あさのあつこ 弥勒 シリーズ。 繭と物語――『雲の果(はたて)』著者新刊エッセイ あさのあつこ

弥勒シリーズ : あさの あつこ

あさのあつこ 弥勒 シリーズ

投稿者: 百書繚乱 - けんかの果てに職人が首をくくった けんか相手の大工も死体となって見つかった 首を一文字に掻き切られた上、五寸釘で刺し貫かれて そしてもう一人、江戸有数の商家の主が殺された 大工と同じ姿で 「これはこれは、おもしれえことになってきたぜ」 信次郎が呟き、伊佐治が走る 商の道に生きようとする清之介にも死の影が忍び寄る 《男たちは、どう決着をつけるのか。 「人ってのは、とてつもなくおもしれえや。 」と伊佐治親分は言う。 まったくだ。 初手からちょっといい人情噺でほろりとさせられた途端、あっさり裏切られた。 今回は、遠野屋の商売が狙われた。 江戸の女たちの憧れ遠野屋の「遠野紅」は、実は清之助の父が執政をしていた嵯波藩の経済立て直しの要でもあった。 それを手に入れようとした豪商八代屋は、清之助を姪の婿に迎えたいと、紅の権利を十万両で買いたいと申し出るが拒絶されると、清之助の亡妻おりんに瓜二つの少女を近づけ、清之助は動揺する。 こんな清之助は初めて見た。 八代屋が、最初の殺人事件と同じやり方で殺されたことろから、大きく事件が動く。 天敵?の同心木暮信次郎は、清之助は商人になる前と同じように、「おぬしはな、まだ刃の上にいるんだぜ。 」という。 そして信次郎が遠野屋に泊まり込んだ夜、クライマックスを迎える。 なんていう観察眼、推理力なんだ。 八代屋の姪おちやが清之助に惚れて、押しかけ奉公に来た。 このふたりどうなるんだろうね。 早く続きが読みたい。 まぁ、話は通じるけどこれだけ手に取ったらわからんだろ。 店頭でこれだけ手に取って購入したひとに謝れ!(そんな人いないのか?) さて内容。 遠野屋が絡まない殺人は江戸にごまんとあると思うんだけど、どうしても遠野屋を巻き込みたいのか。 わたしは遠野屋が絡まない信次郎と伊佐治を読みたいんだよ。 遠野屋が出てくるだけで胡散臭さ倍増なんだけど。 信次郎の感性は遠野屋がいなくても際立ってるんだからさー。 伊佐治親分はだいぶ信次郎教になってるけど岡っ引きたるものそうでなくっちゃ! …とにかく抜け作品読もう。 出だしから、季節を感じられる描写。 このシリーズを読んでいると、作者 あさのあつこ氏の季節の移ろい、そして人間の持った内面の機微な心情を何と、上手く描写できるのだろうと、、、感心している。 伊佐治と信次郎との会話の掛け合いにしても、面白い中に、言いたい事が、一杯詰まっている。 事件は、喧嘩で、頭に傷を負った大工の頭領と、そして逃げ出した版木堀の職人が、発端である。 職人は、首を吊り、そして大工は、首に五寸釘で、殺されていた。 そして、遠野屋を乗っ取ろうと思っている八代屋の主人の太右衛門の商人の心得のような言葉もなるほどと、思うような事柄である。 太右衛門が、親戚の娘おちやを清之介と結びつけようとするのだが、、、、そこで、清之介が、見た女が、、、、おりんそっくり! その動揺の描写も ページ数は少ないのに読みごたえある。 そして、第3の事件 太右衛門が、やはり五寸釘を打たれて殺された。 どう展開していくのか? 伊佐治と信次郎の捜索。 そして、いつものように信次郎と清之介のにらみ合いながらも、2人共、居ないと違和感を感じている所が、良い。 しかし、おりんそっくりのおよえの正体が、、、、 源庵とおよえの関係は養父と娘。 それでいながら、2人共、どちらも死を覚悟の戦いに。 商人が、政治に介入することを否と、思う 沖山頼母の思惑。 殺人事件の結果は、商人が、政と財の両方を欲しがった事に絡んら事件であった。 暗い話で、終わらずに、清之介を一途に思うおちやの行動に、、、そして、それを煽った信次郎が、慌てて逃げようとするところ・・・・おみつの言い分も楽しく最後まで良かった。 が、たちまち、五寸釘が首を貫くという禍々しい事件により、「弥勒」シリーズ本来の顔が。 信次郎は、この事件がやがて遠野屋に繋がると、岡っ引き伊佐治に告げる。 「あやつが凄腕の商人のままでいられるわけがなかろう。 いずれまた、剣呑な血の臭いのたっぷりする何かをひきよせるさ」と、嘯く信次郎。 対して、清之介は「わたしを煽るのもそそのかすのも結構。 けれど、それだけのお覚悟はなさいませ」と、言い放ち、「いずれこの男を斬る。 そんな日がくるのだろうか。 それは、おれにとって破滅だろうか、この上ない愉悦なのか」と、自問する。 今回は、おりんに似た女の登場が、清之介の心を乱し、商売上もかつてない危機をもたらす。 嵯波で収穫する紅花が、藩とそこで暮らす人々に豊かさを授け、遠野屋に役をもたらすー清之介が描く未来図。 それが達成できるのか、それとも・・・ 単行本の帯にある「木暮信次郎X遠野屋清之介 男たちは、どう決着をつけるのか」の通り、この二人の関係はどうなるのか。 ますます、目が離せない「弥勒」シリーズ。 江戸時代を舞台に相対するようで、どこか根底に似通った「闇」を持つふたりの男。 遠野屋清之介と木暮信次郎。 今回もこの二人が大活躍でした。 ただ、次々と起きる凄惨な殺人事件-男が首に五寸釘を刺されて死ぬという事件ですが、、 ちょっと判りにくいというか、全貌が物語りのあらすじも含めて多少回りくどいかなという気がしました。 このシリーズ、大好きなんですが、初期の頃のようなスパッと割ったような明快さがなくなってきているような。 複雑な設定でも、読んで判りやすい方が物語りとしては純粋に面白いような気がします。 私の頭が悪いだけなのでしょうが、場面があっちこっちに飛ぶので、全体像を掴むのにやや苦労しました。 それでも、弥勒の月の世界は依然として魅力的です。 今回から清之介の恋女房に激似のおよえ、清之介を一途に慕うおちやなどの女性陣も現れて、もしかしたら、今後も登場があるのかもしれません。 江戸時代に宿命と闘いつつも、まっとうな商人として生きようとする清之介の生き方に清々しさを感じました。 また、岡っ引きの伊左次の味わいのあるお茶? のような、滋味のある人柄も相変わらず魅力的です。

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あさのあつこ 新刊情報 (950作品)

あさのあつこ 弥勒 シリーズ

あさの 藤沢周平さんが好きで、デビュー前から読んでいました。 かなり前から藤沢さんと同じには書けないと思いながらも、藤沢さんのように江戸を生きた人たちを書いてみたいと思っていました。 実は『弥勒の月』は、『バッテリー』の三巻目、四巻目あたりと並行して書いていたんです。 その頃から、色々な出版社から仕事の話をいただくようになったのですが、「時代小説を書きたいんです。 書き進めている作品もあるんです」とお願いしても、『バッテリー』のイメージが強くて、「できたら青春小説を」と言われ断られることが多かったんです。 その中で、光文社さんだけが私の時代小説を読んでくれて、出版されることになりました。 あさの 私にとって十代の少年少女は魅力的で創作意欲もわくのですが、その一方で現代ものでは大人の男、大人の女は書きたいという気持ちになりませんでした。 でも、なぜか時代小説では、大人の男を書いてみたいと思ったんです。 あさの 最初は、遠野屋清之介を主人公にしていました。 私の中では、信次郎の存在は大きくなかったのですが、書いているうちに膨らんでいって、今では清之介と対等になっています。 あさの 私はプロットを立てないので、清之介は過去を引きずっている人間で、昔は武士で、それを捨てなければならない事情があってというところまでは頭にありました。 「自分が書いている人物を掘り下げていけるのも、シリーズの強みです。 あさの よく「キャラクターは勝手に動く」と言われますが、信次郎と清之介は、作者が手におえないほど制御不能になることもあるので大変です。 あさの 伊佐治は最初から意図して生み出した人物ではないんです。 信次郎と清之介は、お互いに傷つけ合い、殺し合いにまで発展する可能性もありますから、二人だけだとバランスが悪くなりました。 物語を安定させるためにも、真っ当に生きていて、私たちの価値観に沿っている人物を出したいと考え、生まれたのが伊佐治です。 ただ書いているうちに、伊佐治にも違う面があることが見えてきました。 あさの 海外ミステリーはすごく読んでいて、特にエラリー・クイーンは大好きでした。 ただ謎解きが好きというよりも、事件にからまって動く人たちの姿、謎が解かれるにつれ浮かび上がってくる人間模様の方に興味がありました。 あさの それは気をつけています。 私は時代小説の読み手ではなかったですし、知らないことが多いので、例えば「ファイト」にあたる言葉は何だろうとか、一語一語、手探りしながら書いています。 あさの 現代ものとは書くスピードが違います。 所作一つ取っても、着物を着て歩く、あるいは走るとどうなるのか、重い刀を差して歩くとどうなるのかなど、自分の感覚にないものを表現しなければならないので苦労は多いです。 その直後に発見された主人・五平の死体には、他殺の痕跡はないものの、口の中に大量の牡丹の花が詰め込まれていて、しかも五平に冷たくされていた妾が、牡丹の花の前で自害していたため、五平は怨霊に殺されたとの評判が立つという怪談めいた謎が魅力的でした。 あさの 今回は、まず『花を呑む』というタイトルが浮かびました。 私の家にも牡丹が咲いていて、ある日、その花がバサッと落ちたんです。 その時に、結構大きな音がして、しかもそれが肉感的だったんです。 植物ではなく、動物が息絶えたような感覚が伝わってきて、その時のことを思い出して、牡丹と死を結び付けるところから物語を始めました。 あさの 自分が書いている人物を掘り下げていけるのも、シリーズの強みです。 信次郎については、前作『地に巣くう』で書いたのですが、意外と伊佐治には触れていないことに気付きました。 伊佐治は親分としての面しか書いていなかったので、今回は、伊佐治がどのような場所で、どのような人たちと生きているかを書きました。 もう一人、おけいという伊佐治の息子のお嫁さんが出てきますが、彼女は、人とのぶつかり合いとかすれ違いとかいった、私たちが普段暮らしていると感じる葛藤の中で生きています。 作中の牡丹が象徴しているのは、女の息苦しさや濃厚な色香、殺意といった重いものですから、おけいはそれと対比する人物として描きました。 「この作品には、私自身が何を思って生きてきたかもよく出ていると思います。 あさの 私は現代と繋がった小説しか書けませんし、「弥勒」シリーズは男を書いていますが、男を書くためには、女を書かなければなりません。 私は今を生きる女性が投影されなければ、物語は命をもたないと考えているので、この作品には、私自身が何を思って生きてきたかもよく出ていると思います。 あさの 実際に江戸の女性が何を考えて生きていたかは分かりませんが、私が感じている生きづらさ、現代の女性が抱えている生きづらさは表現したつもりです。 今回は女性が関係する事件が描かれることもあって、商売を通して、社会の荒波と戦おうとしている女性をサポートするという清之介の役割がクリアになったようにも思えるのですが。 あさの 面白い指摘ですが、まだ私は清之介のことがよく掴めていないんです(笑)。 信次郎が信じている道は、この先、ズレるかも途切れるかもしれませんが、今の立ち位置は私も納得しています。 ただ清之介はこれからどうなるか、まったく見えていないんです。 あさの 最初は、清之介の兄のエピソードは出すつもりはなかったのですが、兄弟の確執とか繋がりとかは、まだ十分に出していなかったので書いてみました。 これで書ききったとは思っていませんので、清之介と兄の関係は、今後もシリーズの大きなうねりの一つにはなっていくと考えています。 あさの 結末をまったく考えずに書いているので、そう言っていただけると嬉しいです。 書いているうちに、まったく違う物語になっていることもあるんです。 「人と人とのからまりを描くのは好きなので、『バッテリー』などと同じところはあると思います。 信次郎は、傷ついたおけいを突き放しますが、その中には、自分で立ち上がって欲しいというやさしさも垣間見え、温かい言葉をかける、手を差し伸べるのだけが人情ではないというメッセージが明確に打ち出されているように思えました。 あさの 信次郎は変わっていますか! 自分では全然気付かなかったです。 たぶん信次郎は、幸せは人が与えてくれるものではなく、自分で切り開くものであることを知っています。 信次郎は単に頭がいいだけでなく、人とは違う視点に立って、幸福とか不幸とか死を見ているので、不可解な事件の真相が見えてくるのだと思います。 あさの 信次郎と清之介がからまる中で、変わっていく要素とか、研ぎ澄まされていく要素とかは、書いていて面白いです。 ただそれは、成長というよりも変化ですね。 あさの 人と人とのからまりを描くのは好きなので、『バッテリー』などと同じところはあると思います。 その人物は、ホームズ・シリーズにおけるモリアーティ教授のように、信次郎たちの宿敵になっていくのでしょうか。 あさの あの人物は、信次郎の性格を際立たせるために出した脇役でしたが、書いていくうちに、脇役では収まり切らない、露骨に言えば「使えるな」と思うほど大きくなっていったのは確かです。 まだ分からないところも多く、次回以降に登場するかも未定ですが、天才的な犯罪者なのは間違いないので、私にとっても面白い人物になりました。 あさの ラストがぼんやりと見えているくらいです。 だから、どこで終わってもいいと思っています。 あさの まったく考えていないんです。 強いていえば、清之介と兄の関係だったり、女性たちの姿であったり、まだ書き切れていない部分を書いていきたいです。 これらは私自身が分からないのでワクワクしているところもあります。 清之介にしても、信次郎にしても何を考えているか分からないので、大変ですけどまた会いたいと思わせる人なんです。 大変ですが、書けば会えるので、それがある限り書いていくつもりです。

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繭と物語――『雲の果(はたて)』著者新刊エッセイ あさのあつこ

あさのあつこ 弥勒 シリーズ

北町奉行所の若き同心 木暮信次郎と、その父親の代からの岡っ引き 伊佐治が街で連続して起こった人殺しを追いかける。 街の空気や色、湿度までを言葉で尽くすようなあさのさんの描写は、まるで映像をみているかのような心地。 背景の描き方と、登場人物たちの心の微細な心の動きが、物語の動きに奥行きを加える。 何の関係もないように思えた人々の死が、最終盤で一気に動く。 同心信次郎と、妻を失った小間物屋若旦那の遠野屋清之介の人物造形について、まるで薄皮をはぐようにゆっくり、ゆっくりと見せていく様は、あさのさんの筆力のなせる業だと感じた。 個人的には、何か過去を持つ遠野屋の正体の見せ方と、同心信次郎との駆け引きが、どちらも同じようなので、途中でおなかいっぱい。 岡っ引きの伊佐治の人となりまで入り込むので、もう少し誰かを間引きしたほうが、集中できたかな。 シリーズでまだまだ続くようなので、次を楽しみに。 児玉清さんが紹介していたのを読んでこの本を読んでみたいと思って手に取りました。 同心の小暮信次郎と遠野屋の清之介、岡っ引きの伊佐治。 そして物語の冒頭で川に飛び込んで死んでしまうのだが、話の中で生き生きとした表情を見せる遠野屋の若おかみ りん。 どの人物も魅力的だし、他の脇役の登場人物達も血の通った人として書かれていて、読んでいる間、私もこの小説の中の江戸の町に一緒に住んでいるようでした。 今年読んだ本の中で私のランキングの中ではかなり上に入ると思います。 続編が楽しみです。 時代小説だが面白かった、江戸の町を背景に、少し台詞などに現代感覚の残るところも馴染みやすく読みやすかった。 同心の信次郎と岡っ引きの伊佐治のコンビが事件担当で面白い 信次郎は父が亡くなった後、役目を引き継いではいるが、年相応の鬱屈した思いがある。 伊佐治は生一本で世話好きで頼りがいのある人物だが、一人で、勝手に生きているような信次郎をもて余すこともあり、理解ができない部分がある。 しかし信次郎の勘の鋭さと変人ぶりに辟易しながらも、世話を焼かずにはいられない。 最近結婚したばかりで、気立てのいい、小間物屋「遠野屋」のおかみが橋から飛びおりた。 入り婿の清之介は、先代に見込まれ、眼鏡どおりに身代を守り、以前にもまして繁盛させてきた。 なぜ、その妻が死ななければならなかったのか。 夫の清之介にも見当がつかないと言う。 しかし、彼の物腰には何か油断のできない、ある殺気のような緊張感を信次郎は感じた。 信次郎と清之介のもっている、形は違ってもどうにも折り合いのつかない、重たい心の荷物がうまく書き込まれている。 妻の死を悲しみ、大金を出してまで捜索を頼むのは清之介の本心か。 夜が来ると、袈裟がけの見事な一刀で次々に人が死んでいく。 清之介と信次郎、伊佐治のキャラクターが際立っている。 続きの「夜叉桜」も読んでみよう。 あさの あつこ 1954年生まれの小説家、児童文学作家。 岡山県英田郡美作町(現:美作市)湯郷出身。 幼少の頃から本に親しみ、中学の頃から創作日記をつけはじめ、中学2、3年生の頃から作家を志す。 青山学院大学文学部入学後、児童文学サークルに入り活動。 卒業後小学校の臨時教諭を2年間務め、結婚。 日本同人協会「季節風」同人となり、そこに連載した『ほたる館物語』で作家デビュー。 代表作に、1996年から執筆を続ける『バッテリー』。 97年野間児童文芸賞受賞、99年『バッテリー2』で日本児童文学者協会賞、2005年『バッテリー』全6巻で小学館児童出版文化賞をそれぞれ受賞。 シリーズ1000万部超の大ベストセラーとなり、映画化・アニメ化された。

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