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風刺,ユーモア,ナンセンスなどを扱う絵画上のジャンル。 一枚の絵にユーモアや政治,社会に対する風刺をあらわすカルトンと,一連の筋をもつコマ割りの絵物語トリップとに大別される。 前者は西洋ではとも呼ばれ,古代からの戯画の系統をひくもの。 後者は19世紀末米国の《ニューヨーク・ワールド》紙の日曜版に掲載されたアウトコールトの《ザ・イエロー・キッド》に始まり,新聞を媒体として流行。 《ブロンディ》等日常生活の中のユーモアをとりあげた一話完結のタイプと,冒険,怪奇,探偵等の物語を主体としたストーリー漫画がある。 日本では明治初期に来日したやの影響で西洋風の手法がとり入れられ,大正期になってを中心に新聞漫画が隆盛,1921年東京朝日新聞に連載された岡本の《人の一生》は長編のストーリー漫画のさきがけとなり,次いで《ノンキナトウサン》,《のらくろ》,島田啓三《冒険ダン吉》,《フクちゃん》等が人気を得た。 第2次大戦後は《サザエさん》,根本進《クリちゃん》,《かっぱ天国》等に続いての作品が人気を博し,その手法は新風をもたらした。 1950年代半ばから漫画ブームが起こり,1960年代には週刊漫画誌が大手出版社によってあいついで創刊される一方,かつての作家を中心とする貸本漫画から〈〉という流れが現れ,の《忍者武芸帳》などが青年に支持された。 また,1970年代以後《ベルサイユのばら》をとしてらによるが独自の表現を開花させた。 1980年代以降は《》などあらゆるジャンルでの漫画表現が試みられ,また表現技法も多様化している。 1994年には《少年ジャンプ》の発行部数は600万部をこえ,日本の漫画誌の総発行部数は月間1億3000万冊にのぼる(1994年6月)。 一枚物もあり,続物の形もある。 [漫画の先駆] 漫画は絵と笑いの結びつきとともに古い。 エジプトの記念碑の一つに,がの後で吐いているのをが介抱するが彫り込まれており,漫画がすでに古代エジプトにあったことがわかる。 にも鳥や獣のこっけいな絵が描かれている。 ギリシア時代にはこっけいなで知られたパウソンという漫画家がいたという。 中国では今残っているものとしては,漫画よりも漫画彫刻であり,前の将軍霍去病(かくきよへい)のには,を踏みつける馬のがあり,馬が威風堂々としており,踏みつけられる人間は,を忘れてもがいているところに漫画的の手法をとっている。 出典 株式会社平凡社 世界大百科事典 第2版について の解説 戯画、風刺画、大津絵、鳥羽絵 とばえ 、狂画、カリカチュアcaricature、カートゥーンcartoon、劇画、コミックcomicなど、多様な呼称がつけられた絵画分野、あるいはその総称。 [清水 勲] 漫画の特質漫画とは何かをひと口で定義することは非常にむずかしい。 それは自由奔放な絵画空間であり、規定されないところにその特質が隠されているといえるからである。 また「漫画」ということば自体、大衆のなかに定着したのは昭和初期という比較的新しいことであった。 そのことばの確立によって、写真、映画、ポスターと並ぶ近代複製美術の一大分野を形成するようになる。 したがって、漫画をあえて定義すると「遊びの心」あるいは「風刺の心」をもって描いた絵ということになる。 おもしろい漫画とはこの「遊び」の精神、「風刺」の精神がバランスよく含まれた絵だといえる。 現代漫画はカートゥーン(一枚絵漫画)とコミック(ストーリー漫画)に大別できる。 コミックは20世紀に入って映画などの影響を受けて世界的に発展してきたストーリーのある「こま漫画」である。 漫画小説、連続漫画、絵物語、劇画などとよばれてきた。 漫画に相当する絵は、人間が絵を描くことを知ったころから描かれていたと思われるが、顔料・墨・筆・紙などが発明されることにより表現法が多様化し、大量に描かれるようになった。 しかし、漫画は元来、描かれて一定の目的が達せられると捨て去られるのが宿命であった。 洋の東西を問わず、古代・中世の作品で残されたものが少ないのは、そうした特質も影響しているように思われる。 古代エジプトの動物戯画、古代ギリシアの壺絵 つぼえ の戯画、正倉院古文書の戯画「大大論」、京都・高山寺の『鳥獣人物戯画』などは現代に伝えられた貴重な作品である。 そうしたものは特定の人々の鑑賞のために製作されたものであるが、版画技術が発明されると様相が一変する。 不特定多数を対象にした漫画が描かれるようになるのである。 中世ヨーロッパの宗教絶対社会のなかで、木版画は宗教プロパガンダの役割を果たす一方で、人間性の目覚めともいうべき宗教に対する風刺画をも登場させる。 たとえば、「尼僧の部屋に出入りする僧侶 そうりょ 」といった木版画に、聖職者への不信の念が感じられる。 高僧たちの遊蕩 ゆうとう 図なども数多く描かれ、そこには宗教への不信と人間批判が込められていた。 銅版画では17世紀のジャック・カロ、18世紀のウィリアム・ホガース、ゴヤなどが社会に対する批判を込めた風刺画を描き出す。 日本では江戸時代になると木版画技術が進歩し、そのなかで「鳥羽絵」本とよばれる木版漫画本が大坂に登場する。 1720年(享保5)から刊行された『鳥羽絵三国志』『鳥羽絵欠 あく び留 どめ 』などの版本で、京都や江戸でも人気を博した。 木版画と銅版画は原版をつくるうえに手間暇がかかり、1点当りの製作枚数にも限度があった。 したがって、一つの漫画作品が大衆社会に大きな影響力を及ぼすまでにはまだ時間がかかった。 そして18世紀末、ドイツのゼーネフェルダーによって発明された石版画(リトグラフ)技術は漫画の世界に革命をもたらすに至る。 水と油の反発力を利用した石版画は、木版画・銅版画に比して原版製作に時間がかからず、大量に刷ることができるため、ジャーナリズムのなかに利用されるようになる。 すなわち、時局風刺漫画の登場である。 印刷技術はさらに、色彩石版印刷、写真凸版印刷、ステンシル彩色、写真網版製版、色彩写真凸版印刷、オフセット印刷と発展し、大量部数の発行が可能となって漫画新聞、漫画雑誌、新聞漫画付録、漫画本が続々と登場するようになる。 日本では1877年(明治10)創刊の『団団珍聞 まるまるちんぶん 』が亜鉛凸版印刷による初の大量発行漫画誌(創刊号は5000部以上発行)となり、1905年(明治38)北沢楽天 らくてん が創刊した『東京パック』は色彩写真凸版印刷により万単位の発行部数を誇った。 そして、21年(大正10)日本最初の定期刊行新聞日曜付録『時事漫画』はオフセット印刷によって10万単位の部数を発行するに至る。 現代では製版・印刷にコンピュータが駆使され数百万部という新聞並みの発行部数を誇る漫画雑誌がいくつも登場している。 このように近代漫画や第二次世界大戦後の漫画は洋の東西を問わず、ジャーナリズム、マスコミのなかで発展し今日に至っている。 また、1990年代以降はインターネットの普及により、パソコンで見られるカートゥーンやコミック、携帯電話で読めるコミックも登場した。 [清水 勲] 漫画の歴史 日本『鳥獣人物戯画』『地獄草紙』『病草紙 やまいのそうし 』『百鬼夜行 ひゃっきやこう 絵巻』などの古代・中世戯画作品は、肉筆で描かれ、一部の人々の鑑賞の対象になっていた。 やがて漫画は版画で表現するという複製美術となり、大衆の享受するものになった。 その出発点は江戸中期に大坂で出された鳥羽絵本である。 漫画の元祖といわれていた鳥羽僧正 とばそうじょう の名を冠した鳥羽絵は、誇張や省略の技法を使った世界的にみてかなり早い時代に生み出された木版漫画本だった。 江戸初期、大津という一地方の仏画にすぎなかった大津絵は、江戸幕府がキリシタン弾圧政策を行いだすと仏教徒の証 あかし として求められるようになり、戯画的主題が多くなってからも、その護符的性格が受け継がれて江戸庶民の人気を得た。 彼らは今日の漫画を意味するものとして「大津絵」ということばを使ったほどだった。 江戸後期には『北斎 ほくさい 漫画』(第1編、1814)、『漫画百女 ひゃくじょ 』(1814)といった版本が出るが、ここで使われた「漫画」は従来からあった「漫筆」から派生したことばで、今日の「スケッチ」のような意味であった。 「狂歌」から「狂画」ということばも派生している。 このほか江戸時代を通じて使われた漫画を意味することばとしては、文字絵、鞘絵 さやえ (鞘写し)、もぬけ絵、判じ物、一筆 ひとふで 絵、影絵など100種以上ある。 1855年(安政2)の安政 あんせい 大地震直後に売り出され、地震をおこすものと信じられていた鯰 なまず をテーマにした鯰絵は、飛ぶように売れてその数は300種近くに達した。 漫画というものが江戸の人々の生活に深く入り込んでいたことがよくわかる。 日本の近代漫画は、ヨーロッパの影響を受けてスタートする。 1862年(文久2)に横浜居留地でイギリス人チャールズ・ワーグマンによって創刊された漫画雑誌『ジャパン・パンチ』の影響を受けて、幕末の日本の新聞に漫画が掲載されるようになる。 1874年(明治7)には仮名垣魯文 かながきろぶん ・河鍋暁斎 かわなべきょうさい によって『ジャパン・パンチ』をそっくりまねた『絵新聞日本地 にっぽんち 』が刊行される。 日本最初の漫画雑誌(木版刷)である。 明治の漫画は、浮世絵師たちによって錦絵 にしきえ のなかにも描かれる。 文明開化風俗が絶好の漫画テーマになったのである。 河鍋暁斎の「暁斎楽画」シリーズ、昇斎一景 しょうさいいっけい の「東京名所三十六戯撰 ぎせん 」シリーズ、月岡芳年 よしとし の「東京開化狂画名所」シリーズ、小林清親 きよちか の「清親ポンチ」「百面相」シリーズなどである。 本格的な漫画雑誌は、1877年に広島県出身の野村文夫によって創刊された『団団珍聞 まるまるちんぶん 』である。 ついで小林清親が迫力ある石版漫画で自由民権運動高揚期の風俗世相を描く。 長原は自身でも『とばえ』という不定期刊の漫画雑誌を出した。 明治も30年代に入ると、北沢楽天や小杉未醒 みせい (小杉放庵 ほうあん )のような明治生まれの人々が漫画を描き出す。 楽天は当時の欧米漫画のスタイルを取り入れ、あか抜けたリアルな画風で人気漫画家になる。 とくに1905年(明治38)に創刊した『東京パック』は錦絵のような大判で、全ページがカラー漫画であることで大好評を博し、富と名声を獲得する。 楽天の成功によって職業としての漫画家を目ざす青年たちが出てくる。 漫画家といえば新聞社の漫画担当記者といった時代だった。 15年、そうした在京の新聞漫画家が東京漫画会というグループを結成し、漫画家の仕事を世間に宣伝しだす。 大正期には『トバエ』(1916)、『漫画』(1917)、『赤』(1919)、『ユーモア』(1926)といった漫画誌が創刊されるが、いずれも短命に終わる。 しかし、21年に『時事新報』が読者獲得の手段として創刊した日曜付録『時事漫画』(北沢楽天主筆)は初の定期刊行漫画付録で、楽天とその門人たちが健筆を振るい、31年(昭和6)『漫画と読物』、32年『漫画と写真』と改題して33年まで続く。 そして新たに児童漫画というジャンルが脚光を浴び、昭和に入ると講談社や中村書店がその分野で話題作を次々と刊行していく。 横山隆一の『フクちゃん』(『朝日新聞』連載)も第二次世界大戦前・戦中の人気漫画となった。 大正末期から登場しだした児童漫画の出版は、1933年から38年までがピークで、以後は急速に減少していく。 それに38年の国家総動員法の施行により、児童漫画に規制が加えられたからである。 同年秋に発表された内務省図書課の「児童読物、並 ならび に絵本に関する内務省指示事項」には、付録漫画や低俗漫画を廃止すること、雑誌のなかの漫画の量を減らすこと、とくに長編漫画を減らすことなどが記されている。 『少年倶楽部 くらぶ 』の人気漫画であった「のらくろ」などの連載もこの指示で消えていく。 第二次世界大戦後のいわゆる戦後漫画は、何度かのブームを経ながらストーリー物(劇画・コミック)の比重を増大させていく。 最初のブームは1946年(昭和21)の漫画雑誌創刊ブームである。 『クマンバチ』(東京赤い星社)、『VAN』(イブニング・スター社)、『新漫画』(臼田 うすだ 書店)など数十種が創刊された。 このブームは3年ほど続く。 この間、手塚治虫 おさむ のアニメ化を意識した映画的表現手法の児童漫画が人気を博し、そのスタイルは第二次世界大戦後の漫画に大きな影響を与える。 続いて54年末に創刊された『漫画読本』(文芸春秋社)が人気をよび、第二次漫画ブームが到来する。 このころ貸本屋も隆盛の時代を迎え、貸本漫画誌として『影』(1956、日の丸文庫)、『街』(1957、セントラル出版社)などが創刊される。 そしてそこに描かれる青少年を読者対象にしたリアルな描写のストーリー漫画に「劇画」という名称がつけられる。 59年、白土三平 しらとさんぺい が『忍者武芸帳』(全17巻、三洋社)を刊行しだすと話題をよび、劇画ブームがやってくる。 59年、初の少年週刊漫画誌『少年サンデー』(小学館)、『少年マガジン』(講談社)が創刊される。 66年、『少年マガジン』は100万部を突破した。 80年には、少年週刊誌5誌の新年号発行部数が計1000万部を突破する。 94年(平成6)には、『少年ジャンプ』(集英社)は653万部発行を記録した。 漫画雑誌は子供向き、少女向き、青年向き、女性向きからさらには中年世代向きまで現れるが、1990年代なかばの年間19億冊(漫画雑誌と漫画本の合計)発行をピークに減少傾向となる。 その背景には少子化、ゲームや携帯電話やインターネットなどに金と時間を消費する傾向があげられるが、漫画喫茶や新古書店といわれるリサイクル型古書店の盛況は、漫画ファンが減少しているわけではないことを示している。 しかし、漫画喫茶や新古書店の登場は、漫画本の売上げを減らし、出版社や漫画家に大きな影響を与えている。 1970年代から日本のテレビアニメは世界中で人気を博し、84年(昭和59)の宮崎駿 はやお による『風の谷のナウシカ』の登場によって、劇場用アニメも世界で注目されるようになる。 そして、90年代にはゲームやアニメなどとファンを共有する、いわゆるメディアミックスのエンターテインメントが登場、その象徴的な作品『ポケットモンスター』(任天堂・ゲームフリーク・クリーチャーズ)が日本および世界でヒットする。 漫画やアニメのキャラクターは商品の宣伝、販売促進にも利用されだし、人気キャラクターのなかには「アンパンマン」など、毎年億単位の使用料を得るものがいくつも出てきている。 巨大な利益を生み出すキャラクター・ビジネスの隆盛は、著作権をより厳格にする傾向を生み出し、1998年、アメリカ議会は著作権保護期間を、作品発表後75年間を95年間に、作家の死後50年間を70年間に延長する法律を可決した。 そのため作家の死後50年間としている日本との差が生じてきた。 また、コンピュータ・グラフィクスによる漫画製作、インターネット上の漫画作品配信など、技術革新は漫画の世界も変革しようとしている。 1990年代のコミック作家は4000人を超え、アシスタントを2万人抱える産業になった。 [清水 勲] 西洋先史時代から始まる絵画の歴史のなかで、その出発点となっている絵画類は戯画的描法をとっているから、戯画と一般絵画との区別はつけにくいが、呪術 じゅじゅつ 的あるいは宗教的意味で描かれた絵画以外の絵、たとえば寓意 ぐうい 画のなかに戯画の出発点があるように思える。 古代エジプトの動物戯画などがその例である。 古代ギリシアでは人間の所業が戯画テーマとして登場してくる。 中世社会では絶対的権力をもっていた宗教に対して、その重圧を跳ね返さんとする欲求から宗教風刺画が描かれる。 ルネサンス期になると人間の内面をより深く見つめた風刺画が描かれるようになる。 そしてレオナルド・ダ・ビンチ、ヒエロニムス・ボス、ピーター・ブリューゲル、ジュゼッペ・アルチンボルドなど西洋漫画の基盤をつくる人々が登場する。 17世紀に入るとフランスのジャック・カロが、当時流行した即興仮面劇や道化芝居の形式を踏んで人間社会の現実を描き出した。 彼の銅版画シリーズ「戦争の悲惨と不幸」はのちにゴヤに影響を与える。 とくにホガースが議会に諮って著作権法を制定させたことは、漫画の歴史にとってきわめて意義深いことである。 19世紀に発明された写真は、画家のみならず漫画家にも大きな影響を与える。 肖像写真の表現する迫真性に対抗するため、顔に力点の置かれた似顔絵漫画が誕生するのである。 『レクリプス』『リュヌ』『リール』などの漫画雑誌の巻頭にそうした肖像漫画が描かれた。 20世紀は連載漫画やストーリー漫画が花開く。 そして、その描写は映画の表現方法からも数々の影響を受ける。 また漫画を動かして見せるアニメーションも20世紀に入って急速に発展していく。 20世紀の最大の悲劇である二つの世界大戦には、多くの漫画家が風刺漫画を描く。 第一次世界大戦中、オランダのルイス・レーメーカーは激しい反ドイツ漫画・反戦漫画を描き、ドイツ皇帝から賞金付きで行方を追跡される。 この大戦後、敗戦国ドイツからゲオルゲ・グロッスが登場し、反戦・反軍国主義の風刺画を描く。 第二次世界大戦では、ロシアのククルニクスイ(3人からなるグループ名)、イギリスのローなどが優れた風刺画を描いた。 第二次世界大戦後の漫画家として世界的に知られるのは、フランスのシネ、サンペ、アンドレ・フランソア、レイモン・ペイネ、シャバル、デュブウ、イギリスのロナルド・サール、ジェラルド・スカーフ、スイスのジョバネッティ、デンマークのヤコブソン、ロシアのククルニクスイ、エフィモフ、アメリカのソウル・スタインバーグ、ロバート・オズボーン、オットー・ソグロー、バージル・パーチ、チャールズ・アダムスなどの人々である。 チック・ヤングの『ブロンディ』、キャラクターのスヌーピーで有名なチャールズ・M・シュルツCharles M. 1980年、読売新聞社が創設した読売国際漫画大賞は、世界各国から毎年1万点余りの応募がある世界最大のカートゥーンコンテストとなっている。 92年、イギリスの漫画雑誌『パンチ』が151年の歴史を閉じたが、96年に復活した。 しかし、かつての世界の漫画界に影響を与えた風刺の勢いは失われている。 [清水 勲] 中国中国において記録のうえで漫画が登場した最初は11世紀(宋 そう 代)の石恪 せきかく 筆『玉皇朝会図』の画中に描かれた風刺画だという。 しかし、近代に至るまでは日本に比して漫画や風刺画の作品は少なく、傑出した漫画家や漫画作品が出ていない。 1875年ごろから『香港 ホンコン パンチ』などの漫画雑誌が登場するが、「漫画」は大正時代に日本から輸入されたことばであった。 漫画が活発に描かれるようになるのは辛亥 しんがい 革命(1911)前後からである。 反帝反封建を目ざす民主革命が多くの風刺画を生み出し、漫画が独立した美術分野になる。 その背景にはジャーナリズムの発展があり、そのなかに漫画が発表されたのである。 1909年に『寓意画』と題する初の漫画集が刊行され、18年には『上海 シャンハイ パック』が創刊される。 この雑誌は北沢楽天の『東京パック』の影響を受けたものだと思われる。 28年には週刊漫画雑誌『上海漫画』が創刊される。 日中十五年戦争時代には抗日漫画が盛んに描かれ、49年の新中国誕生以降は革命思想の普及と国家建設の教宣に漫画は大いに利用される。 現在は『漫画』『風刺と幽黙』という漫画専門誌が定期刊行されている。 また、1990年代に入り、中国でも日本や香港、台湾の影響を受けてコミック誌が出されるようになった。 [清水 勲] アジア朝鮮も中国同様に古代から漫画は存在したと思われるが、その歴史はあまり明らかでない。 近代以降、日本の支配下では『京城パック』『漫画朝鮮』といった漫画雑誌が出された。 インドネシアでは1920年代なかばから30年代初頭にかけての民族運動時代から漫画が登場してくる。 70年代から『コンパス』紙の『パシコムおじさん』(G・M・スダルタ)が人気をよび、日本にも85年、単行本になって紹介された。 フィリピンでは第二次世界大戦後のマルコス政権末期、政治風刺画が禁じられる時代が続いた。 シンガポールのヘン・キムソンの政治漫画は世界各国の新聞に転載されている。 アジア諸国は総じて、戦後のジャーナリズム発展とともに漫画が開花したといえる。 1996年より、日本、韓国、台湾、香港のコミック作家たちの交流の場である「東アジアMANGAサミット」が開催され始めた。 また、国際交流基金が毎年主催する「アセアン漫画家展」(1990~94)、「アジア漫画展」(1995~)は、日本各地およびアジア諸国に巡回され、漫画を通じての交流の場となっている。

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風刺,ユーモア,ナンセンスなどを扱う絵画上のジャンル。 一枚の絵にユーモアや政治,社会に対する風刺をあらわすカルトンと,一連の筋をもつコマ割りの絵物語トリップとに大別される。 前者は西洋ではとも呼ばれ,古代からの戯画の系統をひくもの。 後者は19世紀末米国の《ニューヨーク・ワールド》紙の日曜版に掲載されたアウトコールトの《ザ・イエロー・キッド》に始まり,新聞を媒体として流行。 《ブロンディ》等日常生活の中のユーモアをとりあげた一話完結のタイプと,冒険,怪奇,探偵等の物語を主体としたストーリー漫画がある。 日本では明治初期に来日したやの影響で西洋風の手法がとり入れられ,大正期になってを中心に新聞漫画が隆盛,1921年東京朝日新聞に連載された岡本の《人の一生》は長編のストーリー漫画のさきがけとなり,次いで《ノンキナトウサン》,《のらくろ》,島田啓三《冒険ダン吉》,《フクちゃん》等が人気を得た。 第2次大戦後は《サザエさん》,根本進《クリちゃん》,《かっぱ天国》等に続いての作品が人気を博し,その手法は新風をもたらした。 1950年代半ばから漫画ブームが起こり,1960年代には週刊漫画誌が大手出版社によってあいついで創刊される一方,かつての作家を中心とする貸本漫画から〈〉という流れが現れ,の《忍者武芸帳》などが青年に支持された。 また,1970年代以後《ベルサイユのばら》をとしてらによるが独自の表現を開花させた。 1980年代以降は《》などあらゆるジャンルでの漫画表現が試みられ,また表現技法も多様化している。 1994年には《少年ジャンプ》の発行部数は600万部をこえ,日本の漫画誌の総発行部数は月間1億3000万冊にのぼる(1994年6月)。 一枚物もあり,続物の形もある。 [漫画の先駆] 漫画は絵と笑いの結びつきとともに古い。 エジプトの記念碑の一つに,がの後で吐いているのをが介抱するが彫り込まれており,漫画がすでに古代エジプトにあったことがわかる。 にも鳥や獣のこっけいな絵が描かれている。 ギリシア時代にはこっけいなで知られたパウソンという漫画家がいたという。 中国では今残っているものとしては,漫画よりも漫画彫刻であり,前の将軍霍去病(かくきよへい)のには,を踏みつける馬のがあり,馬が威風堂々としており,踏みつけられる人間は,を忘れてもがいているところに漫画的の手法をとっている。 出典 株式会社平凡社 世界大百科事典 第2版について の解説 戯画、風刺画、大津絵、鳥羽絵 とばえ 、狂画、カリカチュアcaricature、カートゥーンcartoon、劇画、コミックcomicなど、多様な呼称がつけられた絵画分野、あるいはその総称。 [清水 勲] 漫画の特質漫画とは何かをひと口で定義することは非常にむずかしい。 それは自由奔放な絵画空間であり、規定されないところにその特質が隠されているといえるからである。 また「漫画」ということば自体、大衆のなかに定着したのは昭和初期という比較的新しいことであった。 そのことばの確立によって、写真、映画、ポスターと並ぶ近代複製美術の一大分野を形成するようになる。 したがって、漫画をあえて定義すると「遊びの心」あるいは「風刺の心」をもって描いた絵ということになる。 おもしろい漫画とはこの「遊び」の精神、「風刺」の精神がバランスよく含まれた絵だといえる。 現代漫画はカートゥーン(一枚絵漫画)とコミック(ストーリー漫画)に大別できる。 コミックは20世紀に入って映画などの影響を受けて世界的に発展してきたストーリーのある「こま漫画」である。 漫画小説、連続漫画、絵物語、劇画などとよばれてきた。 漫画に相当する絵は、人間が絵を描くことを知ったころから描かれていたと思われるが、顔料・墨・筆・紙などが発明されることにより表現法が多様化し、大量に描かれるようになった。 しかし、漫画は元来、描かれて一定の目的が達せられると捨て去られるのが宿命であった。 洋の東西を問わず、古代・中世の作品で残されたものが少ないのは、そうした特質も影響しているように思われる。 古代エジプトの動物戯画、古代ギリシアの壺絵 つぼえ の戯画、正倉院古文書の戯画「大大論」、京都・高山寺の『鳥獣人物戯画』などは現代に伝えられた貴重な作品である。 そうしたものは特定の人々の鑑賞のために製作されたものであるが、版画技術が発明されると様相が一変する。 不特定多数を対象にした漫画が描かれるようになるのである。 中世ヨーロッパの宗教絶対社会のなかで、木版画は宗教プロパガンダの役割を果たす一方で、人間性の目覚めともいうべき宗教に対する風刺画をも登場させる。 たとえば、「尼僧の部屋に出入りする僧侶 そうりょ 」といった木版画に、聖職者への不信の念が感じられる。 高僧たちの遊蕩 ゆうとう 図なども数多く描かれ、そこには宗教への不信と人間批判が込められていた。 銅版画では17世紀のジャック・カロ、18世紀のウィリアム・ホガース、ゴヤなどが社会に対する批判を込めた風刺画を描き出す。 日本では江戸時代になると木版画技術が進歩し、そのなかで「鳥羽絵」本とよばれる木版漫画本が大坂に登場する。 1720年(享保5)から刊行された『鳥羽絵三国志』『鳥羽絵欠 あく び留 どめ 』などの版本で、京都や江戸でも人気を博した。 木版画と銅版画は原版をつくるうえに手間暇がかかり、1点当りの製作枚数にも限度があった。 したがって、一つの漫画作品が大衆社会に大きな影響力を及ぼすまでにはまだ時間がかかった。 そして18世紀末、ドイツのゼーネフェルダーによって発明された石版画(リトグラフ)技術は漫画の世界に革命をもたらすに至る。 水と油の反発力を利用した石版画は、木版画・銅版画に比して原版製作に時間がかからず、大量に刷ることができるため、ジャーナリズムのなかに利用されるようになる。 すなわち、時局風刺漫画の登場である。 印刷技術はさらに、色彩石版印刷、写真凸版印刷、ステンシル彩色、写真網版製版、色彩写真凸版印刷、オフセット印刷と発展し、大量部数の発行が可能となって漫画新聞、漫画雑誌、新聞漫画付録、漫画本が続々と登場するようになる。 日本では1877年(明治10)創刊の『団団珍聞 まるまるちんぶん 』が亜鉛凸版印刷による初の大量発行漫画誌(創刊号は5000部以上発行)となり、1905年(明治38)北沢楽天 らくてん が創刊した『東京パック』は色彩写真凸版印刷により万単位の発行部数を誇った。 そして、21年(大正10)日本最初の定期刊行新聞日曜付録『時事漫画』はオフセット印刷によって10万単位の部数を発行するに至る。 現代では製版・印刷にコンピュータが駆使され数百万部という新聞並みの発行部数を誇る漫画雑誌がいくつも登場している。 このように近代漫画や第二次世界大戦後の漫画は洋の東西を問わず、ジャーナリズム、マスコミのなかで発展し今日に至っている。 また、1990年代以降はインターネットの普及により、パソコンで見られるカートゥーンやコミック、携帯電話で読めるコミックも登場した。 [清水 勲] 漫画の歴史 日本『鳥獣人物戯画』『地獄草紙』『病草紙 やまいのそうし 』『百鬼夜行 ひゃっきやこう 絵巻』などの古代・中世戯画作品は、肉筆で描かれ、一部の人々の鑑賞の対象になっていた。 やがて漫画は版画で表現するという複製美術となり、大衆の享受するものになった。 その出発点は江戸中期に大坂で出された鳥羽絵本である。 漫画の元祖といわれていた鳥羽僧正 とばそうじょう の名を冠した鳥羽絵は、誇張や省略の技法を使った世界的にみてかなり早い時代に生み出された木版漫画本だった。 江戸初期、大津という一地方の仏画にすぎなかった大津絵は、江戸幕府がキリシタン弾圧政策を行いだすと仏教徒の証 あかし として求められるようになり、戯画的主題が多くなってからも、その護符的性格が受け継がれて江戸庶民の人気を得た。 彼らは今日の漫画を意味するものとして「大津絵」ということばを使ったほどだった。 江戸後期には『北斎 ほくさい 漫画』(第1編、1814)、『漫画百女 ひゃくじょ 』(1814)といった版本が出るが、ここで使われた「漫画」は従来からあった「漫筆」から派生したことばで、今日の「スケッチ」のような意味であった。 「狂歌」から「狂画」ということばも派生している。 このほか江戸時代を通じて使われた漫画を意味することばとしては、文字絵、鞘絵 さやえ (鞘写し)、もぬけ絵、判じ物、一筆 ひとふで 絵、影絵など100種以上ある。 1855年(安政2)の安政 あんせい 大地震直後に売り出され、地震をおこすものと信じられていた鯰 なまず をテーマにした鯰絵は、飛ぶように売れてその数は300種近くに達した。 漫画というものが江戸の人々の生活に深く入り込んでいたことがよくわかる。 日本の近代漫画は、ヨーロッパの影響を受けてスタートする。 1862年(文久2)に横浜居留地でイギリス人チャールズ・ワーグマンによって創刊された漫画雑誌『ジャパン・パンチ』の影響を受けて、幕末の日本の新聞に漫画が掲載されるようになる。 1874年(明治7)には仮名垣魯文 かながきろぶん ・河鍋暁斎 かわなべきょうさい によって『ジャパン・パンチ』をそっくりまねた『絵新聞日本地 にっぽんち 』が刊行される。 日本最初の漫画雑誌(木版刷)である。 明治の漫画は、浮世絵師たちによって錦絵 にしきえ のなかにも描かれる。 文明開化風俗が絶好の漫画テーマになったのである。 河鍋暁斎の「暁斎楽画」シリーズ、昇斎一景 しょうさいいっけい の「東京名所三十六戯撰 ぎせん 」シリーズ、月岡芳年 よしとし の「東京開化狂画名所」シリーズ、小林清親 きよちか の「清親ポンチ」「百面相」シリーズなどである。 本格的な漫画雑誌は、1877年に広島県出身の野村文夫によって創刊された『団団珍聞 まるまるちんぶん 』である。 ついで小林清親が迫力ある石版漫画で自由民権運動高揚期の風俗世相を描く。 長原は自身でも『とばえ』という不定期刊の漫画雑誌を出した。 明治も30年代に入ると、北沢楽天や小杉未醒 みせい (小杉放庵 ほうあん )のような明治生まれの人々が漫画を描き出す。 楽天は当時の欧米漫画のスタイルを取り入れ、あか抜けたリアルな画風で人気漫画家になる。 とくに1905年(明治38)に創刊した『東京パック』は錦絵のような大判で、全ページがカラー漫画であることで大好評を博し、富と名声を獲得する。 楽天の成功によって職業としての漫画家を目ざす青年たちが出てくる。 漫画家といえば新聞社の漫画担当記者といった時代だった。 15年、そうした在京の新聞漫画家が東京漫画会というグループを結成し、漫画家の仕事を世間に宣伝しだす。 大正期には『トバエ』(1916)、『漫画』(1917)、『赤』(1919)、『ユーモア』(1926)といった漫画誌が創刊されるが、いずれも短命に終わる。 しかし、21年に『時事新報』が読者獲得の手段として創刊した日曜付録『時事漫画』(北沢楽天主筆)は初の定期刊行漫画付録で、楽天とその門人たちが健筆を振るい、31年(昭和6)『漫画と読物』、32年『漫画と写真』と改題して33年まで続く。 そして新たに児童漫画というジャンルが脚光を浴び、昭和に入ると講談社や中村書店がその分野で話題作を次々と刊行していく。 横山隆一の『フクちゃん』(『朝日新聞』連載)も第二次世界大戦前・戦中の人気漫画となった。 大正末期から登場しだした児童漫画の出版は、1933年から38年までがピークで、以後は急速に減少していく。 それに38年の国家総動員法の施行により、児童漫画に規制が加えられたからである。 同年秋に発表された内務省図書課の「児童読物、並 ならび に絵本に関する内務省指示事項」には、付録漫画や低俗漫画を廃止すること、雑誌のなかの漫画の量を減らすこと、とくに長編漫画を減らすことなどが記されている。 『少年倶楽部 くらぶ 』の人気漫画であった「のらくろ」などの連載もこの指示で消えていく。 第二次世界大戦後のいわゆる戦後漫画は、何度かのブームを経ながらストーリー物(劇画・コミック)の比重を増大させていく。 最初のブームは1946年(昭和21)の漫画雑誌創刊ブームである。 『クマンバチ』(東京赤い星社)、『VAN』(イブニング・スター社)、『新漫画』(臼田 うすだ 書店)など数十種が創刊された。 このブームは3年ほど続く。 この間、手塚治虫 おさむ のアニメ化を意識した映画的表現手法の児童漫画が人気を博し、そのスタイルは第二次世界大戦後の漫画に大きな影響を与える。 続いて54年末に創刊された『漫画読本』(文芸春秋社)が人気をよび、第二次漫画ブームが到来する。 このころ貸本屋も隆盛の時代を迎え、貸本漫画誌として『影』(1956、日の丸文庫)、『街』(1957、セントラル出版社)などが創刊される。 そしてそこに描かれる青少年を読者対象にしたリアルな描写のストーリー漫画に「劇画」という名称がつけられる。 59年、白土三平 しらとさんぺい が『忍者武芸帳』(全17巻、三洋社)を刊行しだすと話題をよび、劇画ブームがやってくる。 59年、初の少年週刊漫画誌『少年サンデー』(小学館)、『少年マガジン』(講談社)が創刊される。 66年、『少年マガジン』は100万部を突破した。 80年には、少年週刊誌5誌の新年号発行部数が計1000万部を突破する。 94年(平成6)には、『少年ジャンプ』(集英社)は653万部発行を記録した。 漫画雑誌は子供向き、少女向き、青年向き、女性向きからさらには中年世代向きまで現れるが、1990年代なかばの年間19億冊(漫画雑誌と漫画本の合計)発行をピークに減少傾向となる。 その背景には少子化、ゲームや携帯電話やインターネットなどに金と時間を消費する傾向があげられるが、漫画喫茶や新古書店といわれるリサイクル型古書店の盛況は、漫画ファンが減少しているわけではないことを示している。 しかし、漫画喫茶や新古書店の登場は、漫画本の売上げを減らし、出版社や漫画家に大きな影響を与えている。 1970年代から日本のテレビアニメは世界中で人気を博し、84年(昭和59)の宮崎駿 はやお による『風の谷のナウシカ』の登場によって、劇場用アニメも世界で注目されるようになる。 そして、90年代にはゲームやアニメなどとファンを共有する、いわゆるメディアミックスのエンターテインメントが登場、その象徴的な作品『ポケットモンスター』(任天堂・ゲームフリーク・クリーチャーズ)が日本および世界でヒットする。 漫画やアニメのキャラクターは商品の宣伝、販売促進にも利用されだし、人気キャラクターのなかには「アンパンマン」など、毎年億単位の使用料を得るものがいくつも出てきている。 巨大な利益を生み出すキャラクター・ビジネスの隆盛は、著作権をより厳格にする傾向を生み出し、1998年、アメリカ議会は著作権保護期間を、作品発表後75年間を95年間に、作家の死後50年間を70年間に延長する法律を可決した。 そのため作家の死後50年間としている日本との差が生じてきた。 また、コンピュータ・グラフィクスによる漫画製作、インターネット上の漫画作品配信など、技術革新は漫画の世界も変革しようとしている。 1990年代のコミック作家は4000人を超え、アシスタントを2万人抱える産業になった。 [清水 勲] 西洋先史時代から始まる絵画の歴史のなかで、その出発点となっている絵画類は戯画的描法をとっているから、戯画と一般絵画との区別はつけにくいが、呪術 じゅじゅつ 的あるいは宗教的意味で描かれた絵画以外の絵、たとえば寓意 ぐうい 画のなかに戯画の出発点があるように思える。 古代エジプトの動物戯画などがその例である。 古代ギリシアでは人間の所業が戯画テーマとして登場してくる。 中世社会では絶対的権力をもっていた宗教に対して、その重圧を跳ね返さんとする欲求から宗教風刺画が描かれる。 ルネサンス期になると人間の内面をより深く見つめた風刺画が描かれるようになる。 そしてレオナルド・ダ・ビンチ、ヒエロニムス・ボス、ピーター・ブリューゲル、ジュゼッペ・アルチンボルドなど西洋漫画の基盤をつくる人々が登場する。 17世紀に入るとフランスのジャック・カロが、当時流行した即興仮面劇や道化芝居の形式を踏んで人間社会の現実を描き出した。 彼の銅版画シリーズ「戦争の悲惨と不幸」はのちにゴヤに影響を与える。 とくにホガースが議会に諮って著作権法を制定させたことは、漫画の歴史にとってきわめて意義深いことである。 19世紀に発明された写真は、画家のみならず漫画家にも大きな影響を与える。 肖像写真の表現する迫真性に対抗するため、顔に力点の置かれた似顔絵漫画が誕生するのである。 『レクリプス』『リュヌ』『リール』などの漫画雑誌の巻頭にそうした肖像漫画が描かれた。 20世紀は連載漫画やストーリー漫画が花開く。 そして、その描写は映画の表現方法からも数々の影響を受ける。 また漫画を動かして見せるアニメーションも20世紀に入って急速に発展していく。 20世紀の最大の悲劇である二つの世界大戦には、多くの漫画家が風刺漫画を描く。 第一次世界大戦中、オランダのルイス・レーメーカーは激しい反ドイツ漫画・反戦漫画を描き、ドイツ皇帝から賞金付きで行方を追跡される。 この大戦後、敗戦国ドイツからゲオルゲ・グロッスが登場し、反戦・反軍国主義の風刺画を描く。 第二次世界大戦では、ロシアのククルニクスイ(3人からなるグループ名)、イギリスのローなどが優れた風刺画を描いた。 第二次世界大戦後の漫画家として世界的に知られるのは、フランスのシネ、サンペ、アンドレ・フランソア、レイモン・ペイネ、シャバル、デュブウ、イギリスのロナルド・サール、ジェラルド・スカーフ、スイスのジョバネッティ、デンマークのヤコブソン、ロシアのククルニクスイ、エフィモフ、アメリカのソウル・スタインバーグ、ロバート・オズボーン、オットー・ソグロー、バージル・パーチ、チャールズ・アダムスなどの人々である。 チック・ヤングの『ブロンディ』、キャラクターのスヌーピーで有名なチャールズ・M・シュルツCharles M. 1980年、読売新聞社が創設した読売国際漫画大賞は、世界各国から毎年1万点余りの応募がある世界最大のカートゥーンコンテストとなっている。 92年、イギリスの漫画雑誌『パンチ』が151年の歴史を閉じたが、96年に復活した。 しかし、かつての世界の漫画界に影響を与えた風刺の勢いは失われている。 [清水 勲] 中国中国において記録のうえで漫画が登場した最初は11世紀(宋 そう 代)の石恪 せきかく 筆『玉皇朝会図』の画中に描かれた風刺画だという。 しかし、近代に至るまでは日本に比して漫画や風刺画の作品は少なく、傑出した漫画家や漫画作品が出ていない。 1875年ごろから『香港 ホンコン パンチ』などの漫画雑誌が登場するが、「漫画」は大正時代に日本から輸入されたことばであった。 漫画が活発に描かれるようになるのは辛亥 しんがい 革命(1911)前後からである。 反帝反封建を目ざす民主革命が多くの風刺画を生み出し、漫画が独立した美術分野になる。 その背景にはジャーナリズムの発展があり、そのなかに漫画が発表されたのである。 1909年に『寓意画』と題する初の漫画集が刊行され、18年には『上海 シャンハイ パック』が創刊される。 この雑誌は北沢楽天の『東京パック』の影響を受けたものだと思われる。 28年には週刊漫画雑誌『上海漫画』が創刊される。 日中十五年戦争時代には抗日漫画が盛んに描かれ、49年の新中国誕生以降は革命思想の普及と国家建設の教宣に漫画は大いに利用される。 現在は『漫画』『風刺と幽黙』という漫画専門誌が定期刊行されている。 また、1990年代に入り、中国でも日本や香港、台湾の影響を受けてコミック誌が出されるようになった。 [清水 勲] アジア朝鮮も中国同様に古代から漫画は存在したと思われるが、その歴史はあまり明らかでない。 近代以降、日本の支配下では『京城パック』『漫画朝鮮』といった漫画雑誌が出された。 インドネシアでは1920年代なかばから30年代初頭にかけての民族運動時代から漫画が登場してくる。 70年代から『コンパス』紙の『パシコムおじさん』(G・M・スダルタ)が人気をよび、日本にも85年、単行本になって紹介された。 フィリピンでは第二次世界大戦後のマルコス政権末期、政治風刺画が禁じられる時代が続いた。 シンガポールのヘン・キムソンの政治漫画は世界各国の新聞に転載されている。 アジア諸国は総じて、戦後のジャーナリズム発展とともに漫画が開花したといえる。 1996年より、日本、韓国、台湾、香港のコミック作家たちの交流の場である「東アジアMANGAサミット」が開催され始めた。 また、国際交流基金が毎年主催する「アセアン漫画家展」(1990~94)、「アジア漫画展」(1995~)は、日本各地およびアジア諸国に巡回され、漫画を通じての交流の場となっている。

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風刺,ユーモア,ナンセンスなどを扱う絵画上のジャンル。 一枚の絵にユーモアや政治,社会に対する風刺をあらわすカルトンと,一連の筋をもつコマ割りの絵物語トリップとに大別される。 前者は西洋ではとも呼ばれ,古代からの戯画の系統をひくもの。 後者は19世紀末米国の《ニューヨーク・ワールド》紙の日曜版に掲載されたアウトコールトの《ザ・イエロー・キッド》に始まり,新聞を媒体として流行。 《ブロンディ》等日常生活の中のユーモアをとりあげた一話完結のタイプと,冒険,怪奇,探偵等の物語を主体としたストーリー漫画がある。 日本では明治初期に来日したやの影響で西洋風の手法がとり入れられ,大正期になってを中心に新聞漫画が隆盛,1921年東京朝日新聞に連載された岡本の《人の一生》は長編のストーリー漫画のさきがけとなり,次いで《ノンキナトウサン》,《のらくろ》,島田啓三《冒険ダン吉》,《フクちゃん》等が人気を得た。 第2次大戦後は《サザエさん》,根本進《クリちゃん》,《かっぱ天国》等に続いての作品が人気を博し,その手法は新風をもたらした。 1950年代半ばから漫画ブームが起こり,1960年代には週刊漫画誌が大手出版社によってあいついで創刊される一方,かつての作家を中心とする貸本漫画から〈〉という流れが現れ,の《忍者武芸帳》などが青年に支持された。 また,1970年代以後《ベルサイユのばら》をとしてらによるが独自の表現を開花させた。 1980年代以降は《》などあらゆるジャンルでの漫画表現が試みられ,また表現技法も多様化している。 1994年には《少年ジャンプ》の発行部数は600万部をこえ,日本の漫画誌の総発行部数は月間1億3000万冊にのぼる(1994年6月)。 一枚物もあり,続物の形もある。 [漫画の先駆] 漫画は絵と笑いの結びつきとともに古い。 エジプトの記念碑の一つに,がの後で吐いているのをが介抱するが彫り込まれており,漫画がすでに古代エジプトにあったことがわかる。 にも鳥や獣のこっけいな絵が描かれている。 ギリシア時代にはこっけいなで知られたパウソンという漫画家がいたという。 中国では今残っているものとしては,漫画よりも漫画彫刻であり,前の将軍霍去病(かくきよへい)のには,を踏みつける馬のがあり,馬が威風堂々としており,踏みつけられる人間は,を忘れてもがいているところに漫画的の手法をとっている。 出典 株式会社平凡社 世界大百科事典 第2版について の解説 戯画、風刺画、大津絵、鳥羽絵 とばえ 、狂画、カリカチュアcaricature、カートゥーンcartoon、劇画、コミックcomicなど、多様な呼称がつけられた絵画分野、あるいはその総称。 [清水 勲] 漫画の特質漫画とは何かをひと口で定義することは非常にむずかしい。 それは自由奔放な絵画空間であり、規定されないところにその特質が隠されているといえるからである。 また「漫画」ということば自体、大衆のなかに定着したのは昭和初期という比較的新しいことであった。 そのことばの確立によって、写真、映画、ポスターと並ぶ近代複製美術の一大分野を形成するようになる。 したがって、漫画をあえて定義すると「遊びの心」あるいは「風刺の心」をもって描いた絵ということになる。 おもしろい漫画とはこの「遊び」の精神、「風刺」の精神がバランスよく含まれた絵だといえる。 現代漫画はカートゥーン(一枚絵漫画)とコミック(ストーリー漫画)に大別できる。 コミックは20世紀に入って映画などの影響を受けて世界的に発展してきたストーリーのある「こま漫画」である。 漫画小説、連続漫画、絵物語、劇画などとよばれてきた。 漫画に相当する絵は、人間が絵を描くことを知ったころから描かれていたと思われるが、顔料・墨・筆・紙などが発明されることにより表現法が多様化し、大量に描かれるようになった。 しかし、漫画は元来、描かれて一定の目的が達せられると捨て去られるのが宿命であった。 洋の東西を問わず、古代・中世の作品で残されたものが少ないのは、そうした特質も影響しているように思われる。 古代エジプトの動物戯画、古代ギリシアの壺絵 つぼえ の戯画、正倉院古文書の戯画「大大論」、京都・高山寺の『鳥獣人物戯画』などは現代に伝えられた貴重な作品である。 そうしたものは特定の人々の鑑賞のために製作されたものであるが、版画技術が発明されると様相が一変する。 不特定多数を対象にした漫画が描かれるようになるのである。 中世ヨーロッパの宗教絶対社会のなかで、木版画は宗教プロパガンダの役割を果たす一方で、人間性の目覚めともいうべき宗教に対する風刺画をも登場させる。 たとえば、「尼僧の部屋に出入りする僧侶 そうりょ 」といった木版画に、聖職者への不信の念が感じられる。 高僧たちの遊蕩 ゆうとう 図なども数多く描かれ、そこには宗教への不信と人間批判が込められていた。 銅版画では17世紀のジャック・カロ、18世紀のウィリアム・ホガース、ゴヤなどが社会に対する批判を込めた風刺画を描き出す。 日本では江戸時代になると木版画技術が進歩し、そのなかで「鳥羽絵」本とよばれる木版漫画本が大坂に登場する。 1720年(享保5)から刊行された『鳥羽絵三国志』『鳥羽絵欠 あく び留 どめ 』などの版本で、京都や江戸でも人気を博した。 木版画と銅版画は原版をつくるうえに手間暇がかかり、1点当りの製作枚数にも限度があった。 したがって、一つの漫画作品が大衆社会に大きな影響力を及ぼすまでにはまだ時間がかかった。 そして18世紀末、ドイツのゼーネフェルダーによって発明された石版画(リトグラフ)技術は漫画の世界に革命をもたらすに至る。 水と油の反発力を利用した石版画は、木版画・銅版画に比して原版製作に時間がかからず、大量に刷ることができるため、ジャーナリズムのなかに利用されるようになる。 すなわち、時局風刺漫画の登場である。 印刷技術はさらに、色彩石版印刷、写真凸版印刷、ステンシル彩色、写真網版製版、色彩写真凸版印刷、オフセット印刷と発展し、大量部数の発行が可能となって漫画新聞、漫画雑誌、新聞漫画付録、漫画本が続々と登場するようになる。 日本では1877年(明治10)創刊の『団団珍聞 まるまるちんぶん 』が亜鉛凸版印刷による初の大量発行漫画誌(創刊号は5000部以上発行)となり、1905年(明治38)北沢楽天 らくてん が創刊した『東京パック』は色彩写真凸版印刷により万単位の発行部数を誇った。 そして、21年(大正10)日本最初の定期刊行新聞日曜付録『時事漫画』はオフセット印刷によって10万単位の部数を発行するに至る。 現代では製版・印刷にコンピュータが駆使され数百万部という新聞並みの発行部数を誇る漫画雑誌がいくつも登場している。 このように近代漫画や第二次世界大戦後の漫画は洋の東西を問わず、ジャーナリズム、マスコミのなかで発展し今日に至っている。 また、1990年代以降はインターネットの普及により、パソコンで見られるカートゥーンやコミック、携帯電話で読めるコミックも登場した。 [清水 勲] 漫画の歴史 日本『鳥獣人物戯画』『地獄草紙』『病草紙 やまいのそうし 』『百鬼夜行 ひゃっきやこう 絵巻』などの古代・中世戯画作品は、肉筆で描かれ、一部の人々の鑑賞の対象になっていた。 やがて漫画は版画で表現するという複製美術となり、大衆の享受するものになった。 その出発点は江戸中期に大坂で出された鳥羽絵本である。 漫画の元祖といわれていた鳥羽僧正 とばそうじょう の名を冠した鳥羽絵は、誇張や省略の技法を使った世界的にみてかなり早い時代に生み出された木版漫画本だった。 江戸初期、大津という一地方の仏画にすぎなかった大津絵は、江戸幕府がキリシタン弾圧政策を行いだすと仏教徒の証 あかし として求められるようになり、戯画的主題が多くなってからも、その護符的性格が受け継がれて江戸庶民の人気を得た。 彼らは今日の漫画を意味するものとして「大津絵」ということばを使ったほどだった。 江戸後期には『北斎 ほくさい 漫画』(第1編、1814)、『漫画百女 ひゃくじょ 』(1814)といった版本が出るが、ここで使われた「漫画」は従来からあった「漫筆」から派生したことばで、今日の「スケッチ」のような意味であった。 「狂歌」から「狂画」ということばも派生している。 このほか江戸時代を通じて使われた漫画を意味することばとしては、文字絵、鞘絵 さやえ (鞘写し)、もぬけ絵、判じ物、一筆 ひとふで 絵、影絵など100種以上ある。 1855年(安政2)の安政 あんせい 大地震直後に売り出され、地震をおこすものと信じられていた鯰 なまず をテーマにした鯰絵は、飛ぶように売れてその数は300種近くに達した。 漫画というものが江戸の人々の生活に深く入り込んでいたことがよくわかる。 日本の近代漫画は、ヨーロッパの影響を受けてスタートする。 1862年(文久2)に横浜居留地でイギリス人チャールズ・ワーグマンによって創刊された漫画雑誌『ジャパン・パンチ』の影響を受けて、幕末の日本の新聞に漫画が掲載されるようになる。 1874年(明治7)には仮名垣魯文 かながきろぶん ・河鍋暁斎 かわなべきょうさい によって『ジャパン・パンチ』をそっくりまねた『絵新聞日本地 にっぽんち 』が刊行される。 日本最初の漫画雑誌(木版刷)である。 明治の漫画は、浮世絵師たちによって錦絵 にしきえ のなかにも描かれる。 文明開化風俗が絶好の漫画テーマになったのである。 河鍋暁斎の「暁斎楽画」シリーズ、昇斎一景 しょうさいいっけい の「東京名所三十六戯撰 ぎせん 」シリーズ、月岡芳年 よしとし の「東京開化狂画名所」シリーズ、小林清親 きよちか の「清親ポンチ」「百面相」シリーズなどである。 本格的な漫画雑誌は、1877年に広島県出身の野村文夫によって創刊された『団団珍聞 まるまるちんぶん 』である。 ついで小林清親が迫力ある石版漫画で自由民権運動高揚期の風俗世相を描く。 長原は自身でも『とばえ』という不定期刊の漫画雑誌を出した。 明治も30年代に入ると、北沢楽天や小杉未醒 みせい (小杉放庵 ほうあん )のような明治生まれの人々が漫画を描き出す。 楽天は当時の欧米漫画のスタイルを取り入れ、あか抜けたリアルな画風で人気漫画家になる。 とくに1905年(明治38)に創刊した『東京パック』は錦絵のような大判で、全ページがカラー漫画であることで大好評を博し、富と名声を獲得する。 楽天の成功によって職業としての漫画家を目ざす青年たちが出てくる。 漫画家といえば新聞社の漫画担当記者といった時代だった。 15年、そうした在京の新聞漫画家が東京漫画会というグループを結成し、漫画家の仕事を世間に宣伝しだす。 大正期には『トバエ』(1916)、『漫画』(1917)、『赤』(1919)、『ユーモア』(1926)といった漫画誌が創刊されるが、いずれも短命に終わる。 しかし、21年に『時事新報』が読者獲得の手段として創刊した日曜付録『時事漫画』(北沢楽天主筆)は初の定期刊行漫画付録で、楽天とその門人たちが健筆を振るい、31年(昭和6)『漫画と読物』、32年『漫画と写真』と改題して33年まで続く。 そして新たに児童漫画というジャンルが脚光を浴び、昭和に入ると講談社や中村書店がその分野で話題作を次々と刊行していく。 横山隆一の『フクちゃん』(『朝日新聞』連載)も第二次世界大戦前・戦中の人気漫画となった。 大正末期から登場しだした児童漫画の出版は、1933年から38年までがピークで、以後は急速に減少していく。 それに38年の国家総動員法の施行により、児童漫画に規制が加えられたからである。 同年秋に発表された内務省図書課の「児童読物、並 ならび に絵本に関する内務省指示事項」には、付録漫画や低俗漫画を廃止すること、雑誌のなかの漫画の量を減らすこと、とくに長編漫画を減らすことなどが記されている。 『少年倶楽部 くらぶ 』の人気漫画であった「のらくろ」などの連載もこの指示で消えていく。 第二次世界大戦後のいわゆる戦後漫画は、何度かのブームを経ながらストーリー物(劇画・コミック)の比重を増大させていく。 最初のブームは1946年(昭和21)の漫画雑誌創刊ブームである。 『クマンバチ』(東京赤い星社)、『VAN』(イブニング・スター社)、『新漫画』(臼田 うすだ 書店)など数十種が創刊された。 このブームは3年ほど続く。 この間、手塚治虫 おさむ のアニメ化を意識した映画的表現手法の児童漫画が人気を博し、そのスタイルは第二次世界大戦後の漫画に大きな影響を与える。 続いて54年末に創刊された『漫画読本』(文芸春秋社)が人気をよび、第二次漫画ブームが到来する。 このころ貸本屋も隆盛の時代を迎え、貸本漫画誌として『影』(1956、日の丸文庫)、『街』(1957、セントラル出版社)などが創刊される。 そしてそこに描かれる青少年を読者対象にしたリアルな描写のストーリー漫画に「劇画」という名称がつけられる。 59年、白土三平 しらとさんぺい が『忍者武芸帳』(全17巻、三洋社)を刊行しだすと話題をよび、劇画ブームがやってくる。 59年、初の少年週刊漫画誌『少年サンデー』(小学館)、『少年マガジン』(講談社)が創刊される。 66年、『少年マガジン』は100万部を突破した。 80年には、少年週刊誌5誌の新年号発行部数が計1000万部を突破する。 94年(平成6)には、『少年ジャンプ』(集英社)は653万部発行を記録した。 漫画雑誌は子供向き、少女向き、青年向き、女性向きからさらには中年世代向きまで現れるが、1990年代なかばの年間19億冊(漫画雑誌と漫画本の合計)発行をピークに減少傾向となる。 その背景には少子化、ゲームや携帯電話やインターネットなどに金と時間を消費する傾向があげられるが、漫画喫茶や新古書店といわれるリサイクル型古書店の盛況は、漫画ファンが減少しているわけではないことを示している。 しかし、漫画喫茶や新古書店の登場は、漫画本の売上げを減らし、出版社や漫画家に大きな影響を与えている。 1970年代から日本のテレビアニメは世界中で人気を博し、84年(昭和59)の宮崎駿 はやお による『風の谷のナウシカ』の登場によって、劇場用アニメも世界で注目されるようになる。 そして、90年代にはゲームやアニメなどとファンを共有する、いわゆるメディアミックスのエンターテインメントが登場、その象徴的な作品『ポケットモンスター』(任天堂・ゲームフリーク・クリーチャーズ)が日本および世界でヒットする。 漫画やアニメのキャラクターは商品の宣伝、販売促進にも利用されだし、人気キャラクターのなかには「アンパンマン」など、毎年億単位の使用料を得るものがいくつも出てきている。 巨大な利益を生み出すキャラクター・ビジネスの隆盛は、著作権をより厳格にする傾向を生み出し、1998年、アメリカ議会は著作権保護期間を、作品発表後75年間を95年間に、作家の死後50年間を70年間に延長する法律を可決した。 そのため作家の死後50年間としている日本との差が生じてきた。 また、コンピュータ・グラフィクスによる漫画製作、インターネット上の漫画作品配信など、技術革新は漫画の世界も変革しようとしている。 1990年代のコミック作家は4000人を超え、アシスタントを2万人抱える産業になった。 [清水 勲] 西洋先史時代から始まる絵画の歴史のなかで、その出発点となっている絵画類は戯画的描法をとっているから、戯画と一般絵画との区別はつけにくいが、呪術 じゅじゅつ 的あるいは宗教的意味で描かれた絵画以外の絵、たとえば寓意 ぐうい 画のなかに戯画の出発点があるように思える。 古代エジプトの動物戯画などがその例である。 古代ギリシアでは人間の所業が戯画テーマとして登場してくる。 中世社会では絶対的権力をもっていた宗教に対して、その重圧を跳ね返さんとする欲求から宗教風刺画が描かれる。 ルネサンス期になると人間の内面をより深く見つめた風刺画が描かれるようになる。 そしてレオナルド・ダ・ビンチ、ヒエロニムス・ボス、ピーター・ブリューゲル、ジュゼッペ・アルチンボルドなど西洋漫画の基盤をつくる人々が登場する。 17世紀に入るとフランスのジャック・カロが、当時流行した即興仮面劇や道化芝居の形式を踏んで人間社会の現実を描き出した。 彼の銅版画シリーズ「戦争の悲惨と不幸」はのちにゴヤに影響を与える。 とくにホガースが議会に諮って著作権法を制定させたことは、漫画の歴史にとってきわめて意義深いことである。 19世紀に発明された写真は、画家のみならず漫画家にも大きな影響を与える。 肖像写真の表現する迫真性に対抗するため、顔に力点の置かれた似顔絵漫画が誕生するのである。 『レクリプス』『リュヌ』『リール』などの漫画雑誌の巻頭にそうした肖像漫画が描かれた。 20世紀は連載漫画やストーリー漫画が花開く。 そして、その描写は映画の表現方法からも数々の影響を受ける。 また漫画を動かして見せるアニメーションも20世紀に入って急速に発展していく。 20世紀の最大の悲劇である二つの世界大戦には、多くの漫画家が風刺漫画を描く。 第一次世界大戦中、オランダのルイス・レーメーカーは激しい反ドイツ漫画・反戦漫画を描き、ドイツ皇帝から賞金付きで行方を追跡される。 この大戦後、敗戦国ドイツからゲオルゲ・グロッスが登場し、反戦・反軍国主義の風刺画を描く。 第二次世界大戦では、ロシアのククルニクスイ(3人からなるグループ名)、イギリスのローなどが優れた風刺画を描いた。 第二次世界大戦後の漫画家として世界的に知られるのは、フランスのシネ、サンペ、アンドレ・フランソア、レイモン・ペイネ、シャバル、デュブウ、イギリスのロナルド・サール、ジェラルド・スカーフ、スイスのジョバネッティ、デンマークのヤコブソン、ロシアのククルニクスイ、エフィモフ、アメリカのソウル・スタインバーグ、ロバート・オズボーン、オットー・ソグロー、バージル・パーチ、チャールズ・アダムスなどの人々である。 チック・ヤングの『ブロンディ』、キャラクターのスヌーピーで有名なチャールズ・M・シュルツCharles M. 1980年、読売新聞社が創設した読売国際漫画大賞は、世界各国から毎年1万点余りの応募がある世界最大のカートゥーンコンテストとなっている。 92年、イギリスの漫画雑誌『パンチ』が151年の歴史を閉じたが、96年に復活した。 しかし、かつての世界の漫画界に影響を与えた風刺の勢いは失われている。 [清水 勲] 中国中国において記録のうえで漫画が登場した最初は11世紀(宋 そう 代)の石恪 せきかく 筆『玉皇朝会図』の画中に描かれた風刺画だという。 しかし、近代に至るまでは日本に比して漫画や風刺画の作品は少なく、傑出した漫画家や漫画作品が出ていない。 1875年ごろから『香港 ホンコン パンチ』などの漫画雑誌が登場するが、「漫画」は大正時代に日本から輸入されたことばであった。 漫画が活発に描かれるようになるのは辛亥 しんがい 革命(1911)前後からである。 反帝反封建を目ざす民主革命が多くの風刺画を生み出し、漫画が独立した美術分野になる。 その背景にはジャーナリズムの発展があり、そのなかに漫画が発表されたのである。 1909年に『寓意画』と題する初の漫画集が刊行され、18年には『上海 シャンハイ パック』が創刊される。 この雑誌は北沢楽天の『東京パック』の影響を受けたものだと思われる。 28年には週刊漫画雑誌『上海漫画』が創刊される。 日中十五年戦争時代には抗日漫画が盛んに描かれ、49年の新中国誕生以降は革命思想の普及と国家建設の教宣に漫画は大いに利用される。 現在は『漫画』『風刺と幽黙』という漫画専門誌が定期刊行されている。 また、1990年代に入り、中国でも日本や香港、台湾の影響を受けてコミック誌が出されるようになった。 [清水 勲] アジア朝鮮も中国同様に古代から漫画は存在したと思われるが、その歴史はあまり明らかでない。 近代以降、日本の支配下では『京城パック』『漫画朝鮮』といった漫画雑誌が出された。 インドネシアでは1920年代なかばから30年代初頭にかけての民族運動時代から漫画が登場してくる。 70年代から『コンパス』紙の『パシコムおじさん』(G・M・スダルタ)が人気をよび、日本にも85年、単行本になって紹介された。 フィリピンでは第二次世界大戦後のマルコス政権末期、政治風刺画が禁じられる時代が続いた。 シンガポールのヘン・キムソンの政治漫画は世界各国の新聞に転載されている。 アジア諸国は総じて、戦後のジャーナリズム発展とともに漫画が開花したといえる。 1996年より、日本、韓国、台湾、香港のコミック作家たちの交流の場である「東アジアMANGAサミット」が開催され始めた。 また、国際交流基金が毎年主催する「アセアン漫画家展」(1990~94)、「アジア漫画展」(1995~)は、日本各地およびアジア諸国に巡回され、漫画を通じての交流の場となっている。

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