横綱 稀勢の里。 新横綱・稀勢の里~春場所で逆転優勝 : まとめ読み : ニュース : 読売新聞オンライン

「大甘昇進」稀勢の里は横綱の重圧に耐えられるか

横綱 稀勢の里

寄り倒されて土俵下に落とされた稀勢の里がしばらく立ち上がれなかった。 完敗にざわめく館内が、新横綱の姿を見てさらに騒然とした。 左胸付近を押さえ、苦悶(くもん)の表情を浮かべる稀勢の里。 支度部屋で応急処置を受けた後は、病院に運ばれた。 連覇に向け、順調に白星を重ねていた新横綱が、絶体絶命のピンチに追い込まれた。 今場所初の横綱同士の一番。 だが、弟弟子の照ノ富士の援護に燃える日馬富士の気迫満点の攻めになすすべがなかった。 鋭い出足と低く激しい当たりに起こされ、もろ差しを許すと、一気に土俵下まで運ばれた。 (2017/3/25) 逆転優勝…負傷押して出場 本割で照ノ富士を突き落として13勝2敗で並ぶと、決定戦は小手投げで大関を退け、初場所に続いて2場所連続で賜杯を抱いた。 稀勢の里は初黒星を喫した13日目の日馬富士戦で左肩から腕付近を痛め、テーピングをして出場していた。 新横綱の賜杯獲得は、稀勢の里の先代師匠だった隆の里(元鳴戸親方)ら史上8人目で、1995年初場所の貴乃花以来22年ぶり。 (2017/3/26) 男泣き…「見えない力を感じた」 国歌斉唱の時、感極まり涙を拭う稀勢の里(3月26日) 君が代を聞きながら、男泣きした。 あふれる涙を赤いタオルでぬぐった。 テーピングで固めた左腕の付け根に、痛々しい黒いあざがあった。 「最後まで力を出して良かった。 何か見えない力を感じた場所だった」。 たとえ力士生命を縮める強行出場でも、二度と後悔はしたくなかった。 「息子は完全主義者だから」。 父親の萩原貞彦さん(71)は、そう語る。 2014年初場所、右足親指の靱帯じんたいを痛めて千秋楽を休んだ。 15歳で入門してから、たった1度の休場に今も悔いを残している。 「力士である以上、土俵に上がれるなら、上がるのが僕ら。 それしかない」 横綱としての使命感も、稀勢の里を勝負に駆り立てた。 迎えた千秋楽、満員のファンの声援に後押しされ、まさかの2連勝。 負傷については「想像にお任せします」と明かさなかった。 (2017/3/27) 優勝パレードでファンに手を振る稀勢の里(右、左は高安) 稀勢の里の歩み~「稀」な「勢」いではなかった大器晩成力士の快挙 2004年九州場所で新入幕を果たしてから、所要73場所で横綱に昇進した稀勢の里。 年6場所制となった1958年以降では1番の遅咲きでした。 春場所では、いずれもモンゴル出身の白鵬、日馬富士、鶴竜とともに、2000年春場所以来となる4横綱が番付に並びました。 稀勢の里の歩みを振り返ります。 【2004年 九州場所】 新入幕~しこ名に込められた「稀なる勢い」 貴乃花に次ぐ最年少記録で新十両に昇進し、喜びの表情 萩原改め、稀勢の里。 18歳3か月での入幕は、貴乃花に次ぐ史上2番目(昭和以降)の若さだった。 しこ名は、中国の故事「稀(まれ)なる勢い」から取った。 師匠の鳴戸親方(元横綱隆の里)が以前から胸の奥で温めてきたものだ。 愚直に前に出る相撲が身上。 決して派手さはないその取り口同様、本人の性格も誠実そのものだ。 会見でも、威勢のいい決意表明が聞かれるかと思いきや、「新入幕はうれしいけど、いつもと同じ気持ちでいく」と控えめな発言が続いた。 (2004/11/2) 2005年の秋場所で関脇琴欧州(左)ととともに敢闘賞を受賞 【2010年 九州場所】 白鵬の63連勝を止める~ひたすらの攻め 寄り切りで白鵬の連勝をとめる とにかく休まなかった。 立ち合い、一度は押し込まれた稀勢の里だが、これをこらえて突き返し、後はひたすら攻め続けた。 勝ち負けの意識すら消え、勝ち名乗りを受けて「あれ、あれって感じだった」と驚きを隠さなかった。 過去2場所、白鵬に善戦はしたが、2008年の九州場所以来、11連敗。 この日朝、「力を全部出すだけ」と、連勝阻止へ静かに燃えていた。 (2010/11/16) 【2013年 夏場所】 全勝対決、白鵬に完敗~土俵に「大の字」 2013年の夏場所14日目に、全勝対決で横綱・白鵬(左)にすくい投げで敗れる 全勝対決は満員札止めの館内の期待を裏切らない力の入った一番だった。 だが最後は、経験、技術、実力のすべてで白鵬が横綱の力を見せつけた。 勝負が決まった瞬間、稀勢の里は土俵に大の字で倒れ、勝った白鵬は「ヨシッ」と声を上げた。 「どっかに焦りがあったんですかね。 負けは負けです」。 悔しさで紅潮した表情に高くそびえる壁を痛感した様子がうかがえた。 (2013/05/26) 【2014年 春場所】 期待と重圧~平常心失い、けがに苦しむ 朝げいこに励む(2014年2月27日撮影) 期待と重圧を一身に背負った初場所は、場所前から「妙に動きが硬かった」と平常心を失っていた。 前半から負けが込んで綱取りムードがしぼんだうえ、千秋楽は生涯初の休場で負け越した。 2002年3月の初土俵から皆勤で、現役関取最多記録だった連続出場も953回で止まった。 試練の土俵に立つ27歳は「また一からやり直す」と巻き返しに燃えている。 (2014/03/06) 【2016年 九州場所】 3横綱撃破~泰然と、自然体で 2016年の九州場所で白鵬(右)を破り、大きな勝利を手に(2016年11月22日、福岡国際センターで) 綱取りに挑んだ先場所までは、取組を待つ土俵下で硬い笑顔を見せるなど、逆に意識しすぎているように見えた。 それがここに来て実に泰然としている。 この日の日馬富士戦で、3日連続の横綱撃破。 それでも稀勢の里は一切、表情を崩すことはなかった。 (2016/11/25) 【2017年 初場所】 待望の初優勝~19年ぶりの日本出身横綱誕生へ 優勝を決めた稀勢の里。 後列中央は父の萩原貞彦さん。 隣は母の裕美子さん(2017年1月22日、両国国技館で)=永井哲朗撮影 14日目に初優勝を決めていた稀勢の里は、横綱白鵬を破って14勝1敗とし、場所後の横綱昇進を確実にした。 日本出身の新横綱は、1998年夏場所後に昇進した3代目若乃花以来19年ぶり。 日本出身の横綱は、2003年初場所中に貴乃花が引退し、14年間途絶えている。 初の賜杯を手にした大関は、土俵下のインタビューで「(優勝まで)随分長くなりましたけど、色々な人の支えがあってここまで来られた」と感極まった。 (2017/1/22) 「横綱の名に恥じぬよう、精進いたします」 横綱昇進の伝達を受け、口上を述べる稀勢の里(中央)(25日午前9時37分、東京都千代田区の帝国ホテルで)=川崎公太撮影 相撲協会から春日野理事(元関脇栃乃和歌)と審判委員の高田川親方(元関脇安芸乃島)が使者に立ち、東京都内のホテルで稀勢の里と師匠の田子ノ浦親方(元幕内隆の鶴)に満場一致での横綱推挙を伝えると、稀勢の里は「謹んでお受けいたします。 横綱の名に恥じぬよう、精進いたします」と口上を述べた。 (2017/1/25) 明治神宮で初の土俵入り 八角理事長(元横綱北勝海)から横綱推挙状と真っ白な横綱を受け取った後、太刀持ちに高安、露払いに松鳳山を従えて登場。 初代若乃花が使った鬼の図柄の化粧まわしを締め、攻めと守りを表現した「雲竜型」の土俵入りを披露した。 新横綱が力強い四股を踏むたび、「よいしょ」「日本一」と声援が飛んだ。 約1万8000人が詰めかけ、土俵入りが行われた拝殿前は人であふれた。 (2017/1/28) 【深読み関連記事】 千秋楽に白鵬(右)をすくい投げで破る(2017年1月22日、両国国技館で)=永井哲朗撮影 横綱昇進伝達式を終え、タイを掲げて笑顔を見せる稀勢の里。 両脇は田子ノ浦親方夫妻(25日午前9時42分、東京都千代田区の帝国ホテルで)=川崎公太撮影.

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横綱の稀勢の里が引退できない、2つの背景 (1/4)

横綱 稀勢の里

現役の横綱 [ ] 生年(年齢) 出身 69代 はくほう しょう 1985-03-11 (35歳) 03月 2007年7月 44回 71代 かくりゅう りきさぶろう 1985-08-10 (34歳) 2001年11月 2014年5月 06回 モンゴル 歴代横綱 [ ]• の欄は優勝の回数を示す。 ただし、23代以前の「優勝」は幕内最高成績(優勝相当)の回数。 また、35代以前の時代は年2場所制。 連勝の欄は、各横綱の幕内においての最長の連勝記録。 勝率の欄に各横綱の幕内勝率を記載。 ただし、あくまで参考的な見解であり、 明石が横綱を締めた事実はない。 また、明石なる人物は実在自体が確認されていない。 949 実質的な初代横綱 05代 おのがわ きさぶろう 25- () 1789年11月 1798年10月 07回 32連勝 0. 917 06代 おうのまつ みどりのすけ 17- () 1828年2月 1835年10月 05回 18連勝 0. 821 初の横綱 07代 いなづま らいごろう 08- () 1829年9月 1839年11月 10回 33連勝 0. 919 1828年7月に免許 08代 しらぬい だくえもん 43- () 1840年11月 1844年1月 01回 16連勝 0. 762 歴代横綱の中で下位番付(関脇)に陥落した唯一の横綱。 09代 ひでのやま らいごろう 04- () 1847年9月 1850年3月 06回 30連勝 0. 842 10代 うんりゅう きゅうきち 40- () 1861年9月 1865年2月 07回 16連勝 0. 799 11代 しらぬい こうえもん 43- () 1863年10月 1869年11月 03回 湊 16連勝 0. 773 12代 じんまく きゅうごろう 32- () 1867年1月 1867年11月 05回 25連勝 0. 946 江戸最後の横綱、1863年1月に五条家免許 、 13代 きめんざん たにごろう 21- () 1869年2月 1870年11月 07回 鬼面山 23連勝 0. 856 初の横綱 14代 さかいがわ なみえもん 12- () 1877年2月 1881年1月 05回 26連勝 0. 774 17代 こにしき やそきち 12- () 1896年5月 1901年1月 07回 39連勝 0. 832 18代 おおづつ まんえもん 04- () 1901年5月 1908年1月 02回 20連勝 0. 772 初の横綱 19代 ひたちやま たにえもん 08- 1903年6月 1914年5月 07回 32連勝 0. 909 優勝回数の内訳は優勝1回,優勝相当6回 20代 うめがたに とうたろう 16- () 1903年6月 1915年6月 03回 雲龍型 19連勝 0. 862 21代 わかしま ごんしろう 12- 1903年1月 で の横綱免許 1907年1月 04回 35連勝 0. 737 優勝4回、35連勝は大阪相撲での記録 勝率は東京と大阪を合算したもの。 東京に限れば0. 333、大阪加入後は0. 920 22代 たちやま みねえもん 16- () 1910年6月 1917年1月 11回 不知火型 56連勝 0. 878 明治最後の横綱、優勝回数の内訳は優勝9回,優勝相当2回。 23代 おおきど もりえもん 28- 1913年1月 で の横綱免許 1914年1月 10回 湊 28連勝 0. 877 初の横綱、1910年が独断で横綱免許。 優勝10回、28連勝、勝率は大阪相撲での記録。 24代 おおとり たにごろう 12- 1914年6月 1919年5月 02回 雲龍型 14連勝 0. 688 25代 にしのうみ かじろう 46- 1915年5月 1918年5月 01回 雲龍型 14連勝 0. 736 26代 おおにしき ういちろう 27- 1917年5月 1923年1月 05回 雲龍型 28連勝 0. 881 27代 とちぎやま もりや 09- 1918年2月 1925年5月 09回 雲龍型 春日野 29連勝 0. 878 28代 おおにしき だいごろう 23- 1918年5月 で の横綱免許 1922年1月 06回 雲龍型 後に返上 11連勝 0. 765 優勝6回、11連勝、勝率は大阪相撲での記録 初代~3代目を除く歴代横綱の中で最も連勝記録が少ない。 東京相撲の横綱・大関に歯が立たなかったことから 「歴代最弱横綱」と評されることがある。 29代 みやぎやま ふくまつ 03- 1922年2月 で の横綱免許 1931年3月 06回 雲龍型 15連勝 0. 671 15連勝は大阪相撲での記録 優勝は大坂相撲で4回、東京加入後に2回 勝率は大阪と東京を合算したもの。 大阪に限れば0. 803、東京加入後は0. 566 30代 にしのうみ かじろう 46- 1922年5月 1928年10月 01回 雲龍型 14連勝 0. 691 31代 つねのはな かんいち 33- 1924年1月 1930年10月 10回 雲龍型 出羽海 15連勝 0. 792 大正最後の横綱 32代 たまにしき さんえもん 39- 1933年1月 1938年5月 場所後 09回 雲龍型 27連勝 0. 716 横綱在位中の連勝が最も少ない。 34代 みなのがわ とうぞう 08- 1937年1月 1942年1月 02回 雲龍型 男女ノ川 16連勝 0. 773 37代 あきのうみ せつお 34- 1943年1月 1946年11月 01回 雲龍型 20連勝 0. 749 横綱昇進時には優勝経験がなかったが、在位中に優勝した。 39代 まえだやま えいごろう 38- 1947年11月 1949年10月 01回 雲龍型 13連勝 0. 665 戦後(後)初の横綱 40代 あずまふじ きんいち 13- () 1949年1月 1954年9月 06回 雲龍型 16連勝 0. 668 44代 とちにしき きよたか 13- () 1955年1月 1960年5月 10回 雲龍型 春日野 24連勝 0. 635 47代 かしわど つよし 06- 1961年11月 1969年7月 05回 雲龍型 15連勝 0. 714 48代 たいほう こうき 01- 1961年11月 1971年5月 32回 雲龍型 大鵬 45連勝 0. 726 51代 たまのうみ まさひろ 23- 1970年3月 1971年9月 (現役中に死去) 06回 不知火型 19連勝 0. 616 54代 わじま ひろし 17- 1973年7月 1981年3月 14回 雲龍型 27連勝 0. 744 学生相撲出身及び本名を四股名は初めての横綱 55代 きたのうみ としみつ 01- 1974年9月 1985年1月 24回 雲龍型 北の湖 32連勝 0. 761 59代 たかのさと としひで 02- 1983年9月 1986年1月 04回 不知火型 21連勝 0. 637 初の横綱 64代 あけぼの たろう 外- 1993年3月 2001年1月 場所終了直後 に引退表明 11回 雲龍型 曙 16連勝 0. 741 初の外国出身横綱(1996年4月に帰化し、現在は日本人) 65代 たかのはな こうじ 13- 1995年1月 2003年 01月 22回 雲龍型 貴乃花 30連勝 0. 764 66代 わかのはな まさる 13- 1998年7月 2000年3月 05回 不知火型 藤島 14連勝 0. 726 1996年1月に帰化しており、横綱昇進時は日本人 68代 あさしょうりゅう あきのり 外- 2003年3月 2010年1月 25回 雲龍型 35連勝 0. 796 及びモンゴル出身初の横綱 69代 はくほう しょう 外- 2007年7月 現役 44回 不知火型 63連勝 0. 848 2019年9月に帰化し、現在は日本人 70代 はるまふじ こうへい 外- 2012年11月 2017年11月 09回 不知火型 32連勝 0. 656 71代 かくりゅう りきさぶろう 外- 2014年5月 現役 06回 雲龍型 16連勝 0. 618 72代 きせのさと ゆたか 08- 2017年3月 2019年1月 02回 雲龍型 荒磯 18連勝 0. 612 平成最後の横綱、初の日本出身横綱 備考 [ ]• の横綱の人数や昇進順については異説も存在する。 現在ひろく知られ、でも採用している横綱一覧は、にがに建立した「」に基づくもの。 本項もこれに倣う。 初代から3代までは、歴史的に横綱という制度は存在しなかったとするのが通説である。 この横綱碑では、期の強豪大関 が「無類力士」として別枠で顕彰されており、彼も横綱と同列に扱われる場合がある。 現在の雲龍型、不知火型土俵入りが定まった型となったのは、それぞれの土俵入りの完成者である第20代横綱・梅ヶ谷(2代)、第22代横綱・太刀山以降。 第10代横綱・雲龍から第19代横綱・常陸山までの横綱土俵入りの型は、原型又は現在の雲龍型、不知火型とは多少異なる雲龍型、不知火型。 第4代横綱・谷風から第9代横綱・秀ノ山あたりまでは後の横綱土俵入りの原型となる型で横綱土俵入りをしていた。 それぞれ引退の早かった方に若い代数が与えられている(但し谷風と玉の海の二人は現役中に死去)。 の63連勝という記録は一般に江戸本場所のみの63連勝を指すが、江戸本場所・京都本場所・大坂本場所まで含めれば98連勝となる。 98連勝は現在(2013年時点)でもいまだ破られていない最多連勝記録である。 "" - デジタル大辞泉, 2010年11月1日• 当時は横綱が固定の番付として確立されておらず、あくまでも大関が最高位であったため、制度上は横綱からの陥落も在り得た。 横綱免許後本場所出場なし。 大坂相撲での最多優勝回数• 初代~3代、および優勝制度が無い時代の横綱を除く。 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 外部リンク [ ]• (日本相撲協会による).

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「大甘昇進」稀勢の里は横綱の重圧に耐えられるか

横綱 稀勢の里

気になるとこからどうぞ!• 稀勢の里は進退について「しっかり考えたい」と話すにとどめた。 一人横綱となった今場所では、87年ぶりとなる横綱の初日から4戦連敗という不名誉な記録を作るなど不振が続いていました。 そして、このタイミングで休場となっています! 稀勢の里が休場した原因はなんでしょうか? 稀勢の里はどんな怪我が原因で休場? 新横綱であった昨年の春場所で2場所連続優勝を飾った稀勢の里でしたが、その後は故障が癒えずに連続球場となっていました。 その時の休場の理由としては、左大胸筋の怪我とのことです。 これは2017年3月の日馬富士戦で左大胸筋と左上腕を負傷した時の影響によるものと言われています。 今回の九州場所の休場に関しては、『左大胸筋』ではなく『右膝』を痛めたことが原因だそうです。 稀勢の里自身が、 「初日の相撲で、古傷とは違う箇所の新しく痛めてしまった右膝です」と休場の理由を明かしています。 過去にも白鵬が膝の負傷で休場していますので、力士と膝の怪我は切っても切り離せない関係にあるのかもしれません。 なんだか言い訳のように聞こえてしまうのが、可哀想ですね。 稀勢の里は引退? 休場が続いている稀勢の里には、引退説もささやかれておりファンの間では以前から、 「横綱の器じゃない」「相撲協会のゴリ押しで横綱になった」とまで言われています。 初日から4戦連続で敗北した横綱は87年ぶりと言われているので、確かに弱体化はしているように感じられます。 怪我の影響で思うように体が動かないのかもしれません。 引退に関しては、横綱審議委員会の定例会では稀勢の里の現役続行を疑問視する声は上がらなかったそうです。 しかし、再び休場となってしまった九州場所の後に開かれる、横綱審議委員会の定例会では厳しい意見が出てくることも予想されます。 稀勢の里の成績!休場率が高すぎる 7場所連続で休場している理由として、実力不足が挙げられていた稀勢の里ですが、実際の成績と照らし合わせて確認していきます! 白鵬は 778勝105敗77休場で勝率は. 881 休場率は8%です。 勝率もさることながら、休場率も圧倒的に差が開いていますね。 データで出すと、やはり白鵬がとにかく凄いことがわかりますね笑 世間の声は? 稀勢の里の人生なのだから、 沢山のしがらみはあるだろうが、 彼の思うようにすれば良い。 面の皮厚く、6敗位したら休場して来場所に進退を掛けるも良し。 引退したければ引退すればいい。 外野がうるさすぎる。 相撲ファンなら黙って勝負を観る。 横綱 稀勢の里の生き様を見守る。 — Hero Hero06375401 稀勢の里休場か〜4連敗してても稀勢の里の相撲を見たい人、応援したい人は沢山いたと思うから残念だな… — あ天み井の aminoanima 持論解説!稀勢の里休場。 初日にも言ったが報道等で調子が良いとあったが、私は秋巡業で稽古を見ていたが全く良くなかった。 1人横綱で責任を全うしようとしたのは素晴らしいがインタビューで初日に怪我をしたとか言ってほしくなかった。 休場しすぎると悪い前例も出来るし今度は勝負してもらいたい。 白鵬も鶴竜も 休場ばかりの人も同じ横綱でしょ?? なぜ、稀勢の里は休場しても文句言われないんだ?? 扱い方が違いすぎて気持ち悪い。 引退してないとおかしいのに、休場で逃げるとか 本当に嫌。 休場ではなく引退するしかない。 本人も辛い筈、大関のままなら十分に相撲が取れた筈なのに、安倍日本会議勢力に無理やり横綱にされた事が悲劇の始まり。 ここまでやる相撲協会も無様過ぎる。 — boukendanji boukendanji SNSでは厳しい意見が多いですね。 まとめ 久しぶりの日本人横綱として期待されていた稀勢の里ですが、負傷による休場が続いており思うような結果が残せていません。 今場所の九州場所も右膝を新たに痛め、再び休場となってしまっています。 久しぶりの日本人横綱だっただけに、ファンからは落胆の声がより大きくなっているような印象を受けました。 期待が大きかった分だけ、落胆も大きいということでしょう!.

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