関西 スケート リンク。 尼崎スポーツの森

京都、大阪に新たなスケートリンク フィギュア人気、訪日客も狙う(1/2ページ)

関西 スケート リンク

JR嵯峨野線「梅小路京都西」駅下車すぐの人気エリア、京都市梅小路公園内にあるスケートリンクです。 青空のもと楽しむ屋外スケートは、開放感抜群! 夜になると、中央のシンボルツリーを中心に、鮮やかなイルミネーションが点灯します。 夜空と幻想的なイルミネーションに包まれて、ロマンティックなひと時を過ごせますよ。 また、3月中旬からは、氷ではなく樹脂を使用したスケートリンクに変わる予定です。 冬のイベント「ウインターカーニバル」では、スケートと雪遊びの両方を楽しめます。 スケートエリアには、開放感いっぱいの「メインリンク」のほかに、手すりが低めの「サブリンク」、小さなお子さんが手すり越しに保護者と手をつなげる「ベビーリンク」も。 スケートデビューの人も、安心して楽しむことができますね。 撮影スポットでは、スケートリンクと遊園地を背景に記念写真を撮ることができます。 CMで話題の「ヒビスケート」のフォトスポットも登場! 園内には、大人も夢中になれるアトラクションやイベントがいっぱいです。 アイスホッケーやフィギュアスケート、ショートトラックなどの大会も開催される、本格的な設備と広さ! 競技会のない日などは、一般公開されています。 選手たちが滑る広大な屋内リンクで、ゆったりと滑走を楽しむことができますよ。 貸し靴はもちろん、お子さんにうれしい「貸ソリ」やヘルメットなども用意されています。 授乳室完備なので、小さなお子さんがいる方も安心。 また、子どもから大人を対象に、さまざまな教室が開催されています。 初心者の方やお子さんのスケートデビューにも人気です。 そのプレイゾーンの中に、ひときわ目立つ白亜のお城が! ピラミッド級の大量の石材を使ったという、「風の城」のゴージャスなホールがなんと、冬場はまるごとアイススケートリンクに! 全天候型なので、お天気に左右されずウィンタースポーツを満喫できます。 ロマンティックな雰囲気がカップルにも人気ですよ。 また毎週土日と祝日には、初心者無料レッスンが開催され、スケートの基本動作のコツをやさしく教えてもらえます。

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関西 / スケート場・スケートリンク 〜 大阪・京府・兵庫・滋賀

関西 スケート リンク

大きな外周リンクとその中に「たぶん」アイスホッケー場を備えた広大な施設でした。 このアイスホッケー場が夏にはプールに衣替えする仕組みです。 でもっていつ頃できたのか確認できませんでしたが、小学校の高学年の頃にはあったかな? 1970年代の後半ぐらいじゃないかと思っています。 つうのも田舎の事でプールと言っても学校ぐらいしかなく、亡父に小学校の3年ぐらいの時はランド(おもちゃ王国の前身)にあったファミリープール(の前身)に連れて行ってもらった記憶があるからです。 ランドときよみづスポーツガーデンは近いので、小3の頃にはまだなかったのだと考えています。 中学の時にはあったはずなので・・・怪しい記憶による推測です。 探せばあるものでかつての全景がにあり、 同じく資料室から当時の賑わいぶりも書いてあり、 の北端の別荘地の中にあり、近くにある西国札所のから名前を拝し、西日本随一の本格的スピードリンクを持つ同スポーツガーデンは、休日には身動きもななまらぬ程賑わう。 たしかにそれぐらい賑わってました。 ここも中学時代に行ったのが最後で、以降はバッタリ行かなくなっています。 7年ほど前に急に懐かしくなって訪ねてみました。 子供の頃の記憶に頼って探したのですが、目星をつけた、ここから入るはずの道路が様変わりしていました。 もともと別荘地の中にあったのですが、きよみづスポーツガーデンがあった頃は自由に通れた道が、別荘の住人専用道路と変わっていました。 平たく言うとゲートがあって少々入りにくい雰囲気に変わっていました。 その時はそこで引き返しています。 現在どうなっているかは便利な時代になたものでで確認できます、 どうも建物はすべて取り壊されて基礎のコンだけが残っているようです。 それでも在りし日の記憶は辿る事は可能です。 楕円形の大きな外周リンクは確認できますし、画面の上の部分は駐車場も広がっていたはずです。 メインのビルは画面の右側のリンクに沿って建てられていたはずで、そのさらに右側にも駐車場があったはずです。 リンクのなかの左側にある円形の構造物は・・・なんだったんだろう? 子供用のプールかな? さすがに記憶に残っていません。 もう少し情報が欲しいとググってみるとに きよみづスポーツガーデンは、にあったスポーツ施設。 宿泊施設を備え、30mのスピ-ドリンク、ホッケーリンク等、西日本一の広さを誇る屋外スケート場や、屋外3面・屋内6面の全天候型テニを有する総合レジャーランドだった。 1997年3月閉鎖。 へぇ、1997年まであったんだ。 おおよそ20年ぐらいは営業されていた事になります。 三ートは廃墟になっていましたが現地まで行っています。 スケートは他のついでに付近を通った事があります。 どこも共通しているのは、 なんちゅう不便なところにあるんだ!クルマならともかく、電車やバスでは容易に行ける所ではありません。 さらにクルマだって近隣にそれほどの人口を抱えているようなところではないので、それこそからスケートなり、プールに遠征する必要がある場所です。 だからかなぁ? さすがに宿泊した事はありませんが、きよみづスポーツガーデンが宿泊施設まで用意したのは、そういう点を考慮したからかもしれません。 あんな山の中に作った理由としては、屋外だから少しでも冬の気温が低いところの方が維持費は安くなるのと、なにより広い面積を必要とするので土地代の安いところに建設したのはわかるとしても、集客と言う面で不安はなかったのだろうかと言うところです。 さらにを言えば、きよみづは夏もプール営業がありましたが、三田やは冬以外はどうしていたんだろうと思います。 たぶんに過ぎませんが冬のスケートだけで経営的にペイしていたんだろうぐらいしか考えようがありません。 ただなんですが、不便とはしましたが、当時的には必ずしも不便と思われてなかったのかもしれません。 冬のレジャー・スポーツの代表格は今も昔もスキー・スケートですが、スキーに行くのに較べたらスケートは遥かに簡便と感じられていた可能性です。 からスキーとなると、信州は置いておいても、琵琶湖周辺か但馬になります。 ここももし行くのなら但馬です。 但馬にスキーに行くのに較べたら、きよみづでも、三田でも、でも遥かにお手頃であったと見なされていたんじゃなかろうかです。 その傍証にスケートのCMに、 ICから わずか4kmICから近いのは良いとして、からICまでは近いとは言えません。 それでも近いと言うか、おそらく日帰りでスケートを楽しめるというセールスポイントが有効だった気がしています。 スケートは良く知らないのですが、スキーは1980年代ぐらいが全盛じゃなかったかの説があります。 でもってスケートの全盛期もまた1980年代にあったんじゃなかろうかです。 スキーも頂点を極めた後に衰退を示していますが、スケートはどうだろうです。 3ヶ所のスケート場の廃止時期は、 スケート場 閉鎖時期 きよみづスポーツガーデン 1997年 三ート 1999年 スケート 2000年 この辺も個々の事情となると微妙そうで、たとえば三ートの人気が落ちたのは、地元伝聞情報によるとにスケート場が開設され、そちらに客が流れたからの説があります。 きよみづは近くにあるランドのプールが大改装され、それまでのただの25mプールから、造波プールや、流れるプール、ウォタースライダーも備えた現代的なレジャープールに変わり競争に負けたの説もあります。 は・・・よく判りません。 ここもですが三ートを潰したとされる有馬レジャーランドのスケート場もまた閉鎖されています。 これがまた調べてもいつ閉鎖されたかさえ不明で、現在は資材置き場になっているそうです。 どうもの情報は錯綜しているようで、何度か引用した資料室の情報はちょっと怪しそう(年に閉鎖されたラサ国際まで書いてある)な点は多々あります。 それでも参考になるものがあります。 資料室が書かれた時に関西のスピードリンクとして、きよみづ、三木、伏尾とあげています。 このうちきよみづは廃墟ですし、伏尾はマンションが建っています。 問題は三木で資料室には、 三木スピードリンク 廃止後は、西日本唯一の練習場になっている。 ここも誤解を招きそうですが、三木のスケート場はです。 この画像ではわかり難いのですが、長方形のリンクの外側にかつてはスピードリンクがあったようです。 これは資料室が保存されていた画像ですが、 実はあったのは知っています。 理由は当時の成人式が何故か三木であり、そこで何故かスケートをやったからです(晴れ着では無理がある企画でしたが、当時の実行委員が普段着の成人式にこだわったため)。 外周部分のスピードがいつなくなったかですが、によると1997年となってますから、きよみづと同じ時期だった事になります。 ほいでは高原が健在かと言えばから、 既に解体され、2009年に跡地につるやゴルフセンターがオープンしている。 解体され現存していません いつ閉鎖されたかですがでも日本全国スケート場情報でも2005年のようです。 では日本全国スケート場情報に全幅の信頼が置けるかと言えばそうでもなさそうで、資料室にも登場しているがあります。 ここもによると、 解体され現存していません どうも2006年頃に閉鎖(公式には休止)のようです。 スケート場情報は上述した通り精度が若干落ちる点があるので注意が必要ですが、日本全国スケート場情報をベースに可能な限り補足情報を集めて近畿のスケート場情報を整理してみます。 70年代や80年代に閉鎖されたスケート場(たとえばラサ国際とか)は含まれていません。 それと現存するスケート場がいつ出来たかまでのチェックも出来ていませんから、閉鎖されたスケート場と果たして並立していたかもわからないところがあります。 あくまでも表にまとめたものからの感想です。 とりあえずエライ仰山あった事に驚かされました。 でもって今だって結構な数があります。 スケート人気もかつてより落ちているかもしれませんが、それより正直なところチト施設数が過剰じゃなかったろうかです。 それと大雑把な見方ですが現存施設は屋内リンクのものが多い気がします。 逆に閉鎖されたところは屋外リンクが多い気がします。 の営業形態として冬はスケート、夏はプールのところが遊園地系を中心に多かったようですが、そういうところは根こそぎ無くなっているとしても良さそうです。 閉鎖時期も妙にそろっている感じがあって、多くのところが2000年前後が多くなっています。 この要因として考えられそうなのは、• 1995年の• 2001年の開園1995年のは直接の影響と間接の影響があり、直接は甲子園が代表的ですが、間接はスケートどころじゃない状況があった気がしています。 それと記憶がチト怪しいのですが震災の頃にはバブル景気が崩壊しており、レジャーに浮かれる気分が醒めてしまったもあったのかもしれません。 は遊園地系の施設にとって深刻で、どこも経営不振に陥り閉鎖の道をたどったぐらいです。 これのさらなる背景として年少人口の減少も確実にありそうな気がします。 スケートもいわゆる親子連れがかなりの割合を占めると考えます。 親子連れの数は当たり前ですが年少人口の数に連動する事になります。 スケートですから子供だけで行く事もあるかもしれませんが、これもまた年少人口に連動します。 見つけた統計データの関係で年少人口を0〜14歳で見てみると、 このグラフだけでも十分なのですがスキーもスケートも全盛じゃなかったかと推測される1980年を基準にした減少率をグラフにしてみます。 見ればそのままなんですが、1990年には2割弱、2000年には3割強、2010年には4割弱も減少しています。 この減少数は当然その上の20歳代も連動して減っている事になります。 年少人口と青年人口が減れば当たり前ですがレジャー人口も確実に減少します。 スケートを楽しむ層もここにほぼ重なる考えられますから、マーケットも縮小する事になります。 直感的に判り難い人がいるかもしれませんので補足しておくと、いわゆる「ブーム」は参加する実人数(ブーム人数)で大きさが決まります。 母数が同じならブームはそれに参加する比率(ブーム率)でブームの大小が比較できますが、母数が減れば同じだけのブーム人数をブームに参加させるのに高いブーム率が必要になります。 具体的に表にしてみますが試算の前提は、• 母数は1980年が100人とし、2010年が4割減少の60人とする• 2010年は1980年と同じ規模のブーム人数が参加するブーム率を計算するでは表をどうぞ、 1980年 2010年 母数 ブーム率 ブーム人数 母数 ブーム人数 ブーム率 100人 10% 10人 60人 10人 16. 7% 20% 20人 20人 33. 3% 30% 30人 30人 50. 0% 40% 40人 40人 66. 7% 50% 50人 50人 83. 3% 60% 60人 60人 100% 70% 70人 70人 不可能 大ブームはどの程度のブーム参加率があるのか存じませんが、1980年のブーム率50%を2010年に起そうと思えば実に83. 3%が必要になります。 1980年の60%なら2010年で100%になります。 逆に言えば2010年にブーム率100%のウルトラ「猫も杓子も」ブームが起こったとしても、1980年の60%程度のブーム率のブームにしかならないとも言えます。 スケート人口にも同じ事があてはまるとして良いでしょう。 人口当たりでスケートを楽しむ者の比率がたとえ同じであっても、元の母数が4割減ればスケート客の実人数自体も単純計算でやはり4割減ります。 客が減った分だけ経営が維持できるスケート場もまた減っただけの気がします。 表でまとめた分は現存・閉鎖合わせて46ヶ所ありますが、今日取り上げた3つのスケート場が元気であっただろう1980年代はもっともっとスケート場自体も少なかったんじゃなかろうかです。 少なかったので辺鄙な山奥でもスケートをやりたい人間は広範囲から集まり繁盛していたです。 これがバブル期以降にライバルが次々に出現した上に一方でジリ貧になる客層があり、スケートをやりたい人間は都市部の屋内リンクに集まり、山奥の屋外スケート場まで出向かなくなってしまったです。 そりゃいかにウインタースポーツと言っても、凍えそうな山奥のリンクより近場の屋内リンクの方が好まれそうだからです。 そういう優勝劣敗・淘汰整理が2000年前後にバタバタと起こり今に至るです。 前にスキーの話をやった事がありますが、あれをスキーブームの終焉と言うとらえ方をしましたが、スキーもまた客層が若年人口の減少と連動してやせ細った一面は確実にありそうな気がします。 スキーもスケートもたとえば1980年代のピーク時に較べると愛好者の比率は落ちているかもしれませんが、それより母数の減少の方がより大きく作用している気がします。 これは上の表に示した通りです。 もう一つ注目しておいて良いのは、4割もの年少人口の減少はたかだか30年ぐらいの間に起こった事です。 30年前に10歳ぐらいでスケートなりに熱中した人間はまだ40歳です。 私も他人の事は言えませんが、人数の感覚は若い時に見聞した感覚から抜け切るのは難しいところがあります。 それこそ あんだけテンコモリいた連中はどこに行った?これぐらいになります。 そこで思いつく回答は、ブームが終焉し他の事に熱中しているのであろうです。 そういう見方も必ずしも間違ってはいないと思いますが、よく統計を見ると1980年と同じ規模の客層を維持しようと思えば、当時より格段に愛好者比率を増やさないと間に合いません。 必ずしも「どこか」に行った訳ではなく、母数の人口自体が著減している面が凄く大きそうだと言うところです。 こうやって見るとって改めて強烈なものだと感じます。 つうか若者によるブームが本当に起こしにくくなっている気がします。 同じ人口比率の若者が仮に熱狂したとしても、1980年とは動員実人数が格段に落ちます。 これを経営サイドの中心になるであろう40歳代、50歳代の人間の感覚からすると「なんと人気が出ない」になってしまいそうな気がします。 参加比率は同じであっても、人数によるトがガタ落ちなってるぐらいのところです。 時の流れとは言え寂しいお話です。 現在のの流れからすると復活が難しいだけではなく、スケート以外の他の何かに1980年と同じような人が集める事は非常に難しくなっていると感じた次第です。 Yosyan.

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関西三大スケート場の廃墟つれづれ

関西 スケート リンク

大きな外周リンクとその中に「たぶん」アイスホッケー場を備えた広大な施設でした。 このアイスホッケー場が夏にはプールに衣替えする仕組みです。 でもっていつ頃できたのか確認できませんでしたが、小学校の高学年の頃にはあったかな? 1970年代の後半ぐらいじゃないかと思っています。 つうのも田舎の事でプールと言っても学校ぐらいしかなく、亡父に小学校の3年ぐらいの時はランド(おもちゃ王国の前身)にあったファミリープール(の前身)に連れて行ってもらった記憶があるからです。 ランドときよみづスポーツガーデンは近いので、小3の頃にはまだなかったのだと考えています。 中学の時にはあったはずなので・・・怪しい記憶による推測です。 探せばあるものでかつての全景がにあり、 同じく資料室から当時の賑わいぶりも書いてあり、 の北端の別荘地の中にあり、近くにある西国札所のから名前を拝し、西日本随一の本格的スピードリンクを持つ同スポーツガーデンは、休日には身動きもななまらぬ程賑わう。 たしかにそれぐらい賑わってました。 ここも中学時代に行ったのが最後で、以降はバッタリ行かなくなっています。 7年ほど前に急に懐かしくなって訪ねてみました。 子供の頃の記憶に頼って探したのですが、目星をつけた、ここから入るはずの道路が様変わりしていました。 もともと別荘地の中にあったのですが、きよみづスポーツガーデンがあった頃は自由に通れた道が、別荘の住人専用道路と変わっていました。 平たく言うとゲートがあって少々入りにくい雰囲気に変わっていました。 その時はそこで引き返しています。 現在どうなっているかは便利な時代になたものでで確認できます、 どうも建物はすべて取り壊されて基礎のコンだけが残っているようです。 それでも在りし日の記憶は辿る事は可能です。 楕円形の大きな外周リンクは確認できますし、画面の上の部分は駐車場も広がっていたはずです。 メインのビルは画面の右側のリンクに沿って建てられていたはずで、そのさらに右側にも駐車場があったはずです。 リンクのなかの左側にある円形の構造物は・・・なんだったんだろう? 子供用のプールかな? さすがに記憶に残っていません。 もう少し情報が欲しいとググってみるとに きよみづスポーツガーデンは、にあったスポーツ施設。 宿泊施設を備え、30mのスピ-ドリンク、ホッケーリンク等、西日本一の広さを誇る屋外スケート場や、屋外3面・屋内6面の全天候型テニを有する総合レジャーランドだった。 1997年3月閉鎖。 へぇ、1997年まであったんだ。 おおよそ20年ぐらいは営業されていた事になります。 三ートは廃墟になっていましたが現地まで行っています。 スケートは他のついでに付近を通った事があります。 どこも共通しているのは、 なんちゅう不便なところにあるんだ!クルマならともかく、電車やバスでは容易に行ける所ではありません。 さらにクルマだって近隣にそれほどの人口を抱えているようなところではないので、それこそからスケートなり、プールに遠征する必要がある場所です。 だからかなぁ? さすがに宿泊した事はありませんが、きよみづスポーツガーデンが宿泊施設まで用意したのは、そういう点を考慮したからかもしれません。 あんな山の中に作った理由としては、屋外だから少しでも冬の気温が低いところの方が維持費は安くなるのと、なにより広い面積を必要とするので土地代の安いところに建設したのはわかるとしても、集客と言う面で不安はなかったのだろうかと言うところです。 さらにを言えば、きよみづは夏もプール営業がありましたが、三田やは冬以外はどうしていたんだろうと思います。 たぶんに過ぎませんが冬のスケートだけで経営的にペイしていたんだろうぐらいしか考えようがありません。 ただなんですが、不便とはしましたが、当時的には必ずしも不便と思われてなかったのかもしれません。 冬のレジャー・スポーツの代表格は今も昔もスキー・スケートですが、スキーに行くのに較べたらスケートは遥かに簡便と感じられていた可能性です。 からスキーとなると、信州は置いておいても、琵琶湖周辺か但馬になります。 ここももし行くのなら但馬です。 但馬にスキーに行くのに較べたら、きよみづでも、三田でも、でも遥かにお手頃であったと見なされていたんじゃなかろうかです。 その傍証にスケートのCMに、 ICから わずか4kmICから近いのは良いとして、からICまでは近いとは言えません。 それでも近いと言うか、おそらく日帰りでスケートを楽しめるというセールスポイントが有効だった気がしています。 スケートは良く知らないのですが、スキーは1980年代ぐらいが全盛じゃなかったかの説があります。 でもってスケートの全盛期もまた1980年代にあったんじゃなかろうかです。 スキーも頂点を極めた後に衰退を示していますが、スケートはどうだろうです。 3ヶ所のスケート場の廃止時期は、 スケート場 閉鎖時期 きよみづスポーツガーデン 1997年 三ート 1999年 スケート 2000年 この辺も個々の事情となると微妙そうで、たとえば三ートの人気が落ちたのは、地元伝聞情報によるとにスケート場が開設され、そちらに客が流れたからの説があります。 きよみづは近くにあるランドのプールが大改装され、それまでのただの25mプールから、造波プールや、流れるプール、ウォタースライダーも備えた現代的なレジャープールに変わり競争に負けたの説もあります。 は・・・よく判りません。 ここもですが三ートを潰したとされる有馬レジャーランドのスケート場もまた閉鎖されています。 これがまた調べてもいつ閉鎖されたかさえ不明で、現在は資材置き場になっているそうです。 どうもの情報は錯綜しているようで、何度か引用した資料室の情報はちょっと怪しそう(年に閉鎖されたラサ国際まで書いてある)な点は多々あります。 それでも参考になるものがあります。 資料室が書かれた時に関西のスピードリンクとして、きよみづ、三木、伏尾とあげています。 このうちきよみづは廃墟ですし、伏尾はマンションが建っています。 問題は三木で資料室には、 三木スピードリンク 廃止後は、西日本唯一の練習場になっている。 ここも誤解を招きそうですが、三木のスケート場はです。 この画像ではわかり難いのですが、長方形のリンクの外側にかつてはスピードリンクがあったようです。 これは資料室が保存されていた画像ですが、 実はあったのは知っています。 理由は当時の成人式が何故か三木であり、そこで何故かスケートをやったからです(晴れ着では無理がある企画でしたが、当時の実行委員が普段着の成人式にこだわったため)。 外周部分のスピードがいつなくなったかですが、によると1997年となってますから、きよみづと同じ時期だった事になります。 ほいでは高原が健在かと言えばから、 既に解体され、2009年に跡地につるやゴルフセンターがオープンしている。 解体され現存していません いつ閉鎖されたかですがでも日本全国スケート場情報でも2005年のようです。 では日本全国スケート場情報に全幅の信頼が置けるかと言えばそうでもなさそうで、資料室にも登場しているがあります。 ここもによると、 解体され現存していません どうも2006年頃に閉鎖(公式には休止)のようです。 スケート場情報は上述した通り精度が若干落ちる点があるので注意が必要ですが、日本全国スケート場情報をベースに可能な限り補足情報を集めて近畿のスケート場情報を整理してみます。 70年代や80年代に閉鎖されたスケート場(たとえばラサ国際とか)は含まれていません。 それと現存するスケート場がいつ出来たかまでのチェックも出来ていませんから、閉鎖されたスケート場と果たして並立していたかもわからないところがあります。 あくまでも表にまとめたものからの感想です。 とりあえずエライ仰山あった事に驚かされました。 でもって今だって結構な数があります。 スケート人気もかつてより落ちているかもしれませんが、それより正直なところチト施設数が過剰じゃなかったろうかです。 それと大雑把な見方ですが現存施設は屋内リンクのものが多い気がします。 逆に閉鎖されたところは屋外リンクが多い気がします。 の営業形態として冬はスケート、夏はプールのところが遊園地系を中心に多かったようですが、そういうところは根こそぎ無くなっているとしても良さそうです。 閉鎖時期も妙にそろっている感じがあって、多くのところが2000年前後が多くなっています。 この要因として考えられそうなのは、• 1995年の• 2001年の開園1995年のは直接の影響と間接の影響があり、直接は甲子園が代表的ですが、間接はスケートどころじゃない状況があった気がしています。 それと記憶がチト怪しいのですが震災の頃にはバブル景気が崩壊しており、レジャーに浮かれる気分が醒めてしまったもあったのかもしれません。 は遊園地系の施設にとって深刻で、どこも経営不振に陥り閉鎖の道をたどったぐらいです。 これのさらなる背景として年少人口の減少も確実にありそうな気がします。 スケートもいわゆる親子連れがかなりの割合を占めると考えます。 親子連れの数は当たり前ですが年少人口の数に連動する事になります。 スケートですから子供だけで行く事もあるかもしれませんが、これもまた年少人口に連動します。 見つけた統計データの関係で年少人口を0〜14歳で見てみると、 このグラフだけでも十分なのですがスキーもスケートも全盛じゃなかったかと推測される1980年を基準にした減少率をグラフにしてみます。 見ればそのままなんですが、1990年には2割弱、2000年には3割強、2010年には4割弱も減少しています。 この減少数は当然その上の20歳代も連動して減っている事になります。 年少人口と青年人口が減れば当たり前ですがレジャー人口も確実に減少します。 スケートを楽しむ層もここにほぼ重なる考えられますから、マーケットも縮小する事になります。 直感的に判り難い人がいるかもしれませんので補足しておくと、いわゆる「ブーム」は参加する実人数(ブーム人数)で大きさが決まります。 母数が同じならブームはそれに参加する比率(ブーム率)でブームの大小が比較できますが、母数が減れば同じだけのブーム人数をブームに参加させるのに高いブーム率が必要になります。 具体的に表にしてみますが試算の前提は、• 母数は1980年が100人とし、2010年が4割減少の60人とする• 2010年は1980年と同じ規模のブーム人数が参加するブーム率を計算するでは表をどうぞ、 1980年 2010年 母数 ブーム率 ブーム人数 母数 ブーム人数 ブーム率 100人 10% 10人 60人 10人 16. 7% 20% 20人 20人 33. 3% 30% 30人 30人 50. 0% 40% 40人 40人 66. 7% 50% 50人 50人 83. 3% 60% 60人 60人 100% 70% 70人 70人 不可能 大ブームはどの程度のブーム参加率があるのか存じませんが、1980年のブーム率50%を2010年に起そうと思えば実に83. 3%が必要になります。 1980年の60%なら2010年で100%になります。 逆に言えば2010年にブーム率100%のウルトラ「猫も杓子も」ブームが起こったとしても、1980年の60%程度のブーム率のブームにしかならないとも言えます。 スケート人口にも同じ事があてはまるとして良いでしょう。 人口当たりでスケートを楽しむ者の比率がたとえ同じであっても、元の母数が4割減ればスケート客の実人数自体も単純計算でやはり4割減ります。 客が減った分だけ経営が維持できるスケート場もまた減っただけの気がします。 表でまとめた分は現存・閉鎖合わせて46ヶ所ありますが、今日取り上げた3つのスケート場が元気であっただろう1980年代はもっともっとスケート場自体も少なかったんじゃなかろうかです。 少なかったので辺鄙な山奥でもスケートをやりたい人間は広範囲から集まり繁盛していたです。 これがバブル期以降にライバルが次々に出現した上に一方でジリ貧になる客層があり、スケートをやりたい人間は都市部の屋内リンクに集まり、山奥の屋外スケート場まで出向かなくなってしまったです。 そりゃいかにウインタースポーツと言っても、凍えそうな山奥のリンクより近場の屋内リンクの方が好まれそうだからです。 そういう優勝劣敗・淘汰整理が2000年前後にバタバタと起こり今に至るです。 前にスキーの話をやった事がありますが、あれをスキーブームの終焉と言うとらえ方をしましたが、スキーもまた客層が若年人口の減少と連動してやせ細った一面は確実にありそうな気がします。 スキーもスケートもたとえば1980年代のピーク時に較べると愛好者の比率は落ちているかもしれませんが、それより母数の減少の方がより大きく作用している気がします。 これは上の表に示した通りです。 もう一つ注目しておいて良いのは、4割もの年少人口の減少はたかだか30年ぐらいの間に起こった事です。 30年前に10歳ぐらいでスケートなりに熱中した人間はまだ40歳です。 私も他人の事は言えませんが、人数の感覚は若い時に見聞した感覚から抜け切るのは難しいところがあります。 それこそ あんだけテンコモリいた連中はどこに行った?これぐらいになります。 そこで思いつく回答は、ブームが終焉し他の事に熱中しているのであろうです。 そういう見方も必ずしも間違ってはいないと思いますが、よく統計を見ると1980年と同じ規模の客層を維持しようと思えば、当時より格段に愛好者比率を増やさないと間に合いません。 必ずしも「どこか」に行った訳ではなく、母数の人口自体が著減している面が凄く大きそうだと言うところです。 こうやって見るとって改めて強烈なものだと感じます。 つうか若者によるブームが本当に起こしにくくなっている気がします。 同じ人口比率の若者が仮に熱狂したとしても、1980年とは動員実人数が格段に落ちます。 これを経営サイドの中心になるであろう40歳代、50歳代の人間の感覚からすると「なんと人気が出ない」になってしまいそうな気がします。 参加比率は同じであっても、人数によるトがガタ落ちなってるぐらいのところです。 時の流れとは言え寂しいお話です。 現在のの流れからすると復活が難しいだけではなく、スケート以外の他の何かに1980年と同じような人が集める事は非常に難しくなっていると感じた次第です。 Yosyan.

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