コンクリート 事件 犯人 現在 2019。 飯島愛とコンクリート事件犯人は元彼?現在は…

宮野裕史(横山裕史)の現在の顔画像がこちら!振り込め詐欺で再犯で改名した理由についても

コンクリート 事件 犯人 現在 2019

路上トラブルで男性を刺す 日本経済新聞他、メディア各局が以下のようなニュースを報じ、話題となっています。 路上でトラブルになった男性(32)を刺したなどとして、埼玉県警は20日までに同県川口市東内野、無職、湊伸治容疑者(45)を殺人未遂容疑で逮捕した。 「刺したことや、たたいたことは間違いないが、殺すつもりはなかった」と容疑を一部否認している。 逮捕容疑は19日午後5時半ごろ、自宅近くの路上で、川口市内の会社員男性の右肩を金属製の警棒で殴ったうえ、ナイフで首を刺した疑い。 男性は軽傷。 県警武南署によると、2人に面識はなく、路上に止めた男性の車を巡ってトラブルになった可能性があるという 出典: 湊伸治容疑者について こちらが、逮捕された湊伸治容疑者のプロフィールです。 湊伸治容疑者は、容疑者グループの1人なの? デイリー身長が報じた記事によれば、この湊容疑者は女子高生コンクリート詰め殺人事件の容疑者グループの1人であるとのことです。 8月19日、埼玉県川口市の路上で、32歳の男性の肩を警棒で殴った上、首をナイフで刺したとして45歳の男が殺人未遂の疑いで緊急逮捕された。 「湊伸治」という名を聞いてピンとくる人は、多くはないだろう。 しかし、すでに一部のネット民の間では話題の男なのだ。 今から30年近く前になる。 彼こそ1989年、日本中を震撼させた、綾瀬「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の4人の犯行グループの1人なのだ。 出典: 男性を警棒で殴りナイフで刺した容疑、男を逮捕(TBS系(JNN)) — Yahoo! ニュース これこんな小さい記事になってるけど、1988年に起きた女子高生コンクリ殺人の元少年の再犯だ!湊伸治容疑者 45 こいつの生まれ1972年の12月年齢も一致してる。 まだこんな近くにいたとは。。 事件当日のチャートです。 事件の加害者と被害者の日数が揃うケースがしばしば見られます。 悪縁です。 — 時刻館 zikokukan なんと、あの日本中を震撼させた容疑者グループの一員が、今もなおのうのうと暮らしており、さらにはこうした殺人未遂を犯していたというのです。 このニュースはやはり恐怖を覚える人が多いのではないでしょうか? スポンサーリンク 顔画像は? では、湊容疑者の顔画像などはあるのでしょうか? こちらが、湊容疑者の顔画像です。 出典:Twitter 女子高生コンクリート殺人事件の犯人の一人 湊 伸治:S47年12月16日生 平成19年の春まで福祉の仕事(トーカイ21)していた。 — ランプ館 rannpukann 湊伸治の今の顔やいろんな情報をどなたかリークしてほしいですね。 もちろん、この事件の他の犯人の情報もね。 みんなで共有した方がいいですよ! 我々には知る権利があります。 — 御意見番くまさんの熊五郎 kumagorou1974 こちらの画像は現在の画像ではなく、相当昔に撮影されたものとみて間違い無いでしょう。 残念ながら、現在の顔画像などに関する情報は入ってきておらず、また、特定するにも至りませんでしたので、こちらに関しては詳しい情報が入り次第、随時お伝えしていこうと思います。 スポンサーリンク 女子高生コンクリート詰め殺人事件とは? では、「女子高生コンクリート詰め殺人事件」とは一体どのような事件だったのでしょうか? 女子高生コンクリート詰め殺人事件とは、1988年11月25日夕方に埼玉県三郷市内の路上で事件当時17歳の被害に遭われた女子高生(古田順子さん)が不良少年グループに拉致され、およそ40日間もの間、グループのたまり場とされていた東京都足立区綾瀬の加害者宅に拉致・監禁・暴行・強姦をされ続け、1989年1月4日にこの当該グループから集団リンチを受けて死亡したという事件です。 さらに恐ろしいのが、この湊容疑者を含む容疑者グループは、古田さんの遺体をコンクリート詰めにしており、東京都江東区内の東京湾埋立地に遺棄をしたという点です。 1989年に被害者の遺体が発見されたことによって、この事件は捜査が開始されたのだと言いますが、40日間も被害者を監禁した理由につて警察に問われると、「警察に捕まるのが怖かったから」と供述をしており、それ以外に理由はないとしていました。 世間の反応も凄まじく、平成元年という平成が始まった年にかけて起こった事件でもありますので、非常にセンセーショナルな内容であるとして、連日連夜報道が繰り返されました。 我が国の少年法では、家庭裁判所の審判に付された少年又は少年のとき犯した罪により公訴を提起された者については、第61条の規定により本人の類推に資する全ての情報を報道することを禁止しているのですが、週刊文春があまりの残忍な犯罪であるだけに「女子高生監禁・殺人の惨 彼らに少年法が必要か」と題して、実名報道をしており世間に大きな衝撃を与えたことでも知られています。 これに対して、少年グループらの弁護を担当していた日弁連の会長は「立ち直り援助という少年法の原則を無視した実名報道は極めて遺憾である。 また、マスコミは被害者の実名などを必要以上に報道しているが、死者の名誉、家族のプライバシーなども尊重されるべきだ」と強く反論をしております。 容疑者宅が東京都足立区綾瀬であったこともあったのですが、スマイリーキクチさんも東京都足立区北千住出身でありますので、そこら辺の情報が交錯して誤った情報が広がり、スマイリーキクチさんは容疑者であるという噂がネットに広がってしまったのです。 この誹謗中傷を書き込んだ犯人については、一斉摘発がされたのですが、中傷犯たちは実際のコンクリ事件とは何の関係もない人物ばかりで、互いの中傷犯同士や被害者のスマイリーキクチさんとも実生活で一切面識がなかったのだと言います。 このようなネットリンチなど、別の方面にも影響だ出ている女子高生コンクリート詰め事件ですが、当時の少年Cによる再犯という事もあって、世間では大きな波紋が広がっている事でしょう。 ・横山 裕史(旧姓は宮野) ・神作 譲(旧姓は小倉) ・湊 伸治 ・渡邊 恭史 現在は全員出所をしており、それぞれ「懲役5年以上9年以下の不定期刑」や、「懲役5年以上10年以下の不定期刑」などの刑が確定しており、横山裕史容疑者に関しては、振り込め詐欺の容疑で逮捕されているようです。 ちなみに、BMWを乗り回したりエルメスの時計をするなど、非常に身なりはよく、羽振りも凄まじいのだと言います。 父親:湊 靖人 母親:湊 ます子 兄:湊 恒治 父親の靖人さんは、共産党系の病院(鉄砲洲診療所)の薬剤師であったそうですが、この事件をきっかけに辞職を迫られております。 さらに、母親である湊ます子さんも同病院で看護師として勤務をしておりましたが、こちらも辞職を余儀無くされておりますし、兄は神作 譲容疑者と同級生であったという事です。 父親が辞職をした共産党系の薬局で薬剤師として働いているのではないかという情報もあり、現在は何をしているのかわかりません。 いずれにしても、世間を震撼させた事件の容疑者による再犯であるだけに、一層の波紋が広がることは間違いありません。

次の

湊伸治の現在の住所はどこ?コンクリ事件の少年Cのアパートを特定!

コンクリート 事件 犯人 現在 2019

Aさんの発見後の3月5日にある通報がありました。 それはAさんの頭部発見現場の近くの茶店の店主からでした。 掃除の為に別棟の物置を開けようとした時、中から鍵が掛けられていました。 不審に思いながらも扉を外して入ったところ、中には異様な首吊り死体を発見したと。 警察が現場に行くとそこには、確かに異様な遺体がありました。 死後1ヶ月経過しており、腐敗が進んでいた• 中年男性• 女性用の毛糸の下着の上に黒い洋服を着ていた• 足にはゴムの長い長靴• 長い頭髪が付いたままの女性の頭皮をカツラの様に被っていた そう、Aさんから剥ぎ取った一部を身に着けた Mの首つり遺体でした。 さらに、• 上着のポケットの財布の中にあった お守り袋にAさんの眼球• 小屋の片隅の冷蔵庫には、Aさんの乳房と下腹部が安置されるように置いてあった 死後の世界を信じていたMは愛するAさんと一体化することを望んでいた。 そして、 Aさんの体の一部や服を纏って自殺をする。 そうすれば、 死後の世界もずっと一緒にいれると思っていたのかもしれない。 [スポンサーリンク] まとめ: 首なし娘事件はこんな事件 今回の事件は調べていておぞましい事件でした。 信心深いことはいいことですが、時にそれが最悪な方向に傾くこともあるということを改めて確認させられる事件でした。 という訳で今回のまとめ• 首なし娘事件は1932年に発覚したバラバラ殺人事件• 犯人は信心深い当時43歳の男性• 犠牲者は当時19歳の娘• 犯人の妻の裁縫教室に通っていたい犠牲者• 妻の看病の際、犯人と関係を持つ• 妻の死後、犯人は犠牲者と性行為に及びまくり犠牲者を殺害• 一緒になろうとし、犠牲者をバラバラに• 体の一部を身にまとい首つり自殺.

次の

宮野裕史(横山裕史)の現在の住所は?結婚して娘がいる?<コンクリ事件>

コンクリート 事件 犯人 現在 2019

1988年(昭和63年)11月8日、A、B、Cの3人が足立区内で自転車で帰宅中の女性(当時19歳)に声をかけ、3人で輪姦した。 このときはAが運転するシルビアにB、Cが乗り込み、ドライブの誘いに応じないとみるや車を横づけにして行く手をはばみ、Bが自転車の鍵を奪って嫌がる女性を車に乗せた。 逃げられないように常磐高速道路に入り、「少年院を出てきたばかりだ」「大洗(おおあらい)に行こう。 大洗の海は寒いし、波が高いぞ」などと脅し、観念させてホテルに連れ込んだのだった。 11月25日午後6時ころ、AはCの自宅に行き、Cに対して、「今日は給料日だから金を持っているやつが多い。 ひったくりに行こう」と誘った。 Cは友達からバイクを借りて、2人で出かけ、ひったくりをした。 午後8時過ぎ、埼玉県三郷(みさと)市内をバイクで走行中、アルバイト先から自転車に乗って帰宅する途中だった県立八潮(やしお)南高校3年生の古田順子(17歳)を見かけると、AはCに対し、「あの女、蹴れ。 あとはうまくやるから」と命じ、Cは言われた通りに、バイクで順子に近づき、左足で右腰を思いっきり蹴って、角を曲がって様子をみていた。 順子はバランスを失い、自転車に乗ったまま転倒、側溝に落ちた。 そこへ、Aが近づき「大丈夫ですか」と声をかけ、助け起こすと「あいつは気違いだ。 俺も脅された。 危ないから送っていってやるよ」と言って、近くにある倉庫の暗がりでと脅し、ホテルに連れ込んで強姦した。 午後10時ころ、Aは自宅に戻っていたCに電話をかけると、そこにはBの他にDがいたが、Aはこの3人を外に呼び出した。 その後、4人の少年たちは東京都足立区綾瀬のCの自宅の2階のたまり場に順子を連れ込んだ。 この日、Cの父親は3日間の社員旅行で沖縄に出掛けたため、自宅には母親とCのひとつ上の兄がいた。 11月28日、Aは「いいモノを見せてやる」と言って、呼び出されたE(当時17歳)とF(当時16歳)が加わって、家人が寝静まった深夜に順子を輪姦した。 順子は必死の思いで抵抗した。 階下の母親は目を覚ましたようであったが、寝具などで顔面を押さえつけられたため、叫び声を上げることはできなかった。 11月30日午後9時ころ、Cの母親は、このとき初めて順子の顔を見ている。 Cに対し「早く帰しなさい」と言った。 だが、1週間経っても順子がいることに気づき、直接、順子に「すぐに帰りなさい」とは言ってみるもののなかなか帰ってくれなかった。 また、この頃、順子に自宅へ電話をかけさせ「家出しているのだから、私の捜索願いは取り消して欲しい」と言わせている。 それも、一度きりでなく、5日ごとに3回に渡って電話をかけさせており、順子の親は家出だと思っていたという。 その後、昼夜の別なく、順子の体を弄び、そのあまりの暴行に、順子が気を失うと、バケツの水に頭を漬けて気を取り戻させて、また犯すということを繰り返していた。 その間、交代で見張りを続けた。 12月初めの午後4時ころ、、順子は少年たちが夜遊びで昼寝をしていた隙を見て、2階から1階の居間に降りてきて110番に電話した。 だが、運悪く、近くで寝ていたAに気づかれてしまった。 すぐに逆探知で警察からかかってきた電話に、Aが出て「なんでもない。 間違いです」と返事した。 AとBは、このことをきっかけとして、順子に対し、手荒いリンチを加えた。 殴ったり、蹴ったり、手足の甲にライターの火を押し付けたりして火傷を負わせた。 また、シンナーを吸わせたり、ウィスキーや焼酎を飲ませて楽しんでいた。 Aは武田鉄矢の『声援』という歌に「がんばれ、がんばれ」という歌詞があって、いじめているときにそれを歌いながら順子に対し「お前も歌え」と言って歌わせた。 自分たちが何もしていないときにも順子は小さな声で「がんばれ、がんばれ」と自分に言い聞かせているときがあった。 12月5日、東京の東中野駅構内で、電車の追突事故が起きた。 Aは順子に「あの電車にお前の父親、乗っかっていて、死んだってテレビでやってた。 お前見たか」とからかった。 順子は不安そうな表情を見せると「どんな気分だい」と訊き、「悲しいです」と答えると「実はウソだよ」と言ってはぐらかした。 こんな調子でAとB、Cの3人は「死んだ」「生きている」を何度も繰り返し、心理的に順子を追い詰めていった。 12月10日ころ、順子は「家に帰りたい」と言い始めた。 すると、Aが「家に帰ったら母親に何て言うんだよ」と言うと、順子は「今まで新宿で遊んでいました」と答えた。 それに対し、Aは「新宿で、学生服のままそんなに長く遊んでいられるかよ」と言って、殴ったり蹴ったりの暴行を加えた。 さらに、火傷の跡にライターのジッポオイルをかけ火をつけた。 熱がって火を消そうとするのが面白いと何度も繰り返した。 12月中旬、小便で布団が濡れたことを理由にBとCが殴った。 果てしなく続く殴打によって順子の顔面が無惨に腫れあがり、凸凹のない別人の顔になった。 「なんだお前、でけえ顔になったなあ」 誰かが言うと、また笑い声がした。 暴行がエスカレートするのにともない、順子に与えられる食べ物もおざなりになっていった。 それは主にCの兄のG(当時17歳)の役目であったが、監禁当初は出前を取ることもあったのに、12月末には、1日に牛乳を1本、たまにパン1枚与える程度になっていった。 トイレにも行かせず、飲料用紙コップに排尿させられるようになり、その尿を飲まされたりした。 Cの両親は異常な気配に気づいていた。 両親はそれ以上追及すると、開き直られるのを恐れて、2階の物音には耳を塞いでいた。 順子はリンチによる足の火傷が化膿して動けなくなった。 全身は衰弱し、悪臭もひどくなった。 Aはその臭いが嫌だと言って、寄りつかなくなった。 少年たちはそんな状態になった順子を見て、持て余すようになっていた。 だが、解放すると警察に知らされる。 いっそのこと、死んでくれればと願うようになる。 順子がいないところで次のような会話が交わされている。 「女は殺して埋めるのかな?」「殺すならミンチがいいですよ」「ドラム缶に入れて焼けばいい」「コンクリート詰めにして海に棄てればバレない」「自殺に見せかけて殺しますか? 富士の樹海で首吊りでもさせますか?」 お笑い半分、冗談半分、面白半分、暇つぶし、といった感じであった。 1989年(昭和64年)1月4日、監禁から41日目のこの日、午前6時半ころ、Aは徹夜マージャンで10万円ほど負けムシャクチャしていた。 その腹いせとしてAは順子をその対象にした。 B、C、Dの3人は順子の火傷の臭いを嫌ってDの自宅でファミコンをしていた。 AはDの自宅に立ち寄り、3人を誘って、Cの自宅の2階に上がった。 小泉今日子の『なんてったってアイドル』という歌のリズムに合わせて、順子は3人に次々と殴られて、鼻や口から血を流し、血だらけの状態になった。 ロウソクに火がつけられ、順子の顔にそのロウを垂らし、顔はロウだらけになった。 Dは自分の手に血がつくのを嫌がり、Aがシンナーを吸ったビニール袋を手に巻き、順子の肩や足にパンチを浴びせた。 やがて、順子は身体を硬直し、ブルブルと痙攣し始めた。 Aは1.7キロもある鉄球付きの鉄棒を持ち出すと、Dは順子の腹に落とした。 Aが暴力を振るうと、今度はB、C、Dが「ウケ」を狙って、面白半分に暴力をエスカレートさせた。 Aはリンチの途中で順子の死を意識した。 午前10時ころ、リンチが終わった。 Aは順子が逃げないように足をガムテープでぐるぐる巻きにすると、4人はサウナに出掛けた。 翌5日朝、死体の処理に困った少年たちは、死体を毛布に包み、旅行鞄に入れて車に乗せ、近くの工場から盗んだドラム缶に鞄ごと入れてセメントを流し込んだ。 セメントは、Aが以前、タイル工として働いていた店に電話をかけて、セメントと砂利を調達して作ったものだった。 それは、順子が拉致された日、『とんぼ』の最終回を楽しみにしていて、アルバイト先から家路に急いだが、その後、監禁されたために最終回は見ることができずに、そのくやしい思いを何度か口にしたからで、そのビデオも一緒に入れようと思ったからだった。 女子高生や遺族にとって何の救いにもならないことだが、Aが見せた唯一の人間らしい一面だった。 だが、このことについてAはのちに「可哀相というよりは呪われたくなくて・・・」と話している。 午前8時ころ、ドラム缶を海に投棄しようと江東区若洲15号地若洲海浜公園整備工場現場空き地まで車を走らせたが、恐くなってしまい、その空き地にドラム缶を投げ出して帰ってしまった。 被告Bについては、控訴を棄却.

次の