巣鴨 とげ ぬき 地蔵 ご利益。 とげぬき地蔵の御影の使用方法

難病も克服するとげぬき地蔵の御影

巣鴨 とげ ぬき 地蔵 ご利益

地蔵菩薩(じぞうぼさつ)は、の信仰対象であるの一尊。 クシティは「大地」、ガルバは「胎内」「子宮」の意味で、意訳して「地蔵」としている。 また持地、妙憧、無辺心とも訳される。 はと幢幡(竿の先に吹き流しを付けた荘厳具)、。 大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々を、その無限の大慈悲の心で包み込み、救う所から名付けられたとされる。 日本におけるではとしての性格を持つと共に、「子供の守り神」として信じられており 、よく子供が喜ぶ菓子が供えられている。 一般的に、親しみを込めて「 お地蔵さん」、「 お地蔵様」と呼ばれる。 地蔵菩薩像 (鎌倉時代、重要文化財) 地蔵菩薩はに在っての付属を受け、の後、5億7600万年後か56億7000万年後にが出現するまでの間、現世に仏が不在となってしまう為、その間、すべての世界(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)に現れて衆生を救う菩薩であるとされる 六道能化〈 ろくどうのうげ〉。 と地蔵菩薩が一対で安置される例は京都・広隆寺(講堂)などにあるが、一般的ではない。 像容 [ ] 一般には剃髪した声聞・比丘形(僧侶の姿)でがあり、を身にまとう。 装身具は身に着けないか、着けていても(ネックレス)程度。 左手に、右手にを持つ形、または左手に如意宝珠を持ち、右手は与願印(掌をこちらに向け、下へ垂らす)のをとる像が多い(この場合、伝統的に彫像であることが多く画像はまれである)。 しかしでは地蔵院の主尊として、髪を高く結い上げ装身具を身に着けた通常の菩薩形に表され、右手は右胸の前で日輪を持ち、左手は左腰に当てて幢幡を乗せた蓮華を持つ(この場合、絵画で表現されることが多い)。 功徳利益 [ ] 『』には、善男善女のための二十八種利益 と天龍鬼神のための七種利益 が説かれている。 二十八種利益• 天龍護念(天と龍が守護してくれる)• 善果日増(善い行いの果報が日々増していく)• 集聖上因(悟りの境地へ至る因縁が集まってくる)• 菩提不退(悟りの境地から後退しない)• 衣食豊足(衣服や食物に満ち足りる)• 疾疫不臨(疫病にかからない)• 離水火災(水難や火災を免れる)• 無盗賊厄(盗賊による災厄に遭わない)• 人見欽敬(人々が敬意を払って見てくれる)• 神鬼助持(神霊が助けてくれる)• 女転男身(女性から男性になれる )• 為王臣女(王や大臣の令嬢になれる)• 端正相好(端正な容貌に恵まれる)• 多生天上(天界に生まれ変わる事が多い)• 或為帝王(あるいは人間界に生まれ変わって帝王になる)• 宿智命通(過去世 〈宿命、しゅくみょう〉を知る智慧を持ち、過去世に通ずる)• 有求皆従(要求があれば皆が従ってくれる)• 眷属歓楽(眷属が喜んでくれる)• 諸横消滅(諸々の理不尽な事が消滅していく)• 業道永除(地獄などの悪い場所に生まれ変わらせる業道 karma-patha が永く除かれる)• 去処盡通(赴く場所に うまくいく)• 夜夢安楽(睡眠中に安らかな夢を見る)• 先亡離苦(先祖・先亡の霊が苦しみから解放される)• 宿福受生(過去に なした善行によって良い生まれを受ける)• 諸聖讃歎(諸聖人が讃えてくれる)• 聰明利根(聡明で利発になる)• 饒慈愍心(慈悲の心に溢れる)• 畢竟成佛(必ず仏に成る) 七種利益• 速超聖地(さらに すぐれた境地へ速やかに進める)• 悪業消滅(悪いカルマが消滅する)• 諸佛護臨(諸々の仏が護ってくれる)• 菩提不退(悟りの境地から後退しない)• 増長本力(本来持っていた能力が増幅される)• 宿命皆通(過去世の全てに通ずる)• 信仰 [ ] 地蔵十王図 静嘉堂文庫(高麗時代) 中国における地蔵信仰 [ ] とされる『』(預修十王生七経)や『』(地蔵十王経)によって、のと結びついて、中国においては地蔵菩薩がまたは十王の一尊としての閻魔王と同一の存在であるという信仰が広まった。 閻魔王は地蔵菩薩として人々の様子を事細かに見ているため、綿密に死者を裁くことができるとされ、とともに十王の中心に据えられた。 このためにおいては 地藏王菩薩と呼ばれ、主に死後の(地獄からの)救済を願って冥界の教主として信仰される。 の中区にも、死者の永眠を祀るが華僑によって建立されている。 の民間説話である『』でも冥界を司る地藏王菩薩が(斉天大聖)の暴れっぷりを地獄から天のに上奏する場面が描かれている。 地藏王菩薩の聖地は、にあるである。 これは、の地蔵という僧( - 、俗名、俗姓と法名を連ねて、金和尚あるいは金地蔵とも呼ばれる)が、この地にある化城寺に住したことに因むものである。 齢99で、この地で入滅した地蔵は、3年後に棺を開いて塔に奉安しようとしたところ、その顔貌が生前と全く変わることがなかったことなどから、地蔵を地藏王菩薩と同一視する信仰が生まれ、その起塔の地が地藏王菩薩の聖地となったものである。 その故事によって、の、の、のと並ぶ中国仏教の聖地()として、今日まで信仰を集めている。 日本における地蔵信仰 [ ] 日本においては、信仰が普及した以降、にの叶わない衆生は、必ず地獄へ堕ちるものという信仰が強まり、地蔵に対して、地獄における責め苦からの救済を欣求するようになった。 姿は出家僧の姿が多く、地獄・餓鬼・修羅などをめぐりながら、人々の苦難を身代わりとなり受け救う、代受苦の菩薩とされた。 際立っての守護尊とされ、「子安地蔵」と呼ばれる子供を抱く地蔵菩薩もあり、また姿も多い。 賽の河原で、獄卒に責められる子供を、地蔵菩薩が守る姿は、中世より仏教歌謡「西院河原地蔵和讃」を通じて広く知られるようになり、子供やの供養において地蔵信仰を集めた。 ではは子供の祭りとして扱われる。 また()と習合した為、日本全国の路傍で石像が数多く祀られている。 交通の弁に乏しい時代では大きな仏教寺院へ参詣することができず、簡易な参拝ができる身近な仏像として崇敬を集めた。 そのような地蔵に導師が置かれた例は少なく、そのため本来の仏教の教義を離れ、神道との混同や地域の独自の民間信仰の意味合いなども濃くした。 路傍の地蔵尊はさまざまな祈念の対象になり、難治の傷病の治癒を祈念すれば成就する、と喧伝されて著名な地蔵尊となったり(ぬき、とり、眼病、子供の夜泣き、など)、併せたが後に広くとしても知られるようになった例(、言うな地蔵、しばられ地蔵、、田植え地蔵、など多数)がある。 金倉の六地蔵() 日本では、地蔵菩薩の像を6体並べて祀った 像が各地で見られる。 これは、仏教のの思想(全ての生命は6種の世界に生まれ変わりを繰り返すとする)に基づき、六道のそれぞれを6種の地蔵が救うとする説から生まれたものである。 六地蔵の個々の名称については一定していない。 地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道の順に檀陀(だんだ)地蔵、宝珠地蔵、宝印地蔵、持地地蔵、除蓋障(じょがいしょう)地蔵、日光地蔵と称する場合と、それぞれを金剛願地蔵、金剛宝地蔵、金剛悲地蔵、金剛幢地蔵、放光王地蔵、預天賀地蔵と称する場合が多いが、文献によっては以上のいずれとも異なる名称を挙げている物もある。 像容は合掌のほか、蓮華、錫杖、香炉、幢、数珠、宝珠などを持物とするが、と呼称は必ずしも統一されていない。 日本では、六地蔵像は墓地の入口などにしばしば祀られている。 金色堂には、・・の遺骸を納めた3つののそれぞれに6体の地蔵像が安置されているが、各像の姿はほとんど同一である。 勝軍地蔵 [ ] の。 大宝年間、が白山修験の開祖とされると山城国愛宕山に登ったとき、、富楼那尊者、、を伴い大雷鳴とともに現れ、天下万民の救済を誓った地蔵菩薩が、勝軍地蔵であったという伝承が残る。 また、の御代、が勝軍地蔵を護持したとされ、さらに『』にはのが勝軍地蔵と勝敵毘沙門天の両尊にの戦勝祈願を行ったことが記されている。 しかしながら、などが現存せず、延鎮が行ったとされる修法を初め、固有の尊容も明確でない。 『地蔵菩薩本願経』『十輪経』『陀羅尼集経』にある「煩悩の賊、天魔の軍に勝つ」、「軍陣闘戦に際して、難を免れる」などの記述が、この尊を感得する依拠とされたと考えられている。 幡(軍旗)や剣などを持ち、甲冑姿であることは共通するが、踏割蓮華に立つ立像と、神馬にまたがる騎馬像とが存在する。 1783年 地蔵菩薩に関する伝承 [ ] 古代インド王の転生 [ ] 『地蔵菩薩本願経』によると、昔、に大変慈悲深い2人の王がいた。 一人は自らが仏となってから人を救おうと考え、一切智成就如来という仏になった。 だが、もう一人の王は先に人を悟りの境地に渡してから自らも悟ろうと考えた。 それが地蔵菩薩である。 地蔵菩薩の霊験は膨大にあり、人々の罪業を滅し成仏させるとか、苦悩する人々の身代わりになって救済するという説話が多い。 子供の守護・救済 [ ] 菩薩はに次ぐ高い見地だが、地蔵菩薩は「一斉衆生済度の請願を果たさずば、我、菩薩界に戻らじ」との決意で、その地位を退し、六道を自らの足で行脚し、救われない衆生、親より先に死去した幼い子供の霊を救い、旅を続けている。 幼い子供が親より先に死ぬと、親を悲しませ親孝行の功徳も積んでいない事から、を渡れず、賽の河原で鬼のいじめに遭いながら、石の塔婆作りを永遠に続けなければならないとされ、賽の河原に率先して足を運んでは、鬼から子供達を守り、仏法や経文を聞かせて徳を与え、成仏への道を開いていく逸話は有名である。 このように、地蔵菩薩は 最も弱い立場の人々を最優先で救済する菩薩であることから、古来より絶大な信仰の対象となっていた。 施餓鬼法要との関係 [ ] また後年になると、地蔵菩薩の足下には 餓鬼界への入口が開いているとする説が広く説かれるようになる。 地蔵菩薩像に水を注ぐと、地下で永い苦しみに喘ぐの口に、その水が入る。 仏教上における餓鬼は、生前に嘘を他言した罪で、燃える舌を持っており、口に入れた飲食物は、炎を上げて燃え尽き、飲み食いする事は出来ないが、地蔵菩薩の慈悲を通した水は餓鬼の喉にも届き、暫くの間は苦しみが途切れると言われている(その間に供養を捧げたり、徳の高い経文を聞かせたりして成仏を願うのが、のの一端)。 これは、六道全てに隔てなく慈悲を注ぐと言われる、地蔵菩薩の功徳を表す説であり、施餓鬼法要と地蔵菩薩は、深い関係として成立していった。 仏教上では、非道者で仏法を否定、誹謗する者を(略して闡提)というが、これには単に「成仏し難い者」という意味もあることから、一切の衆生を救う大いなる慈悲の意志で、あえて成仏を取り止めた地蔵菩薩や観音菩薩のような菩薩を「 大悲闡提」と称し、通常の闡提とは、明確に区別する。 道祖神との関係 [ ] なすあり地蔵菩薩。 (29年)水道工事の際、白川の川底から掘り出された。 以降この地に祀られている。 京都市東山区白川北通。 先に述べた「六地蔵」とは六道それぞれを守護する立場の地蔵尊であり、他界への旅立ちの場である葬儀場やに、多く建てられた。 また道祖神信仰と結びつき、町外れや辻に「町のの守護神」として建てられることも多い。 これを本尊とする祭りとして地蔵盆がある。 また道祖神のことを ともいうことから、シャグジに 将軍の字を当て、道祖神と習合した地蔵を 将軍地蔵(勝軍とも書く)とも呼ぶようになった。 垂迹神 [ ] のもとで地蔵菩薩のとされる神としては、やがいる。 地蔵菩薩を祀る寺院の例 [ ]• (奈良県斑鳩町) - 平安時代前期、(旧蔵)• (静岡県浜松市) - 鎌倉時代、裸形系着装像• (浄信寺)(滋賀県長浜市) - 日本三大地蔵尊、• (京都府京都市) - 平安時代(埋木地蔵)• (京都府京都市) - 鎌倉時代、作(推定)• 六波羅蜜寺(京都府京都市) - 平安時代(鬘掛地蔵)• (京都府木津川市) - 平安時代• (奈良県奈良市) - 鎌倉時代(帯解子安地蔵)• (奈良県奈良市) - 鎌倉時代、公慶堂安置、作• 東大寺(奈良県奈良市) - 鎌倉時代、念仏堂安置、作• (奈良県奈良市) - 鎌倉時代、地蔵菩薩を本尊とする• (奈良県奈良市) - 鎌倉時代(法服地蔵)• (奈良県宇陀市) - 平安時代(五尊像の一つとして)• (神奈川県鎌倉市) - 仏師憲円の作• (京都府京都市) - 平安時代(腹帯地蔵)• (青森県むつ市) - の中核をなす寺院、地蔵菩薩を本尊とする• 牛久成田山(茨城県牛久市) - 水子を守護する水子地蔵尊• (東京都豊島区) - 巣鴨とげぬき地蔵尊• (神奈川県鎌倉市) - 地蔵菩薩を本尊とする• (岐阜県岐阜市) -• (京都府京都市) - 地蔵菩薩を本尊とする• (三重県松阪市) - 平安時代作の地蔵菩薩を本尊とする• (和歌山県新宮市)- 鎌倉時代作の足の親指を上げている希な銅像の地蔵菩薩を本尊とする• (和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)- 地蔵菩薩を本尊とする• (兵庫県神戸市)- 地蔵菩薩を本尊とする• (神奈川県平塚市) - お助け地蔵尊• (千葉県市川市大野町)- 水子供養地蔵尊、水子供養地蔵尊と命名された最初の水子地蔵• (岡山県岡山市)- 日限地蔵で知られる、子宝祈願• (奈良県五條市)- 雨晴れ地蔵、雨乞い晴れ乞い• (東京都台東区) - 八萬四千体地蔵尊 江戸六地蔵(第六番)• (奈良県大和郡山市) - 地蔵菩薩を本尊とする• (長野県佐久市) - 幼児40名の供養、(柳堂) 地蔵菩薩に関連する仏典 [ ] 地蔵三経• 『地蔵菩薩本願経』• 『大乗大集地蔵十輪経』• 『占察善悪業報経』 密教経典(金剛乗経典)• 『仏説地蔵菩薩陀羅尼経』 中国で成立したとされる偽経• 『閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土経』 日本で成立したとされる偽経• 『地蔵菩薩発心因縁十王経』• 『』 脚注 [ ] [] 注釈 [ ].

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地蔵菩薩像 (鎌倉時代、重要文化財) 地蔵菩薩はに在っての付属を受け、の後、5億7600万年後か56億7000万年後にが出現するまでの間、現世に仏が不在となってしまう為、その間、すべての世界(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)に現れて衆生を救う菩薩であるとされる 六道能化〈 ろくどうのうげ〉。 と地蔵菩薩が一対で安置される例は京都・広隆寺(講堂)などにあるが、一般的ではない。 像容 [編集 ] 一般には剃髪した声聞・比丘形(僧侶の姿)でがあり、を身にまとう。 装身具は身に着けないか、着けていても(ネックレス)程度。 左手に、右手にを持つ形、または左手に如意宝珠を持ち、右手は与願印(掌をこちらに向け、下へ垂らす)のをとる像が多い(この場合、伝統的に彫像であることが多く画像はまれである)。 しかしでは地蔵院の主尊として、髪を高く結い上げ装身具を身に着けた通常の菩薩形に表され、右手は右胸の前で日輪を持ち、左手は左腰に当てて幢幡を乗せた蓮華を持つ(この場合、絵画で表現されることが多い)。 功徳利益 [編集 ] 『』には、善男善女のための二十八種利益 と天龍鬼神のための七種利益 が説かれている。 二十八種利益• 天龍護念(天と龍が守護してくれる)• 善果日増(善い行いの果報が日々増していく)• 集聖上因(悟りの境地へ至る因縁が集まってくる)• 菩提不退(悟りの境地から後退しない)• 衣食豊足(衣服や食物に満ち足りる)• 疾疫不臨(疫病にかからない)• 離水火災(水難や火災を免れる)• 無盗賊厄(盗賊による災厄に遭わない)• 人見欽敬(人々が敬意を払って見てくれる)• 神鬼助持(神霊が助けてくれる)• 女転男身(女性から男性になれる )• 為王臣女(王や大臣の令嬢になれる)• 端正相好(端正な容貌に恵まれる)• 多生天上(天界に生まれ変わる事が多い)• 或為帝王(あるいは人間界に生まれ変わって帝王になる)• 宿智命通(過去世 〈宿命、しゅくみょう〉を知る智慧を持ち、過去世に通ずる)• 有求皆従(要求があれば皆が従ってくれる)• 眷属歓楽(眷属が喜んでくれる)• 諸横消滅(諸々の理不尽な事が消滅していく)• 業道永除(地獄などの悪い場所に生まれ変わらせる業道 karma-patha が永く除かれる)• 去処盡通(赴く場所に うまくいく)• 夜夢安楽(睡眠中に安らかな夢を見る)• 先亡離苦(先祖・先亡の霊が苦しみから解放される)• 宿福受生(過去に なした善行によって良い生まれを受ける)• 諸聖讃歎(諸聖人が讃えてくれる)• 聰明利根(聡明で利発になる)• 饒慈愍心(慈悲の心に溢れる)• 畢竟成佛(必ず仏に成る) 七種利益• 速超聖地(さらに すぐれた境地へ速やかに進める)• 悪業消滅(悪いカルマが消滅する)• 諸佛護臨(諸々の仏が護ってくれる)• 菩提不退(悟りの境地から後退しない)• 増長本力(本来持っていた能力が増幅される)• 宿命皆通(過去世の全てに通ずる)• 信仰 [編集 ] 地蔵十王図 静嘉堂文庫(高麗時代) 中国における地蔵信仰 [編集 ] とされる『』(預修十王生七経)や『』(地蔵十王経)によって、のと結びついて、中国においては地蔵菩薩がまたは十王の一尊としての閻魔王と同一の存在であるという信仰が広まった。 閻魔王は地蔵菩薩として人々の様子を事細かに見ているため、綿密に死者を裁くことができるとされ、とともに十王の中心に据えられた。 このためにおいては 地藏王菩薩と呼ばれ、主に死後の(地獄からの)救済を願って冥界の教主として信仰される。 の中区にも、死者の永眠を祀るが華僑によって建立されている。 の民間説話である『』でも冥界を司る地藏王菩薩が(斉天大聖)の暴れっぷりを地獄から天のに上奏する場面が描かれている。 地藏王菩薩の聖地は、にあるである。 これは、の地蔵という僧( - 、俗名、俗姓と法名を連ねて、金和尚あるいは金地蔵とも呼ばれる)が、この地にある化城寺に住したことに因むものである。 齢99で、この地で入滅した地蔵は、3年後に棺を開いて塔に奉安しようとしたところ、その顔貌が生前と全く変わることがなかったことなどから、地蔵を地藏王菩薩と同一視する信仰が生まれ、その起塔の地が地藏王菩薩の聖地となったものである。 その故事によって、の、の、のと並ぶ中国仏教の聖地()として、今日まで信仰を集めている。 日本における地蔵信仰 [編集 ] 日本においては、信仰が普及した以降、にの叶わない衆生は、必ず地獄へ堕ちるものという信仰が強まり、地蔵に対して、地獄における責め苦からの救済を欣求するようになった。 姿は出家僧の姿が多く、地獄・餓鬼・修羅などをめぐりながら、人々の苦難を身代わりとなり受け救う、代受苦の菩薩とされた。 際立っての守護尊とされ、「子安地蔵」と呼ばれる子供を抱く地蔵菩薩もあり、また姿も多い。 賽の河原で、獄卒に責められる子供を、地蔵菩薩が守る姿は、中世より仏教歌謡「西院河原地蔵和讃」を通じて広く知られるようになり、子供やの供養において地蔵信仰を集めた。 ではは子供の祭りとして扱われる。 また()と習合した為、日本全国の路傍で石像が数多く祀られている。 交通の弁に乏しい時代では大きな仏教寺院へ参詣することができず、簡易な参拝ができる身近な仏像として崇敬を集めた。 そのような地蔵に導師が置かれた例は少なく、そのため本来の仏教の教義を離れ、神道との混同や地域の独自の民間信仰の意味合いなども濃くした。 路傍の地蔵尊はさまざまな祈念の対象になり、難治の傷病の治癒を祈念すれば成就する、と喧伝されて著名な地蔵尊となったり(ぬき、とり、眼病、子供の夜泣き、など)、併せたが後に広くとしても知られるようになった例(、言うな地蔵、しばられ地蔵、、田植え地蔵、など多数)がある。 金倉の六地蔵() 日本では、地蔵菩薩の像を6体並べて祀った 像が各地で見られる。 これは、仏教のの思想(全ての生命は6種の世界に生まれ変わりを繰り返すとする)に基づき、六道のそれぞれを6種の地蔵が救うとする説から生まれたものである。 六地蔵の個々の名称については一定していない。 地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道の順に檀陀(だんだ)地蔵、宝珠地蔵、宝印地蔵、持地地蔵、除蓋障(じょがいしょう)地蔵、日光地蔵と称する場合と、それぞれを金剛願地蔵、金剛宝地蔵、金剛悲地蔵、金剛幢地蔵、放光王地蔵、預天賀地蔵と称する場合が多いが、文献によっては以上のいずれとも異なる名称を挙げている物もある。 像容は合掌のほか、蓮華、錫杖、香炉、幢、数珠、宝珠などを持物とするが、と呼称は必ずしも統一されていない。 日本では、六地蔵像は墓地の入口などにしばしば祀られている。 金色堂には、・・の遺骸を納めた3つののそれぞれに6体の地蔵像が安置されているが、各像の姿はほとんど同一である。 勝軍地蔵 [編集 ] の。 大宝年間、が白山修験の開祖とされると山城国愛宕山に登ったとき、、富楼那尊者、、を伴い大雷鳴とともに現れ、天下万民の救済を誓った地蔵菩薩が、勝軍地蔵であったという伝承が残る。 また、の御代、が勝軍地蔵を護持したとされ、さらに『』にはのが勝軍地蔵と勝敵毘沙門天の両尊にの戦勝祈願を行ったことが記されている。 しかしながら、などが現存せず、延鎮が行ったとされる修法を初め、固有の尊容も明確でない。 『地蔵菩薩本願経』『十輪経』『陀羅尼集経』にある「煩悩の賊、天魔の軍に勝つ」、「軍陣闘戦に際して、難を免れる」などの記述が、この尊を感得する依拠とされたと考えられている。 幡(軍旗)や剣などを持ち、甲冑姿であることは共通するが、踏割蓮華に立つ立像と、神馬にまたがる騎馬像とが存在する。 1783年 地蔵菩薩に関する伝承 [編集 ] 古代インド王の転生 [編集 ] 『地蔵菩薩本願経』によると、昔、に大変慈悲深い2人の王がいた。 一人は自らが仏となってから人を救おうと考え、一切智成就如来という仏になった。 だが、もう一人の王は先に人を悟りの境地に渡してから自らも悟ろうと考えた。 それが地蔵菩薩である。 地蔵菩薩の霊験は膨大にあり、人々の罪業を滅し成仏させるとか、苦悩する人々の身代わりになって救済するという説話が多い。 子供の守護・救済 [編集 ] 菩薩はに次ぐ高い見地だが、地蔵菩薩は「一斉衆生済度の請願を果たさずば、我、菩薩界に戻らじ」との決意で、その地位を退し、六道を自らの足で行脚し、救われない衆生、親より先に死去した幼い子供の霊を救い、旅を続けている。 幼い子供が親より先に死ぬと、親を悲しませ親孝行の功徳も積んでいない事から、を渡れず、賽の河原で鬼のいじめに遭いながら、石の塔婆作りを永遠に続けなければならないとされ、賽の河原に率先して足を運んでは、鬼から子供達を守り、仏法や経文を聞かせて徳を与え、成仏への道を開いていく逸話は有名である。 このように、地蔵菩薩は 最も弱い立場の人々を最優先で救済する菩薩であることから、古来より絶大な信仰の対象となっていた。 施餓鬼法要との関係 [編集 ] また後年になると、地蔵菩薩の足下には 餓鬼界への入口が開いているとする説が広く説かれるようになる。 地蔵菩薩像に水を注ぐと、地下で永い苦しみに喘ぐの口に、その水が入る。 仏教上における餓鬼は、生前に嘘を他言した罪で、燃える舌を持っており、口に入れた飲食物は、炎を上げて燃え尽き、飲み食いする事は出来ないが、地蔵菩薩の慈悲を通した水は餓鬼の喉にも届き、暫くの間は苦しみが途切れると言われている(その間に供養を捧げたり、徳の高い経文を聞かせたりして成仏を願うのが、のの一端)。 これは、六道全てに隔てなく慈悲を注ぐと言われる、地蔵菩薩の功徳を表す説であり、施餓鬼法要と地蔵菩薩は、深い関係として成立していった。 仏教上では、非道者で仏法を否定、誹謗する者を(略して闡提)というが、これには単に「成仏し難い者」という意味もあることから、一切の衆生を救う大いなる慈悲の意志で、あえて成仏を取り止めた地蔵菩薩や観音菩薩のような菩薩を「 大悲闡提」と称し、通常の闡提とは、明確に区別する。 道祖神との関係 [編集 ] なすあり地蔵菩薩。 (29年)水道工事の際、白川の川底から掘り出された。 以降この地に祀られている。 京都市東山区白川北通。 先に述べた「六地蔵」とは六道それぞれを守護する立場の地蔵尊であり、他界への旅立ちの場である葬儀場やに、多く建てられた。 また道祖神信仰と結びつき、町外れや辻に「町のの守護神」として建てられることも多い。 これを本尊とする祭りとして地蔵盆がある。 また道祖神のことを ともいうことから、シャグジに 将軍の字を当て、道祖神と習合した地蔵を 将軍地蔵(勝軍とも書く)とも呼ぶようになった。 垂迹神 [編集 ] のもとで地蔵菩薩のとされる神としては、やがいる。 地蔵菩薩を祀る寺院の例 [編集 ]• (奈良県斑鳩町) - 平安時代前期、(大御輪寺旧蔵)• (静岡県浜松市) - 鎌倉時代、裸形系着装像• (浄信寺)(滋賀県長浜市) - 日本三大地蔵尊、• (京都府京都市) - 平安時代(埋木地蔵)• (京都府京都市) - 鎌倉時代、作(推定)• 六波羅蜜寺(京都府京都市) - 平安時代(鬘掛地蔵)• (京都府木津川市) - 平安時代• (奈良県奈良市) - 鎌倉時代(帯解子安地蔵)• (奈良県奈良市) - 鎌倉時代、公慶堂安置、作• 東大寺(奈良県奈良市) - 鎌倉時代、念仏堂安置、康清作• (奈良県奈良市) - 鎌倉時代、地蔵菩薩を本尊とする• (奈良県奈良市) - 鎌倉時代(法服地蔵)• (奈良県宇陀市) - 平安時代(五尊像の一つとして)• (神奈川県鎌倉市) - 仏師憲円の作• 善願寺(京都府京都市) - 平安時代(腹帯地蔵)• (青森県むつ市) - の中核をなす寺院、地蔵菩薩を本尊とする• 牛久成田山(茨城県牛久市) - 水子を守護する水子地蔵尊• (東京都豊島区) - 巣鴨とげぬき地蔵尊• (神奈川県鎌倉市) - 地蔵菩薩を本尊とする• 誓安寺(岐阜県岐阜市) -• (京都府京都市) - 地蔵菩薩を本尊とする• (三重県松阪市) - 平安時代作の地蔵菩薩を本尊とする• (和歌山県新宮市)- 鎌倉時代作の足の親指を上げている希な銅像の地蔵菩薩を本尊とする• (和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)- 地蔵菩薩を本尊とする• (兵庫県神戸市)- 地蔵菩薩を本尊とする• 円宗院(神奈川県平塚市) - お助け地蔵尊• (千葉県市川市大野町)- 水子供養地蔵尊、水子供養地蔵尊と命名された最初の水子地蔵• (岡山県岡山市)- 日限地蔵で知られる、子宝祈願• (奈良県五條市)- 雨晴れ地蔵、雨乞い晴れ乞い• 浄名院(東京都台東区) - 八萬四千体地蔵尊 江戸六地蔵(第六番)• (奈良県大和郡山市) - 地蔵菩薩を本尊とする• (長野県佐久市) - 幼児40名の供養、(柳堂) 地蔵菩薩に関連する仏典 [編集 ] 地蔵三経• 『地蔵菩薩本願経』• 『大乗大集地蔵十輪経』• 『占察善悪業報経』 密教経典(金剛乗経典)• 『仏説地蔵菩薩陀羅尼経』 中国で成立したとされる偽経• 『閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土経』 日本で成立したとされる偽経• 『地蔵菩薩発心因縁十王経』• 『』 脚注 [編集 ] [] 注釈 [編集 ].

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とげぬき地蔵の由来とは?境内洗い観音のご利益・洗い方はどうする?

巣鴨 とげ ぬき 地蔵 ご利益

Contents• 高岩寺(とげぬき地蔵)の御朱印 300円 高岩寺は扶岳太助が湯島に開き、明治時代に巣鴨に移転したのがはじまりです。 御参拝時間 24時間 本堂は6:00~17:00• 御朱印の授与時間 6:00~17:00 高岩寺の行き方 【電車の場合】 JR山手線 巣鴨駅から徒歩約7分 都営三田線 巣鴨駅 A3出口から徒歩約3分 【車の場合】 駐車場は大型バスのみ、普通車はなし 周辺にコインパーキングあり JR巣鴨駅の正面口を出て白山通りを反対側に渡り、板橋方面に進むとすぐに「巣鴨地蔵通商店街」の大きなアーケードが見えてきます。 高岩寺へ 「おばあちゃんの原宿」でおなじみの商店街ですが、今は若い子の間でも「ガモる」という言葉がある程、甘味や街歩きを楽しむスポットとして人気があるのだとか。 実際、商店街を訪れてみると、中央付近にある巣鴨とげぬき地蔵を中心に、老若男女問わず大勢の人であふれていました。 この 入り口からとげぬき地蔵までは、歩いて3分程、JR巣鴨駅からでも約7分で到着します。 巣鴨とげぬき地蔵、という名前は通称で、実際は 高岩寺という曹洞宗のお寺です。 元は湯島に開かれましたが、一度下谷屏風坂に移転し、さらに明治になって区画整備のために現在の場所に移転しました。 江戸時代、地蔵菩薩を信仰する小石川の武士・田村氏が、病気の妻の回復を願って、夢で見たお告げの通りに地蔵菩薩の御影を川に1万枚流したところ、妻の病が治ったそうです。 さらに、この話を聞いた毛利家の僧が、あやまって針を飲み込んだ女中に御影を飲ませたところ、針が刺さった御影を吐き出したことから、とげぬき地蔵という通称が生まれました。 立派な山門をくぐり、まずはお線香を供えます。 頭や体に、煙をあてている人も大勢いました。 そのまま、本殿にお参りをします。 ご本尊は地蔵菩薩で、前出のエピソードから、体のとげを抜いてくれる=悪いところを治してくれると言われています。 しっかりとお参りをしたら、御朱印をお願いしました。 なお、こちらのお寺では、現在、大々的な禁煙キャンペーンをされているそうです。 たばこは、自ら体のとげを入れているようなものなので、とげぬき地蔵にふさわしくない、というお考えだそうです。 確かに、納得のお話ですね。 洗い観音さまをなでてご利益?! 御朱印をいただいたら、続いて境内の左側にいらっしゃる洗い観音へ。 洗い観音さまは、明暦の大火で妻を亡くした信徒の1人が、その供養のために奉納したそうです。 この観音さまに水をかけて、自分の悪いところを洗うと治してくれるそうです。 残念ながら、初代の観音さまはタワシなどでこすられて、顔などがすでにすり減ってしまっています。 そのような経緯があるので、今の2代目の観音さまは、タワシではなく タオルで優しくなでるように洗うそうです。 タオルは持参のものでも良いですし、境内にたくさんある小さなお店で購入することができるので持っていなくて安心ですね。 また、境内では、 名物の幸福 しあわせ 団子をいただくことができます。 体のとげが抜けてきれいになったところで、幸福を体内に招く、という意味があるそうです。 周囲には和菓子店やお煎餅屋さん、飴の専門店など、昔なつかしい雰囲気のお店がたくさんありました。 魔除けの効果があると言われている赤いパンツ専門店の前には、人だかりが。 商店街を散策するだけでも、かなり楽しいエリアです。 せっかく来たので、商店街の橋にある 巣鴨猿田彦庚申堂にもお参りをしてきました。 道案内の神様なので、お願いごとをすると、そのお願いの場所まで連れて行ってくれるというご利益がいただけるそうです。 すぐそばを走る都電荒川線の「庚申塚駅」の由来にもなっていますので、訪れた際は足を延ばしてみてください。 さいごに 境内には休憩できる広いスペースもあり、人は多いけれど、とてもまったりした空気が流れています。 お年寄りが元気になるために行くという気持ちがわかる、とても健康になれそうなお寺でした。 ORION.

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