艦 これ ジョンストン ss。 【艦これ】新艦娘「ジョンストン」とケッコンする提督現るwwwww

【艦これ】ジョンストン「あたし、提督と寝たの」 : 艦隊これくしょん SS

艦 これ ジョンストン ss

あたしがフレッチャー級、ジョンストンよ!太平洋狭しと駆け抜けたの。 ソロモン、マーシャル、そしてレイテの戦いに参加したのよ。 ……まあ、いいけど。 ……じゃあ、あたしもあげる。 じゃあ……頂く、かな。 早いわね。 これが噂のTo youって季節ってわけね。 ふーん。 ……まあ、この格好ならいっか。 ……あ、あなた! あんまりジロジロ見ないでよね! ……ふーん。 ケッコンカッコカリ 反転 あ、Sam? 知らないわ、その辺にいるんじゃない? ああ、あたし? What's up? これは? 開けていいの? 開けるわよ……え!? えええ!? えええ~っ!? ケッコン後母港 反転 どうしたのアナタ……ちょっと顔色悪いじゃない? 少し疲れたの? Oh well……じゃあ、あたしの特別なおまじないあげよっか? 皆には内緒よ……。 帰投 Hi! ただいま~。 入渠(小破以下) 痛たた……やられちゃった……。 でも、こんなのあたしにはかすり傷だから……さっさと直して、また出るわ! 入渠(中破以上) やだもう! あっ! 覗くなよ! Bleah ブレェー! 建造完了 New face? ふ~ん……。 戦績表示 Information? 仕方ないわね……はい。 轟沈 反転 また、沈むのか……雪風……何? え? 聞こえないわ……。 時報 改で実装 放置時 Hi Sam! 暇してる? あたしも今暇してて……カードでもやる? 何がいい? ポーカー? 今日は何賭けよっか~。 あたし今日、負けない気がする! ゲームにおいて• 2018年12月27日実装。 同日より開幕した期間限定海域「」のE-3 最終海域 にてドロップした。 ,,,,に続き、生粋の米海軍艦艇としては6隻目の艦。 Johnstonの実装により米海軍6隻艦隊を組めるようになった。 2019年5月25日アップデートで姉のが実装された。 後述の通り性能は極めて優れており、特に対空・対潜性能はステータス・固有能力ともに優秀で、高難易度の作戦でも活躍出来るスペックがある。 対空装備を揃えることで独自の強みを活かすことができる艦。 専用装備があれば、2スロで強力な対空カットインを放つことができるのが大きな特徴。 一方で火力・雷装はやや控えめ。 防空駆逐艦の型より夜戦火力は高いが、基本的に夜戦は他の艦に任せる方がよいだろう。 Lv1の時点でや同様無条件でを行う。 ただし、対潜火力は装備に強く依存するため、無装備でelite以上の潜水艦を対策するのは難しい。 潜水艦狩りの際は適切な対潜装備を積むことを推奨。 2019年1月1日より専用の対空カットインが実装。 装備によって対空カットインの発生確率と効果が変わることが示唆されている。 6であり、装備枠2つながら秋月型の専用カットインに並ぶ性能である。 55とそれなりに優秀。 ただし、いずれも発動に必要なの入手方法は限られている。 さらに言えばこれら専用カットインは 初期装備のみでは発動できない。 装備を揃えることで本領発揮するタイプと言える。 発動可能な専用対空カットインは以下の通り。 キャラクター設定について• 2019年版公式カレンダーにて、先行して姿が公開されていた。 10月のイラストにてから箸の使い方を教わっている。 ゲーム内立ち絵と違い、カレンダーイラストでは肩を露出させていない。 首元の銅と銀の星は、ジョンストンが生涯で受章した6個の従軍星章 battle star を表していると思われる。 銀の星は銅5個を示す。 髪留めにも特徴がある。 リボンには国際信号旗でジョンストンのコールサインであるNIKZが確認できるほか、ジョンストン属するフレッチャー級後期型の角ばった艦橋をモチーフにした、と思われる髪飾りもつけている。 尚、前期型は回廊が左右にしかなく前面は丸い形をしている。 タフィ3の艦隊内通信でのコールサインは「BRASSLOCK」 真鍮の鍵 持ち場は輪形陣のセクターFでSamuel B. Robertsのお隣であった。 左肩から海軍タイプの名誉勲章 Medal of Honor を佩用しているが、これは艦長であったアーネスト・エヴァンズ中佐が死後授与されたものを表していると思われる。 瓶に書かれているCATNIPはイヌハッカのことで、ハーブティーにも使われる。 マタタビのように猫が好むことでも知られる。 2020年新春ライブでは「BRASSLOCK」からかロックバンド風衣装に身を包んだイラストが登場した。 中破時のグラに見える煙突付近の損傷は、ボフォース40mmの指揮装置が使用不能となった4発目の被弾、GFCSMk37付近は艦橋に火災が発生した10発目の被弾をもとにしていると思われる。 髪型がツーサイドアップ、提督の呼び方が「あなた」、ツンデレ、 下着が黒ガーター&ショーツととの類似点が見られる。 そのため、「アメ津風」「アメリ風」と呼ばれているとかいないとか。 ただし、胸は全く似ていない。 小ネタ• 艦名は南北戦争で活躍した北軍の海軍軍人のジョン・ヴィンセント・ジョンストンにちなむ。 彼は砲艦を指揮し、テネシー川とミシシッピ川で戦った。 1864年に海軍を辞め、1912年4月に亡くなった。 DD-557は級駆逐艦 の何番艦目とか数えてらんないくらいの船として1942年5月6日にシアトルタコマ造船所で起工、1943年3月25日に進水し、ジョン・ヴィンセント・ジョンストンの姪の娘であるマリー・S・クリンガー夫人により「ジョンストン」と命名された。 同年10月27日就役、初代艦長はアーネスト・エヴァンス少佐 後に中佐。 なお就役順でいけば119番目に当たる。 エヴァンズ少佐はチェロキー族 クリーク族の血も入っていたという 出身のネイティブアメリカン、すなわちインディアンであったことは有名である。 1926年に一般の水兵として海軍に入隊したものの、1年もたたずにその有能さを見抜いた上官の勧めで試験を受け合格しアナポリス 海軍兵学校 に進学、海軍士官になったという秀才であった。 開戦時は旧式駆逐艦DD-211「アルデン」に乗っており、スラバヤ沖海戦に遭遇したが「アルデン」はオーストラリアへ脱出に成功したため生き残っている。 その後初の そして最後の 艦長として着任した艦こそが「ジョンストン」だったのである。 就役日に彼は乗組員に「こいつは戦う船になる。 俺はお前たちを死地に連れてゆく。 嫌なやつは今すぐ降りろ」 This is going to be a fighting ship. I intend to go in harm's way, and anyone who doesn't want to go along had better get off right now. と訓示した。 就役から3ヶ月後の1944年2月、マーシャル諸島戦役の期間ジョンストンはクエゼリン環礁とエニウェトク環礁を砲撃し、上陸作戦を援護した。 3月28日にはソロモン諸島のパトロール任務を開始、カピンガマランギ環礁やブーゲンビル島にあるマリリカ河の河口一帯を砲撃する。 ブーゲンビル島を離れたあと、今度は対潜哨戒を行う。 その任務中の5月28日、伊176を爆雷で撃沈する。 3ヶ月間のソロモン諸島パトロールのあと、マリアナ諸島攻略作戦に参加するためマーシャル諸島に帰還。 7月21日には戦艦ペンシルベニアと合同しグアム島を砲撃、7月29日までにジョンストンは4000発の砲弾を発射した。 その後はペリリュー島の攻略作戦を支援する護衛空母の護衛についた。 マヌウス島で補給、10月12日に出港、17日にTG77. 10月25日早朝。 タフィ3は戦艦4隻、重巡6隻、軽巡2隻、駆逐艦11隻の強力な栗田艦隊と遭遇する。 上空を哨戒していたパイロットから栗田艦隊がタフィ3に接近していると聞いた時、ジョンストンの砲術士官ロバート・C・ハーゲン大尉は「投石紐を持ってないチビのダビデのような気分だった」と後に語っている。 タフィ3と栗田艦隊が交戦に至るまでの数奇な経緯は、のページを参照されたし。 ジョンストンら7隻の駆逐艦達は、護衛空母を守るために煙幕を展開する。 ほどなくして、栗田艦隊からジョンストンへ砲撃が開始された。 最初の20分間、日本の戦艦と重巡にジョンストンは一方的な攻撃を受けた。 ジョンストンの5インチ砲の射程外だったからである。 日米双方の記録を照合した結果、がジョンストンを「巡洋艦」と認識し、砲撃していたことが判明している。 「煙幕を展開しても、日本艦隊の砲撃が始まるとジョンストンは水柱の間を回避運動しなくてはいけなかった。 我々が最初に煙幕を張り、最初に砲撃し、最初に魚雷攻撃をした」• 7:10。 接触から20分後、先頭の重巡までの距離がおよそ18,000ヤードになったところでジョンストンは砲撃準備に入り、7:15より砲撃を開始した。 5分間の砲撃で200発を発射、少なくとも40発が重巡に命中したとジョンストン側は主張している。 砲撃開始後、お返しとばかりに8インチ砲弾がジョンストンの前方に着弾する。 真っ赤な染料がハーゲン大尉に降りかかり、顔を拭いながら「よくもやったなこの野郎!」と彼は叫んだ。 同時刻、は煙幕を巧みに利用する駆逐艦を砲撃して命中弾を与えたと記録しており、これがジョンストンらしい。 ジョンストンは激しい砲火にさらされたが、エヴァンズ艦長はそれに怯む事無く魚雷攻撃の敢行を決断した。 距離10,000ヤード、射程を伸ばす為に雷速を低速にセットした。 7:20。 Johnstonは装備されていた10本の魚雷すべてを発射した。 命中予測時刻にはちょうど煙幕の中にいたため目視はできなかったが、爆発音が聞こえ、煙幕から出てすぐに艦首が炎上する重巡を確認する。 これはであった。 艦首を吹き飛ばされた熊野は14ノットしか出せなくなり、追撃戦どころではなくなってしまう。 しかも第七戦隊司令官は旗艦変更のためを呼び寄せたので、結果的に鈴谷も追撃戦に参加できなくなった。 7:30。 ジョンストンには、猛烈な砲弾の雨が降り注いでいた。 14インチ砲弾3発に続き、さらに3発の6インチ砲弾を被弾する。 恐らく、大和の46㎝主砲弾と15. 5㎝副砲弾(約6インチ)、さらに羽黒の20. 3㎝主砲弾が降り注いだものと思われる。 その様子は、まるで子犬がトラックに跳ね飛ばされたかの如くであったという。 この被弾により操舵装置、後部の3つの砲塔の動力が失われ、ジャイロコンパスが故障、SGレーダーのアンテナは折れFDレーダーと砲撃安定装置は機能停止し、後部缶室と機械室もノックアウトされた。 機関のシフト配置により片方が生き残っていたが、最大速度は半分以下の17ノットまで低下した。 この時、神の恩寵という他ないスコールが現れ、ジョンストンはそこに逃げ込んだ。 数分間、つかの間の応急修理と救助作業を行う。 操舵を人力に切り替え、艦橋から電話で指示、艦のコースをコンピュータに手動で入力、3番と5番砲塔は砲の指示器が生きていたため、コンピュータのデータを音声で伝達してそれをもとに手動で砲手が操作、4番は砲側の照準器をもとに他の砲が狙っている目標を攻撃するよう指示された。 またFDレーダーと砲撃安定装置も機能を回復した。 この時点で、既に艦橋内の状況は酸鼻を極めるものとなっていた。 死傷者がそこら中に横たわり、血の海と化していたという。 エヴァンズ艦長も上半身を負傷し、左手の指を二本喪っていた。 だが、エヴァンズ艦長の戦意は高かった。 傷口をハンカチで覆うと、駆け付けた救護班に対して他の負傷者を看るよう指示を飛ばした。 7:50。 タフィ3司令官スプレイグ少将より「駆逐艦雷撃せよ」との命令が下る。 だが、ジョンストンは魚雷をすべて撃ち尽くし、また機関も片舷だけのため他の艦についてゆくこともできなかった。 しかし、エヴァンズ艦長の闘志はくじけなかった。 「俺たちは他の艦と共に突入し火力支援を行う!! 」と彼は叫んだ。 ジョンストンは日本艦隊からの斉射を回避しながら、果敢に砲撃を撃ち返した。 闘いは乱戦の様相を呈してきていた。 ここで、エヴァンズ艦長は視認した目標以外の砲撃を禁止する。 煙幕のせいもあって、どれが敵でどれが味方かレーダー上でわからなくなったからである。 煙幕を抜け出た時、真正面には思わぬ艦がいた。 同じフレッチャー級のヒーアマンである。 危うく衝突するところであったが、艦長は「後進一杯」を命令、ヒーアマンも機関を後進させたことで、辛うじて回避に成功した。 8:20。 Johnstonは煙幕の中から現れた金剛型戦艦を視認した。 それも左舷わずか7000ヤード、至近距離である。 ジョンストンは即座に砲撃を開始し、40秒のうちに30発を撃ち込む。 うち、15発が艦橋に当たったと認識した。 金剛型戦艦からも反撃を受けたものの、これは全て外れた。 8:30。 左舷に、重巡から砲撃を受けているを発見する。 この時、ガンビア・ベイら護衛空母群を追い詰めていたのは、、、である。 エヴァンズ艦長は「あの重巡を撃て、ガンビア・ベイからこっちに砲撃を向けさせるんだ」と命令した。 ハーゲン大尉は後に、「あれは自分が聞いた中でもっとも勇敢な命令であった」と語っている。 直ちに砲撃を行い、重巡に4発の命中を確認する。 だが、ガンビア・ベイから砲撃を引き離す事は出来なかった。 激しい砲火に晒されたガンビア・ベイは、この後程なくして沈没している。 ジョンストンの最大の見せ場は、ここからはじまる。 混乱のさなか、日本の水雷戦隊が護衛空母群へ接近しつつあった。 この日本軍水雷戦隊の正体は、日米双方の記録を照合した結果、確定している。 第十戦隊の軽巡洋艦と、第17駆逐隊の陽炎型駆逐艦、、、による単縦陣である。 ジョンストンに緊急通信が入る。 「護衛空母と日本巡洋艦との間に割って入れ」との命令である。 既に満身創痍のジョンストンは、それでも単身で第十戦隊に挑んでいった。 まず第十戦隊旗艦のへ接近、砲撃して食い下がり、空母へ接近するのを必死で食い止めようとした。 ジョンストンの献身はむくわれた。 矢矧はジョンストンの行動を魚雷発射と判断し、右方向に回避行動をとった。 日本側にとっては不運なことに、第十戦隊の右側には第二水雷戦隊が続いていた。 第十戦隊に出鼻をおさえられてしまった二水戦も回避行動を余儀なくされ、二水戦は戦場から遠ざかってしまった。 第十戦隊は態勢をたてなおしてから酸素魚雷合計27本を発射した。 しかし、距離の問題からか米護衛空母群に命中したものはなかった。 雷撃を邪魔されて怒ったかどうかは定かではないが、ジョンストンは第十戦隊から滅多打ちにされることになった。 まず、矢矧は近くにいたにとどめをさした。 つづいてジョンストンを砲撃する。 一連の交戦で、ジョンストンはボロボロになっていた。 一番砲塔がダウン、二番砲塔が損傷、三番砲塔の直下にも命中弾を受けた。 艦橋は火災に包まれ40mm砲の弾薬が爆発し、機能を喪失していた。 だが、それでもジョンストンは戦い続けた。 20㎏以上ある砲弾を人力で運び、舵も手動で操作した。 エヴァンズ艦長は艦橋を放棄して艦尾に移り、ハッチを開けて操舵員に直接命令した。 「どれだけの勇気や度胸があっても俺たちは助からない、だが俺たちがあの空母達を助ける事は出来る、一分でも時間を稼ぐんだ」• 9:30。 奮戦を続けたジョンストンについに最期の時がおとずれた。 ジョンストンの沈没は確実とみた矢矧は、部下の第17駆逐隊に「あの駆逐艦を砲撃で処分せよ」と命じた。 、、、はジョンストンを半円形に包囲して集中砲火を浴びせた。 機関停止、全動力ダウン、艦内通信不通。 だが、4番砲塔だけはなおも砲撃を続けた。 9:45。 総員退艦命令が下る。 9:55に総員退艦、10:10、三時間の長きに渡り、圧倒的な敵艦隊に対して怯む事無く戦い続けた勇敢な駆逐艦は、ついに力尽き水面に消えたのである。 この日の15時に、飛行機からの通報でアメリカ兵の遭難者がいることを知ったアメリカ海軍は救助隊を編成。 だがちょうどその通報地点には艦がおらず、遭難者がいる地点から125マイルも離れていた。 救助隊が通報地点にたどり着くまでの間に遭難者は風と海流で流されてしまい、発見が遅れた。 ジョンストンの遭難者が救助されたのはそれから二日後のことであった。 327人の乗組員の中で141人が救助、約50人が戦闘中に死亡、45人が漂流中に死亡した。 エヴァンズ艦長を含む92人は退艦は目撃されたがその後の行方は不明である。 ジョンストンが力つき沈んでいく最中、日本の駆逐艦がすぐ近くを通り過ぎていった。 その艦の艦橋にいた将官は直立不動の姿勢で漂流中の生存者に敬礼を送った。 また、その通り過ぎる艦の乗員から何かが海中に投げ込まれた。 誰かが「手榴弾だ!」と叫んだが、どうも違うようである。 生存者の一人が確認すると、それは3年前の日米開戦直前に日本へ輸出されたアーカンソー州製造のトマトの缶詰だった。 ジョンストンの傍を通り過ぎていった駆逐艦は雪風である。 雪風の寺内艦長は部下に「あの船(ジョンストン)に近づこう」と命令。 2隻はゆっくり近づいたが、戦闘が続行中だと思った機銃手がジョンストンに向け発砲してしまう。 調整のため2射した時(命中せず)、この機銃手は寺内艦長に「むごいことをするな!」と怒鳴られ制止された。 寺内艦長は他の兵にも無抵抗の者を撃たないよう命令した。 雪風とジョンストンはとても近くですれ違った。 それは2隻の兵の表情までお互いに見えるほどで、雪風の航海長は、ジョンストンの兵が通り過ぎてゆく雪風を驚いた顔で眺めていたのを見たという。 「ジョンストンの兵はボロボロの軍服にねじり鉢巻きで戦う我々の姿をおかしく感じたのかもしれません」(雪風航海長の回想)16時の時報で彼女が驚いているのはこれがルーツか?• ジョンストンに敬礼した将官は特定できていない。 一方でジョンストンに発砲して怒られた話は怒られた機銃手本人まで律儀に名乗り出て認めている。 潔すぎるのか照れているのか。 ジョンストン側記録に「艦長(だと目撃者が思った人物)が艦橋から対空砲の方に何か指示するのが見えた」とあり、(発砲には気付かなかったが)これは寺内艦長がジョンストへの攻撃中止を命じた場面と推測される。 その人物が「漂流する生存者に敬礼を送った」とあるため、ジョンストンの兵が見た敬礼した将官は寺内艦長だったと思われる。 戦後発行されたアメリカの公刊誌によればエヴァンス艦長はこの時まだ意識があったとされる。 通り過ぎてゆく日本の駆逐艦の艦橋で誰かが敬礼していることに気づいた部下がエヴァンス艦長にそれを伝えると、艦長も朦朧としつつ敬礼を返し応えたという。 ジョンストンの生存者にはすれ違っていった駆逐艦の名前はわからなかった。 戦後、両国の証言や資料をすり合わせたところ雪風だと分かり、ジョンストンの生存者は「弾を撃ってこなかったため助かって嬉しかった」と雪風の元士官に手紙を送った。 ジョンストンに発砲した機銃手はこの手紙のことを聞き、「あの時艦長に止められて、当てずに済んでよかった」と振り返っている。 ジョンストンは従軍星章6つ、アメリカとフィリピンの両国から大統領部隊感状が授与されエヴァンズ艦長には議会名誉勲章が死後贈与された。 ジョンストンの名はギアリング級駆逐艦DD-821ジョンストンに受け継がれた。 新生ジョンストンは最初に大西洋艦隊、ついで地中海を根拠地とする第6艦隊に配備され、暗雲渦巻く地中海でNATO艦隊の一員として数々の警備活動を行った。 1981年にアメリカ海軍から除籍されると共に台湾海軍に供与、ミサイル駆逐艦として再整備され「正陽(DDG-928)」の名で再就役し、2003年まで台湾で活躍した。 またエヴァンズ艦長の武勲をたたえてDE-1023エヴァンズが建造された。 2019年10月30日、故ポール・アレンの海底探査チームがサマール沖でジョンストンと思われる駆逐艦を発見したが、損傷が激しく特定には至っていない。 艦体は水深6220mの深海底に横たわっているという。 最新の15件を表示しています。 台詞の誤記、表記揺れを修正 -- 2020-04-05 日 20:00:51• 春ボイス追加 -- 2020-04-09 木 15:55:50• 姉の方ばかり気にしていたらびっくりしたー!?とりあえずぱんつは正義! -- 2020-05-20 水 21:15:52• 黒パンツ最高! -- 2020-05-20 水 23:03:59• 黒か…キミもまた貪欲Destroyerだったか(風評被害) -- 2020-05-21 木 04:02:45• あれはいい尻だ!! -- 2020-05-21 木 14:37:49• ? 花束絵用意したのにドロップは無いのか -- 2020-05-21 木 15:54:24• 何故か頭に浮かんだのは「ストーカー 誘う女」だ…何で古いドラマを… -- 2020-05-23 土 21:53:41• Johnstonの花束イラスト 中破はWindowsフォトのサイズ・ライト・明瞭度調整から光・明瞭度のお勉強になるわぁ。 (何のためのだ) -- 2020-05-25 月 00:00:42• 白城ちゃんが泣いた・・・・。 -- 2020-05-26 火 07:41:20• Johnston Mk. 任務やらEOやら連れ回してると澄まし顔でパンツ見せつけて来るのがちょっと…でも可愛いから許しちゃう -- 2020-06-07 日 20:17:29• 今更ながら花束グラ可愛いぞジョジョーッ! -- 2020-06-08 月 19:59:52• 「ジョンはどこだ?」って探していかないといけないかぁ 海域ボスに「ジョンを呼べ」といって傷めつける日々が始まるな -- 2020-06-25 木 20:26:50• T800『ジョン・コナーイだな?』 -- 2020-06-27 土 17:04:57• でもイベント終盤になると「ジョン、助けて!」ってなる -- 2020-06-28 日 00:06:26• 初期装備で入手可能なのは1基だけなので、一番弱い37種の発動条件すら満たせない。 戦果誤認は、混迷をきわめる戦場ではよくあることである。 鈴谷は空襲の至近弾で機関部にダメージをうけ、23ノットしか出せなくなった。 熊野に呼び寄せられたときに空襲を受けたという回想もある。 熊野はジョンストンの魚雷が命中して艦首をふっとばされて落伍。 鈴谷も空襲で機関部にダメージを受けて23ノットしか出せなくなり、落伍していた。 第17駆逐隊司令の谷井保大佐は、浦風に乗っていた。 つまりこの日の17駆リーダーは浦風。 本来、野分は第4駆逐隊に所属。 航続距離の関係から第4駆逐隊の仲間……朝潮型駆逐艦の・・は西村艦隊に編入された。 ひとりぼっちの野分は、第17駆逐隊の指揮下に入っていた。 第17駆逐隊にはもいたが、とともに戦艦の生存者を救助して、先に帰っている。 、、、、、、、 矢矧7本、浦風4本、磯風8本、雪風4本、野分はたぶん4本。 酸素魚雷が自爆したり爆破された水柱を見て、日本側は空母1隻轟沈、エンタープライズ型空母撃沈確実、駆逐艦3隻撃沈を報告した。 またエンタープライズかぁ……。 総員退艦中だったSamuel B. Robertsのコープランド艦長は、その傍らをJohnstonが通過する際に「操舵機室付近から振り返って挨拶した、『左手にハンカチを巻いた黒髪の大男』がいた」と証言している。 1945年3月26日起工、10月10日進水、このときも命名したのはマリー・S・クリンガー夫人。 1946年8月23日就役.

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【艦これ】ぱんだの2019 冬イベ編成 【邀撃!ブイン防衛作戦】:すたいるのブロマガ

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提督「無人島生活?」 大淀「はい。 まぁでも好きな物を一つ持っていけるのはありがたい。 何持って行こうかな.... やはりナイフとか..... 」 大淀「ナイフ..... ?提督好きな者ですよ?」 提督「ああ、好きな物だろ?」 大淀「いえ、好きな「者」です」 提督「........ は?」 大淀「提督には1週間一緒に無人島で生活する艦娘を1人選んでいただきます!」 提督「............ 」 -------------------------------------------------------------------- 榛名 大淀「では1週間頑張ってくださーーい!!」 ボートで立ち去る 提督「...... すまんな榛名....... 変な事に巻き込んじまって」 榛名「いえ!榛名は大丈夫です!榛名!この1週間全力を尽くします!」 提督「ああ、頼りにしてるよ」アハハ 榛名 提督と1週間2人きり.... つまりこの1週間榛名が提督を独り占めできる.... !この機会..... 逃しはしません.............. いや、無人島に来たんだ。 やはり最初は水や寝床の確保から始めようかと思ってな」 榛名「了解しました!」 ---------------------------------------------------------------------- 無人島生活1日目 提督 けっこう森の深い所まで来たな..... 」 チョロチョロチョロチョロ 榛名「あ、提督。 いえ!榛名には勿体無いお言葉.... あとは近くに寝床を作るだけだ!榛名?」 榛名「はい!どうかなさいましたか?」 提督「俺は今から寝床を作るが、榛名には食料の確保をお願いしたい!頼めるか?」 榛名「はい!了解です!榛名全力で探して来ます!」ピュー 提督「榛名も張り切ってくれてるし、俺も気合入れていい寝床つくんないとな」 榛名 とりあえず張り切って来たものの..... 何を採ればいいのでしょうか?.... あ、あれは?」 ヤシの木 榛名「フー....... フンッ!!!」バコォン!!! ヤシの木「ゴホォォォン!?!?」 榛名「ヤシの実2つ.... 榛名やりました!」 ヤシの実「我が生涯にいっぺんの悔いなし....... 」プシュ〜〜 榛名「提督!榛名!ただ今帰還しました!」 提督「お帰り榛名。 」 妖精さん「!?ガサゴソガサゴソ...... 」 提督「........... まぁいい!榛名、飯にしよう!」 榛名「はい!」 提督「とりあえず火もおこせたしキノコを焼いていくか、あとヤシの実どうするかな..... 」 榛名「提督!お任せください!」 提督「榛名?」 榛名「フー、ホォアタァ!」人差し指ズボッ 提督「!?!?!?」 榛名「どうぞ!提督!」ニパー 提督「あ、ありがとう」ポカーン ---------------------------------------------------------------------- 提督 この後も特に困る事なく順調に無人島生活を過ごして行った。 無人島生活5日目の夜 提督「さて寝るか.... 明日で無人島生活も最後だ。 頑張ろうな」 榛名「はい!提督!」 提督「うむ。 ではおやすみ」 榛名「おやすみです.... 提督」 提督「zzz..... zzz」 榛名「............ 少しくらい触ってもいいですよね..... なんか顔に違和感がなくもないんだが..... 顔洗いに行くか」 パシャ! 提督「フー....... ごめん...... 」 榛名「...... 提督に榛名の裸見られました.......。 それに提督の物も...... 」 まさか水浴びしてるとは思ってなかった..... それにしてもエr.... 綺麗だったな 榛名「提督..... 」 提督「榛名..... さっきは..... すまん」 榛名「........ ふふっ」 提督「?」 榛名「提督?気にしないでください。 事故みたいな物ですから」ニコッ 提督「ならいいのだが」 榛名「はい!榛名、食料を調達して来ますね!」 提督「な、なぁ榛名!」 榛名「どうしました提督?」 提督「その..... 綺麗だったぞ.... 」 榛名「!.... あ、あーん」パクッ 提督「どうだ?甘くて美味しいだろ?」 榛名「はい!とても甘くて美味です!」 提督「だろ!」 初めて見る果実だったがまぁ大丈夫だろう。 甘くて美味かったし --------------------------------------------------------------------- 提督「はぁ.... 腹も膨れたし寝るか!」 榛名「........ はい」 提督「どうかしたか榛名?」 榛名「いえ.... 榛名は大丈夫です.... 」 提督「顔が赤いぞ?本当に大丈夫か?」 榛名「提督.... 身体が..... 熱いです....... 」 提督「風邪か?いや艦娘が風邪をひくなんて聞いたことが...... 」 榛名「提督!」ガバッ 提督「うわっ!どっどうしたんだ榛名!?」 榛名「提督..... ん?なんか俺も熱くなってきた.... んぁぁ... そっソレ... 気持ち... あぁあ... もっと榛名のアソコかき回して... 提督の指で... !イッ...... イクゥゥ~~ーーーーーー!!!」プシュ!ビリュ! 提督「ハァハァ..... イッたばかりですから........... あぁぁ... 榛名の中に入ってきて... んあぁ... ピクピク... はぅぅぅあぁぁ... はぁはぁ 提督「動くぞ榛名!」 榛名「ゆっくり... お願い.... 敏感になってる... からゆっくり... ゆっくり... 俺我慢できん..... はぁはぁ....... 」ビクッビクッ 提督の熱いの感じる.... すまんっ.... って榛名?」 榛名「あぁ.... 」 ムスコ元気100倍 榛名「はぁはぁ.... 」 榛名「責任っ、とってくれるんですよね?」 提督「.....

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西方海域の紹介・編成例等【第二期】(4

艦 これ ジョンストン ss

就役直後のUSSジョンストン。 1943年10月27日シアトルにて撮影。 基本情報 建造所 運用者 艦種 級名 艦歴 起工 進水 就役 その後 に戦没 要目 2,700トン 376ft 6in(114. 76m) 最大幅 39ft 8in(12. 1m) 17ft 9in(5. 艦名はで活躍した ()大尉に因む。 本艦はジョンストンの名を持つ初めての艦でもあった。 ジョンストンは1944年10月25日に発生したで戦艦を含む強力な艦隊()を相手に果敢な戦闘を行ったことで知られる。 この海戦で、ジョンストンは第十戦隊( 、、、、)の集中砲火を浴びて沈没した。 ジョンストンの就役式典におけるエヴァンズ艦長。 伊176撃沈 [ ] で哨戒任務中だった3月28日、ジョンストンはを砲撃した。 海岸沿いの監視塔1棟といくつかの、とを砲撃した。 2日後、ジョンストンは南東のモリリカ川河口部へ入り、その地域に激しい砲撃を浴びせた。 その後、ブーゲンビル島沖合で対潜哨戒任務に加わった。 5月16日、北方にて哨戒中の駆逐艦 () USS Franks, DD-554 、 () USS Haggard, DD-555 、ジョンストン は、哨戒機から「敵潜水艦発見」の報告をうけ、対潜掃蕩をおこなう。 これはブカ島輸送(もぐら輸送)のため行動中のの であった。 各艦は協同して攻撃を実施、翌朝になり浮遊物を発見した。 これが伊176潜水艦の最期であったと認定されている。 グアムの戦い [ ] ソロモン諸島での3か月の哨戒任務の後、ジョンストンはに参加する準備のためマーシャル諸島へ向かった。 7月21日、砲撃のため戦艦 USS Pennsylvania, BB-38 と会合。 ジョンストンは7月29日までに4,000発以上の砲弾を発射した。 ジョンストンの正確な砲撃は敵の重砲陣地を沈黙させ、多くの掩蔽壕や建物を破壊した。 ジョンストンは続いてで航空支援を行うを護衛した。 フィリピンの戦い [ ] で補給の後、ジョンストンはでと上空のを確保する護衛空母群を護衛するために10月12日に出撃した。 10月20日からは上陸部隊への砲撃支援を行ったほか、物資輸送を行う敵の車列を撃破した。 ジョンストンは少将の旗艦 USS Fanshaw Bay, CVE-70 以下護衛空母6隻、駆逐艦2隻、4隻と共に 第77. 3任務群(通称「 タフィ3」)を構成した。 タフィ3は少将の第77. 4任務集団に属する3つの護衛空母部隊の1つであった。 サマール島沖海戦 [ ] 1944年10月25日の夜明け後、上空警戒機の1機が中将率いる日本の中央艦隊 が接近中であるという警報を発した。 「タフィ3」に真っすぐ向かっていたのは、第二艦隊司令長官海軍中将(旗艦大和) が指揮する第一遊撃部隊(通称 栗田艦隊または 栗田部隊 )であった。 この日の第一遊撃部隊は、戦艦4隻(第一戦隊〈 、〉、第三戦隊〈、〉)、 6隻(第五戦隊〈 、 〉、第七戦隊〈、、、〉)、 二個水雷戦隊(第二水雷戦隊〔軽巡洋艦〈〉、第2駆逐隊〈、〉 、第31駆逐隊〈、〉 、第32駆逐隊〈、〉、島風型駆逐艦〈〉〕、 第十戦隊〔軽巡洋艦〈〉、第17駆逐隊 〈、、〉、第4駆逐隊〈〉 〕)という合計23隻の艦隊編成であった。 スプレイグ少将は「どの艦にせよ、5分間の大口径砲をくらって生き延びる艦はいそうになかった」と回想する。 ジョンストンの砲術士官であったロバート・C・ヘーゲン大尉は後に「我々はを持たないのような気分だった」 と述べている。 ジョンストンをふくめ7隻の駆逐艦は米軍護衛空母6隻と日本艦隊の間をジグザグ航行しつつ、護衛空母を隠すため2,500ヤード(2,300m)以上前方にを展開した。 砲弾が降り注ぐ中で煙幕を張るタフィ3の駆逐艦。 栗田長官ふくめ第一遊撃部隊は、目標が低速のアメリカ軍護衛空母群だったにもかかわらず、敵を高速を発揮する正規空母機動部隊と誤認した。 まず戦艦で射撃を実施、高速の巡洋艦を突出させて敵空母に有効な打撃をあたえ、第二水雷戦隊と第十戦隊の投入は見合わせることにした。 米空母群はスコールに逃げ込み、警戒の駆逐艦は煙幕を展開して退却を掩護した。 米空母群が見えなくなったので、栗田艦隊の戦艦群はアメリカ側駆逐艦(日本側は巡洋艦と艦隊型駆逐艦と誤認)に目標を定めた。 最初の20分間、敵の大型艦が持つ大口径砲はジョンストンのの射程外から攻撃していたため反撃できなかった。 ジョンストンにむけ主砲弾を放ったのは、大和と長門と思われる。 命令を待つことなく、エヴァンズ中佐は陣形から離れると攻撃をかけるべく栗田艦隊にむけ真っすぐ突き進むように命じた。 東側にはさらに3隻の巡洋艦と数隻の駆逐艦が現れた。 距離が10マイル内に縮まるとすぐに、ジョンストンは一番近くにいた重巡洋艦を砲撃した。 また重巡洋艦もジョンストンかと思われる艦から砲撃された。 羽黒側は「敵巡洋艦、敵駆逐艦」(駆逐艦と護衛駆逐艦の誤認)と交戦し、駆逐艦に対して0715に距離1万2100mで三斉射を放ち、命中弾を観測したが煙幕で見失った。 第七戦隊司令官少将座乗の熊野は煙幕を出入りする巡洋艦と駆逐艦(ジョンストン等の誤認)を砲撃しようとしたが、効果的な射撃はできなかった。 の射程内に入り込む5分間、ジョンストンは200発以上の弾を敵に発射し、それから水雷士官ジャック・K・ベックデル大尉の指揮の下で魚雷攻撃を敢行する。 ジョンストンは10本の魚雷を全て発射すると 、反転し濃い煙幕の向こうへ退避した。 大和は主砲と副砲を併用して「〇七二五敵大巡一隻撃沈」を記録するが、これは煙幕に入ったジョンストンを「巡洋艦撃沈」と誤認したと思われる。 午前7時24分、ジョンストンの発射した魚雷1本が熊野の艦首部分に命中した。 艦首を失った熊野は最大速力14ノットとなり、落伍した。 第七戦隊司令官は旗艦を熊野から重巡に変更した。 健在の重巡4隻(第五戦隊〈羽黒、鳥海〉 、第七戦隊〈筑摩、利根〉 )はアメリカ軍駆逐艦や空襲に対処しつつ、ひきつづき米空母群を追撃した。 第五戦隊は大型巡洋艦(ジョンストンと推定)と交戦しつつ米空母群を追撃した。 この頃、ジョンストンには大和主砲46㎝砲弾と大和副砲の15. 5㎝砲弾 、あるいは羽黒の20㎝砲弾がふりそそいでいた。 6インチ(約16㎝)砲弾が後部煙突に1発、艦橋に2発が命中し 、続いて戦艦からの14インチ(36㎝)砲弾3発も被弾した。 ジョンストンの先任将校は「まるで子犬がトラックにひきつぶされるようであった」と回想している。 日本側の砲弾はだったので駆逐艦の薄い装甲に命中しても突き抜けてしまい爆発しなかったが、ジョンストンも「損傷なし」というわけにはいかなかった。 14インチ砲弾は左舷の機関歯車と、後部にそれぞれ命中し左舷推進軸が停止した。 この損傷により速力は17ノットに低下した。 さらに操舵機と5インチ砲3基への動力が失われ、は役に立たなくなった。 低く垂れこめたが現れたため、ジョンストンは逃げ込んで数分間応急修理と復旧作業を行った。 艦橋内は死傷者が横たわり血の海となっていた。 エヴァンズ中佐は破片によって上半身が傷だらけになり、さらに左手の指2本を失ったが、傷口を自らで覆うと駆け付けた救護班に対し、自身に構わず他の負傷者を看るように命じ指揮を継続した。 7時50分、スプレイグ少将は駆逐艦に対して魚雷攻撃を命じた。 ジョンストンは機関に損傷を受けていたが、他の駆逐艦を砲撃で援護しつづけた。 煙幕から現れた時、危うく USS Heermann, DD-532 と衝突しそうになった。 8時20分、煙幕から抜け出たジョンストンは左舷方向わずか7,000ヤード(6,400m)の距離に金剛を発見し、それに向かって45発の5インチ砲弾を浴びせかけ上部構造物に複数の命中を記録した。 金剛からの主砲による反撃は全て外れた。 つづいてジョンストンは敵巡洋艦に砲撃されている護衛空母 USS Gambier Bay, CVE-73 を確認し、砲撃をガンビア・ベイから遠ざけるべく巡洋艦に攻撃をかけ、重巡洋艦に対して4発の命中を記録した。 米空母群に接近した第五戦隊(羽黒、鳥海)の周辺には着色された巨大な水柱が立ち 、この頃に被弾した鳥海は落伍した。 さらに、ジョンストンは日本のが護衛空母群へ急速に接近しつつあるのを視認し、阻止を試みる。 この水雷戦隊は、第十戦隊司令官少将が指揮する軽巡洋艦(第十戦隊旗艦)と第17駆逐隊司令大佐指揮下の陽炎型駆逐艦4隻(浦風、磯風、雪風、野分)であった。 0848、木村司令官は「空母二隻 我ヨリノ方位二一〇度二〇,〇〇〇米 我空母二隻ニ突撃ス」と報告し、各艦に魚雷戦の準備を命じた。 第十戦隊が魚雷を発射する前、ジョンストンは先頭の軽巡洋艦と交戦し12発の命中弾 を観測して進路を妨害すると 、後続する陽炎型駆逐艦(第17駆逐隊司令駆逐艦)と戦って命中弾を観測した。 矢矧はジョンストンに対してまずを発射し 、続いてジョンストンの行動を魚雷発射とみて右舷側に回避行動をとった。 第十戦隊の右側への回避行動は第二水雷戦隊(司令官少将)の進撃を妨げる結果となり 、二水戦は空母群への射点につくことができなくなった。 前述のように、ジョンストンは既に魚雷を撃ち尽くしていたが第十戦隊(矢矧)は「ジョンストンが魚雷を発射した」 と誤認したのである。 旗艦が回避行動をとったのをみて、後続の第17駆逐隊も矢矧同様に右側へ回避行動をとった。 態勢を立て直した矢矧は0905に魚雷7本を発射、つづいて敵駆逐艦に砲撃をくわえ0900に爆発し0915に沈没したと記録している。 この駆逐艦は USS Samuel B. Roberts, DE-413 であった。 交戦中、矢矧の右舷士官室にジョンストンの主砲1発が命中した。 第17駆逐隊は0915から0923までに距離1万メートルで魚雷約20本(浦風4、磯風8、雪風4、野分推定4)を発射したが 、命中しないか 、艦砲射撃や艦載機の銃撃で爆破された。 第十戦隊は「エンタープライズ型空母撃沈1、沈没確実1、駆逐艦撃沈3」を報告した。 ジョンストンは被弾によって2番砲が破壊され、3番砲直下にも命中弾を受けた。 動力が失われているため揚弾機は使えず、1発あたり54ポンド(24. 5kg)ある砲弾を乗員が弾薬庫から人力で担ぎ上げた。 艦橋は40mm機関砲用即応弾庫への被弾によってもたらされた火災と爆発によって惨状をさらしていた。 ジョンストンの艦尾に移り指揮を継続していたエヴァンズ中佐は、手動で舵を動かす乗員たちへ開け放ったハッチ越しに命令を叫んでいた。 主砲塔の一つでは、一人の砲手が「もっと砲弾を!もっと砲弾を!」と叫んでいた。 いまだジョンストンは、生き残っている5隻の護衛空母に日本の巡洋艦と駆逐艦が到達するのを防ぐため戦っていた。 奮闘するジョンストンにも9時30分までには最期の時が訪れようとしていた。 ヒーアマンは護衛空母を守りながら南へ撤退し、護衛空母ガンビア・ベイと駆逐艦 USS Hoel, DD-533 の2隻は既に海面上になく 、サミュエル・B・ロバーツは矢矧にとどめをさされて沈没した。 米空母群に魚雷を発射したあとの第十戦隊は、再びジョンストンに狙いを定めた。 矢矧はを撃ちこんだ。 0930の時点でジョンストンは沈没しかかっており、乗組員の一部は脱出しつつあった。 矢矧はジョンストンを砲撃したあと、麾下駆逐艦にジョンストンを砲撃で処分するよう命じた。 第17駆逐隊(浦風、磯風、雪風、野分)はジョンストンを包囲すると 、集中砲火を浴びせた。 同時刻、栗田部隊から落伍していた重巡洋艦も距離18km先に日本側水雷戦隊(第十戦隊)と米軍防空巡洋艦らしき1隻との交戦を目撃、12. 4kmに接近して20㎝砲40発を発射した。 鈴谷側は、至近弾により目標の傾斜が増大するのを確認した。 9時45分にエヴァンズ艦長は総員退艦を令し、10時10分にジョンストンは転覆した。 一隻の日本の駆逐艦が接近し、炎上するジョンストンの艦体に止めの砲撃を加えた。 ジョンストンの生存者は、その駆逐艦が爆雷や機銃で彼らを殺傷するのではないかと心配し、実際に艦橋にいる艦長が対空砲の方を向いて何かを指示するのが見えた。 だが生存者の予想に反し、艦長は漂流する生存者に向き直ると直立不動の姿勢で彼らに敬礼を送った。 また、その駆逐艦が通り過ぎる際に1人の乗員が何かを投げていった。 誰かが手榴弾だと叫んだが、生存者の一人であったクリント・カーター(5番砲班長)が漂うその物体に近寄ってみたところで製造されたトマトの缶詰であり、3年前の日米開戦直前に日本へ輸出されたものであった。 日本側の証言にも、駆逐艦の寺内正道艦長(中佐)が咄嗟にジョンストンに対し発砲した機銃手(照準調整のため2射したのみで命中せず)に向け「酷いことをするな」と怒鳴り、攻撃中止を命じたことが伝えられている。 雪風艦橋にいた柴田正(雪風砲術長)は「艦橋にいた我々は敵勇者の最後を弔って挙手の礼を捧げた」と回想している。 雪風はジョンストンの兵が救命ボートを下しているすぐ傍をすれ違い、田口康生(雪風航海長)は「お互いの顔まで見えた」と語った。 そして多くのジョンストンの生存者が生涯忘れられない光景を目にした。 日本の駆逐艦の艦橋で、ひとりの士官が直前まで仇敵だったジョンストンが波間に沈んでいくのをじっと見ていた。 その誇り高き船が姿を消した時、この日本の士官は手を帽子のひさしにあてて直立の姿勢をとった. 敬礼したのだ。 There on the bridge-wing of the Japanese destroyer, an officer stood watching as Johnston, his mortal enemy of just moments before, slipped beneath the waves. As the noble ship went down, this Japanese officer lifted a hand to the visor of his cap and stood motionless for a moment. salutin. " — トマス・J・カトラー『The Battle of Leyte Gulf 23-26 October 1944』 第17駆逐隊をふくめ日本艦隊は去っていったものの、2隻の救命ボートと2隻の筏に分乗したジョンストンの生存者は長時間の過酷な漂流を強いられることになった。 友軍のが彼らを発見したものの、通報した位置が間違っていたため救助隊が全く異なる場所を捜索していたからであった。 漂流中、ジョンストンの生存者はの襲撃や衰弱、体温より低い夜間の海水温によるといった脅威に耐えねばならず、途中で力尽きる者もいた。 自軍の生存者を探す日本の駆逐艦が接近してきたことが一度あったが、のにおける厳しい扱いの噂を聞いていたため息をひそめてやり過ごした。 生き残った者はジョンストンの沈没から3日後の早朝に(LCI)に発見され、救助のうえでに収容された。 ジョンストンの全乗員327名のうち生還したものは141名だった。 186名が戦死した。 そのうち約50名は戦闘によって命を落とし、45名が負傷により漂流中に死亡、艦長エヴァンズ中佐を含む残り92名は退艦したものの行方不明となった。 受章等 [ ] ジョンストンは生涯で合計6個の ()を受章し、ジョンストンを含む第77. 3任務群はサマール島沖における勇敢な戦いから ()を受章した。 また戦死したエヴァンズ中佐はを授けられた。 提督は、著書『ニミッツの太平洋海戦史』でジョンストンを含めた米軍駆逐艦を以下のように評している。 およそ古今の海戦史上、スプレーグ隊のちっぽけな護衛隊の各艦のように、強大な相手に立ち向かって一歩も退かず、勇敢に英雄的に、その任務を完全に果たした海軍艦艇は断じてないであろう。 残骸の発見 [ ] 、氏が設立したが、でフレッチャー級駆逐艦の残骸を発見した旨発表した。 記録された沈没位置、外観上の特徴 直前に沈没した同型艦「ホーエル」は迷彩塗装が施されていたが、ジョンストンは単色だった から、ジョンストンのものであると推定している。 残骸はフィリピン海の水深6220メートルの海底にあり、史上最も深い位置で発見された船ということになる。 参考文献 [ ]• 『 砲術艦長黛治夫 海軍常識を覆した鬼才の生涯』〈光人社NF文庫〉、1996年6月(原著1988年)。 『日本水雷戦史』図書出版社、1986年3月。 駆逐艦雪風手記編集委員会『 激動の昭和・世界奇跡の駆逐艦 雪風』駆逐艦雪風手記刊行会、1999年9月。 佐藤清夫『駆逐艦「野分」物語 若き航海長の太平洋海戦記』光人社NF文庫、2004年1月(原著1997年)。 重本俊一,他『陽炎型駆逐艦』光人社、2014年10月。 、E・B・ポッター『ニミッツの太平洋海戦史』、1962年12月。 戦史室『戦史叢書 海軍捷号作戦 2 フィリピン沖海戦』第56巻、、1972年6月。 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 潜水艦史』第98巻、朝雲新聞社、1979年6月。 著、大前敏一訳『Leyte レイテ 連合艦隊の最期・カミカゼ出撃』第5巻、出版局〈第二次世界大戦ブックス〉、1971年3月。 Dictionary of American Naval Fighting Ships. 23 July 2015. 2018年4月13日閲覧。 この記述には、内でとなっている記述を含む。 Cutler, Thomas J. 1994. The Battle of Leyte Gulf 23-26 October 1944. Harpercollins. Cox, Robert Jon 2010. The Battle Off Samar: Taffy III at Leyte Gulf 5th Edition. Agogeebic Press, LLC. Hornfischer, James D. 2004. The Last Stand of the Tin Can Sailors 1st Edition. Bantam Books. Kevin, McDonald 2015. Tin Can Sailors Save The Day! 1st Edition. Paloma Books. (防衛省防衛研究所)• 『昭和19年10月1日~昭和19年10月31日 捷号作戦戦時日誌 4 第10戦隊』。 Ref. C08030039400。 『昭和19年10月22日~昭和19年10月28日 第17駆逐隊戦闘詳報』。 Ref. C08030589300。 『昭和18年2月1日~昭和19年10月31日 第17駆逐隊戦時日誌戦闘詳報 4 』。 Ref. C08030146600。 『昭和19年10月22日~昭和19年10月28日 軍艦矢矧捷1号作戦戦闘詳報 1 』。 Ref. C08030577600。 『昭和19年10月22日~昭和19年10月28日 軍艦矢矧捷1号作戦戦闘詳報 2 』。 Ref. C08030577700。 『昭和19年10月22日~昭和19年10月28日 軍艦矢矧捷1号作戦戦闘詳報 3 』。 Ref. C08030577800。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 『戦史叢書98巻』 1979 478頁「付録第二、日本海軍潜水艦喪失状況一覧表」では「伊176の撃沈はハガードとフランクスの爆雷攻撃」とし、ジョンストンの艦名は記載されていない。 連合軍側は栗田艦隊のことを「中央隊」 と呼称する。 第一戦隊司令官中将座乗。 この日の大和は第二艦隊旗艦と第一戦隊旗艦を兼ねる。 第五戦隊旗艦だった重巡は前日の空襲で損傷、戦場を離脱。 第五戦隊司令官は羽黒に将旗を掲げていた。 10月23日、米潜水艦の襲撃で所属していた第四戦隊が壊滅 、健在の鳥海は第五戦隊の指揮下に入っていた。 第2駆逐隊所属の駆逐艦は 、損傷と戦艦救助のため別動中。 第31駆逐隊所属の駆逐艦とは 、重巡を護衛して別動中。 第17駆逐隊所属の駆逐艦は 、損傷と戦艦救助のため別働中。 第4駆逐隊所属の駆逐艦野分は、本作戦では第17駆逐隊司令の指揮下で行動。 、、は第一遊撃部隊第三部隊 西村部隊 に所属して別働。 「」に出てくる、少年がで巨漢を倒したという話になぞらえたもの。 重巡洋艦鈴谷はアメリカ軍機の爆撃により機関部に損傷を受け、最大発揮速力23ノットに低下していた。 サマール沖海戦開始直後、アメリカの護衛空母群は日本戦艦の主砲弾が着色弾であり、水柱が各種の色で染まっていたと記録している。 ホワイトプレーンズ乗組員は「彼等はテクニカラーで射撃している」と叫んだという。 一連の交戦において、ジョンストンの矢矧に対する砲撃は、矢矧士官室に1発命中。 出典 [ ]• navsource. org. 2018年12月2日閲覧。 , pp. 137-138勇敢なタフィ隊の駆逐艦• 292-294日本駆逐艦の雷撃• 3 0925より0934まで 「艦首駆逐艦我ニ對シ砲撃 我砲戰ヲ開始ス/我主砲彈命中ス/今左九〇度ニ傾斜シツヽアリ 五五七号 /左九〇度ノ鳥海ニ對シ「我矢矧」」• , p. 141aジョンストンの終末• , pp. 342a-344駆逐艦の第二次反撃• 478付録、伊176• , pp. 338-345付記、米軍の戦闘状況• , p. 338. マッキンタイヤー『Leyte』 1976 24頁など。 , pp. 284-285突然の遭遇• , p. 298-301突如、米空母と遭遇• , p. 336サマール沖海戦• , pp. 119-123水平線上に栗田艦隊• 木俣滋郎『日本水雷戦史』513-514頁• 木俣滋郎『日本水雷戦史』509-510頁• 木俣滋郎『日本水雷戦史』515-516頁• 木俣滋郎『日本水雷戦史』509-510頁• 木俣滋郎『日本水雷戦史』515-516頁• , p. 297挿図第28、Y12索敵配備• , pp. 249-250. , p. 126. , p. 339. , p. 340. , pp. 127-128栗田中将判断を誤る• , pp. 517-518• , pp. 302-303. 304. 341. , p. 128. , p. 288. , p. 255. 316-317. , p. , p. 129. 256. , pp. 315-317第七戦隊の進撃、「熊野、鈴谷」の落伍• , pp. 317-319第五戦隊の進撃開始• , p. 319「筑摩」と「利根」の進撃• , p. 257. 289. , p. 131. , p. 48-49. , p. 50-52. , p. 342b. , p. 134. , p. 291. , p. 福田弘『サイパン・レイテ海戦記』287頁• , pp. 262-263. , pp. 522a-523米空母に魚雷発射 十月二十五日• , p. , pp. 332b-334米空母群を追跡、駆逐艦に阻止される• 333. 2「敵砲撃ノ弾着近トナル 主砲之ニ對シ砲撃開始ス/敵空母飛行機発進中/再ビ弾着近トナル屡挟叉サル 一ハ士官室ニ命中ス/魚雷発射用意 敵空母二隻ハエンタープライズ型」• 344. 293. 1「〇八四九| | | |左三〇度驅逐艦ニ對シ高角砲打始ム」• 1「〇八五〇|矢| |旗|我群稍右ニ廻避ス|敵駆逐艦魚雷発射スルヲ認ム」• , pp. 520-521. , p. 523aサマール島海戦陣形図 2• 334. 265. , p. 522b. 523b. 11-12「〇九一五|浦風 四本 磯風 八本 雪風 四本 野分 発射本数不明 ノ順ニ発射 以下略 」• , pp. 260-262. , p. 266. 141b. 524. , p. 337. 12「〇九三〇|敵艦 五五七号 大火災航行不能乗員ハ海中ニ飛込ツツアリ 以下略 」• , p. 341. 334-337. 26「 司令官 10S|二五日〇九三七 10S|砲撃ニ依リ駆逐艦ヲ處分セヨ|〃 信号 」• 9 昭和19年10月25日項• 329-330「鈴谷、熊野」の行動• , p. 348. , p. 63-64. 320頁、440頁• 235• 453頁• , p. 243. , p. 65-78. , p. GeekWire. 2019年11月1日閲覧。 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]• 第二次世界大戦でアメリカ駆逐艦が戦闘で負ったダメージに関する詳細なレポート。

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