枕草子 すさまじきもの。 【すさまじきもの】 ~第二十三段(三)_枕草子_日文古典名著_日语阅读_日语学习网

清少納言の枕草子の「すさまじきもの」で「博士のうち続き女児産ませたる。」...

枕草子 すさまじきもの

本質的なことを言えば、「準体法」といって、 連体形の中に体言(「こと」など)が含まれる、ということなのだが、 わかりにくければ、「こと、すさまじ。 」という言葉が省略された形だから、 と考えると理解しやすい。 「博士が続けざまに女の子を生ませた(ことは興ざめだ)。 」 ということ。 俺の今夜の晩飯。 焼いた厚揚げにしょうがをたっぷりのせたの。 枝豆を固めにゆでて塩をふったの。 チリペッパー入りのウインナーをこんがり焼いたの。 これらの「のせた「の」、ふった「の」、焼いた「の」の「の」は、 「準体格の格助詞」と言う。 いずれも、「もの」という名詞の代わりになっている。 「~のせた「もの」を食べた。 」 「~振った「もの」を食べた。 」 「~焼いた「もの」を食べた。 」 という意味。 古語の連体形には、この「準体格の格助詞」を連体形自体の中に含むというはたらきがある。 これが、準体法。 「博士が続けざまに女の子を生ませたの。 」は「すさまじ」、と言っている。 ごちそうさま。 おいしゅうございました。 kiebine、回答を盗むのは厳禁する。 一度でいいから、正解が出る前に回答してみよ。 虫の言っているのは、今の文の場合、間違ってはいないが、 主格の「の」が連体形結びになる、という理由だけでは、 「枕草子」の物尽くしの連体止め全部を説明することはできない。 「にくきもの」 また墨の中に石こもりて、きしきしときしみたる。 俄にわづらふ人のあるに、驗者もとむるに、例ある所にはあらで、外にある、尋ねありくほどに、待遠にひさしきを、辛うじて待ちつけて、悦びながら加持せさするに、このごろ物怪に困じにけるにや、ゐるままに即ねぶり声になりたる、いとにくし。 「たる。 「たる、」とも、主格の「の」はないのに、連体形をとっている。 「枕草子」の「物尽くし」の連体止めは、準体法で説明するのが正当。

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枕草子『すさまじきもの(除目に司えぬ人の家〜)』のわかりやすい現代語訳と内容 / 古文 by 走るメロス

枕草子 すさまじきもの

除目(ぢもく)に司(つかさ)得ぬ人の家。 今年は必ずと聞きて、はやうありし者どもの、ほかほかなりつる、田舎だちたる所に住む者どもなど、皆集まり来て、出で入る車の轅 ながえ もひまなく見え、もの詣(まう)でする供に、我も我もと参りつかうまつり、物食ひ酒飲み、ののしり合へるに、果つる暁まで門たたく音もせず、あやしうなど、耳立てて聞けば、先追ふ声々などして上達部(かんだちめ)など皆出でたまひぬ。 もの聞きに、宵より寒がりわななきをりける下衆男(げすおとこ)、いともの憂げに歩み来るを見る者どもは、え問ひだにも問はず、外(ほか)より来たる者などぞ、「殿は何にかならせたまひたる」など問ふに、いらへには「何の前司(ぜんじ)にこそは」などぞ、必ずいらふる。 まことに頼みける者は、いと嘆かしと思へり。 つとめてになりて、ひまなくをりつる者ども、一人二人すべり出でて去ぬ。 古き者どもの、さもえ行き離るまじきは、来年の国々、手を折りてうち数へなどして、ゆるぎありきたるも、いとをかしうすさまじげなる。 除目の折に官職を得られなかった人の家は興ざめがする。 今年は必ず任官だとのうわさを聞いて、以前に奉公していた者たちで、散り散りになっている者や田舎めいた所に住む者たちがみんな集まってきて、出入りする牛車の轅もひっきりなしに見え、主人が任官祈願に寺社に参拝するお供にと、我も我もと参上し、物を食い、酒を飲んで騒ぎあっているのに、任官の審議が終わる明け方まで門をたたく音もせず、おかしいなと耳をすませば、人を先払いする声などがして、会議を終えた上達部たちはみな退出なさってしまった。 情報を聞くために宵から出かけて寒さに震えた召使いが、いかにも憂鬱げに歩いてくるのを見た人たちは、声をかけて尋ねることもできず、よその者が「ご主人は何におなりになりましたか」などと聞くと、「前の何処そこの国司ですよ」と決まって答える。 心からあてにしていた者は、ひどく嘆かわしく思っている。 早朝になり、すきまなくいた者たちは、一人二人とこっそり立ち去る。 古参で、そのように立ち去れない者は、来年に国司が交代するはずの国々を指を折って数えたりして、体を揺り動かしながら歩き回っているのも、ひどく妙な姿で興ざめがするものだ。

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枕草子 すさまじきもの除目に司得ぬ人の家~最後までの内容が...

枕草子 すさまじきもの

また、かならず来 く べき人のもとに、車をやりて待つに、来る音すれば、「さななり。 」と人々いでて見るに、車宿りにさらにひき入れて、轅(ながえ)ほうとうちおろすを、「いかにぞ。 」と問へば、「けふはほかへおはしますとて渡りたまはず。 」などうち言ひて、牛のかぎり引きいでて往(い)ぬる。 また、家の内なる男君の来ずなりぬる、いとすさまじ。 さるべき人の宮仕へするがりやりて、恥づかしと思ひゐたるも、いとあいなし。 ちごの乳母の、ただあからさまにとていでぬるほど、とかく慰めて、「とく来(こ)。 」と言ひやりたるに、「こよひはえ参るまじ。 」とて返しおこせたるは、すさまじきのみならず、いとにくくわりなし。 女迎ふる男、まいていかならむ。 待つ人あるところに、夜すこしふけて、忍びやかに門たたけば、胸すこしつぶれて、人いだして問はするに、あらぬよしなき者の名のこして来たるも、かへすがへすもすさまじといふはおろかなり。 読解の要点 「車宿りに......」は、客がなく空車だからまっすぐ車庫に入れてしまうのである。 「牛のかぎり」は37ページに「門のかぎり」とあったのと同じ形。 前半の結びが「往ぬる」と連体形になっているが、これはなぜなのか。 後半では「宮仕へするがりやりて」がむずかしい。 「トラレテ」の意。 すなわち男君が来なくなったわけをいうのである。 「さるべき人の」は主格を示すのではない。 よく考えてみよ。 口訳 またかならず来るはずの人のところへ、牛車を迎えにやって待っていると、車のはいって来る音がするので、「あの人であるらしい。 」と人々が出て見ると、《車は》車小屋にずんずん引き入れて、轅(ながえ)をぽんとおろすので、「どうだった?」とたずねると、「きょうはよそにいらっしゃるといってお越しになりません。 」などといって、牛だけを《車からはずして、小屋から》引き出して立ち去る、《これも興ざめなものである》。 また、家に迎えた婿さんが通って来なくなってしまったのは、まことに興ざめなものだ。 《その婿を、》かなりの身分の人で宮仕えをしている人のところにとられて、気恥ずかしく思って《何も言えずにじっとして》いるのも、まことにおもしろくない。 赤ん坊の乳母が、ほんのちょっとといって出て行った間、《赤ん坊を》あれこれとあやして、「早く帰っておいで。 」と言ってやったところ、「今夜は《とても》参れますまい。 」といって返事をよこしたのは、興ざめがするばかりでなく、たいそう憎らしく、やりきれない。 《愛する》女を迎えにやる男の場合、《女が来なかったとしたら》ましてどんな《にやりきれない》だろう。 待つ人のある家で、夜が少しふけて、そっと門をたたくので、胸が少しどきどきして、人を出して尋ねさせると、待ち人とは別のつまらぬやつが名のって来たのも、どう考えても期待はずれで、興ざめだというどころではない。

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