タイソン ダグラス。 「世紀の番狂わせ」から30年 タイソンを倒した男、ダグラスの栄光と苦闘とは(2020年2月16日)|BIGLOBEニュース

マイク・タイソンはなぜダグラスに負けたのですか?

タイソン ダグラス

全盛期は史上最強と言われ、 破竹のKO街道を突っ走っていたタイソンが遂に東京ドームで敗れた。 (1990年) 米国ではなく日本でのKO負けということもあって、この日のパンフレットは8万円という高値が付いている。 私の知人で黒人と結婚した女性(飲食の仕事先で知り合った)A子がいましたが、彼女によるとタイソンはダグラスとの試合を控えた前夜、六本木のクラブ(ディスコ)のツー・フロアを借り切っていたらしい。 そして午前3時頃、一人の女性を持ち帰ったとのこと。 ケビン・ルーニーがトレーナーだった頃には、考えられない話ですね。 A子は友達と二人でディスコへ行ったのですが、もちろん彼女たちは黒人グルーピー(追っかけ)で、タイソンの周囲の黒人たち(取り巻き連中)とホテルへ……。 (A子は米国にも家があって、タイソンが最初に結婚したギブンスはタイソンと離婚した際に自分の住所を、離婚賠償に有利な州にしたらしい。 「だから彼女は、金目当てでタイソンと結婚した」と話していました。 その離婚の慰謝料は10億円。 さらにA子によると、タイソンがレイプで逮捕される前も、実に20回くらいレイプ疑惑の報道があったらしい。 強引に通りすがりの女性を引き込むタイソンを止めに入る警備員を殴ったこともあって、しかし相手(タイソン)はスーパースターだから事件にならなかった。 実際、事件になったときは、レイプ被害者の女性とタイソンはホテルの入口で抱き合ってキスをしていた。 だから、そのまま部屋に入って情事を済ましたあとで訴えた彼女はカネ目当てに違いなかった。 とA子は話していた) この話(タイソンvsダグラス)には後日談のオマケがあります。 A子は知り合いのヤクザが(ヤクザ同士)賭けをしていることを知った。 そのヤクザは、もちろんタイソンに賭けていたらしいですが、 「タイソンは負けるよ。 今朝の3時に女を連れ出して一発抜いたら、その後仮に大麻を打ったとしても勝てるわけがない。 相手は死に物狂いで準備をして、人生を懸けて向かってくるんだから」と忠告した。 当時のタイソンは、史上最強・地上最強・人間では勝てない……などといった形容で、ダグラスとの掛け率も42対1だった。 (ダグラスに1万円賭けたら、42万円になった) 87年8月、タイソンはトニー・タッカーとの無敗対決に判定勝ちして3団体統一のヘビー級王者になっているが、ダグラスはそのタッカーに(87年5月)10R・TKO負け。 88年6月、タイソンはマイケル・スピンクスとの無敗対決を1R・KOした後に、トレーナーのルーニーやマネージャーたちを解雇した。 そしてドン・キングと新たに契約したタイソンは、この頃から私生活の乱れが顕著になり試合の延期などが相次ぐようになる。 89年2月、新体制でフランク・ブルーノ(英国)と対戦したタイソンは1R開始直後にダウンを奪うも、危機感のブルーノは再三、タイソンの頭を左腕で抱え込み右パンチで側頭部を乱打したり、後ろから(側頭部を)殴打して、減点1。 しかし体のキレや相手の中に入るスピードが鈍いタイソンは、ブルーノの左フックをカウンターで食らい、あわやダウン寸前に追い込まれた。 結果、5RでTKO勝ち。 89年7月、カール・ウイリアムス(米国)を1R・TKO(ストップが早いために詰まらない結果)するも、11月に決まっていたドノバン・ラドック(カナダ)との試合をキャンセル。 そして、2月に東京で決まったダグラス戦。 ダグラスにしてみれば人生を懸けるというより、死なないまでも試合後に後遺症が残る(五体満足ではリングを降りられない)ぐらいの恐怖で、それはつまり命を懸けるほどの覚悟に違いなかった。 さらに、ダグラスにとって負けられなかった最大の理由が試合の2週間前にできた。 それは、最愛の母親の死去。 (試合前、タイソンに勝てるわけがないと嘲笑されていた母は「私の息子は必ず勝つ」と言い返していたらしい。 そして、もしダグラスが試合をリタイアしても2週間あれば代役を立てられたのでしょう。 さらに試合の10日前にダグラスはインフルエンザにかかってしまった彼は、絶体絶命の危機に陥っていた) そんな試合前のダグラスの心境とは逆に、片やタイソンは数時間前まで遊び呆けていて(女と一戦を交えていたかどうかはともかく)……運命のゴングが鳴った。 初回から、ダグラスのジャブが的確にタイソンにヒットし、(ダグラスの)アウトボクシングが功を奏し始めると(ダグラスに)勇気が芽生えだした。 「立ち向かっていける」という。 しかし第8ラウンド、攻め立てるダグラスに対し、ロープを背負い防戦一方のタイソンは、だが右アッパーをヒットさせた。 すると、その一発でダグラスは後ろにのけぞってダウン。 タイムキーパーはカウントアウトしていたにもかかわらず、遅れてカウントを始めたレフェリーは立ち上がったダグラスを見て、なんと試合を続行させた。 ルール上は、ここでタイソンのKO勝ちだったのですが。 試合再開直後にゴングが鳴って、ダグラスは休憩(一分間)という幸運にも恵まれた。 ダウンから立ち上がった(ふらふらの)ダグラスが、仮にラウンド終了まで20秒あったならば、おそらくタイソンは勢いとともに最後の力を振り絞って倒し切っていただろう。 期待された次のラウンドだったが、それまで打たれすぎたタイソンは右目が塞がった状態で、肉体的ダメージも明らかだった。 その後、尻すぼみに弱っていったタイソンはあえなくKO負け。 試合終了後、世紀の大番狂わせを演じた彼はリング上のインタビューで、泣きながら母親への感謝を口にしていた。 自身の人生にとって最大の見せ場で、しかも負けられない理由が母親の命と引換えに試合直前に訪れた彼にとって、これ以上の喜びはなかったに違いない。 さらに試合の結果は、速報で世界中を駆け巡った。 そんな勝負の裏でダグラスに賭けたヤクザは、1500万儲けたとのことです。 来日したタイソンが常宿にしていたニューオータニのホテルマンから聞いた話ですが、ホテルから会場に向かう車に乗るまで、つまりエレベーターに乗るときなど、黒人の大男が三人でタイソンを取り囲んでいた。 他人に危害を加えないように。 当のタイソンは、タオルを頭からかぶって独り言をつぶやいていたらしいです。 まさに『野獣』という形容がピッタリ。 彼が、デビュー当時からの(恩師であるカス・ダマトの精神と技術を受けついだ)トレーナーであったケビン・ルーニーを(うるさいからといって)解雇などせずに愚直にボクシングに没頭していれば、ホリフィールドにもルイスにも負けることはなかったかもしれません。 タイソンに勝ったダグラスは、ラスベガスでホリフィールド相手に初防衛戦を迎えるが、ロングカウント事件の裁判で練習に集中できなかったらしい。 (さらに、色んな誘惑や盛大な祝勝会が絶えなかったでしょう) そして、迎えた初防衛戦だが……。 当時、世界最強だったタイソンに勝ったにもかかわらず、ホリィに3RKO負けしたダグラスは《油断したタイソンに、まぐれで勝っただけの幸運なボクサー》としか評価されていない。 それでも試合前の母親の死と恐怖を乗り越えたダグラスと、片や有頂天で自惚れ堕落した生活を送っていたタイソンに降り掛かったような試合展開とロングカウント事件。 敗戦によって、4ヶ月後に決まっていたホリフィールド戦の中止。 その後も91年11月に再度ホリフィールド戦が決まるも、タイソンは練習中に肋骨を骨折して中止になっている。 この頃のタイソンが万全に仕上げてホリィと闘っていたら? しかし、第2戦も耳を噛むまで、タイソンは苦戦の傾向にあった。 相性が悪かったのかもしれないが、91年あたりに初戦が決まっていれば、ラバーマッチ(第3戦)もあったに違いない。 (ただ、接戦や苦戦したときにこそ名参謀が必要で、やはりタイソンにとってルーニーは無敵の王者であり続けるためには必要だった) ……ヘビー級ボクシングの歴史に絡むタイソンの人生は、まさに映画のシナリオよりドラマチックだ。 そんなタイソンも、今年の6月30日には54歳。 米国で猛威を振るうコロナが年末に少し収まるような気配をみせれば、それを目論んで年末にはタイソンのエキシビジョンマッチが開催されるかもしれません。 タイソンはキャリアの後半、あまり練習もしなかったしコンディションも上手く作れなかったと見ています。 だからスタミナもなかった。 (特にホリィの初戦、ルイス戦のような大事な試合で) そして、そのボクシングの練習不足を誤魔化そうとしたのかはともかく、見せかけだけは衰えを隠すためにウエイト・トレーニングで筋肉をつけようとした?(と個人的には思います) 元々、ウエイトで作った筋肉とボクシングで使う筋肉は質が違う。 デビュー当時のタイソンは(腕など)太くないが、その代わりスピードは軽量級の選手より速かったし、それがタイソンの一番の強みだった。 酒やドラッグ、その他の欲望にまみれたキャリア後半だったが、だから彼の中では後悔の念が残っている。 50戦無敗で終わったメイウェザーが本当は羨ましくて仕方がない。 「俺も、もっと真面目にボクシングに取り組んでいれば負けることもなかったしもっと稼げた」 最後の試合となったケビン・マクブライト戦で「もうこれ以上、ボクシングを侮辱したくない」と、涙ながらにいった真意はそこにある。 しかも、ケビン戦でもタイソンは相手の乳首を噛もうとしたらしい。 だからタイソンは、心を入れ替えてエキシビジョンに臨み、正式にカムバックを目指すと思います。 もちろん、それでも全盛期には及びませんが、キャリアの終盤のころよりはベストコンディションのタイソンが現れ、世界中を驚かせるような試合を見せるかもしれません。 そんな彼に再び立ちはだかるのが、カムバックを目指しているホリフィールドです。 この二人に触発されて、レノックス・ルイスも黙っていないかもしれません。 特にルイスは三人の中で一番打たれていないからダメージも少ない。 ファイトマネー次第では充分に考えられます。

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【画像】マイクタイソンの人生分岐点ダマトとドンキング 現在は初心の優しい心取り戻す

タイソン ダグラス

あのタイソンを 歴史的番狂わせで破ったダグラスが、 「本物男」イベンダーホリフィールドを 相手に迎えた初防衛戦。 統一世界ヘビー級タイトルマッチです。 試合前の賭け率も、 挑戦者であるホリフィールド有利と なっていました。 ホリフィールドは一つ下の階級の クルーザー級の統一チャンピオン だったこともあり、 無敗でランキングも1位。 予想が有利に傾いても 不思議ではなかったと言えます。 しかし、この時のホリフィールドの 評価が高かったというよりも、 ダグラスに対する不信感が 色濃く出ていた雰囲気でした。 ここらへんがホリフィールドの 凄みだったりします。 さて、この日のダグラスは 調整にも失敗したという噂もあり、 体重もタイソン戦と時よりも 10キロくらい重かった記憶があります。 いざ試合が始まると、 やはりホリフィールドの シャープな動きが目立ちます。 ホリフィールドファンの 私の欲目もありますが、 どのチャンピオン相手でも ホリフィールドが 勝っちゃうんじゃないかなー なんて思います(笑) 試合を決めた右ストレートは 鮮やかにダグラスの顔面を捉えて、 ダグラスは起き上がることが できませんでした。 後日、このダウンシーンが問題となって、 ダグラスは立てたのに戦意喪失となり、 あえて立たなかったのでは? という話も聞かれました。 」 と試合後に語っていただけのことはあり、 待ってましたとばかりに 右を叩き込んでます。 あのマイクタイソンをKOした 右アッパーだっただけに、 必ずやダグラスは右のアッパーを 打ってくると ホリフィールドは完全に 読んでいたということですね。 リングサイドにはホリフィールドと 仲良しのパーネルウィテカーや レナードにテリーノリスといった 懐かしのビッグネーム達も見れます。 ヘビー級の歴史に残る試合ですので、 もし、まだ見たことないよ。 Buster Douglas gokanno.

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マイク・タイソン

タイソン ダグラス

ジェームス・ダグラス 基本情報 本名 ジェームス・ダグラス 通称 バスター(Buster) 階級 身長 192cm リーチ 211cm 国籍 誕生日 1960-04-07 (60歳) 出身地 スタイル プロボクシング戦績 総試合数 46 勝ち 38 KO勝ち 25 敗け 6 引き分け 1 無効試合 1 ジェームス・ダグラス( James Douglas、 - )は、の。 父:(Billy Douglas)もミドル級の元世界ランカーで来日経験のある親子ボクサーでもあった。 2月11日、で当時無敗の・・世界王者からKO勝ちで王座を奪取した。 来歴 [ ] Mercyhurst University出身。 5月31日、プロデビュー。 5月30日、空位の世界王座をと争い、10回TKO負け。 2月11日、の持つ・・IBF世界ヘビー級王座に挑戦し、10回KO勝ちで王座を獲得。 に選出された。 強打で恐れられたタイソンに勇気を持って立ち向かった。 1990年10月25日、に3回KO負けし、王座から陥落。 引退を表明する。 番狂わせで世界チャンピオンに上り詰めたことで環境が激変し、コンディション調整の失敗も理由であった。 6月22日、6年ぶりに現役復帰し、復帰戦から6連勝を記録。 6年のブランクの間にうつ病を発症。 これに加えアルコール依存症となり糖尿病も併発する中で再開したボクシングであった。 6月25日、とのマイナータイトルのヘビー王座決定戦で、3度のダウンを奪われ初回KO負け。 、引退。 現在は現役時代に患った糖尿病と向き合いながら、出身地のオハイオ州コロンバスのコミュニティーセンターでボクシングのインストラクターをしている。 戦績 [ ]• プロボクシング: 46戦 38勝(25KO) 6敗 1分 1NC 獲得タイトル [ ]• 世界王座• 世界ヘビー級王座• 世界ヘビー級王座 脚注 [ ] [].

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