デルフィーヌ=麻衣子・シャンピ。 イブ・「シャンピ」岸恵子の元夫だったフランスの映画監督

岸惠子の現在と若い頃!夫と娘は?離婚と孫にもフォーカス!

デルフィーヌ=麻衣子・シャンピ

こんにちは。 今回ご紹介するのは 岸惠子 きしけいこ さん。 女優で文筆家でもあります。 若い頃からすごく美人で綺麗な方ですよね。 といっても、今現在もそうです。 ちなみに、年齢は85歳。 信じられません! 後ほど詳しくご紹介します。 その前に・・・。 昨日は友人とその子供さんと一緒になぜか水族館に行ってきました。 (笑) 最初はあんまり乗り気ではなかったんですが、強引な誘いに負けてしぶしぶ行ってきました。 しかし、結構新しい水族館でハイテクな設備が整っており、とても感動しました。 行ってきてよかったです。 普段行かないところにいくというのは、かなりの気分転換や刺激になりますね。 旅行などでの転地効果みたいなものなんでしょう。 郊外の水族館なので駐車場も無料でラッキーでした。 最近の水族館ってクイズに参加したり餌を挙げたり、自分で絵を書いた魚をCGで泳がせたり、子供さんも参加できる体験型みたいなものがあるので驚きました。 色々と子供のうちから貴重な経験できるのはかなり良いなと思いました。 さて、今回は管理人の親世代がほぼ全員といってもいいくらい知っているであろう大物女優についてご紹介したいと思います。 記事冒頭ですでに紹介した岸恵子さんです。 国際的大女優ですね。 インターナショナル!って響きがルックス的にもよく似合う女性です。 しかし、女優にとどまらず文筆家やジャーナリストなども難なくこなし、その多才ぶりには正直いって驚きです。 ご年配の方はご存知かと思いますが、案外若い方は知らない方も多いのではないでしょうか? ということで、さっそくですがリサーチした結果を解説していきたいと思います。 そんなわけで今回は、岸惠子さんの現在と若い頃、夫と娘、そして離婚と孫にもフォーカスしてみました。 岸惠子の現在 岸惠子さんの生年月日は1932年8月11日で現在の年齢は85歳です。 今でももちろん背筋もピンと伸びて姿勢も美しいんです! 昔とぜんぜんお変わりないってところがすごいですね。 実は黒柳徹子さんの1つ年上になります。 黒柳徹子さんも若い!と思いますが、岸惠子さんも負けてはいません。 こう考えると、今の80代って本当に元気といえます。 といっても、岸惠子さんが若すぎるなのかも知れませんが・・・。 スタイルも相変わらずという感じです。 プロフィール的には身長161cmで体重47kg。 実は書体についてですが、「恵子」ではなく、 本来は旧字体で「惠子」と表記するのが正しいようです。 『君の名は』三部作をはじめ数々の映画にもご出演されている岸惠子さんは、昭和の大女優と言うべき存在でしょうか。 岸惠子さんの現在は、生活拠点をフランスのパリに置きつつも来日しているそうで、全国をまたにかけてトークショーをいうから驚きです。 徹子の部屋などテレビ出演なんかもされています。 岸惠子さんが今なおどうしてこんなに若いのかは、ずばり自分の好きな仕事に情熱をかけているからなのかも知れません。 現在だけでなく今後の活動にも注目していきたいですね。 昔の若い頃 岸恵子さんの若い頃の写真を拝見しましたが、和風と言うか和美人ですね。 そんな昔の岸恵子さんがどんな人物だったのか調べてみたいと思います。 出身地は神奈川県横浜市神奈川区。 そして、出身高校は横浜平沼高校卒業です。 もともとこの高校は女子高で、「県下一の才媛学校」だったそうですよ。 2018年現在でも偏差値は65ですので、かなり優秀な事も解りますね。 学歴も実はすごいものがあったんです。 この高校の卒業生の中には女優の草笛光子さんなどがいらっしゃいます。 1933年10月22日生まれの現在84歳です。 草笛光子さんも若々しいのですが、岸惠子さんの方が一つ先輩にあたります。 そして二人は、12歳と13歳の時以来の友人だったそうです。 この高校で年もほとんど変わらなく二人も大女優を輩出したという事になるわけで、奇跡に近いと思います。 しかし、今でこそベテランそして大女優としてのイメージの高い岸惠子さんは、はじめから女優を目指していたわけではありませんでした。 もともとは作家志望であり、川端康成さんの小説をよく読んでいたらしいです。 映画デビューする前の若い頃は、文学少女だったんです。 そして松竹大船撮影所を見学しているところをスカウトされます。 一度はお断りをしたのですが、「本物の女学生が欲しい」と頼まれたそうで、条件付きでこのスカウトに了承したんだとか! その条件が一体なんだったのかと言うと、映画は一本だけ!大学入学までしかやらない!ということ。 当初は岸恵子さんとしてもあまり女優に対してはそれ程あこがれが無かったのではないでしょうか? しぶしぶと言ったところかも知れませんが、1951年に松竹へ入社し映画「我が家は楽し」にてデビューします。 本人にとっては、この映画で最初で最後と思っていたのかもしれません。 しかし、映画がヒットしたことにより女優デビューを果たします。 以後、多くの映画やドラマに出演するわけですが、名実ともに人気の女優へと駆け上る訳です。 そして、今や大女優に。 さて、肝心の大学入学ですが、どうやら大学には行っていないようです。 優秀な高校だっただけにちょっと勿体ないな!と思うのは、管理人だけでしょうか! 大学に進学されていたら、違った分野でご活躍されていたかもしれませんね。 以上、昔の若い頃についてでした。 結婚と離婚 岸恵子さんは25歳の時に11歳年上のフランス人の映画監督であるイヴ・シャンピさんとご結婚され、パリに移住しました。 パリ在中時代は、家事はやらせてもらえず、フランス語習得に集中したそうです。 そのことがきかっけでノイローゼにもなったというエピソードがあります。 そして順調に見えた結婚生活も長くは続かず 1973年に41歳の時についに離婚します。 離婚の原因は夫と妻との仕事の格差みたいです。 夫の仕事は激減する一方で妻には女優の仕事が沢山増える。 こういった差が、夫にも面白くないと思うようになったのでしょう。 結局、夫は浮気をしてしまいます。 愛人はイタリア人の女性だったそうです。 こういった原因や理由から二人は最終的に離婚してしまい、岸恵子さんが子供さんの親権を持つことになりました。 以後、岸惠子さんは、再婚する事もなく独身を貫いて現在まで至っています。 夫と娘 離婚についてはすでに説明しましたが、元夫のイヴ・シャンピさんは、 1921年2月9日のフランスのパリ生まれ。 その後、1982年に満61歳で亡くなられています。 イヴ・シャンピさんが監督を務めた『忘れえぬ慕情』という映画で、岸惠子さんと結婚します。 もともとが医師の資格を持ち、フランスの貴族階級出身だったそうです。 当時はまだ、映画監督としてかなり期待されていたのですが、次第に映画監督から離れていったそうです。 もしかしたら岸惠子さんと結婚した当初が頂点だったのかも知れませんね。 娘のデルフィーヌ・麻衣子・シャンピさんは、ソルボンヌ大学を卒業したのですが、パリに住んでいるオーストラリア人である作曲家とご結婚されています。 娘さんは、2人の男の子供さんを出産したのですが、後に夫と別居します。

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イヴ・シャンピ

デルフィーヌ=麻衣子・シャンピ

岸惠子と元夫イヴ・シャンピの結婚と離婚!娘の現在は? 岸恵子はフランス人映画監督イヴ・シャンピと結婚していた 岸恵子は、有馬稲子や久我美子など、戦後活躍した映画女優の中でも特別な存在です。 岸恵子は、1956年にフランス・日本合作映画「忘れえぬ慕情」に出演します。 この映画の出演がきっかけで、フランス人の映画監督イヴ・シャンピと結婚。 以後は、パリに居を構え、フランスと日本をまたにかけて女優を続けました。 またイヴ・シャンピを通じて、サルトルやボーヴォワールなど、当時のフランスにおける一級の文化人と交流を持った岸恵子。 国際的な文化人としての活動も多くなる一方で、やがて映画出演は少なくなっていきます。 岸恵子は、夫イヴ・シャンピとの間に、一女デリフィーヌ麻衣子を授かりますが、擦れ違い生活が続いた2人は、1975年に夫イヴ・シャンピの浮気が原因で、とうとう離婚してしまいます。 娘のデルフィーヌ麻衣子は、名門ソルボンヌ大学を卒業後、バンド活動を行っていたそうで、オーストラリア出身の作曲家と結婚しました。 岸恵子は、元夫とは別れたものの、現在は娘夫婦と男の子の孫2人といっしょに、パリで暮らし続けています。 岸恵子は戦後を代表する女優であり戦後女性のトップランナー!『君の名は』で「真知子巻き」が大流行 岸恵子は、1932年生まれの83歳。 黒柳徹子の1つ年上になります。 岸恵子の代表作といえば、1953年から1954年にかけ、3部作で公開された松竹映画「君の名は」です。 電話もメールもない時代、お互いに逢いたくても何度もすれ違いを繰り返す、古き良き時代の王道ラブストーリーでした。 当時は、岸恵子演じるヒロインが巻くストールの巻き方が「真知子巻き」として大流行しました。 岸惠子の小説「わりなき恋」のモデル男性は誰?あらすじネタバレ 岸恵子が書いた70歳女性の不倫小説「わりなき恋」あらすじ 岸恵子は、「空飛ぶマダム」として日仏間を行き来し活躍していましたが、歳を重ねてからも、彼女に恋する男たちは数知れずいたようです。 2013年、岸恵子が書いた小説「わりなき恋」がベストセラーになりました。 「わりなき恋」のストーリーは、日本とパリを行き来する、70歳を前にした女性ドキュメンタリー作家と、12歳年下の大企業重役との、5年を超える不倫愛というなかなかスキャンダルな内容。 主人公は、岸恵子自身がモデルといってもよく、その恋の相手が誰だったのか、大いに話題になりました。 岸恵子の小説「わりなき恋」に描かれたお相手は超有名企業の重役だった?! 岸恵子の不倫相手として、巷間囁かれているのは、元トヨタ取締役かつ元デンソー副社長の某氏とされています。 某氏は、慶応大学出身の凄腕ビジネスマンで、名うてのプレーボーイでならしていました。 しかし、そこはやはり道ならぬ恋。 タイトルの、古今和歌集で詠まれた一節にもあるように、「理屈や分別を超えて、どうしようもない恋」は、当然終わりを迎えることになります。 しかし岸惠子の小説「わりなき恋」は、多くの高齢者たちに、夢と希望を与えました。 まさに老いらくの恋の実現です。 岸恵子は、ある意味、戦後女性のトップランナーで在り続けているのかもしれません。 岸恵子83歳、その神々しい美しさはいまだ衰えず! 岸恵子が、先日「徹子の部屋」に出演しました。 最近、テレビの創成期を飾った同世代の業界人男性が立て続けに亡くなる中、黒柳徹子の年齢不詳の若さが際だっていました。 しかし、さすがに最近は、歩くのにも苦労しているようで、また滑舌も聞き取りにくく、トークにもキレがあまりありません。 その黒柳徹子が82歳で、岸恵子は83歳の1つ年上。 背筋を伸ばしたその神々しいまでの美しさは、黒柳徹子を圧倒していました。 トークの中で、夫であったイヴ・シャンピとの結婚生活を語った岸恵子。 イヴ・シャンピは、当時映画監督であっただけでなく、フランス貴族の出。 日本のちょっとした名士や金持ちなど及びもつかないステータスで、結婚当初、岸恵子は、妻としての仕事を何もさせてもらえず不眠症になるなど、ひどいノイローゼに悩まされたようです。 しかし一方で、一級の文化人、サルトルやボーヴォワールなどに感化された岸恵子。 ひとりの女としての生き方に目覚め、イヴ・シャンピが乗っていた高級車ジャガーの革製シートに、買ってきた布地を縫い付けオリジナルのシートにするなどといった、超有閑マダムの反逆を試みたりもします。 そのようなおとぎ話だけではありません。 岸恵子は、女優、文化人として仕事をこなし、まさに、戦後日本の自立した女のトップランナーとして走り続け、そして、老いを迎えた自立した女のお手本として、21世紀の今を生き生きと暮らしています。

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岸恵子の娘や孫の画像は?旦那との離婚の理由を調査!

デルフィーヌ=麻衣子・シャンピ

岸恵子さんプロフィール• 生年月日 1932年8月11日(87歳)• 出生地 神奈川県横浜市• 神奈川県立横浜平沼高等学校卒業• 身長 161センチ• 体重 47キロ 岸恵子さんの若い頃、太平洋戦争の空襲を生き延びる! 岸恵子さんが12歳の時、1945年5月の横浜大空襲で実家が被災・・・ 濡れた布団を被って火の海の中を逃げた記憶と周囲に断末魔の声をあげて焼け死んでいく人がたくさんいたそうです・・・ また戦闘機の機銃掃射を受けたこともあり、奇跡的に弾が当たらなかった。 被災後、横浜市南区に移り、1955年頃まで家族と居住し、その後、神奈川区妙蓮寺に転居しました。 高校在学中には小牧バレエ団に通い、現・神奈川県立横浜平沼高校(当時は俗称「平沼高女」という公立女子高)を卒業します。 もともと文学少女の志向が強かったため、作家志望で川端康成の小説を好んで読んでいたそうです。 岸恵子さんの若い頃、1951年『我が家は楽し』で女優デビュー 高校時代に観たジャン・コクトー監督のフランス映画 『美女と野獣』に魅せられ、映画にも興味を持ち、田中敦子(後の女優・小園蓉子)と松竹大船撮影所を見学するうちに、吉村公三郎からスカウト。 いったんは断りますが「本物の女学生が欲しい」と頼まれて1本だけの約束で、1951年に大学入学までという条件付で松竹に入社します。 出演した映画「我が家は楽し」がデビュー作となりますが、映画はヒットし、結局そのまま女優になりました。 昭和女優図鑑:岸恵子さん。 — ミスターK arapanman 1952 年 には「坊ちゃん重役」で 鶴田浩二さん と 佐田啓二さん の相手役を務めました。 このころから、鶴田浩二さんとの恋愛関係が話題になっていたようです。 1953年(昭和28年)。 大ヒット映画「君の名は」の頃の岸恵子(1932-)です。 「君の名は」は1953年9月-翌年4月の3部作で放映されましたが、なんと合計配給収入が当時の金額で9億円というとんでもない大ヒットを記録しました。 — 戦前~戦後のレトロ写真 oldpicture1900 中井貴一さんの父親の佐田啓二さんの事故死について別記事でまとめています。 8月11日は山の日ですが岸恵子さんの誕生日です。 岸恵子、綺麗だなあ。 感動する映画ですね。 群馬県映画のNo. 1ですね。 山田耕筰先生も登場。 未見だが 被爆地 長崎を舞台にした日仏スター共演の悲恋物語とは…! なわけないかw — SandA 粗忽長屋 suzu1arbre イヴ・シャンピ監督は岸恵子さんより11歳年上のフランス人、挙式はフランスでおこなわれ、 川端康成が立会人となりました。 その後、パリに住みながら フランスと日本を往復しながら女優を続けました。 この頃に、 ジャン=ポール・サルトル 、 シモーヌ・ド・ボーヴォワール 、 アンドレ・マルロー 、 ジャン・コクトー ら当時のフランスを代表する文化人との親交をもったそうです。 また1963 年には1 人娘の デルフィーヌ=麻衣子・シャンピ を出産。 パリ在住のまま1972 年には映画「約束」で 萩原健一 と共演。 プライベートでも、萩原と交際したと言われています。 『雨のアムステルダム』もそうだったけど、チョッとやんちゃなショーケンとそれをイナす岸恵子っていいなあ。 — 七涙八喜 superexpress109 一方、私生活面では夫・イヴの母が世界的なバイオリニストだった影響により、「女性は手を大事にしなければならない」という理由で夫から料理をするのを禁じられ、ノイローゼに・・・。 そんな中、夫イヴ・シャンピの浮気もあり1973 年 、岸恵子さん41歳のとき、16 年間連れ添ったイヴ・シャンピと離婚しています。 岸恵子さんの若い頃の美しさを画像で確認しました!まとめ 今回は女優の岸恵子さんについてまとめてみました。 昭和を代表する女優として活躍していました。 最近ではメディアへの露出度は減ったものの、80代の今もバラエティ番組やトークショーなどで活動を行っています。 最近も著書で恋愛観について話していますね。 まだまだ目が離せない女優です。

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