。 しかし、この解釈は大きく分けて2つの点で問題がある。 ひとつは「自発的」というのが、逃げ口上になり得るのか。 この映画では、鹿野さんは自身と支援者の関係性に批判的な高畑充希を高圧的に侮辱する。 「わたしはしたくない」という彼女の自由意志に基づいた発言を「わたしは特別アピール?」と責め立てる。 この発言は要は「みんな自分のことを愛するはずなのに、キミだけは違うなんてキミがおかしいんじゃない?」と言っている。 集団のなかで孤立することを恐れる人間の習性と、人格否定を用いて自身に屈服させようとしている。 しかし、そもそも鹿野さんのスタンスが「みんなが自発的にやってるだけだから」ということなら、高畑充希を責める謂れはない。 彼女は自由意志で選択する権利があり、その自由は尊重されるべきだからだ。 だが、鹿野さんはそのスタンスと真っ向から反して、高畑充希を非難する。 鹿野さんを信奉する支援者は誰一人として間に入ったり、鹿野さんを諌めたりはしない。 要は「そういう集団」なのである。 なお、鹿野さんはその後の謝罪でも「怒らせたことは謝る」と言っているだけで、要は「発言の趣旨そのものは誤っていない」点も忘れてはならない。 こういった集団の圧力と、個人攻撃を用いて自身やその目標へのコミットを求める行いは、「ブラック企業」でよく問題視されている。 彼らもほぼ必ず社員の「自発性」や「自由意志」を逃げ口上にしながら、裏で社員のコミットの弱さを非難する。 人格を否定された人々は、心に深い傷を負ったり、職場全体の空気や同調圧力にさらされた結果、権利を自ら差し出して、人生を搾取されていく。 鹿野さんのやっていることは、この構図と何が違うのか。 ブラック企業の経営者や管理職が「社員は自発的にやってる」と言った時、鹿野信者は納得するのだろうか。 納得するのだとしたら、人間の心というものを根本から理解していないのではないか。 ふたつめは、支援は好意や信頼関係、自発的な意思に期待したものでいいのか、ということだ。 「好きだから支援する」。 それ自体は問題がない。 たしかに、そういう支援の形があってもいいだろう。 しかし、「好きだから支援する」は「好きじゃないから支援しない(もしくは支援するかどうかはわからない)」と表裏一体の関係を持つ。 好きを動機づけに設定している以上は、嫌いな人間に対して支援する動機がないのは明々白々な話だ。 もし、仮に嫌いな相手でも支援するなら、そもそも「好きだから支援」しているわけではない。 だが、当然、それが支援のスタンダードになれば、性格の悪い障害者は放置されても問題ないことになる。 また、そもそも意思伝達そのものが難しい重度の知的障害者は、支援者の好意を集めるのが不利であろうから、支援が行き届かなくなったとしても「それは当然」ということになってしまう。 そんな当事者と支援者の在り方がスタンダードであるわけがない。 これが鹿野さんの個人的な話にとどまるなら、それはそれでいいだろう。 鹿野さんの個人的な友人や家族が、鹿野さんを「好きだから支援する」として何ら問題があるわけもない。 しかし、鹿野さんはシンポジウムに登壇したり、このように映画化されるなどして、自身の支援者と当事者の在り方を普遍的なものとしようと働きかけている。 しかし、こんなものが普遍的な在り方であるわけもないし、なりようもないし、なっていいわけもない。 鹿野さんの問題点をごまかすために、もっともらしい詭弁を弄しているに過ぎないと思う。 と、こうやって考えていくと、いかにこの映画の訴える主張がご都合主義的で、歪で空虚なものかが浮かび上がってくる。 結局、この映画の出来事は本来「自分の自由を最大化しようとした一人の男」の生き方に、理由はともかく「ノッた人間がたくさんいました」というだけのことだ。 そして、彼らは「これが普遍的な正しさである」と信じ込んで、他者に布教している。 それ以上でもそれ以下でもない。 宗教の布教映画という風にとらえれば「豪華キャストだし、本来の目的を巧妙に隠していて、いかにも効果がありそう」な傑作と言えるだろう(あくまで信者にとっては、だが)。 布教映画ではなく、あくまで一本の映画として見れば、この映画の最大の問題点は「鹿野さんを聖人化して描く」その軽薄さにほかならない。 洞察の甘さと言ってもいい。 鹿野さんが「スゴイ人」であったことは間違いないだろう。 ボランティアの努力もすごい。 これも間違いない。 なかなかああいう人といのは現れないものである。 鹿野ボラは奇跡と言っていいし、その行いは偉業と言ってもいい。 しかし「スゴイ=正しい」は違うし、「偉業=正しい行い」というのも違う。 もちろん、奇跡が必ずしもいいというわけではない。 価値判断にかかわらず、スゴイことは存在するし、奇跡も存在する。 この映画においては、どうもそのことを混同している人が多いように思う。 製作者に必要だったのは、障害者支援の現場に存在する清濁のいずれも受け入れる度量だったのではないか。 このことは製作者のみならず、観客ひとりひとりが自問自答すべき問題だと思う。 感動のベールに包みさえすれば、障害者の聖人化の文脈にいとも簡単に乗ってしまう。 これはこの社会全体に共通する問題と言えるだろう。

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映画『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』フル動画を無料視聴する方法!ネタバレあらすじや感想も紹介

こんな夜更けにバナナかよ 評価

実年齢より10歳若い役どころも難なくこなします。 共演であり、フィクションの原作と映画というフィクションのブリッジ役に、若手演技派の三浦春馬と高畑充希。 C 2018「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」製作委員会 【公開】 2018年(日本映画) 【原作】 渡辺一史「こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち」 文春文庫 【脚本】 橋本祐志 【監督】 前田哲 【キャスト】 大泉洋、高畑充希、三浦春馬、萩原聖人、渡辺真起子、宇野祥平、韓英恵、竜雷太、綾戸智恵、佐藤浩市、原田美枝子 【作品概要】 筋ジストロフィーにかかりながらも自らの夢や欲に素直に生き、皆に愛され続けた実在の人物・鹿野靖明さんと、彼を支えながらともに生きたボランティアの人々や家族の姿を描いた人間ドラマ。 大宅壮一ノンフィクション賞と講談社ノンフィクション賞を史上初めてダブル受賞した原作「こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち」を映画化。 演出は『ブタがいた教室』の前田哲監督が務め、主人公の鹿野靖明役を演じたのは大泉洋。 医学生の田中役を三浦春馬、彼の恋人の美咲役を高畑充希が演じます。 CONTENTS• 映画『こんな夜更けにバナナかよ愛しき実話』のキャラクターとキャスト C 2018「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」製作委員会 鹿野靖明(大泉洋) 34歳、筋ジストロフィーを患い動かせるのはわずかに首と手だけ。 しかし天性の魅力と独特の価値観でボランティアに囲まれて自立生活を進める。 安堂美咲(高畑充希) 自称教育学生、実際にはフリーター。 恋人の田中を追いかける縁で鹿野と知り合う。 田中久(三浦春馬) 地元の病院の一人息子の医大生。 鹿野の存在に自分の将来へ向けての気持ちを揺さぶられる。 高村大助(萩原聖人) 前木貴子(渡辺真起子) 塚田心平(宇野祥平) 鹿野のボランティアであり、友人。 映画『こんな夜更けにバナナかよ愛しき実話』のあらすじとネタバレ C 2018「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」製作委員会 安堂美咲は恋人の医大生・田中久がボランティア活動のため、デートも碌にできないことにいら立っていました。 そこで田中のボランティアの場に乗り込みます。 そこにいたのは大勢のボランティアに囲まれて、あれこれと世話をしてもらっている鹿野靖明の姿がありました。 その流れで、夜のボランティアを田中とすることになった美咲に、鹿野は、突然「バナナが食べたい」と言い出します。 あまりのわがままぶり怒り心頭の美咲ですが、鹿野はその姿にすっかり魅了されてしまいます。 美咲は田中との関係を切り出せないまま、ボランティアをすることになりました。 鹿野の当面の目標は、英語検定2級の取得。 それに触発されて実は教育学生ではなかった美咲も改めて大学受験を目指します。 二人の距離が近づく一方で、鹿野の病状は悪くなっていきます。 医師からは人工呼吸器をつけることを薦められますが、それは声帯を失い、鹿野から言葉を奪うことを意味していました。 田中は父親に頭を下げて、呼吸補助の特別な加療を鹿野に受けさせます。 しかし、それは焼け石に水で、英検受験日に鹿野は倒れてしまい、結局は人工呼吸器をつけることになりました。 言葉を失った鹿野の姿を見て田中は、自分の医師として将来に疑問を抱いてしまいます。 人工呼吸器をつけながら言葉を発することができる方法を知った美咲は、鹿野にこれを持ち掛けます。 そして、鹿野は自力で発声法を見につけるのでした。 医療の感覚を越える鹿野の姿を目の当たりに見た田中は、自分の無力さを感じます、医大からの退学を考えます。 声を取り戻した鹿野ですが、人工呼吸器をつけた人間には定期的な痰の吸引が欠かせません。 これは医療行為であり、基本的には医療関係者だけができることで、例外は家族だけでした。 それを聞いた鹿野は「俺のボラは家族だ」と押し切ってしまいます。 強引な鹿野に押し切られた病院側は、ボランティアたちに痰の吸引の手ほどきをし、ついに鹿野は退院を果たします。 退院した鹿野はボランティアたちとともに旅行に出かけます。 旅を満喫する鹿野とボラたち。 その時、突然鹿野が倒れてしまいます。 旅に同行していなかった美咲と、医大を辞めること決めかけていた田中も鹿野が倒れた一報を聞いて旅先に駆け付けます。 しかし、これは二人を引き合わせる鹿野の悪だくみでした。 引き合わされた二人は改めて距離を近づけます。 鹿野の美咲への思いはかないませんでしたが、二人の友人として鹿野は、田中と美咲とともに朝日を眺めるのでした。 鹿野は42歳でこの世を去りました。 彼に関わったボランティアの延べ人数は500人を超え、彼が死んだ後も時おり会い、思い出話に話に花を咲かせています。 映画『こんな夜更けにバナナかよ愛しき実話』の感想と評価 C 2018「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」製作委員会 屈指のはまり役、大泉洋!! 人たらしで、無理を頼まれても何となく許してしまう。 これは主演を務めた大泉洋のことではなく、 モデルとなった鹿野靖明さんの人物評です。 マックスで10キロの減量をして、わざと視力を落とすコンタクトつけたうえで眼鏡姿になった大泉洋の姿を見て、 鹿野さんの友人でありボランティアでもあった人物は思わず『鹿野がいる!』と語ったそうです。 今まで、ありそうでなかったこの役処に挑戦した大泉洋は、 クランクアップで鹿野と別れることがつらいと語ったほどです。 大泉洋にとって、今後の代表作といってもいい映画になったと言っていいでしょう。 C 2018「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」製作委員会 まとめ C 2018「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」製作委員会 本作『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』の主人公鹿野靖明は34歳。 筋ジストロフィーを患い、車いす生活を過ごしています。 鹿野はワガママ!オシャベリ!!自由スギ!!! それでも、真っ直ぐに生き、誰もがどこか憎めない愛される存在でした。 そんな鹿野に、北海道の医学生である田中は、ボランティアとして出会います。 ある日、新人ボランティアの美咲に恋心を抱いた鹿野は、ラブレターの代筆を田中に依頼すると…。 笑いあり涙ありの感動実話 『こんな 夜更けにバナナかよ 愛しき実話』は、12月28日(金)全国ロードショー。

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