ホウズキ ノ レイ テツ。 カツラノハイセイコ

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ホウズキ ノ レイ テツ

戦績 [ ] 誕生 [ ] 母・コウイチスタアは競走馬時代を12戦1勝で終えた。 鮫川三千男牧場の仔分けでその母系はの1頭であるフロリースカップに遡り、その娘のスターリングモアはに鮫川の祖父が当歳で買い取ってを含む10勝を挙げた。 このスターリングモアの子孫には・などがいる。 母の父・ジャブリンはにで産まれた名血で、より日本でも供用された。 コウイチスタアも当然繁殖馬として期待されたが、4年間も不受胎が続いていたためか、あわや「失格」のレッテルを貼られる寸前の馬であった。 鮫川は元々を配合させようと考えていたが、コウイチスタアがあまり馬格のない馬であったため、体が大きくスピードのありそうなということで、中距離が得意で540kgに達する 巨漢馬であったを交配。 結果的に生まれたカツラノハイセイコは最盛期でも450kg台と牡馬としては小柄の部類で、鮫川の思惑とは異なることとなったが 、初年度のハイセイコー産駒の中ではまだ評価されていたほうであった。 3 - 4歳 [ ] (旧3歳)のでを背にデビューしたが、勝ち馬から10馬身以上の大差を開かれて4着。 での4戦目からは鞍上をにバトンタッチし、1番人気に推されたダート1200mの未勝利戦で初勝利を挙げる。 その後は掲示板こそ外さなかったものの、芝の特別戦2鞍ともに2着・3着と惜敗で終えた。 (旧4歳)になると突如覚醒。 正月の京都から始動して呉竹賞(400万下)・ジュニアカップ(800万下)・4歳ステークスを軽々と3連勝し、一躍の有力候補となった。 呉竹賞までは福永が騎乗していたが、ジュニアC以降は福永の兄弟子であるが騎乗。 その後は東上して初重賞のでは1番人気に推され、ここで重賞3連勝を達成するリキアイオーの逃げは捕らえられなかったものの首差の2着。 敗れたもののへの期待を膨らませたが、調整のために滞在していたの水道水を嫌って飲まなかった影響か直前で熱発してしまい、どうにか間に合って当日は5番人気であった。 レースでは道中は後方に置かれたが、直線では持ち前の根性で追い上げての2着となった。 父子制覇の夢は幻に終わったが、皐月賞後はへ移動。 東京の水は良く飲んだこともあって馬体も回復の兆候を見せ、東京コースに慣れさせるためにへ出走。 産駒のメジロエスパーダに次ぐ2番人気に推されたが、早仕掛けで末脚をなくしての3着に終わる。 では同世代の実力が均衡するなか、父が勝てなかったダービーを勝たせたいというファン心理も手伝って僅差の1番人気に支持される。 レースでは道中はインコースの10番手あたりでじっくりと進め、4コーナーで先頭に立つと、直線は割るように伸びて逃げ込みを図ったリキアイオーを交わしにかかった。 内がハイセイコ、中央がリキアイオー、外がテルテンリュウという位置取りで3頭の叩き合いとなったが、直線で抜け出しを図ろうとしたテルテンリュウが内にささり、リキアイオーは脚が上がって脱落。 その煽りを受けて、騎乗のリンドプルバンは抜け出す進路が塞がれた。 残り100mでテルテンリュウを振り切るが、体勢を立て直したリンドプルバンが猛追。 ハイセイコはそれをハナ差でねじ伏せて、父がタケホープにさらわれたダービー制覇の夢を叶えた。 リンドプルバンは嶋田を背に4歳中距離特別を勝ってダービーに臨んでいたが、奇しくもタケホープと同じであった。 写真判定の際には1、2着の結果が出るのに約10分ほどを要した(斜行に対しての審議の実施の有無については不明)が、鞍上の松本は当時45歳・騎手生活25年目にして初のクラシック制覇となった。 かつてはでを制した松本ではあるが、この頃は試験を毎年受験しており、この時点では現役最年長の騎手であり最高齢でのダービー制覇となった。 父内国産馬の勝利はの以来20年ぶりで、勝ち時計の2分27秒3は当時のダービーレコードであった。 ダービー後は夏の間に熱発や鼻骨骨折に見舞われたこともあり、万全の状態で秋を迎えられなかった。 何とか体調を戻してで行われたに出走したが、ファインドラゴンの10着と敗れた。 更にレース後には脚部不安や馬には珍しいとされるを罹ったため、菊花賞を断念して長期休養に入った。 5歳 [ ] (旧5歳)はで倒れた松本に代わってが手綱を取り、にで行われたサファイヤステークスから復帰した。 8頭中6番人気ながらの2着に入って復活をアピールし、ではシルクスキーの3着に入る。 その後はを見据えて東上し、1番人気に推されたでは前走対戦したシルクスキーやなどを退けて勝利。 馬体はダービーの頃よりも20kg増え、充実の秋を迎えたとファンに見なされ、続く本番の天皇賞(秋)では1番人気に支持される。 当日は2番手追走もの大逃げに幻惑し、後続馬にもズブズブ差されて6着に敗れた。 次走のではファン投票こそ堂々の1位であったが、天皇賞の後遺症から・カネミノブに続く3番人気で出走。 直線で早めに先頭に立つが、肝心のところで外によれてしまい、に完全に差し切られながら根性で差し返そうとしてハナ差届かず。 ホウヨウボーイの2着に敗れた。 6歳 [ ] (旧6歳)はのから始動。 前年のダービー馬であるとの珍しい「マイル重賞でのダービー馬対決 」に注目が集まったが、レース当日は3番人気であった。 直線で最後方からウエスタンジョージ以下をごぼう抜きにし、4着に終わったオペックホースとのダービー馬対決を制した。 続くでは1番人気に推されたものの、59kgの斤量と不良馬場で動きも悪くサンシードール の6着に敗れる。 次走のでは直前に飼い葉量が落ちて完調とまではいかず、さらに体調を崩したという情報まで流れる始末であったが、・ホウヨウボーイなど有力な関東馬が西下しなかったため、リンドプルバンに次ぐ2番人気に支持された。 ダービー以来の440kg台に落ちたハイセイコは道中を中団馬群でしっかり脚を溜め、淀の坂を下りてペースが上がってもじっと我慢。 4コーナーを回った瞬間に素早く動き、直線で馬群の真ん中を割って先頭に躍り出る。 そこへ奇しくも父と同じ出身のが外から襲い掛かり、勢いはカツアールが有利かと思われたが、ハイセイコは驚異の粘りを見せて先頭を譲らず。 カツアールに何度もぶつけられながらも、持ち前の根性で200m近い叩き合いを制し、ついに一度も抜かれることもなくクビ差振り切って勝利した。 父が敗れた舞台で再び勝利して見せたハイセイコは続くではファン投票1位、当日も1番人気に支持された。 レースでは先に抜け出したカツアールの雪辱を許したが、絶望的な位置から突っ込んで2着を確保。 その後はを目指したが、深管骨瘤を悪化させてそのまま引退。 に京都でが行われたが、ハイセイコ引退から約1か月後の、ダービー勝利時の鞍上であった松本が48歳という若さで亡くなっている。 引退後 [ ] 引退後はに種牡馬として1億2000万円で買い取られ、の七戸種馬場にて種牡馬生活に入った。 繁殖牝馬の質が低く、順風満帆で恵まれた環境ではなかったが奮闘し、テツノセンゴクオー・カネユタカオーなど複数の活躍馬を送り出す。 中央ではがでの2着に入り、古馬時代にはも制覇。 ユウミロクは母としての活躍の方が目立っており、・・という重賞勝ち馬三兄弟を送り出した。 にJRAが実施したでは62位に選ばれた。 種牡馬引退後はの那須種馬場で余生を過ごしていたが、にのため死去。 おもな産駒 [ ]• (、2着)• テツノセンゴクオー(・())• カネユタカオー(三冠)• ハルナオーギ() 年度別競走成績 [ ]• 1978年(6戦1勝)• 1979年(8戦4勝) - 優駿賞最優秀4歳牡馬• 1着 - 、2着 - 、、3着 -• 1980年(5戦1勝)• 1着 - 、2着 - 、3着 -• 1981年(4戦2勝)• 1着 - 、、2着 - 血統表 [ ] カツラノハイセイコの (血統表の出典)• カツラノハイセイコに限らずハイセイコーの初年度産駒(55頭)は父に似ない小柄な馬が多く誕生していた。 のちに「父親(ハイセイコー)と似ていない馬はよく走る」(談)と言われるようになるが、産駒デビュー前であり当時の競馬関係者にはそのような認識はなかった。 その後、がの日本ダービーでに騎乗して優勝し、最年長記録を更新している。 1600m重賞でのダービー馬対決は()まで実現しなかった。 鞍上のはこれが重賞初制覇となった。 JRA 2009年10月8日. 2009年10月8日閲覧。 JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2015年8月13日閲覧。 (編)『サラブレッド血統マップ'93』コスモヒルズ、1993年、22-23頁。 競走馬のふるさと案内所. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2015年8月13日閲覧。 参考文献 [ ]• 吉村昭「第46回日本ダービー 馬券を買う」 『優駿 1979年7月号』 日本中央競馬会、1979年• 福田喜久男「カツラノハイセイコのふるさと スターリングモアと鮫川三千男牧場」 『優駿 1979年8月号』 日本中央競馬会、1979年 外部リンク [ ]• 競走馬成績と情報 、• - 国際競走指定前: 第 0 02回(1938年) 第 0 04回(1939年) 第 0 06回(1940年) トキノチカラ 第 0 08回(1941年) 第 010回(1942年) 第 012回(1943年) 第 014回(1944年) 第 015回(1947年) オーライト 第 017回(1948年) 第 019回(1949年) 第 021回(1950年) 第 023回(1951年) タカクラヤマ 第 025回(1952年) 第 027回(1953年) 第 029回(1954年) 第 031回(1955年) 第 033回(1956年) 第 035回(1957年) 第 037回(1958年) 第 039回(1959年) トサオー 第 041回(1960年) クリペロ 第 043回(1961年) ヤマニンモアー 第 045回(1962年) 第 047回(1963年) コレヒサ 第 049回(1964年) 第 051回(1965年) 第 053回(1966年) 第 055回(1967年) 第 057回(1968年) 第 059回(1969年) 第 061回(1970年) 第 063回(1971年) 第 065回(1972年) 第 067回(1973年) 第 069回(1974年) 第 071回(1975年) 第 073回(1976年) 第 081回(1980年) 第 083回(1981年) 第 085回(1982年) 第 087回(1983年) 第 089回(1984年) 第 091回(1985年) 第 093回(1986年) 第 095回(1987年) 第 097回(1988年) 第 099回(1989年) 第101回(1990年) 第103回(1991年) 第105回(1992年) 第107回(1993年) 第109回(1994年).

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生涯 [ ] 誕生・デビュー前 [ ] 、の荒木牧場で誕生。 父・マロットは16戦無敗の名馬・の仔という血統を買われて、に輸入された。 しかし20戦7勝とはいえ大レース勝ちもない平凡な成績で、日本ではこの時点ではを勝ったヨコヅナが目立つ程度であった。 後にがの有馬記念を制することになるが、総じて一発屋のような産駒が多かった。 母・キヨツバメは上に3頭の産駒がいたが1勝したのみで、のは生まれの産馬で馬・、馬の・アイテイオーなどを輩出している。 母の母・シェーンの父が戦前の・の産駒でを勝ったトキノチカラとよく知られた名前だが、概ね平凡な血統馬といって差し支えない。 幼駒時代は丈夫で利口で活発な性質であったが右前脚が外向しており、父母共に実績がなかったことから、他馬との抱き合わせでも引き取り手がなく 、6人のに購入を断られていた。 競走年齢に達した3歳のになっても馬主が決まらず、「キヨハヤブサ」という幼名のまま・浅野武志厩舎に入厩。 7人目の石嶋清仁が浅野の妻の熱心な勧めに応じて引き受け、400万円という安値で購買。 これにより馬名は「キヨハヤブサ」から、「イシノ」にから「ヒカル」を借用した「イシノヒカル」と改名された。 競走馬時代 [ ] 1971年のの新馬戦でデビューし、翌年のオークス馬・の5着に敗れる。 その後の折り返しの新馬戦と未勝利戦は2着で、4戦目となるの東京の未勝利戦でを鞍上に初勝利を挙げた。 の中山の寒菊賞(100万下)を快勝したが、この時期から関東の厩舎を中心にが猛威を奮い、関東の競馬は2ヶ月間の開催停止を余儀なくされた。 これにより本来なら上旬に行われるが末に、5月末に行われる日本ダービーが延期となった。 これにより関東所属馬の多くが影響を受けたが、右前脚外向による脚部不安を抱えるイシノヒカルには格好の休養期間となった。 に開催が再開されると、緒戦の中山のオープンを勝利。 続くヴァイオレットS(400万下)ではを背に、後方から鋭い追い込みを見せて4連勝を果たした。 この年の戦線は・・の「 関西三強」が中心と目されていたが、この3頭に対し、イシノヒカルは関東所属馬の代表と捉えられた。 次走の東京オープンで初対戦のロングエースの4着に敗れ、クラシック初戦の皐月賞に臨んだ。 鞍上は加賀に戻り、当日は「三強」に次ぐ4番人気となった。 レースはロングエースが騎手との折り合いを欠いて暴走気味に先頭に立ち、同馬をマークしたタイテエムが2番手、両馬を見る先行集団の中にランドプリンスがおり、イシノヒカルは最後方を進んだ。 直線入り口でロングエースが失速すると、代わってタイテエムが先頭に立ったが、直線半ばでランドプリンスがこれを交わした。 さらに後方大外からイシノヒカルが猛追してランドプリンスを追い詰めたが、半馬身届かず2着と敗れた。 この好走に自信を得た陣営であるが、次走のダービーでは23番枠を引いてしまう。 前走と同じく後方に位置取り直線で追い込みを見せたが、27頭立てという多頭数で馬群を捌くのに手間取り、ロングエースのレコード優勝の後方で6着に終わる。 続く3週間後のでは1番人気に支持されたが、それまで逃げ先行脚質であったの鬼脚の追い込みに屈し2着となり、春のシーズンを終えた。 秋は菊花賞を目指したイシノヒカルだが、順調さを欠いてなかなか西下できなかった。 本番9日前のののオープンでようやく復帰。 急仕上げで馬体も細く、陣営は不安の中で送り出したが、以前2戦に騎乗した小島武久を鞍上に、不良馬場を豪快に追い込んで7ヶ月半振りの勝利を収めた。 これが追い切り代わりになって状態が一変し、陣営は強気で菊花賞に挑むことになったが、主戦の加賀がに遠征していたため、鞍上には増沢末夫を迎えた。 騎乗依頼は直前に行われており、前週までで騎乗していた増沢は、後に「正直、いやいや京都へ出向いた」と明かしている。 当日は無冠のタイテエムが1番人気に支持され、イシノヒカルは連闘を嫌われて5番人気という評価であった。 イシノヒカルは本馬場入場直後に大きく暴れたり、発走直前に落鉄により打ち直しというアクシデントもあり、レースの発走開始が数分遅れた。 関係者は心配したが、何事もなかったかのように好スタートを切り、三強を見るように後方2番手に位置した。 2コーナーでランドプリンスが早仕掛けで先頭を伺う展開で、ロングエース、タイテエムが続いた。 「三強」の争いの中、イシノヒカルは直線入り口で最後方の位置から一気の追い込みを始めると、直線の半ばでタイテエムが先頭に出る。 タイテエムが少し油断したところを外から交わし、矢のような末脚にタイテエムは為す術もなく1馬身半差の2着に沈んだ。 イシノヒカルは連闘で菊花賞を制し、春の雪辱を晴らすと同時に関東馬の意地を示した。 イシノヒカルは破天荒な菊花賞の勝利の印象が強く、有馬記念出走馬を決めるファン投票では第1位に選出され、「三強」と立場が逆転。 過去の有馬記念においては、4歳馬は人気薄の牝馬・スターロツチが勝っていたとはいえ、牡馬は菊花賞馬・の2着が最高で、古馬の壁を突破できないでいた。 この年も・・と3頭の馬が出走していたが、しかしイシノヒカルはこれらを抑えて迎えて1番人気に支持された。 ファンは東京に戻ってからも好調を持続し、菊花賞の末脚を発揮すれば、古馬を撃破できると見ていた。 その見立ては当たっていた。 レースではと同様の大逃げから始まり、天皇賞馬3頭は好位から抜け出しを狙った。 しかしイシノヒカルは中団待機から第3コーナーでスパートを掛け、大外から末脚を伸ばして、勝てば史上初の2億円獲得馬になるはずであったメジロアサマに1馬身半差をつけて、寄4歳牡馬が初めて有馬記念を制した。 またファン投票1位で1番人気の馬が優勝するのは以来であった。 秋の活躍が評価され、同年の及びに選出された。 しかし短期間に激戦をこなしたイシノヒカルは疲労困憊状態にあった。 5歳になったは年初からに、そして左前脚の挫石が発症し、を目指して西下ものの、レースに使える状態ではなかった。 増沢はこの原因を「外向した脚に負担が掛かり続けたため」と分析している。 10ヶ月の長期休養を余儀なくされ、5月にので治療、にでリハビリを行い、11月3日の東京のオープンにようやく姿を表す。 しかし後にを勝つのスピードについて行けず、7頭立ての殿負けに終わる。 このレースが最後となり、7歳になった2月に登録を抹消。 引退後 [ ] 引退後は中央競馬会により2000万円で購入され、の所有馬として、1975年春から種馬所で種牡馬生活を開始した。 しかし交配相手のに恵まれず、の勝ち馬はミラクルハイデンの他、1勝馬が3頭だけと活躍する産駒が出なかった。 にはの中野一成牧場へ無料で払い下げられ、そこで種牡馬としての再起を図っていたが、春にを発症し、牧場内で転んでは立ち上がる状態を繰り返すといった危篤状態になる。 移転先での産駒を残すことなく、同年にの措置が執られた。 享年18歳。 評価 [ ] 1972年世代は「花の47年組」と呼ばれ、中でも本馬と関西三強は、それぞれの陣営が「別の年に生まれていればになれるだけの可能性を持っていた」と口を揃えて語るなど 、個々のレベルが非常に高かった。 増沢は中でも本馬を非常に高く評価し、後に自著の中で「最強馬との出会い」と題した一章を割いて本馬を取り上げ、「私は1万頭を越える馬に乗ってきた。 その中で一番強い馬を挙げるとしたら、私は迷わずこの時(菊花賞)のイシノヒカルと答える」「脚さえ何ともなかったら、もっともっと活躍できたに違いない。 それを思うと残念でならない」等と語っている。 25 新馬 7 4 5着 芝1000(良) 1:00. 7 1. 5秒 小島武久 49 10. 10 中山 新馬 9 5 2着 芝1000m(不) 1:02. 1 0. 4秒 49 ジャスト 10. 23 未出走未勝利 11 5 2着 芝1200m(良) 1:12. 8 0. 0秒 52 ブルハヤブサ 11. 21 東京 未出走未勝利 15 1 1着 芝1200m(良) 1:11. 8 7身 加賀武見 53 (サクラオー) 12. 11 中山 寒菊賞 19 1 1着 芝1600m(良) 1:37. 6 4身 加賀武見 53 (ファインダイヤ) 1972 3. 5 中山 オープン 8 4 1着 芝1600m(良) 1:36. 1 4身 小島武久 51 (インターブレイン) 3. 18 中山 ヴァイオレットS 13 1 1着 芝1800m(良) 1:51. 1 アタマ 55 (パワーライフ) 4. 29 東京 オープン 7 3 4着 芝1600m(良) 1:37. 3 0. 9秒 加賀武見 55 5. 28 中山 15 4 2着 芝2000m(良) 2:03. 6 0. 1秒 加賀武見 57 7. 9 東京 27 4 6着 芝2400m(良) 2:29. 3 0. 7秒 加賀武見 57 ロングエース 7. 30 東京 13 1 2着 芝1800m(良) 1:48. 5 0. 1秒 加賀武見 56 11. 3 オープン 6 1 1着 芝2000m(不) 2:08. 12 京都 19 5 1着 芝3000m(重) 3:11. 17 中山 14 1 1着 芝2500m(良) 2:38. 3 東京 オープン 7 4 7着 芝1800m(良) 1:51. 4 3. 『書斎の競馬』p. 237• 『書斎の競馬』pp. 237-239• 『日本の名馬・名勝負物語』p. 366• 増沢 p. 日本中央競馬会「優駿」1987年12月号より。 増沢 p. 101• 『日本の名馬・名勝負物語』p. 374• 増沢 pp. 99-101 参考文献 [ ]• 狩野洋一「三強とイシノヒカル」(『日本の名馬・名勝負物語』〈中央競馬ピーアール・センター、1980年〉所収)• 増沢末夫『鉄人ジョッキーと呼ばれて - 我が愛しの馬上人生』(学研、1992年)• 「イシノヒカル、おまえは走った! 」(『書斎の競馬』第6号〈飛鳥新社、1999年〉所収)• ほか『サラブレッド101頭の死に方(文庫版)』(徳間文庫、1999年) 外部リンク [ ]• 競走馬成績と情報 、.

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