あいちトリエンナーレ 実行委員会 メンバー。 あいちの現代美術

「あいちトリエンナーレ2019」芸術監督に津田大介氏

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本展は、ジャーナリストである津田大介芸術監督が2015年に私たちが開催した「表現の不自由展」を見て、あいちトリエンナーレ2019でぜひ「その後」したいという意欲的な呼びかけに共感し、企画・キュレーションを担ってきました。 今回、電話などでの攻撃やハラスメントがあり、トリエンナーレ事務局が苦悩されたことに、私たちも心を痛め、ともに打開策を模索してきました。 しかし、開始からわずか3日で中止するとは到底信じられません。 16組の参加作家のみなさん、そして企画趣旨に理解を示してくださる観客のみなさんに対する責任を、どのように考えての判断なのでしょうか。 今回の中止決定は、私たちに向けて一方的に通告されたものです。 疑義があれば誠実に協議して解決を図るという契約書の趣旨にも反する行為です。 何より、圧力によって人々の目の前から消された表現を集めて現代日本の表現の不自由状況を考えるという企画を、その主催者が自ら弾圧するということは、歴史的暴挙と言わざるを得ません。 戦後日本最大の検閲事件となるでしょう。 私たちは、あくまで本展を会期末まで継続することを強く希望します。 一方的な中止決定に対しては、法的対抗手段も検討していることを申し添えます。 2019年8月3日 「表現の不自由展・その後」実行委員会 アライ=ヒロユキ、岩崎貞明、岡本有佳、小倉利丸、永田浩三.

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「表現の不自由展」、再開協議の行方は... 芸術祭事務局「当然、津田大介監督を入れて協議」: J

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Advertisement しかし、そうなると「芸術作品とはなんぞや?」という定義付けが必要になり、議論は途端に暗礁に乗り上げてしまいました。 「文芸・絵画・彫刻・音楽・演劇など、独特の表現様式によって美を創作・表現する活動。 またはその作品」 といったオーソドックスな表現をすれば、「表現の不自由展・その後」に出展されたものは、どれも当てはまりません。 しかし現代アートにおいては、そうした定義は当てはまらなくなっているのも事実で、深く追及してゆくと出展作品を仕分けることが困難になってしまいます。 現代アートにおいては芸術は「美を創作・表現する活動。 またはその作品」とは限らないからですね。 憲法論争「表現の自由」と「検閲」 大村知事は中止後の会見で、河村名古屋市長が申し入れた書簡に対し、自身の憲法解釈を披露しました。 長いので要約すると 「(河村市長の行為は) 憲法違反の疑いが極めて濃厚ではないか。 河村さんは胸を張ってカメラの前で発言しているが、いち私人が言うのとは違う。 しかし、この発言に対して一斉に反論が集中しました。 なぜならば、もしも大村知事がそう理解しているとすれば、 憲法違反をしているのは「表現の不自由展・その後」を中止した実行委員会会長の大村知事自身だからです。 表現の自由を保障するのは大村知事ご自身であって、自らが決断して中止したのも大村知事ご自身なのですから。 また「検閲」とは民間に対して行政が行うものであって、今回の場合には当てはめることはできません。 こうした 大村知事の不見識な発言によって、憲法論争は決着を見たような気がします。 芸術監督・津田大介氏の資質 実行委員会会長・大村知事の資質に関しては、先に記した憲法論争でもその一端が伺えますが、津田氏を芸術監督に迎えることを決断したのも知事であり、事前の打ち合わせで 「尖ったものにしてくれ」と暗に「過激な出展を示唆」し、その結果今回の企画を津田氏は探してきたという経緯になります。 そして今回の企画展に対し、許可を出したのも大村知事であったわけですから、 津田氏に関する問題点はすべて主催者の実行委員会会長の問題点であり責任なのです。 「任命責任」という議論は、「実行犯がいてその犯罪を教唆した」という考え方に近くなります。 つまり任命した責任は大村知事にあるわけですが、主犯は芸術監督の津田氏にあるとしているわけですね。 もちろんこうしたイベントでは芸術監督が企画やコンセプトの立案、作品の選定などほぼ全権を持つわけですが、その責任はトップにあるのが当然です。 任命責任を追及するのであれば、大村知事自体の責任を追及すべきです。 何が芸術(アート)で何がガラクタか 芸術に対する価値観の変遷は、現代においては極めて多様な価値観へと変貌していると言えます。 たとえば欧米の近代美術館では、到底芸術とは思えないような作品に何億円もの価値があるとされている作品が少なくありません。 それらは一昔前には芸術ではなくて 「ガラクタ」と評されるものばかりでした。 現代の芸術である以上、煽情的なのは当たり前の世界であって、政治色を帯びた作品も一定の評価を受けるものが増えてきました。 そもそも行政(主催者側)が理解できていないものを展示して(市民に対して)「これが芸術です」と言うこと自体が大問題なのです。 今回だけでなく、過去のトリエンナーレも恐らく同様のジレンマを持ち続けながらの開催だったのではないかと思います。 今回の騒動では、大村知事を中心とした行政(主催者側)に誰一人芸術を一定の基準をもって判断できるひとが居なかったと思います。 世界でももっとも難解な芸術分野に対し、素人が税金を使って「お祭り」をやろうと言う、安易な企画が「あいちトリエンナーレ」だった。 そうしたイベントを開催することが、政治であり行政であるという極めて滑稽な感覚が、今回の騒動とともに白日に晒されたと言えるのではないでしょうか。 そして最大の被害者は、煽情的な作品に強い憤りを感じて批判をした人、と言うよりも、戦争や皇室、そして日韓問題に関しての左翼的展示を見せられた人でもなく、 芸術であるのかガラクタであるのか分からない人間によって「これが芸術と言うものです」と意味不明の価値観を押し付けられた国民です。 関係者すべてが世間を扇動しようとした結果.

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あいちトリエンナーレ実行委員会

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愛知県内で1日に開幕した芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」(10月14日まで)の企画展「表現の不自由展・その後」の展示内容に、韓国の造形家が手がけた少女像や、昭和天皇の肖像を燃やす映像などがあったことが大炎上している。 実行委員会の会長は、大村秀章愛知県知事がつとめ、事務局は愛知県県民文化局に置かれるなど、芸術祭は、公共性が強い。 さらに芸術監督を左派論客の津田大介氏が務めていることから、右派を中心にネット上の非難は収まりそうにない。 政府も、菅官房長官が2日午前の記者会見で「事実関係を精査」する意向を示しており、今後、県議会などの追及が起きて、大村知事の政治責任問題に発展する可能性もある。 津田大介芸術監督と。 名古屋東急ホテルにて。 その狙いや経緯について 「慰安婦」問題、天皇と戦争、植民地支配、憲法9条、政権批判など、近年公共の文化施設で「タブー」とされがちなテーマの作品が、当時いかにして「排除」されたのか、実際に展示不許可になった理由とともに展示した。 2015年以降、新たに公立美術館などで展示不許可になった作品を、同様に不許可になった理由とともに展示する。 などと説明している。 ただ、今年の展示内容は、かなり過激とも言え、物議を醸している。 報道ベースだけでも、平和の少女像が紹介されており、などの取材に対して、制作した彫刻家は「像は反日の象徴ではない。 少女の握り締めた手は平和な社会を共につくろうという決心を表している」と強調したという。 【「表現の不自由展」で少女像も】 最先端の芸術作品を紹介する「あいちトリエンナーレ2019」が、愛知芸術文化センター(名古屋市)など愛知県内の複数の会場で開幕しました。 を見つけたネット民が拡散させるなどして中身が明らかになりつつある。 津田氏ツイッターより このツイートに対し、左派系のフォロワーから 「議論のきっかけになる」ということが、アートの最大の魅力ですね。 単に善悪を決めるのではなく、「私はこう思った」とか感想を言いあえたり、そこから芽生えた興味や関心事を調べたり、作品を通じてオーディエンスも社会に関わることができるのがアートの役目。 ますますあいちが楽しみ。 などと同調する意見があるが、少数派だ。 やはり非難の声の方が大きく、 聖書やコーランを燃やす作品でも無差別殺人犯を礼賛する作品でも『議論のきっかけ』になればよかったという趣旨でしょうか 火つけといて、知りませんはないやろ ただの炎上商法じゃん などといったコメントが殺到している。 また、津田氏が開幕前日に記者会見した際、「表現の不自由展」の来場者に対し、写真と動画のSNS投稿を禁止する措置を発表したことも物議を醸している。 これにはですら、「作品を多くの人に知ってもらえなくなる。 作家にも不利益だ」と話す関係者の意見を紹介している。 日本のマスコミは「自主規制」したのか、少女像くらいしか報道していないが、KBSでは大々的に報道されていることからしても、国内向けに「情報統制」しているとしか思われず、この対応もツイッターでは 散々ネットランナーとか推奨してた立場だったのに、いざ自分がやられると今度はアップ禁止とは恐れ入ったな 笑 といった呆れ気味の声が相次いでいた。 ネット上の著名人では、脳科学者の茂木健一郎氏が擁護的に発信しているが、 「あいちトリエンナーレ」の中の「表現の不自由展」が話題になっている。 さまざまな理由で展示できなくなった作品ばかりを集めているということで、ナチスに「退廃芸術」と認定された作品群や、当時のサロン展から落選したものばかりを集めた「印象派」の展覧会のようにある意味では美術史の王道。 — 茂木健一郎 kenichiromogi フィフィさんや高須院長らは早速問題視。 反響を呼んでいた。 特に加藤清隆氏の「芸術に名を借りた反日活動」という批判は痛烈だ。 「あいちトリエンナーレ2019」で日本を貶める慰安婦像を設置し、あろうことか昭和天皇の御影を焼く映像まで。 こんなものは芸術に名を借りた反日活動に過ぎない。 芸術監督の津田大介と主催の愛知県知事は万死に値する。 — 加藤清隆(政治評論家) jda1BekUDve1ccx 私は昭和天皇の御真影を焼く映像を芸術における表現の自由で許されるとは思わない。 例えばコーランを焼いたり、国旗を焼いたり、それを芸術として評価するのだろうか、そんなのは下品なプロパガンダだ。 私費であっても非難されるであろう展示に税金が投入されているとは。 話題になればイベントは成功です。 冠に「あいち」なんてつけられて不愉快ではないんですか? 愛知県の皆さん。 — 高須克弥 katsuyatakasu この問題を巡っては、名古屋市の河村たかし市長が少女像が展示されたことを受け、「行政がお金を出したイベントに展示するのは、おかしい」などと問題視し、今後対応する意向をに対して示している。 左派の週刊金曜日はそれをを載せているが、政府も深刻に受け止めており、どちらかと言えば、企画展の開催や愛知県の公費支出の経緯、大村知事らの責任がクローズアップされる可能性が強まりそうだ。 【訂正 21:45】によると、初報で掲載した展示物の中に安倍首相を模したとみられる人形の口にハイヒールを押し込んだ像は含まれていないとのことで、削除します。

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