東京山手急行電鉄。 鉄道トリビア(97) 消えた「第2山手線」計画

東京山手急行電鉄とは

東京山手急行電鉄

東京電気鉄道は大正十年(1921年)設立の鉄道会社であり、の前身である。 大正時代の東京都心部の鉄道は放射状に計画されており、それを環状でつなぐ路線が計画された。 その一つが、大井町から深川西平井まで結ぶ東京電気鉄道の計画である。 深川西平井町は明治二十二年(1889年)に南葛飾郡から深川区に編入されたエリアで、明治二十四年(1891年)に平井新田と石小田新田、洲崎弁天町の各一部を併せて起立された。 昭和七年~昭和九年にかけて加崎町・東陽町・平井町に編入されて消滅した地名である。 現在の江東区東陽三丁目~四丁目にあたる。 明治十九年、東京帝国大学のすぐそばにあった根津遊廓を洲崎弁天町に移転させ 、新たに洲崎遊廓が設置されていた。 大正時代末期には300軒前後の遊廓が建ち並び、「辰巳」の異名を持つ一大歓楽地であった。 大正十年(1921)• 大正十五年(1926)• 9月28日 東京電気鉄道をに改称 注記• 東京電気鉄道は歴史上、2社存在するようである。 本項と異なるもう一つの東京電気鉄道は、明治33年(1900年)5月1日設立(資本金80万円)。 同年9月17日に電気供給事業を許可されている。 明治37年(1904年)12月8日に土橋~御茶ノ水間が開通したが、明治39年(1906年)9月11日、東京市街鉄道・東京電車鉄道と合併し、東京鉄道株式会社となった。 この東京鉄道は明治44年(1911年)8月1日に東京市によって買収され、東京市電気局となっている。 これは現在の東京都交通局につながるものである。 したがって、明らかに本項の東京電気鉄道とは別会社であり、大正十年時点ですでに消滅していた。 坪内逍遙の妻はもともと根津遊廓の遊女である。

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東京山手急行電鉄線の名残【駅ぶら01】小田急線42 | ガジェット通信 GetNews

東京山手急行電鉄

トップ画像は別の駅ですが、ロマンスカーVSE50000形電車の連接台車。 高い位置にある特徴的な空気バネが写っています。 それだけなのですが。 豪徳寺駅を出発すると右にカーブしながら下ってゆきます。 高架線のままなので地形でしょうか。 豪徳寺駅から0. 7kmで梅ヶ丘駅。 急行線をはさんだ相対式ホーム2面4線という鉄壁のパターン。 ホームにホームドアが並んでいます。 今回の撮影でホームドアは初めてです。 鉄道チャンネルのニュース記事を読んだ記憶では、小田急電鉄は利用者が10万人以上の駅にホームドアを設置すると発表しています。 新宿駅には2012年(平成24年)4・5番ホームに設置されていますが、2019年度には、代々木上原駅1・4番ホーム、東北沢駅、世田谷代田駅、梅ヶ丘駅に整備する予定です。 新宿まで前面展望を撮った後、一駅ずつ撮影しながら登戸駅に向かって戻る途上、梅ヶ丘駅下りホームです。 小田原方面。 残念ながらホームドアはまだ工事中でした。 車両がいないのに開いていることでホームドアが未完成だと分かります。 こちらは新宿方面。 ガードマンさんがホームでお客さんにホームドアが工事中です、と注意してました。 工事が完了したらホームドアが閉まっているので撮れない写真。 あんまり意味はないよ-な気もしますが。 (笑) 駅名標。 梅ヶ丘駅は小田原線開通時ではなく、1934年(昭和9年)の開業です。 後の京王帝都電鉄になった東京山手急行電鉄線(未成線)との接続駅として設けられました。 今でも井の頭線に複々線の形になっている跨線橋があるのは、この東京山手急行電鉄線の名残です。 開業時は島式ホームでしたが東京山手急行電鉄線の計画が頓挫したことで1962年(昭和37年)には相対式ホームになっています。 当時は地上駅でした。 2018年(平成30年)複々線化で高架駅になりました。 地上駅時代に梅ヶ丘に用事があって来たことがあるのですが、何の用事だったのかを含めて記憶が曖昧です。 でも北沢川緑道公園の近くを歩いた記憶があるのです。 歳をとると、こーいうヨク分からない記憶がパラパラと散らばっていて、風景を眺めている時に不意に奇妙な視覚的記憶(既視感とも言います)が浮上して混乱します。 地上階に降りて改札口。 小田原側にあります。 改札外。 広々としています。 この駅には改札の横でOdakyu OX Shopが営業していました。 小田急電鉄がセブンイレブンと提携した結果、駅の売店はほとんどが閉店しています。 例外的にOdakyu OXの流通を使う売店が営業している様です。 車両進入禁止の表示があります。 手前は自由通路になっています。 背中側は小田急のスーパーマーケットOdakyu OXがあります。 北側の出入口にはバスロータリーがあります。 バス停側から駅を見ています。 バスロータリーの中央には大きなケヤキがあります。 昔来た時とイメージが違いますね。 何とマヌケなコトに、北側の出入口を撮影するのを忘れました。 今、現在、このコラムを書いている時点で気付いたというアホさです。 すみません。 次の世田谷代田駅は地下駅です。 前面展望が撮れないのがシンドイです。 に続きます。

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東京山手急行電鉄線の名残【駅ぶら01】小田急線42

東京山手急行電鉄

東京電気鉄道は大正十年(1921年)設立の鉄道会社であり、の前身である。 大正時代の東京都心部の鉄道は放射状に計画されており、それを環状でつなぐ路線が計画された。 その一つが、大井町から深川西平井まで結ぶ東京電気鉄道の計画である。 深川西平井町は明治二十二年(1889年)に南葛飾郡から深川区に編入されたエリアで、明治二十四年(1891年)に平井新田と石小田新田、洲崎弁天町の各一部を併せて起立された。 昭和七年~昭和九年にかけて加崎町・東陽町・平井町に編入されて消滅した地名である。 現在の江東区東陽三丁目~四丁目にあたる。 明治十九年、東京帝国大学のすぐそばにあった根津遊廓を洲崎弁天町に移転させ 、新たに洲崎遊廓が設置されていた。 大正時代末期には300軒前後の遊廓が建ち並び、「辰巳」の異名を持つ一大歓楽地であった。 大正十年(1921)• 大正十五年(1926)• 9月28日 東京電気鉄道をに改称 注記• 東京電気鉄道は歴史上、2社存在するようである。 本項と異なるもう一つの東京電気鉄道は、明治33年(1900年)5月1日設立(資本金80万円)。 同年9月17日に電気供給事業を許可されている。 明治37年(1904年)12月8日に土橋~御茶ノ水間が開通したが、明治39年(1906年)9月11日、東京市街鉄道・東京電車鉄道と合併し、東京鉄道株式会社となった。 この東京鉄道は明治44年(1911年)8月1日に東京市によって買収され、東京市電気局となっている。 これは現在の東京都交通局につながるものである。 したがって、明らかに本項の東京電気鉄道とは別会社であり、大正十年時点ですでに消滅していた。 坪内逍遙の妻はもともと根津遊廓の遊女である。

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