新潟 廃墟 テーマ パーク。 子どもたちの夢の跡!岡山市有数の廃墟「京山ロープウェー」

生かされる廃墟「日光ウェスタン村」

新潟 廃墟 テーマ パーク

グリュック王国は、北海道帯広市にある廃墟遊園地・テーマパークです。 バブル景気真っ只中の1989年に、株式会社ぜんりんレジャーランドによって設立・運営されていました。 中世ドイツをモチーフにした王国風のホテル・観覧車などを有し、開園当初はたくさんの利用客で賑わっていました。 しかし、バブル崩壊に伴う入場者数の減少やアトラクションの莫大な維持費がネックとなり、2007年に閉園してしまいました。 土地・建物の競売計画も頓挫し、閉園から10年以上経った現在でも、廃墟と化したグリュック王国の跡地が放置されています。 敷地内は立ち入り禁止になっているため、無断で侵入すると逮捕される恐れがあります。 現地に行ったら、遠くから眺めるだけにしてください。 化女沼レジャーランドは、宮城県古川市にある廃墟遊園地・テーマパークです。 不動産会社・古川商会の後藤孝幸氏が、地元の人々を勇気づけるために土地を整備して1979年に開園。 当初は「化女沼保養ランド」という名称でした。 観覧車・メリーゴーランド・ホテル・野外コンサート場まで備えた総合アミューズメント施設には、年間数十万人もの人々が集う夢の国として人気を博していました。 しかし、バブル崩壊や交通の便の悪さがたたり、来場者数が急激に減少。 2001年に閉園してしまいました。 後藤氏は「資金さえあれば再開したい」という想いを今でも抱いており、園内の設備はそのまま残存しています。 夢を引き継いでくれる資産家を募集中なので、最低でも5億円以上の設備投資費を準備できる方は。 新潟ロシア村は、新潟県阿賀野市にある廃墟遊園地・テーマパークです。 1993年当時、新潟中央銀行頭取だった大森龍太郎氏の融資プロジェクトのもと、ロシアとの文化交流を目的に設立されました。 スーズダリ教会やマンモスの実物大レプリカなど、ロシアの魅力を伝えるたくさんのモニュメントが作られました。 しかし、来園者数の伸び悩みや経営銀行の破綻などが原因となり、2003年に一時休業。 翌2004年に閉園が決定しました。 しばらく放置されていましたが、廃墟化した施設内で無断侵入・放火事件が発生したため、大部分は撤去されました。 ごく一部のモニュメントだけが現存しており、廃墟マニアの間では心霊スポットとして注目されています。 ウェスタン村は、栃木県日光市にある廃墟遊園地・テーマパークです。 大高企業株式会社代表取締役社長の大南志津子氏らが、1973年に西部開拓時代のアメリカをモチーフにした施設をオープン。 SL機関車・ラシュモア山のレプリカ・ウェスタンショーなど、多彩なアトラクションが人気を博していました。 しかし、足利銀行の経営破綻を契機とした鬼怒川温泉の空洞化などを原因に客足が遠のき、経営会社の資金繰りが悪化。 2006年12月以降、現在に至るまで長期休園が続いています。 そのまま放置された園内は廃墟化しており、古びた建物や壊れかけのカウボーイ人形が残存しています。 時間が止まったアメリカ西部の街並みを散策していると、ゲームの世界に入り込んだようなスリルを楽しめます。

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N潟Rシア村その1

新潟 廃墟 テーマ パーク

自由研究で行くところは毎回、何かしら学びがあるような場所をセレクトして取材たりしているが、今回行った場所は廃テーマパーク「 新潟ロシア村」。 閉園してから十数年たった今ではシンボルマークの教会と宿泊棟、そして大量の瓦礫が残る廃墟で、廃墟慣れしていない自分が思った事を交えつつ紹介したいと思います。 ロシア村へ行く前に 新潟県で「ロシア村」と言えばそこそこ有名らしく、埼玉県民である自分ですらなんだか聞いたことあるような気さえしてきてしまうが、「村」とつくテーマパークは日本全国にあるのだろうから、恐らく気のせいだろう。 ロシア村は1993年に新潟県初のテーマパークとして誕生したらしいが、開園当初から客足は伸び悩み10年後に休園、さらにその4カ月後には閉園してしまったらしい。 閉園が決まった時にロシア村で働いていたロシア人達が怒ったという話も耳にしたが、4カ月間も外国で宙ぶらりんにされていたら怒るのも仕方ない事だと思う。 ロシアとの友好を目的として作られている施設だったそうだが、その結末は何とも皮肉めいたものだ。 下調べとしてロシア村について検索してみると過去の廃墟探索記なんかは沢山出てくるが、営業していた当時の様子は全く出てこない。 (公式ホームページっぽいものはあった) 新潟県初のテーマパークは、今や新潟県を代表する廃墟、または心霊スポットとなってしまったわけだ。 そもそも、廃墟なんて場所は免許を取り立ての頃のによく夜中に肝試し感覚で行ってみたりしていた時期もあったが、基本的にはお化け屋敷も入れないような人間な上に、今回は一人で行く事に(いつもは二人)なったので、早朝の清々しい気持ちの中向かうことにした。 ロシア村跡地へ 心霊スポットと称されている場所は伏字で表記されていたりする。 ロシア村も「新潟R村」なんていう呼び名がついていて詳しい場所も伏せられていたりするが、所在地はwikiに乗っているのだから場所探しに困ることはない時代だ。 目的地付近に到着したら、ちょっとした獣道を抜け、夜中歩いたら怖そうな山道を歩いて目的地を探す。 冬の寒い時期ではあったが、解けた雪が湿ったアスファルトを流れている。 葉っぱの擦れる音も聞こえてなんだか心地がいいが、歩けども目的地が見えてこない。 もしかしたらすでに取り壊されてないんじゃないか?という予感も過る道中であるが、徐々に開けた土地と瓦礫の山が姿を現してきた。 瓦礫の新潟ロシア村 この時に少し察したが、下調べで見たロシア村の姿はもうなくなっていて、取り壊しが始まってしまっているのだろう。 高菜に塩状態になりかけた気持ちを押し殺し、先に進んでみると、まるで北斗の拳さながらの退廃的な光景が広がっていた。 見渡す限りの瓦礫の山と、高い場所にいるので視界を遮る障害物は無く、見渡す限りの青空に囲まれて、まるでこの世に一人きりになってしまったかのようだ。 なんの施設だったか解らない程に原型を留めていない瓦礫の山。 入浴施設だったんじゃないかな?という場所のみがギリギリわかる程度に残されていたが、きっと水道周りの関係で未だに取り壊し切れていないだけだろう。 瓦礫だらけの風景が続いているが、取り壊されて見晴らしがよくなっている土地にポツンと目立つ建物がそびえ立っている。 これがロシア村のシンデレラ城、スーズダリ教会だ。 周りの建築物が瓦礫と化したおかげか、遠目から見てもかなりの存在感を持ってどーんと構えている。 後に紹介するが、この教会の後ろの建物は宿泊棟になっているが、過去に火災があったらしく、建物の三割くらいは焼けてしまっている。 個人的にはマンモスイリュージョンスタジオという建物を楽しみにしていたのだが、明らかにないので早速教会へ向かう。 教会周辺の探索 屋根に当たる部分は、通称玉ねぎドームと呼ばれるロシアの伝統的な屋根の造りらしい。 教会や宮殿なんかに設置されているそうだ。 ロシアの宗教については完全に無知だが、ドーム下に描かれいるのは恐らくウラージミルの聖母の壁画だ。 慈愛の意味が込められ描かれたこの壁画は、新潟ロシア村の現状をどのように眺めているのだろうか。 入口の探しながら、外周を散策してみよう。 教会真横にあった人工池。 写真右下にあるキャプションにはチョウザメと書かれていたので、この中にチョウザメがいたのだろう。 建物の裏手側へも行ってみる。 奥の方に入り口っぽいものが見受けられるが、手前は瓦礫だらけで下るのはとても危なそうだ。 (当日は間違えてここから入りました) スーズダリ教会内部へ 外周もだいたい見終わったところでスーズダリ教会の正面玄関へ。 建物内部付近は落書きが目立つ。 ロシア村来ちゃいました!という足跡を残すための落書きが多数。 人がいたという形跡は何とも居心地悪い気分になるものである。 スプレー缶の激励に見送られ、教会の内部へ。 本来あったであろう設置物はほとんどなくなってしまっているし、実際ここがちゃんとした教会としての役割を果たしていたのかどうかはわからないが、柱や天井の造りなんかはかなり迫力がある。 入り口付近にあったバックヤードに、過去催された展示の資料が未だに梱包された状態で放置されていた。 宿泊棟 現地で見つけた館内のご案内で見ると、先程紹介したスーズダリ教会は二階にあたるフロアだったらしい。 見たところ、ゲストルームが20部屋ほどあり、フロントとお食事処、バーなんかもあったそうだ。 ブライダルインフォメーションもあったようなので、スーズダリ教会では結婚式も行われていたのだろう。 実際に見て回った順序とはかなり違うのだが、ここからはスーズダリ教会からスタートした事にして振り返っていきたいと思う。 教会から宿泊棟へ抜ける通路を抜ける。 一階から探索したいので、まずはロビーがあったであろう場所へ足を運ぶ。 一階へ向かう階段はかなりボロボロで鉄材はむき出しになり、足場も半壊している。 宿泊棟で最初辿り着いたフロア。 ソファーの中身?が散乱していてもはや何の部屋だったのかわからない。 教会とは違った崩落ぶりは過去にあったとされる火事の影響だろうか? 危険度を目視確認し、ロビーへと向かう廊下を歩く。 データを取り込んでからフォトショップで明るく処理した後なので伝わり辛いが、ここら辺は吸い込まれそうなの暗さだったので、この場で引き返そうかと考えたのは良い思い出である。 折角なので少し寄って行こう。 予想以上に暗さと崩落ぶりに、既にビビりまくっている自分にとっては、このバーは少し落ち着ける空間だった。 バーで気持ちを回復させたところで、ロビーへ再び向かう。 焼けたロビー ロシア村で起きたとされる火災の被害は甚大だった様だ。 今までの雰囲気とガラッと変わって、三階までぶち抜かれた高い天井と壁はほとんど焼け爛れてしまっている。 余談になるが、一階と外を繋ぐ通路も中々の眺めである。 2Fフロア 2Fゲストルーム 後述 に向かう途中で見つけたフロア。 窓側から日の光が差し込んでいる為かなり明るい。 やはり一階同様ひどい有様なので何の部屋かは解らないが、宿泊棟で一番広い部屋だろう。 こちらのフロアからはあまり想像できないが、この先のゲストルームへと続く廊下が今までに無いくらい黒焦げている。 恐らくはこの先に出火元となった場所があるのだろう。 ゲストルーム 火事の出火元へと向かう前にゲストルームを1Fから紹介して行こう。 こちら1Fのゲストルーム周辺はあまり火災の影響を受けていないようで、割と綺麗に残っていた。 派手に荒らされた感じもないし、壁も白い。 ロビーの黒焦げ具合から考えると、これだけ綺麗に残っているのが逆に不気味に思えて来る。 2Fゲストルーム/火災現場 変わって二階のゲストルーム廊下。 一階と同じ廊下だったとは思えないくらいに焼け爛れてしまっている。 やはりこの近辺で火災が起こった事は間違いなさそうだ。 2Fゲストルーム室内の様子。 雰囲気作りの為に何処かしらから持ってきてそのままにしておいたのだろう。 ちなみに、火元から遠い部屋はあまり火災の影響を受けていない。 3Fスイートルーム 三階へ行くために宿泊棟の真ん中あたりにある階段を登る。 窓に面していないのでとてつもなく暗い。 これまでの部屋とはランクが違うゲストルームを発見。 恐らくスイートルームだろう。 ベッドはゴージャスだし、壁にも他の部屋とは違った装飾が施されている。 このベッドにもたれ掛かる布?の様なものは、再訪した際には立てかけられていた。 少し奥ばった場所に専用のトイレが設置されている。 他の部屋では味わえない、この開放感である。 奥のエリアへ 一通り探索し終えただろうか。 最後に宿泊棟の裏手側を見てみよう。 途中に行っていない場所を見つけたので中へ入ってみる。 ここも相変わらず火災の影響があったようで、壁も天井も焼けて黒くなっている。 またしても後述になるのだが、この場所を左に曲がると地下室へ繋がっているのだが、この時はまだ知る由もないのだ。 奥はというと、油っぽいものが浮いている巨大な水たまりになっていた。 さすがにここから先へは進めそうにないので、戻って奥のエリアへ再び足を伸ばしてみたが、ここもやはり瓦礫。 短い橋を渡って更に奥へと足を伸ばす。 さすがにこういったものは撤去できないのだろう。 見た限りではほとんどが瓦礫に埋もれてしまっていたが、これが2016年末のロシア村の姿だ。 年の瀬という事で人気は全くなかったが、撤去作業も着々と進められている痕跡も見えるので、もしかしたら近々完全に姿を消してしまうのではないだろうか。 落書きもあり、火災もありでかなり酷い有様になってはいたが、元々ここはテーマパークだった場所なのだ。 結局の所、廃墟を廃墟に変えていくのは人間なのだろう。 追記:夏の新潟ロシア村 前回の初訪問より、約8ヶ月後の事。 またしても新潟へ行く機会が出来たので、ロシア村を再訪する運びとなった。 聞く話によると、 夏の心霊特番で芸能人がロシア村を探索する様子が放送されたそう で、その直後の再訪となってしまった事を、 少しばつの悪い気持ちで入口へと向う。 相変わらずの殺風景に蝉の鳴き声が追加された山道を登る。 ロシア村跡地に辿り着くと、 前回あった瓦礫の山は既に撤去されてしまったようで、 広々とした緑には、 より寂しげに残るスーズダリ教会だけが残るのみ。 前回は雪が被っていたので気づかなかったのだろうか、ロシア村内から出てきた物とは思えない日用品が平地にポツリと山積みにされていた。 恐らく、閉鎖後この一帯に不法投棄されたゴミが集められたのだろう。 もう一度巡るホテル棟 今回の趣旨は、前回行わなかった動画の撮影である。 と、言いつつも、 一眼は持ってきているので再探索しなければ勿体ないので、初回では見つけられなかったロシア村廃墟の風景を探していこう。 まずは1Fにあった広間。 屋内ではあるが、やはり冬と夏では違って見えるものだ。 よくよく見てみると、リンスやらシャンプーやら書かれている。 どうやら新潟ロシア村ではアメニティ用のオリジナル商品が存在したようだ。 ホテル棟地下室 ロシア村には地下がある。 その事実を知ったのは、直前に放送された心霊特番から記事を投稿した某ブログの記事タイトルのおかげなのだが、その重大な見逃しが発覚した時の自分の苦虫の噛み具合と言ったらである。 確かに1Fの階段、よく見ると下に行けるではないか。 溜息交じりの深呼吸で一拍おいて、地下へと続く階段を降る。 降り切ったところにあった、通路への進行を妨げる二脚の椅子。 約3センチと言ったぐらいであろうか、足元は汚水が浸水している。 地下探索には防水が効いた靴が必須である。 壁は焼けたような跡が目立つ。 地下室も火災の影響があったようだ。 ホテル棟に一箇所だけエレベーターがあるのだが、どうやら地下に落下していたようだ。 こちら、途中で見つけたトイレ。 用途は不明だが、所々に部屋がある。 各部屋、ただ単に物が散乱しているだけだが、一部屋だけヒヤッとした部屋がこちら。 下に散乱しているのは、ロシア村で使用されていたであろう衣装である。 真ん中左に落ちているのは人形?だろうか。 むき出したハリボテが妙にリアルだ。 地下に加え、初回では見つけられなかった細かい見逃しも所々発見できた二度目の新潟ロシア村だったわけだが、恐らく三度目は無いだろう。 写真でも分かる通り教会とホテル棟以外は既に更地と化し、 SNS伝いで知った事だが 平日にはちょくちょく工事作業も行われているそうだ。 この記事を更新した10月現在、既に取り壊されているという可能性も0ではない。

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新潟の廃墟・ロシア村(テーマパーク)はどこ?行き方は?心霊スポット画像

新潟 廃墟 テーマ パーク

概要 [ ] 、との文化交流を目的に県内初のテーマパークとして開園。 頭取であった大森龍太郎が主導した3大融資プロジェクト・ゴールデンリング構想の一つ(他の2つは「」と「」)として、同行の実質的なファミリー企業である「株式会社新潟ロシア村」により開業した。 同一資本によるリゾート施設として、隣接する「笹神ケイマンゴルフパーク」 との連携が考慮されており、の実演や民芸品の販売、森の、の(実物大の模型)や骨骼標本の展示、の飼育展示などで話題を呼んだが、10月にメインバンクである新潟中央銀行が破綻してであるの管理下に置かれ、新規の融資が受けられなくなったことなどから資金繰りが悪化し、政府などから物資の支援などを受けながら営業努力を続けるも、12月には休業状態へ入り、業績回復の見通しが立たないことから再度開園することなく4月に閉園した。 開園当初は大きな話題となったが、入場者数は開園当初から伸び悩んでいた。 客への訴求力が低く、リピーターを獲得できなかったことも大きい。 新潟中央銀行からロシア村に対して30億円を超える融資が行われた件については、銀行の旧経営陣がの容疑で起訴され、、一審では旧経営陣に有罪の判決が下されている。 閉園以降、施設内外の引き払いの処理が行われなかったために敷地内には開園当時の展示物や備品が放置されたままとなり、周囲に人家等がないこともあって警備体制に不備が多く、敷地内に人が無断侵入して施設内を荒らす事件が相次ぎ、施設の荒廃が進んだ。 年月が経つにつれ各施設は風雪による劣化が進んでと化してゆき、にはによってホテル棟が全焼する火災が発生している。 火災発生後、園内の施設の撤去が進められ、随時、建造物の解体が行われた。 2014年時点ではまだ多くの建物は残存していたが、2016年末の段階では教会棟とホテル棟以外の建物は残存しておらず 、施設内に放置されていた展示物等の撤去・処分も進められているが、シンボルランドマークであった教会棟「スーズダリ教会」は2016年末現在でも旧笹神村笹岡地区の山裾より眺めることができる。 敷地内は隣接する「笹神ケイマンゴルフパーク」の敷地と併せて管財人の管理下に置かれており、2004年の閉園後は部外者への公開は行われていないが、閉園後もテレビ番組などの取材で敷地内が撮影された例はいくつか存在している。 施設 [ ] 約40,000平方メートルにわたる敷地は大きく2つに分かれており、駐車場とメインゲートがあり、シンボルである「 スーズダリ教会」、「 マールイ美術館」、宿泊及び飲食施設の「 マールイホテル」、である「 スーベニアショップ ミーシャ」等によって構成される 第1期施設「 教会のある美術の丘」と、南西方向に拡張されて建設された、「 アルバート広場」を中心に「 カジュアルレストラン カチューシャ」「 ファーストフードショップ サリャンカ」「 スーベニアショップ サラファン」といった飲食店・民芸品店が並ぶ第2ショッピングモールを中心に「 ロシアンショーホール ロマノフ劇場」、「 展望レストラン ダーチャ/サモワール」などのある 第2期施設「 職人とにぎわいの森」、更に第2施設を南方に拡張して建設された、「 マンモス イリュージョンスタジオ」「 森のレストラン ダーチャ」「 ふれあい動物公園」「 きのこ園」等のある公園地区(第3期施設)により構成されていた。 1993年の開園当初は第1期施設のみで開業し、その後段階的に第2期施設、公園地区(第3期施設)と拡張されたが、公園地区の開業後程なく閉園となり、第3期施設には営業していた期間が僅かであるものも存在した。 施設の拡張に従って店舗等の順次移転が行われていたため、時期により各施設の営業内容は異なっている。 映像作品・テレビ番組への登場 [ ] には、自動車カスタム・中古車販売のLiberty Walk(リバティウォーク)との世界的大手、がコラボレーションして製作されたPR動画、『BATTLEDRIFT — Vaughn vs. Daigo』の撮影に使用され、同年12月16日より動画が公開された。 7月22日にTBS系列で放送された「世界の怖い夜! 夏休み猛暑もぶっ飛ぶ絶叫SP」において、「マールイホテル」の地下室を中心に、お笑いトリオのとモデルのがロケを行っている。 8月12日に放送されたフジテレビ系「」で、、らによってここでロケが行われた。 11月13日に放送されたフジテレビ系「」で、によってここでロケが行われた。 所在地 [ ]• 笹岡1956-82 (開業当時の住所は 新潟県大字笹岡字葉山1956-82) 歴史 [ ]• 9月1日:開業。 第1期施設開園。 :第2期施設開園。 10月:メインバンクのが破綻。 :第3期施設がほぼ完成し、「マンモスイリュージョンスタジオ」が営業開始。 12月:休業状態へ。 4月:閉園。 :関連施設のホテルが全焼する火災が発生。 参照元 [ ]• 本施設と同じくメインバンクの破綻によって資金繰りが悪化して休業・閉場し、施設は同様に廃墟となっている。 なお、飼育されていたは1999年12月に愛知県のへ譲渡され、2016年4月現在も飼育展示されている。 による空撮画像• マールイ美術館とスーベニアショップは後に第2施設へ移転している。 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]• - (2004年2月2日アーカイブ分)• :上記映像のメイキング動画• :上記映像の製作ドキュメンタリー.

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