泣かぬならそれはそういうホトトギス。 織田信長の「泣かぬなら殺してしまえホトトギス」という個性は、...

織田信長の「泣かぬなら殺してしまえホトトギス」という個性は、...

泣かぬならそれはそういうホトトギス

なぜこのように詠われたのか、解説します。 織田信長の性格とエピソード 織田信長の業績 織田信長は 既存の概念に捉われず、新しい物好き です。 斬新な発想を、信長の独断で行動を起こし、 行政から軍事まで革新的な改革をしています。 能力があれば身分は関係ない。 織田信長は、 肩書き等、関係なく戦に強い、戦略がずば抜けているなど、能力が高ければ重臣に採用もします。 明智光秀や豊臣秀吉も織田信長と血縁も関係なよその者ですが、能力が高かった為、地位を与えられています。 経済改革に取り組む 織田信長は、 街道を整備して、一定の間隔で茶屋や休憩所を設置しました。 それにより、戦で長い距離を移動しやすくなるので兵力が落ちません。 また商人達も移動しやすく 商業も活性化します。 貨幣を統一し、更に城下内で、自由取引する場所 【楽市楽座】を実施したおかげで商業が発展します。 そして 通行税も廃止したので物品の流れが良くなり、税収入が大幅に増え、織田信長は 財政が豊かになります。 徴兵制度を改める 織田信長の軍隊が数が多くなり強くなり、天下統一まであと少しの所まできました。 その理由は、 【兵農分離】を行い、戦力が上がった為です。 兵農分離は農民は税を納める為、農作物や米を作ることに専念し、軍兵は戦にだけ集中するという政策を行います。 そうすることにより、 経済は安定し、戦にかかる費用や鉄砲などの新しい武器や防具の調達できます。 軍兵も戦が無い時には武力を学びレベルが上がります。 このように、織田信長は 概念に捉われない発想と行動力で、経済政策や軍事制度を改革 していきました。 こうして兵力を拡大し強くしていったので天下統一まで少しのところまできました。 織田信長の性格が残忍と言われた理由 比叡山の焼き討ち 織田信長は、 自分に逆らう物、裏切る者は徹底的に攻め、殺してしまいます。 残忍なエピソードで有名なのが 比叡山の焼き討ちです。 比叡山は、信長と対立していた浅井・朝倉連合軍をかくまりかばい続けたことがきっかけで比叡山の焼き討ちが起こります。 そして、織田信長は寺や霊社等全てを焼き払って比叡山が1日で灰になったと言われています。 浅井・朝倉の軍や僧侶以外の老若男女問わず全員を惨殺していきます。 「悪い僧侶だけを殺して私は助けてくれ」とお願いした高僧らの声も無視し、高僧らの首を討ち落としたとあります。 「比叡山の山麓には数千の屍があふれ、この世のものとは思えない光景で哀れだ」といった言葉があり、 これは比叡山の焼き討ちがいかに残忍で悲惨だったかが表わしています。 その他にも残忍な戦いがいくつもある 織田軍はとにかく、兵の数もおおく、武力も備わっています。 長島一向一揆攻めも、長島一向一揆勢は降伏をしましたが、やはり織田信長は許さずに、1000人を切り殺し、2000人を焼き殺すという悲惨な殺し方をします。 越前一揆勢は山に逃げ込みますが、誰一人男女問わず殺戮せよと命じ、隅から隅まで全員みつけて殺害します。 天正伊賀の乱や荒木一党惨殺も、信長の指示に背いたり逆らった者のいる場所の子供から老人、男女問わず全ての人々を殺戮します。 こうして、 信長の命令に背いたり、逆らった者はどんなに降伏しても許さず、敵の勢力は子供でも誰でも残忍に殺していきます。 なぜこのように詠われたのか解説します。 豊臣秀吉の性格とエピソード 豊臣秀吉の政策 豊臣秀吉は、 織田信長が政策はほぼ受け継ぎます。 豊臣秀吉が行ったのは、 【太閤検地】という 全国の検地で尺の統一を行います。 そして全国の税制を 石高に統一しました。 豊臣秀吉の時代の年貢は農民にとって過酷な二公一民(収穫の3分の2が年貢)とされていた為、農民が一揆を起こさないように 【刀狩り】をしました。 豊臣秀吉の性格や戦い方 豊臣秀吉は 「人たらし」 と言われ、 人を惹き付ける魅力があり、織田信長にも気に入られ、 農民の身分から天下統一する武将にまで昇っていきました。 農民から這い上がった豊臣秀吉の戦い方は 「戦わないで勝つのが最善」 という考えです。 兵の中には多くの農民が戦に出て亡くなってしまいます。 秀吉自身も戦により、貧困になったり命が危うくなったこともあった為、人が死なないように、無駄な戦いをしないように努めます。 また秀吉は 「斬るのが嫌い」 と刀で斬るのを嫌っていた為、敵を人質を取ったり、敵軍と政略結婚をさせたりと戦を回避するようにしたり、戦では、兵糧断ち作戦や秀吉の条件通りに降伏をさせていました。 なぜ、このように詠われたのかを解説します。 徳川家康の性格とエピソード 徳川家康の政策や戦い方 徳川家康は、豊臣秀吉の天下統一した 財はそのまま受け継ぎます。 そして、 政策も織田信長と豊臣秀吉の良い政策だけ引継ぎ、同じ失敗を犯さないようにします。 まず、徳川家康は 信頼を置いている家臣を居城である江戸城の近くの土地を渡し住まわせていきます。 逆に従わない者、信頼出来ない者は地方に飛ばし領地を与えます。 そしてこの 各諸大名が力を増す事がないように、土木工事などの普請をさせます。 裏切り行為がないようにと 秀吉の政策を真似て諸大名の妻子を江戸城下町に住まわせます。 家康は重臣の妻子までも住まわせ、下剋上対策をします。 豊臣秀頼が率いる巨大勢力は、いつ害が及ぶか解らないので、家康が70歳過ぎて力が残っているうちに 大阪の陣 で滅ぼします。 これにより、不安材料が無くなり江戸幕府が260年も続いたと言われています。 徳川家康は 農本思想です。 農本思想というのは、 食糧の確保は重要であり農業の保護を重視する政治のことです。 このことにより、農民から一揆が起こることもなく、諸大名達からの下剋上も無くします。 これにより 徳川家康が天下統一すると、戦いが亡くなり、戦国時代が終わった のです。 徳川家康が天下を取るまで 織田信長が亡くなった後、 豊臣秀吉が先に明智軍を倒した為、豊臣秀吉が天下統一を成し遂げました。 徳川家康は野戦においては、1敗した以外全て勝利していますので、とても強い武将です。 豊臣秀吉が天下人になっている間に攻めても勝っていたかもしれませんが、家康は天下とる為といっても、 攻めることはしませんでした。 とにかく、 天下を取れる時期がくるのを待ちつづけ、豊臣秀吉が亡くなったら、そこから戦わずして天下統一を成し遂げます。 その様子から.

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鳴かぬなら 逃がしてしまえ ホトトギス

泣かぬならそれはそういうホトトギス

この回答への補足 最後にこの欄をお借りします。 今回は、「鳴かぬなら ~~~ ほととぎす」に拘っていたわけではなかったのですが、ほとんどの方々から、これをもとに詠んでいただきました。 それにしても、「ほととぎす」で、これだけ多くの句が出来てしまうとは、とても驚いています。 皆さん一人一人の素敵な句に、私の勝手な解釈を加えてしまった事を、ここでお詫びいたします。 でも、私としては、とても得る事が多いひとときであったと感じています。 句を詠むということは、その詠む人の人生経験がなせる技なのではないでしょうか。 また、その句に、その人なりの人生哲学を感じます。 お礼文の中に、誤字、脱字が多くて、大変失礼しました。 ご回答いただいた皆様、ありがとうございました。 なので、今日まで待っていた次第なのです。 (その理由につきましては長くなりますので割愛させていただきます。 ) おかげ様でこのスレッドは、mcqgogoさんに救われた感じがします。 今回の短歌や俳句にしても、mcqgogoさんのセンスがキラリ!と光り輝いていますね。 これだけの句が詠めるとは、多くの人生経験があり、人間的に丸く、思慮深い高貴な人との印象をもちます。 またいつの日か、機会がありましたら、よろしくお願いいたします。 mcqgogoさんにご回答いただいたあと、管理人さんからも、そのすぐ2時間くらい後に締め切り確認のメールが届いていました。 このサイトの管理人さんもこんな夜遅くまで管理作業をされているとは、頭の下がる思いです。 (管理人さん、お手数をおかけいたしました。 ) 哲カテのお姉さんですが、最近見かけませんね~。 長期休暇にでも入ってしまったのでしょうか。 確かに、いくら哲カテと言えども、管理者サイドとしては一般的なモラルや秩序を維持するためにも苦渋の判断があるのでしょう。 でも、出来れば、早く復帰して欲しいな~・・。 この度は、ご回答いただけて嬉しゅうございました。 いろいろな人がいます。 女性だと思って最初からなめてかかる人、セクハラを仕掛けてくる人、一見理解を示してくれているように見えても、実は態度と裏腹な事を考えている人等・・。 私はかつての上司に言われたことがあります。 「不平不満を言ったらきりが無い。 運気は遠のくばかり。 それがあたりまえだと思えば、自然とやる気が出てくるものよ。 現実のエピソードを少し紹介させていただきますが、部内の男性上司が病気のため、ピンチヒッターとして、私が代わりに商談物件を引き継いでいます。 当初は99%駄目かも知れないと思っていたものの、1%の可能性に明かりを求め、懲りずに何回も足を運び、スポーツのような駆け引きを楽しんでいるうちに、結局は商談がまとまってしまうといったことが良くあるのです。 解説書等でボクシングの理論等をマスターし、独学でシャドウボクシング等の練習で絶対の自信を身につけたとしても、所詮は井の中の蛙、プロボクサーどころか普通のジムの練習生にさえ勝つことは難しいでしょう。 明石家さんまさんにしても、多くの人たちとの百戦錬磨の関わりがあるからこそ、あれだけの才能を発揮できるのだと思います。 私は、理論だけで武装しようとしている人が、どれだけ脆いものなのか身を持って理解しているつもりです。 「諦め」も時には必要なものですが、諦めなければ、道が開ける事があるのも事実です。 ・・その時の判断が非常に難しいものなのですが、多くの経験を重ねる事によって、自ずと、その判断力が身についてくるように感じています。 最後の、和歌に例えていただいたアドバイスは、とても素晴らしいものです。 涙が溢れ出してしまいそうになります。 頭では理解していても、あらためて人から言われると、本当に感動します。 でも、街頭似顔絵描きは、私の人生の一コマに過ぎないという位置付けなのです。 なので、もう少し、自分が納得行くまで続けさせてください。 ご回答ありがとうございました。 (長文にて失礼しました。 5年程前のことでしたが、私は突然の風邪により、2日間会社を休んでしまった事がありました。 その時は別に、人間関係の悩みなどは全く無かったのですが、同僚のたわいの無い一言(「最近元気が無かったようです。 」)を耳にした上司が、とても心配してくださり、退社後、上司の帰宅方向が私の家と反対方向であるのにもかかわらず、わざわざ私の家まで訪ねて来てくれたことがありました。 その時は、何とも言えないほどの感動に包まれた事を今も覚えています。 他者を思いやれる心は素敵です。 でも、他人のお節介というものは、時と場合によっては、当人にとって、迷惑に思われる事があるかも知れません。 しかし、だからと言って簡単に見放してしまえば、それもまた不幸な事のように思います。 人に限らず、他者との関係を維持する事は、時に難しく感じる事がありますが、どんな時でも、めげずに立ち向かって行きたいものです。 acccoさんは、それを臨機応変に状況判断できる人だと感じます。 最後の句も、限りない向上心を感じます。 素晴らしい! ご回答ありがとうございました。 3番目の句も、ポジィティブに考えれば、高度な恋愛術ですものね。 」 gomuahiruさんのHNについて考える時、NTV鉄腕ダッシュの「ダッシュ村の村長」を思い出してしまいます。 私、あの番組好きなんです。 (ごめんなさい。 またまた余計なことを書いてしまいました。 ええ、ここのところパソにマシントラブルが発生したりと、修復するのにかかりきり、なかなか教えて!gooのサイトにも繋がりづらかったり、いや、パソ起動時に起こるトラブルなのでどのサイトを見る見れない以前の作業。 セフティ-モ-ドで修正かけていまどうにか、インタ-ネットに繋がりました。 お返事遅くなってごめんなさい。 はい、まずこのうたを詠うときにイメ-ジしたのは、「恋」でした。 言葉を交わしたことのない相手、たとえば、通学電車でよく見かける相手、いつも遠くから眺めてみているだけの相手、どんな人だろう、どんな声だろう、どんなふうに笑うんだろう、毎朝通学時に同じ電車に乗合わせ見慣れたカオなのに... ガタゴトと揺れる電車、窓の外を見つめつり革を片手でギュッ!っと握り締めスッ-っと伸びた背筋が学生服の詰襟とあわさってまぶしい。 チラチラ、ドキドキ 満員電車でギュ-ギュ-、暑くって、むしむし、とても快適な車内ではないんだけど、ドキドキときめきかんじちゃう。 人の肩越しから見える彼の姿、電車が揺れるガタゴト、ガタゴト、そのつど人も揺れる、見えたり見えなかったり、あ-ん、視界を防がないでと目の前の人の頭を手でよけたくもなるけど満員電車身体が身動き取れない。 じれったいとおもうまもなくまた電車が揺れるガタゴト、ガタゴト、あっ!みえた。 キャッ-ドキドキ なんだか電車はわたしのこころをしっているかのようにチラチラ、ドキドキがガタゴト、ガタゴト揺れる。 恋の成就をこのうたで詠っているのではありません、恋する気持「あこがれ」。 そういう風に「歌われた」武将はいますが「歌った」武将はいません。 これは詠史句(歴史上の出来事や人物を主題とした詩歌)といって後世の人が 武将の性格分析をするおり、ホトトギスを敵側と置き換えた場合の戦国武将の 対応の仕方というか武将の性格というか戦のやり方を象徴的に詩に表したもの だからです。 ちなみに有名な三人の武将をとして歌われたのは 織田信長「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」 豊臣秀吉「鳴かぬなら鳴かせて見せようホトトギス」 徳川家康 「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」 で今回の「鳴かぬなら 逃がしてしまえ~」と歌われた武将は検索したところ 明智光秀さんのものではないでしょうか。。 nhk. nhk. html A ベストアンサー こんにちは。 30代オンナです。 私は5年前に実母を癌で亡くしました。 そのときに会社の皆さん、友人たちにいろいろな言葉をかけてもらいました。 「大変だったね」「何かできることあったら言ってね」等々なぐさめやねぎらい(お通夜・お葬式は大変だった!)の言葉はどれもありがたいものでした。 ただ、うちの母親の場合56歳という若さで亡くなったのでそれは私自身とても残念で悲しいことでした。 唯一「まだ、若かったのに残念ね・・」という言葉には正直辛く感じました。 わたくしごとをゴタゴタ並べてしまいましたが、やはり何か言葉をかけてあげたほうが良いと思います。 腫れ物を触るように気をつかっていただいたことがあり逆にこっちが気をつかっちゃったりしたことがありました。 ただ、なくなった直後は葬式やら事務手続き等でとても忙しくて亡くなったんだ実感というものが感じられません。 できたら、落ち着いた頃に 49日が終わり、2か月くらいたったころ)食事にでも誘ってお話を聞いてあげてみてください。 A ベストアンサー 「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。 普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。 パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去しました。 残された膨大なメモを元に、パスカルが計画していた著作に似たものを編集することも考えられたのですが、とても、それは無理なので、断片集として、計画のまとまりや、内容の関連性などから、おおまかに断片メモを整理してまとめて、一冊の本に編集したのが、『パンセー』です。 当然、パスカルの死後出版されましたし、内容は、緩やかなつながりで、長短の断片文章が並んでいる構成です。 従って、本のなかの文章はパスカルのものですが、本は、パスカルの「著作」とはちょっと云えないでしょう。 ほとんどできあがっていて、足りない部分などを、他の文章で補ったりして、計画通りかそれに近い本を作ったのならともかく、当初の計画とは違う、「箴言集」か「随想集」のような本になってしまっていますから。 それはとまれ、「葦」が弱いものの代表として人間の比喩に取り上げられているのは事実ですが、何故「葦」だったのか、という疑問が起こります。 例えば、「人間は考える蟻である」とか、「人間は考える蝶である」とか、また「人間は考えるクローヴァーである」とか、幾らでも考えられます。 これは、誰かの説明であったのか、わたしが勝手に考えたのか記憶がはっきりしないのですが(おそらく誰かの説明です)、人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってします。 風に抵抗できない。 いや抵抗せずに、しなって敗北するのである。 しかし、その他方で、偉大な樫の樹などは、風が吹くと、しなることはせず、抵抗するので風に勝利するが、しかし、繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に倒され、根元から折れてしまうのです。 しかし、賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、しかし、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味だったはずです。 少しの風が吹くとしなり、風の前屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。 人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。 自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。 そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。 ……このような意味の比喩ではなかったかと思います。 この葦の比喩は、パスカルという人がどういう人だったかを知ると、パスカル自身のことのようにも思えて来ます。 パスカルは、四十に満たないで亡くなっています。 彼は、少年の頃から神童と言われたのですが、病弱で、一生、病気や身体の苦痛とたたかいながら、思索し実験し、研究し、晩年は、修道院に入って信仰生活を送ることを決意して、自分自身でも、そのことについて、悩み考えつつ、世を去りました。 パスカルは、自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「たたかう」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云えるのです。 暖めた流動食でないと、喉を通らないというようなこともしばしばあったということは、解説書などには必ず記されているはずです。 弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルなのでしょう。 パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです。 「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。 普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。 パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去し... Q 経験の浅い社会人です。 「案件」という言葉の意味と使い方について質問です。 ビジネスの場で、 「この案件については、私が対応します・・・」「今月末までの受注案件は・・・」なんていう表現を耳にします。 「案件」を辞書で引いてみると、 (1)議会・会議で取り上げるべきことがら。 例)討議案件 (2)調査すべき事件。 訴訟事件。 <三省堂国語辞典> とあり、意味にちょっとギャップがあるように思います。 また、たまに「物件」という言葉で同じ使い方をしている人もお見受けしますが、私は不動産やさんの「この物件はお薦めですよ」なんていう時の言葉かな、と感じます。。 ちなみに辞書では、「しな。 物品」と出ていました。 業務連絡など正式なものを発信するときには、間違った使い方をしたくないので、皆さんの感じ方、使い方などご意見を聞かせてください。 余談ですが、会社にいろんなことを聞ける人がいるといいんですけど、「細かいことをいちいちウルサイ!」といわれてしまいそうで、よくココを利用しています。。 Q 舌を噛んだり傷つけたわけでないわけではない時に、時々舌の先等に、小さい見えるか見えないか程度のプツッとした凄く痛いできものができます。 あれはなんですか? よく、食べ過ぎたりして胃が悪い時に出来る、と祖父母なんかに聞かされた気がしますが・・・。 実際、出来たときは、疲労時というか、心身どちらか一方でも過度に疲労したかな?少し食べ過ぎ?と思い当たることもあります、が、毎回ではありません。 あれは何で、どんな時に出きやすくなりますか? また、予防策、出来てからの対処法など教えて下さい。 病院に行くほどひどくならないので、これまでそれで病院に行ったことはなく、だいたい1週間程度で治りますが、出来るととても痛いです。 A ベストアンサー 口内炎が舌にできたものだと思いますよ。 私も子供のころからしょっちゅうできます。 私はできてしまったら薬を塗って早めに就寝して睡眠を十分にとること、食事後や口の中が痛いときなどとにかくうがいをして口の中を清潔に保つこと、ビタミンBを取ることを心がけています。 よくできるならひどくないと思ってても一度医者に行ったほうがいいかもしれません。 薬をくれるので次にできたときにも便利ですし原因もわかるかもしれませんよ。

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鳴かぬなら○○○○○○ホトトギス

泣かぬならそれはそういうホトトギス

僕にネタをいつも提供してくれる友人のJ君。 彼がまた訳の分からないことを言ってきました。 正直心の底からどうでもいいと思ったけど、彼はこういいます。 「調べてくれ。 自分で調べろ!とは思ったんだけど、ちょっと面白そうなので記事にします。 そんな話。 超絶有名な川柳 誰でも知ってるとは思うけど、信長、秀吉、家康の人柄を表した川柳です。 一応おさらいも兼ねて記しておきます。 織田信長:鳴かぬなら殺してしまえホトトギス 豊臣秀吉:鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス 徳川家康:鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス これ、すごく有名ですよね。 聞いたことない人の方が少ないかもしれません。 で、さっきの話をもう少し詳しく話すと、友人のJ君は「これって誰か一人が言ったと思うんだよね。 」と言いました。 そして無知な僕がこう答えます。 「え?それぞれが詠んだ句じゃないの?」と。 そういうわけで、「(気になるので)調べてくれ。 」となりました。 誰が謳ったものか 確かに言われてみれば有名だけど誰が詠んだものかを気にしたことはありませんでした。 彼から聞いて僕はむしろ「誰も詠んでいないのでは?」と思いました。 色んな所を調べてみたんだけど一番信憑性のある下記サイトを参考 にしたいと思います。 いきなり結論から行きます。 「鳴かぬなら~ホトトギス」の本当の作者はわからない。 おいおいちょっと待てよ、そんな誰かわからない人の言ってたことを何となくとはいえ鵜呑みにしてたのかい? 昔の人も含めてそれでいいのか?しかもこんなメジャーな川柳なのにどういうこと?と思いましたがこう続きます。 私が知らないのではなく「読み人知らず」という事で作者不詳で紹介され後世に残ったものなのです。 うむ、どちらにしても作者不詳には変わりないようです。 何に書いてあるのか きっと文献なり、何かに書いてあるに違いない、ということで調べました。 ネットで調べる限り、松浦静山の『甲子夜話(かっしやわ)』に記載されていたといって良さそうです。 これ、原文です。 2.鳴かぬなら…… 『甲子夜話』五十三より 夜話のとき或人の云けるは、人の仮托に出る者ならんが、其人の情実に能く恊へりとなん。 郭公を贈り参せし人あり。 されども鳴かざりければ、 なかぬなら殺してしまへ時鳥 織田右府 鳴かずともなかして見せふ杜鵑 豊 太 閤 なかぬなら鳴まで待よ郭公 大権現様 このあとに二首を添ふ。 これ憚る所あるが上へ、固より仮托のことなれば、作家を記せず。 まぁ僕も歴史がものすごく好きというわけではないので、松浦静山も『甲子夜話』も初見だったけど、新たな発見でした。 この『甲子夜話』、いつの時代のモノかと言えば、家康没後だいぶ経ってからの江戸時代後期。 『甲子夜話』(かっしやわ)は、後期に第9代藩主の(号は静山)により書かれた集。 ってことは何ですか?家康が亡くなって200年近くもたった後、直接会ってもないどなたかわからない人が、彼らのことを文献なり何かで勝手に想像して書いたにすぎないってことですかね? いいのかい、こんなんで。 広告 まとめ もっと詳しく知りたい人はリンクの記事読んでください。 というわけでこれを伝えるために彼に電話しました。 すると彼は「もうどうでもいいや。 それよりさぁ…」ですって。 (んだとゴルァァァぁぁぁ!!!もうぜってー調べねぇからな!!!覚えとけよ!!)と内心思ったけど僕は優しいので教えてあげました。 すると彼は言いました。 「いや、俺もウグイスっておかしいと思ったんだよ。 だって3人が同じこと言うはずないもん!」(おいおい、ウグイスではなくホトトギスだ。 ) このやり取りを聞いていた彼と同棲中の彼女が言います。 「ウグイスじゃゴロ悪いからだね。 」 ・ ・ ・ もう、何なんだ、おまいら! 以上。 新しい発見は楽しいけど、何か??.

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