ジョーカー 映画。 【ネタバレ】映画『ジョーカー』(2019)解説&意外な裏話 最凶ヴィランの描かれ方はこれまでと違う?

『ジョーカー』はなぜ無視できない作品なのか?賛否の議論を考察

ジョーカー 映画

監督:トッド・フィリップス 脚本:トッド・フィリップス 制作:ヴィレッジ・ロードショー・ピクチャーズ 音楽:ヒドゥル・グドナドッティル キャスト:ホアキン・フェニックス、 ロバート・デ・ニーロ、ザジー・ビーツら 上映時間:122分 日本公開:2019年10月04日 配給:ワーナー・ブラザース 映画「ジョーカー」あらすじ 映画「ジョーカー」あらすじは以下のとおり 「どんな時でも笑顔で人々を楽しませなさい」という母の言葉を胸にコメディアンを夢見る、孤独だが心優しいアーサー。 都会の片隅でピエロメイクの大道芸人をしながら母を助け、同じアパートに住むソフィーに密かな好意を抱いている。 ジョーカーになる前の主人公「アーサー」は皆を笑わせる・楽しませる「コメディアン」を夢見ています。 貧乏な中、母親の介護もしていますし、非常に心優しい男なんですね。 ピエロの派遣会社で働いていて、ジョークを言ってもなかなか受けないですが、小児病棟などでは笑い(笑顔)をとることはできる。 彼には「笑ってはいけない場面で、ついつい笑ってしまう」という持病があります。 それが原因で、会社の同僚には疎まれ、おそらく友人もいない。 周囲の人には気味悪がられているんですね。 で、その病気を止める(笑いを止める)には薬が必要。 アーサーが住むのは、バットマンシリーズでおなじみの町「ゴッサム・シティ」は、腐敗した町です。 町の方針で福祉にお金をかけられないということが決まり、彼は薬を得られなくなる。 そんな矢先、母親もふとしたことから入院し、仕事も首になるという不幸が重なります。 彼は会社の同僚からもらった銃を使って…という話。 アーサーは銃で証券マン3人を衝動的に殺してしまいます。 警察に追われつつも、自身の父親らしき政治家のウェインに会いに行く。 すべては母親の妄想だった。 アーサーは母親を殺害し、「ジョーカー」の格好をして、呼ばれたコメディ番組に登場。 司会者を銃殺し、警察に捕まる。 ジョーカーの行動も相まって、町中の人は暴徒化し、ゴッサムシティは火につつまれる。 そしてアーサーは精神病院に入れられる、、、という結末。 監督は「ハングオーバー! 」のトッド・フィリップス 監督はコメディ映画「ハングオーバー! 」の監督で知られるトッド・フィリップス。 コメディの名手が手掛けた結果、「笑い」と「狂気」は紙一重ということがよく分かる一作となっています。 ジョーカーのテーマ考察(ネタバレ) 以下、ネタバレですのでご注意ください。 貧困と格差がある現代社会 心優しく、慎ましく生きているアーサー。 彼を支える福祉(セーフティネット)がなくなり、富裕層(上級国民)は映画を見て笑うだけである。 これが一種の社会批判になっています。 アーサーは、母親の言葉をずっと信じて、政治家のウェインを希望の対象と思っていた。 正義の味方であり、自分を救ってくれると。 しかしウェインは、アーサーが起こした事件を見て 「貧困な人々は社会の負け組。 ピエロの仮面をかぶらないと犯罪もおかせない臆病者」と語ります。 「狂っているのは自分か、世界か」と冒頭で問いかけがあるように、この格差社会そのものが間違えている、おかしいとしたら、それって壊れていいよね? というのが視聴者の無意識に埋め込まれる仕組みです。 現代日本が今よりも不況になったとき、このテーマがより如実に浮かび上がる気がします。 自分の中にいるジョーカーを肯定してもいいんじゃないか、と。 誰の心のなかにもジョーカーはいる 誰の心のなかにもジョーカー的な存在がいるんですよね。 で、この作品の恐ろしいところは、ジョーカーについつい感情移入しそうになるところです。 ジョーカーの貧困な状況、虐げられる状況。 ゴッサムシティの腐敗と、政治不信。 それらの救いようのない状況から、ついつい弱者の側であるアーサーに自己投影してしまう作りになっています。 しかし、徐々に「アーサーのヤバさ、狂気」が見えてきて、視聴者として彼を客観的に見られるようになっていく。 とそこで、アーサーが「本当の自分はこれだったんだ」と語るところから、 自分のほんとうの気持ちはなんだろう? 自分は素直に生きているのだろうか? と心揺さぶられるんですね。 物語の最後。 アーサーがコメディーショーの司会者を殺し、捕まります。 その際の街の描写が秀逸。 暴徒がゴッサムシティを火まつりにして、暴れているのですが、映像美もあいまって、なんともいえないカタルシスになります。 アーサーはその光景を本当に「美しい」と思っていたでしょう。 そして、事故にあって気を失っていたアーサーが生き返り、周囲から大歓声を浴びるシーン。 これこそ彼が思い描いてたものであり、ずっと認められたい、誰かに自分を見て欲しいと思っていた彼の願いが、いびつながらもかなったシーンなんですよね。 ここにきてアーサーの気持ちが少しわかる。 わかってしまう。 そこにこの映画のスゴさ、そして恐ろしさがあるのだと思います。 この作品を見た後のなんともいえない感覚の正体はなにか?• アーサーがかわいそうだった• 悪に落ちるのはダメだ• 上級国民(社会の上位層)許さない! などのシンプルな感想が、いだきにくいところだと思うんですよね。 つまり、自分の中にいるジョーカーを無意識に感じる。 だからこそ、見終わった後の「言葉にならない感じ」があるのだと思います。 チャップリン「人生は近くで見ると悲劇だが、 遠くから見れば喜劇」 作中にチャップリンの映画が映っていましたね。 また、近代社会を描いた作品「モダンタイムズ」のテーマ局「Smile」も何度も作中で使われていました。 「人生はずっと悲劇だと思っていた。 でも外から見れば喜劇なんだよな」 「主観で見れば喜劇だ」 ということを語っていました。 実際、映画内では、彼がジョーカーになった瞬間から、それまでのおどろおどろしい音楽が反転。 一気に明るい音楽が流れ、お立ち台から降りる彼の姿はなんとも晴れやか。 で、これってチャップリンが 「悲劇を喜劇」に見せたのと逆。 ジョーカーという作品は 「喜劇が悲劇」に見えるんですよね。 ジョーカーからすれば 「悲劇に思えていた人生は、実は喜劇だった」という主観。 しかし、それを更に外側から見ている我々からすると、それは「悲劇」だよね、と感じてしまう。 この構造が非常に面白い。 ジョーカーの面白い部分の感想(ネタバレ) 土台がグラグラ揺れる感じ(妄想が連発する) この作品のエンターテイメントとして面白いところは、主人公アーサーの見えていた世界にトリックがあるところですね。 つまり、アーサーは妄想をしていた、ということが分かり、見えていたシーンが嘘だったと分かる。 同じマンションに住む女性とは何も関係がなかったこと。 母親とウェインの子どもかもしれない?と思いきや、妄想だったこと。 そうやって、自分を支えていた「何か確からしいもの」が音を立てて壊れていく感じを疑似体験できるんですよね。 それがあるから、• そもそも全てはアーサーの妄想だったんじゃないか?• コメディショーに呼ばれたのすら妄想だったのでは? とついつい思ってしまったり。 不穏な音楽と相まって、作品の土台がグラグラ揺れる感じが見ていて堪らなかったです。 僕らの中に潜む悪意と、消費税増税の今公開されることの意味 日本で「消費税」が増税された10月。 この作品は公開されました。 今後確実に不景気になる時代に、このゴッサムシティの「悪」と行き場のない「不満」を見ると、なんとも言えない気持ちになります。 結局、人々の暮らしは貧しく、日常には悪意が溢れ、一方で上級国民たちは良い暮らしをしている。 そんなことを無意識に思っている中で、この作品最後の「暴徒たちが町を壊す」が妙に爽快です。 ジョーカーという作品を通じて「悪はいけないことだ」ということはよく分かりつつも、いつの間にかジョーカーに心を奪われた我々は、その光景にどこかカタルシスというか、なんともいえない良さを感じるんですよね。 もちろん、理性の上では「町を壊すのはダメだし、テロもダメだ」ということはわかっている。 ただジョーカーが語るように「本当の自分はこういうものだ」という気持ちもどこかにある。 つまり、感情の奥底には自分にも「ジョーカー的なもの」があるんじゃないか、とゾッとするわけですよ。 アーサー(ジョーカー)の人生を想像する アーサーは最初、弱いものとして描かれます。 同僚には嫌がらせをされますし、上司には疎まれる。 不良少年たちにボコボコにされるし、カウンセラーは自分の話をまともに聞いてくれない。 彼は小児病院に銃を持っていったことで、仕事をクビになるわけですが、それまで何か悪いことをしていのだろうか?とつい思ってしまいます。 そもそも、小児病棟では、彼は笑いをとれていたというか仕事をできていたわけですし、母親の介護もしていた、と。 つまり、彼自信はもともと「優しい人」ということが描かれています。 一方で、同じマンションに住む女性をストーカーしたりと、狂気の面、悪い一面も確かに持っている。 一方で、直接的な告白などはできなかった(妄想だった)というところから、彼の弱さ、自信のなさが浮かび上がります。 というのも「チック症」みたいな笑いで、社会生活を送るのが大変難しかっただろうと思うんですよね。 友達はいない。 同僚にも疎まれる。 上司にもバカにされる。 彼のこれまでの人生を想像するとなかなかに悲惨です。 まともな仕事にはつけないでしょうし、まともな人間関係はつくれなかっただろう、と。 ジョーカーの分かりづらいところを解説 アーサーと母親はどこまでが妄想か問題 私の解釈ですが• 彼の希望• 自分の愛しているという発言を受け入れてくれる• 自分の「笑い」も受け入れてくれる• すべてを捨ててでも「君を息子にしたい」と言ってくれる が詰まっていたということ。 アーサーが母親を殺した理由は? 自分を騙していたというのもそうですが、アーサーが笑う病気になったのは、虐待のせいなんですよね。 過去の新聞に「頭の大怪我」というのがありましたけど、あれが直接の原因でしょう。 なぜ小人病の元同僚は許された? ここまでさんざん書いていますが、アーサー自身はもともとは心優しい人間なんですよね。 で、小人病の元同僚に対しては、優しくしてもらっていた。 これは、彼がそのネタを笑ってはいけないと考えていたということ。 つまり、もともと悪い感情は持っていなかった。 アーサーからすると彼は数少ない「友人」だったんですよね。 ウェインってそもそも誰?あの子どもは誰? これはバットマンシリーズを見ていないとわからないと思います。 政治家のウェインは、大金持ちでしたよね。 で、政治家ウェインの息子「ブルース・ウェイン」が途中に出てきましたよね。 彼は、後のバットマンです。 で、物語最後の暴動が起きた日は、ウェイン夫妻は殺されて、ブルースウェインが一人残されました。 つまりこれは、 アーサーがジョーカーとして目覚めた日でありながら、 ブルース・ウェインがバットマンになるキッカケの日でもあった… という描写ですね。 映画「ジョーカー」誕生に影響を与えたキング・オブ・コメディとタクシードライバー 映画「ジョーカー」誕生に影響を与えた映画は主に3つ。 キング・オブ・コメディ• モダンタイムズ• タクシードライバー 名作『タクシードライバー』。 主人公トラヴィスは低賃金のタクシードライバーをしつつ、世の中を憂う。 ある日、堕落した世の中をクリーンにしてあやると思ったトラヴィスは、モヒカン・サングラスにイメチェンする。 そして、大統領候補の政治家の暗殺を企てる。 この作品も、監督自身が影響を受けたと語っていますし、見終わった後の「なんともいえない感じ」が近しい。 この映画を見ると、ジョーカーがより深く楽しめるので、是非見ておきましょう。 まとめ:ジョーカーは今見るべき映画 ハッキリ言って、ジョーカーを見ても良い気持ちにはなりません。 なんとも言えない気持ちで終わるはず。 それはきっと、自分の中にあるジョーカー的なものに気づいたからだと思います。 なんとなく世界情勢が悪くなりそうな予感と、閉塞感のある日常。 そういった現代だからこそ、見る価値がある作品だなと思います。 自分でもまだ咀嚼しきれていない作品です。 見終わった後の、なんとも言えない感じを持っている方、コメント待ってます。

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【ネタバレ】映画『ジョーカー』(2019)解説&意外な裏話 最凶ヴィランの描かれ方はこれまでと違う?

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バットマンの宿敵ジョーカー。 コミック時代から多くのファンを獲得し、バットマンの物語には欠かせないキャラクターです。 これまでのバットマン映画にもたびたび登場したジョーカーは、バットマンと表裏一体の存在として強烈な印象を残してきました。 そんなジョーカーの単独映画『ジョーカー』が、2019年10月4日に公開となりました。 ホアキン・フェニックス主演、トッド・フィリップス監督で絶賛を集めている本作。 今回はそのあらすじやキャスト、DC映画の中での位置づけを紹介しましょう。 フェニックスは、本作のために大幅な減量を行いました。 そんな壮絶な減量で作り上げたフェニックスのほとんど骨と皮だけの肉体は、昨今のアメコミ映画で多くの俳優たちが見せる鍛え上げられた肉体に負けずとも劣らないインパクトです。 2019年8月31日 現地時間 、イタリアで開催されたヴェネツィア国際映画祭で『ジョーカー』はプレミア上映を迎えました。 上映後は8分間におよぶスタンディングオベーションで盛大に讃えられ、観客や批評家からは、絶賛の声が数多く寄せられました。 そして、同映画祭の最高栄誉である金獅子賞を受賞。 世界でも最古の歴史を誇るヴェネツィア国際映画祭。 また、『ジョーカー』はアメコミ映画としては史上初の受賞作となりました。 そんな快挙を成し遂げた本作には、早くも「アカデミー賞最有力候補」との声も挙がっています。 今後の賞レースから目が離せません。 一方で、善良で孤独な男が犯罪者になるまでの過程を描く本作は、公開前から「暴力を誘発するのでは」「ジョーカーを英雄的に描いているのでは」と危険視する声も挙がっています。 これについて、主演のホアキン・フェニックスはIGNのインタビューに答え、本作はひとつの問いかけであるとし、「まず問いかけることが大切だ」とコメント。 「なにがトリガーになるかは誰にもわからない。 この質問で怒り出す人もいるかもしれない」と語り、危険性があるからといって全面的に否定したり禁止したりするのはおかしいという見解を示しました。 また、同インタビューで監督のトッド・フィリップスも、「作品を観ないうちから批判している人が多いと思う。 観てから言ってほしい」と語っています。 アメリカ・ニューヨークの映画館では、本作の公開初週、10月4日から6日に万一の場合に備えて、制服警官や覆面警官を配置する厳戒態勢を予定しているとのことです。 『ジョーカー』がこれまでのバットマン関連映画と決定的に違うのは、アーサー・フレックの存在、つまりジョーカーになる前の彼が描かれていることです。 実写映画では、これまで『ダークナイト』でヒース・レジャーが演じたジョーカーが語ったデタラメ以外に、彼のオリジンを少しでも覗わせるものはありませんでした。 しかし本作は、果敢にもバットマンの最凶の敵が誕生した経緯を詳細に、繊細に描き出しています。 また、コミックおよびティム・バートン監督の「バットマン」シリーズに登場したジョーカー ジャック・ニコルソン は、「ある犯罪者が化学薬品 もしくは酸 のタンクに落ち、肌は白く、髪は緑色、唇は真っ赤になり正気を失った」という設定です。 しかし、本作のジョーカーは『ダークナイト』のジョーカーと同様に、白塗りのメイクを施しています。 映画冒頭、精神を病み向精神薬の服用とカウンセリングを受けていたアーサーは、市の予算削減によりそれらの医療補助を受けられなくなります。 コメディアンを目指しながら、生活のために派遣ピエロとして働く彼は、脳や神経の損傷で突然笑い出す発作を抱え、周囲の人たちとうまく人間関係を築くこともできませんでした。 彼は毎日ネタ帳を書いていますが、そのなかに「精神を病んだ者にとって最悪なのは、周りの視線だ。 アーサーがコメディクラブに出演した際、ネタはさっぱりウケませんでしたが、恋人となったソフィアとは楽しい時間を過ごします。 彼女はアーサーの母が倒れたときも病院で付き添ってくれました。 しかし、その病室でアーサーは憧れのコメディアン・マーリーがコメディクラブでの自分のスベリっぷりをテレビでバカにしているのを見てしまいます。 さらにアーサーは母が何度も手紙を書いていた相手が市長選に出馬したトーマス・ウェインであることを知ります。 彼女を問い詰めると、母はアーサーの父親はトーマスだと言います。 手紙の内容は、苦しい生活をしている自分と息子のために援助を求めるものでした。 しかし、ウェイン家の執事であるアルフレッドや、トーマス・ウェイン本人から「お前の母親はイカれている」と追い返されるはめに。 アーサーはその後、自分が養子であったことを知ります。 そのうえ母は自分の恋人がアーサーを虐待するのを見て見ぬフリをしていました。 アーサーの脳の損傷は、そのときの後遺症だったのです。 たったひとりの家族と思っていた母を信用できなくなった彼は、病院のベッドで彼女を殺害します。 ソフィアに慰めを求めて会いに行くと、彼女はよそよそしく怯えた様子。 実は彼女とのしあわせな時間は、すべてアーサーの妄想だったのです。 精神を病み、経済的にも苦しい立場に置かれたアーサーは、物語が進むにつれどんどん追い詰められ、大切なものを失っていきます。 ネタバレを見る アーサーの母ペニーは、彼の父親はトーマス・ウェインだと言いました。 それを信じたアーサーは、ウェインのもとを訪ねますが、彼はペニーのことを「イカれている」と言い、父親であることを認めさせようとするアーサーを殴ります。 その後ウェインの言ったとおり、アーサーは彼女の養子であり、彼が幼いころに虐待されていたという記録も出てきました。 これでアーサーは母の嘘を確信し、彼女を殺害するに至ります。 しかし映画終盤、ジョーカーが手にしていたのはは若き日のペニーと思われる写真。 もしペニーの言ったことが本当だったとしたら、大富豪であるウェインは、アーサーの養子縁組や彼女を精神病院に入れるなどの隠蔽工作も可能だったのではないでしょうか。 そうなると、ジョーカーとバットマンは異母兄弟ということになります。 製作開始当初から本作に影響を与えているといわれる『キング・オブ・コメディ』では、結末の解釈は観客に委ねるつくりになっていました。 本作のアーサーの父親の正体についても、観客の解釈に委ねられているのかもしれません。 ジョーカーといえば紫色のスーツに緑色のシャツをイメージする人も多いのではないでしょうか。 しかし、本作の衣装は、1981年という時代にあった色合いに変更されています。 衣装を担当したマーク・ブリッジスによると、80年代初頭という時代を考えると、仕える色やその組み合わせは限られているのだとか。 たとえば、本作では青、茶色、海老茶、薄紫、グレー、紺、カーキを多用しています。 また、アーサーのファッションは基本的なアメリカンカジュアルです。 ブリッジスは「アーサーは楽な服装を好み、物持ちがいいので、普段着はどことなく子供っぽいし、古めかしい」雰囲気を目指したと語っています。 コメディクラブのシーンで使った衣装のコーディネートを変えながらほかのシーンにも使い、最終的にジョーカーの装いが完成します。 監督のトッド・フィリップスは、撮影開始前から脚本の一部を作曲家のヒルドゥル・グーナドッティルに見せて協力を求めていました。 フィリップスから、脚本を読んで感じたことを楽曲にしてほしいと頼まれたグーナドッティルは、物語の良さに惚れ込み、よろこんで引き受けたのだとか。 彼は、脚本を読んでアーサーのキャラクターの多面性に衝撃を受けたと語っています。 そして、それを表現するためにチェロを主体とした、ごく簡素で単調なメロディの楽曲を作っていきました。 しかし、実は演奏には総勢90人のオーケストラが参加しています。 チェロの音色に数多くの音が隠されている本作のサウンドトラックは、一見単純なようで複雑な内面を持つアーサーを的確に表現しています。 またアーサーは、のちにジョーカーとなる自分のなかのなにかが顔を出すたびに踊ります。 この演出が誕生したのは、ある重要なシーンで撮影に行きづまったことがきっかけだったとか。 撮影中、すでにグーナドッティルから楽曲を渡されていたフィリップスがその楽曲をかけたところ、音楽にのってホアキン・フェニックスが優雅に踊りだし、印象的なシーンができあがりました。

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映画『ジョーカー(Joker)』が面白い。あらすじ・ネタバレ感想・テーマ考察

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映画『ジョーカー』ラストシーン 生放送中にマレーを射殺した後、アーサー ジョーカー はパトカーで連行される。 しかし、暴徒の運転する車がパトカーに突っ込み、アーサーは助け出された。 暴動で街が炎上する中でジョーカーは車の上でダンスを踊り、人々はその姿に熱狂していく・・・ ここで場面が変わり、病院でカウンセラーと話をするアーサーに。 アーサーは微笑みながら、倒れている両親と少年ブルース・ウェインの姿を想像する。 精神科医になぜ笑っているかを尋ねられるとアーサーは「ジョークを思いついて・・・君には理解できない」と答えた。 更に場面は進み、部屋から出てきたジョーカーは血の足跡をべっとりと残しながら、病院を職員に追われて逃げ回る。 The End。 映画『ジョーカー』ラストシーン考察 さて、この謎多きラストシーン。 他の方の感想を見ている、色々な解釈に分かれていて面白いです。 先述してしまうと、この ラストシーンの解釈には正解はありません。 監督の中では決まっているようですが、明らかにはせず・・・ ただ、 最後のアーサーの笑顔は「唯一純粋に笑っている」だそうです。 いわゆる 「正解は皆さんのご想像にお任せします」というラストなので、考察大好きブロガーとして考察してみました! まず、大きく3つの可能性を考えました。 <あり得そうな要因> ・アーサーは精神病院に入院していたと作中でも言及 ・一部、ストーリー展開が現実的ではない ・「ジョーカー」という掴みどころのない狂気なキャラクター アーサーは映画の中でも 過去に精神病院に入院していたと言われていました。 それが 伏線のようにも思えます。 そして作中のシーンで、 一部現実なのか?と思うシーンもあるんですよね。 Ent. ここの 非現実感は鑑賞しながら気になっていました。 普通、小さな劇場でのコントが人気テレビ番組で無断で流されるというのはあり得ないと思うんですよね。 しかし、劇中では特に妄想という描写は無く・・・ だとするなら、そもそも 全てが妄想だったというのもあり得るかもしれない。 そして、ヴィランとしての 「ジョーカー」のキャラクター性。 狂気に溢れており歪んだユーモア性を持つ残虐な男。 そのキャラクター性から考えると全部妄想だったという 悪趣味さも納得できるところも。 ただ、個人的には この説は無いかな?と思っています。 野暮な見解ですがここまで 細かい部分 ジョーカーがいない部分を含め まで妄想できるか?という現実的な観点に加え、作中で アーサーが幾度となく感情を震わせていた描写を妄想とするのは違う気がするんですよね。 最後のカウンセラーを殺した ? ような描写ともちょっと解釈が合わないような気がする。 そして何より、 ブルース バットマン との因縁も生まれません。 というより、『バットマン』という作品自体がジョーカーの妄想になってしまいます。 このオチはこれはこれで面白いんですが、やっぱり個人的にはしっくりこない説ですね。 B 最後の病院が現実では無い これはあまり聞かない解釈ですが、自分は結構あると思ってます。 『ジョーカー』の物語は車の上で踊っているシーンで終わり。 その後の精神病院のシーンはアーサーの妄想、もしくは幻想だったというオチ。 <あり得そうな要因> ・炎上した街の状況からなら、普通に逃走できるのでは? ・病院のジョーカーは髪が緑色じゃない ・病院内で足跡に血がついていたり、眩しすぎる陽射しなど幻想的な描写が多かった まず、暴徒化したピエロのおかげで炎上した街の状況では、その後警察が駆け付けたとしても 容易に逃げられるように思えます。 更には病院内のジョーカーは 髪色が緑では無く、地毛の茶色であった。 この事から 事件後すぐに逮捕されたとは考えづらい。 そして、病院内の描写ですがカウンセラーとの面談は特に気になりませんが、その後のシーンは独特でしたよね。 アーサーが歩くと 血の足跡がつき、 妙に眩しい廊下を走り回る。 現実から解き放たれたジョーカーの心理状態を幻想的に描いたようにも思えました。 Ent. ブルース バットマン との因縁も生まれ、『バットマン』のストーリーにも入っていけます。 ただし、最後の病院シーンが全部妄想 幻想 だったというのは、普通に考えるとちょっと厳しい気がします。 次の解釈でも書きますが、ジョーカーはもっと後に捕まった、病院で髪色を戻されたとする方が普通の考えではあるんですよね。 個人的には好きな解釈ですが、 一番無理がある解釈かもしれない。 C 後に逮捕されて病院に収容となった この解釈が一番無難というかしっくりくるオチですね。 炎上した街でジョーカーとして君臨した後に 期間は不明 捕まって、精神異常者と診断され病院に収容となったというオチ。 <あり得そうな要因> ・映画の時系列通り ・身元もばれており超人的な力も無いので、捕まらないのは逆に不自然 ・病院でのアーサーはジョーカーとして覚醒しているように見える ジョーカーとして完全に覚醒した後、すぐに捕まったかは分かりませんが逮捕されて精神病院に収容となる流れは 時系列としては綺麗にまとまります。 大人になったバットマンに捕まった説を見ましたが、それも面白い。 カウンセリング中のブルースの姿を想像するのにも繋がるしね。 ただし、そうなると相当後の話になるけどアーサーの見た目が変わってない笑 「ジョーカー」はヴィランですが 超人的な能力は持っていません。 更に覚醒した後はまだ悪事にも慣れておらず、 覚醒はしても未完成なジョーカー。 そう考えるとあの場では逃げられても、 その後捕まるのも自然です。 病院でのアーサーはカウンセラーとも臆せず対峙しており、カウンセリング中でもブルースを想像して笑うなど明らかに 今までのアーサーより狂気寄りでした。 血の足跡から推測されるカウンセラーを殺害したであろう 残虐性、その後におどけたような動きで走り回る 狂気、 ジョーカーとして覚醒している姿と考えるとピッタリなんですよね。 Ent. 腑に落ちない部分といえば、ここまで悪のシンボルとなったジョーカーを死刑にせずに 精神病院に収容しているだけ?という疑問と、上でも触れたストーリーに一部 妄想だったのではと思われるシーンの真偽は?という部分は気になります。 <まとめ>『ジョーカー』ラストシーン考察 このように 絶対これだ!という考察はありません。 現実と虚構の交じり合いを絶妙なバランスで表現して、あえて正解をぼやかした作りにした映画です。 答えは監督のトッド・フィリップスのみぞ知るという事でしょうか。 個人的には B か C の解釈と思っています。 なお最初に鑑賞した際、直観的に感じたのは B でした。 こんな風に自分なりの解釈をしてみましたが、人それぞれに様々な解釈があると思います。 この記事はそんな解釈をする際の スパイス的存在になれば嬉しいですね。 ラストシーンの答えを監督がいずれ明かすのか?それとも続編的な作品が制作されるのか? どっちもあるかもしれませんし無いかもしれませんが、期待しましょう!.

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