ここ から 近く の 道 の 駅。 中国地方のインターチェンジ・ジャンクション

福島宿から上松宿経由、須原駅まで

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【道の駅とその役割】 Q:道の駅はドライブをしているとよく見かけるようになりました。 今はどのくらい設置されているんでしょう。 A:去年現在で、全国に1145施設あります。 登録制度が始まったのは平成5年ですから、25年ほどで急激に増えました。 施設は市町村、あるいは市町村と道路管理者などが共同で作るというケースが多いそうです。 Q:地元の野菜や特産品を販売していて、地元の人や観光客でにぎわっていますね。 A:それだけではなく、広い駐車場やレストラン、温泉を備えたところもあります。 「休憩機能」という位置づけです。 それから地元の観光案内など「情報発信機能」。 さらに最近はキャンプ場、体験農場、劇場などを備えた「地域連携機能」もあります。 今回は、もう1つの役割「防災機能」についてお伝えします。 まもなく8年になる東日本大震災をはじめとする、地震などの自然災害で道の駅が避難場所になるケースが増えているんです。 【地震で突然避難場所に】 平成28年の熊本地震直後の南阿蘇村にある道の駅は、自治体の指定避難所ではありませんでした。 しかし、余震が続く中で、住民たちがマイカーで次々と集まり一時的な避難場所になりました。 多い時には空き地に30を超えるテントが並びました。 この道の駅「あそ望の郷くぎの」を今年、再び訪ねました。 当時、たくさんのテントが並んだ場所はもとの芝生に戻っていました。 支配人の山部武志さんが案内してくれたのは、敷地の中にある湧水が出る場所でした。 熊本地震ではこの地域も停電、断水したそうです。 今は雨が少なく水は出ていませんが、当時、湧水が被災者の貴重な生活用水となり、トイレの水などに使われました。 山部さんたちは自家発電装置を持ち込んで、1週間炊き出しを行いました。 もともと避難所ではなかったため隣の店にあった食料を使い、地元の農家が提供してくれた野菜などで、食事を作ったということです。 Q:指定避難所ではないのに、避難場所になったんですね。 A:本来は、指定された避難所に向かってほしいと思います。 ただ、ここは幸い水が豊富だったことと、近くの会社から自家発電機を借りることができて、活動を行ったということです。 当時の話を聞くと、山部さんも、たいへん苦労をしたそうですが、地元の人に支援ができて、よかったと話をしていました。 しかも、ここはその後、自衛隊がやってきて、活動拠点になったんです。 Q:どうしてそんなに道の駅に集まってくるんでしょうか。 A:道の駅は、駐車場があるなど敷地面積が広い上、幹線道路に面しています。 そこで被災者だけでなく、緊急車両や物資も集まりやすい、つまり「避難場所」にもその後の「防災活動の拠点」にもなりやすい場所なんです。 熊本地震の時には、熊本と大分の合計22の道の駅に被災者が一時避難してきたということです。 実際ここ数年、新しく作られた道の駅の中には、防災対策を最初から重視した施設も増えています。 次に新しくできたばかりの道の駅を訪ねてきました。 【防災拠点として整備】 去年7月に岐阜県大野町にオープンした道の駅「パレットピアおおの」です。 地元の食材を使った加工品や、野菜などを販売していて、多くの買い物客で賑わっていました。 ここは住民の緊急避難場所に指定されています。 建物の裏の駐車場には、避難した住民3日分の飲料水を備えた貯水槽が作られています。 生活用水が自由に使えるよう、芝生の近くに井戸も備えられています。 バス停の隣には災害時のトイレが設置されます。 ここに仮設トイレを立てることになります。 広い駐車場は、災害の24時間後から、消防と警察の活動拠点になります。 芝生の広場は、自衛隊の活動スペースになります。 先ほどの道の駅を上から見た図です。 災害が起きてから24時間までは、広場に住民が避難します。 発生24時間以降は、駐車場のここは消防と警察の活動拠点に。 ここはヘリポートになります。 また、広場に避難した住民は近くの小学校に移ってもらい、自衛隊の活動拠点になる計画です。 道の駅全体が「避難場所」と「防災活動拠点」という2つの役割を担っているんです。 町によると道の駅がある岐阜県大野町は南海トラフの巨大地震や直下型地震で強い揺れが想定されています。 加えて、すぐ近くに東海地域をつなぐ環状道路が整備されていて、人や物を運ぶ大動脈になります。 このためここは、住民だけでなく、帰宅困難者などの避難も想定されています。 【全国各地で防災の取り組みも】 Q:ほかにはどんな施設があるんでしょうか。 A:例えば、福島県の道の駅では隣接する川の洪水対策を考慮した河川防災ステーションを併設しています。 排水設備が準備されているということです。 また、火山や豪雪などに備えてヘリポートを整備しているところもあります。 広い敷地を利用してヘリポートの機能を持たせている道の駅はたくさんあります。 また、総合備蓄拠点を設けているところ、後方支援拠点という位置づけで、食料や簡易トイレなどを備蓄しているところもあります。 これは一例で、全国にはほかにも様々な取り組みがあります。 【道の駅に防災の位置づけと支援を】 Q:地震だけでなく、火山、大雨など様々な災害への備えがあるんですね。 A:ただし、課題があります。 市町村などの地域防災計画に、何らかの位置づけが盛り込まれている道の駅は、全国「道の駅」連絡会の一昨年現在のまとめでは、全体のおよそ40%にとどまっています。 つまり、道の駅の半分以上は、自治体が災害の時に活用することが想定されていないということになります。 これは道の駅の機能がまだ十分理解されていないケース、それに設置されている場所が、避難所としては適切ではないケースもあると思います。 Q:じゃあ、地震があったら近くの道の駅に避難、というわけにはいかないんですね。 A:防災設備が整っていない可能性もありますから、やはり、まずは自治体が定めた避難所に向かってください。 お近くの道の駅が避難所かどうかは、自治体のホームページなどで確認ができます。 しかし、熊本地震の例を見てもわかる通り、地震の後マイカーで避難して道の駅を頼る被災者もいると思います。 行政はできるだけ道の駅の防災上の役割を明確にして、対策の充実と支援を進めてほしいと思います。 (清永 聡 解説委員) キーワード• 関連記事.

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道の駅ばんだい

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こんにちは あっぷるびーです。 ミニバン電気自動車 EV のポカリ号 e-NV200 に乗ってます。 このポカリ号であちこち走り回ってます。 実家の近くに道の駅ができた 嬉しくてネットで検索すると酷評されてる そんな道の駅で車中泊してきたのでレポートしたいと思います。 道の駅おおさき 令和2年7月にオープンしたばかりの新しい道の駅。 宮城県の北部、大崎市に位置している。 ここは元々は古川市だったが平成の市町村大合併により大崎市に生まれ変わった。 その名残で近くにある東北新幹線の駅名は古川。 近くの名所といえば湯治場の鳴子温泉があります。 ここから鳴子温泉までは車で30分ほど。 私が学生の頃、仙台までショッピングに出れないビンボーピーポーは古川に来るのがナウでヤングなトレンディでした。 この町で有名なのはバレーボールが強い古川商業高校(現 古川学園高等学校)。 古商出身者で有名な、女子バレーボールの元日本代表 高橋めぐみさんもここ古川の出身です。 後はナイトメアのボーカルYOMI君、そのYOMI君の弟(の設定)イガグリ千葉ちゃんの出身地として一部では有名ですね。 演技で東北弁を話す人がいますが、東北出身者かどうか99%地元民ならは見抜けると思いますが、仙台貨物ボーカル千葉ちゃんの発音はモノホンです。 宮城北部地元の訛りですね。 仙台貨物面白いよ 道の駅おおさき周辺で撮影したPV動画貼っておくんで見てみて。 外観 横に長い施設で上手く撮れませんでしたが、木造平屋造できれいな建物です。 主に正面向かって左が物産販売コーナー、真ん中が案内所やイタリアンレストラン、右側がトイレです。 駐車場 バス停もあります。 駐車台数は大小合わせて101台 ほぼ平で渋滞を応考慮した配置がなされていてとてもキレイです。 特に大型車と一般車が別れており無駄な交通摩擦が起きにくくなっている印象でした。 イタリアンカフェ OSAKI SOIL 地元の食材をふんだんに使ったピザやパスタが楽しめる道の駅のカフェ。 今どきの道の駅らしくオサレなメニューが目を引きます。 他にもうどんやカレーなどもあり家族で楽しめるお店ですね。 私は隊長とソフトクリームをいただきました。 甘すぎず美味しかった。 産直市場 地元野菜が手頃な値段で変えます。 地元の私には野菜に物珍しさはありませんでしたが、加工食品などもふんだんで見ても楽しめるお店です。 切り花やお酒も売っている、地元の人の購買も考えてる品揃えだと思いました。 トイレ 男女合わせて25器あるそうです。 新しいのでキレイなのは当たり前ですが、掃除も行き届いていました。 最近の道の駅はどこに行ってもオシャレな壁紙だね。 その他の施設 最近道の駅でよく見るまちナビカード 近場のお店の割引券を兼ねてます。 こうやって地元にお金が落ちれば良いな、と思います。 活性化してほしい! コミュニティスペース 平日は地元民、おかあさん達の憩いの場と化すのでしょう。 EV充電器 30KWの充電器だから早くはない。 トイレの前にあり便利な場所にありました。 充電サイトに喫煙所の近くにあるから臭いとか、地元民が歩いてて邪魔とか、バス停が近いから人がいてうざいとかの酷評が書いてあったけど、そうゆうのとも共存するターミナル的な存在なんだから仕方ないでしょ。 そうゆうことばっかり言うから電気自動車乗りの評価が悪い気がする。 大統領みたいにあいつが悪い、あっちが先にやったみないな心の狭い発言してないで仲良く共存しようよ。 充電設備があるのは助かります。 車中泊の快適度 町の中にある道の駅のため、少し歩けば周りに飲食店もあり買い物もできる便利な環境。 しかも幸か不幸か直ぐ側に病院と警察署があり、サイレンが聞こえることもあると思う。 周りが民家に囲まれてるので人通りも多い。 それは人の気配があり明るいため治安は良いということじゃないかな。 最近ではこの町に若者も少ないし暴走族など見たこともない。 安全な道の駅だと思います。 実際私が車中泊した時はサイレンの音も聞こえず何のトラブルもなく、輩が騒ぐこともありませんでした。 幹線道路が近いからうるさい、と言う書き込みも見ましたがそんな事は無いと思います。 町の中と言っても田舎だからこんなもんでしょ。 普段どんだけ田舎に住んでんだ。 何より大型車の駐車場が離れているのでそれが嬉しい。 大きなアイドリング音に悩まされないで済む。 そして駐車場がほぼ平坦なため、それも良い点でした。 快適な車中泊ができましたよ。 まとめ ネットで情報を集めると評判があまりよろしくない。 その理由は市街地の真ん中にあるから、そして道が狭く渋滞場所だから。 確かに道路は渋滞する場所ですね。 周りを見渡すと直ぐ側に民家があり、構内にバス停もあるから人通りが多い。 これを良しとするかどうかは立ち寄る時間帯などにもよると思うけど、今はできたばかりで開店ご祝儀期間というのもあると思うのでそのうち落ち着くでしょう。 逆に落ち着かず人出が多いならそれは地場が活性するので良いことだと思います。 地域活性のための施設なんだから。 でもご近所の人には迷惑かもね。 ルールを守ってご近所迷惑にならないよう利用したいものです。 施設概要 名称:道の駅おおさき 住所:大崎市古川千手寺町二丁目5番50号• 産直市場 9時30分~18時30分• イタリアンカフェ OSAKI SOIL 10時~18時• コミュニティスペース、各トイレ 24時間利用可能.

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中国地方のインターチェンジ・ジャンクション

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横川駅から坂本宿、碓氷峠、軽井沢宿経由、中軽井沢駅まで 2017年4月20日(木) 信越線横川駅から坂本宿、碓氷峠、軽井沢宿を経由し、しなの鉄道、中軽井沢駅まで歩きました。 横川駅辺りは標高が380mほど、坂本宿は標高が約450m、山道に入り、一気に標高約800mの刎石山山頂近くまで登る急登、 その後は尾根伝いの感じで一部急登もありますが、標高約1200mの碓氷峠まで緩やかに登ります。 碓氷峠からは遊歩道を経由し、軽井沢宿へ、さらに一般道を歩き、標高約940mのしなの鉄道中軽井沢駅まで下りました。 横川駅を9時15分に出発、中軽井沢駅へは15時5分頃到着しました。 万歩計では約36000歩でした。 坂本宿から碓氷峠までは山道ですが、道はよく整備されていました。 すれ違ったハイカーは20名弱でしたが、その中で日本人は3名だけ、残りは皆ヨーロッパ系の外国人のようでした。 軽井沢側からの方が下りが多く、楽でしょう。 2017年4月20日(木) 高崎からの信越線車内から、妙義山(左)と雪の残っている浅間山(右) 信越線車内、横川近くから 丁須の頭 横川駅、到着が9時15分、旧中山道歩きの出発です。 駅前の峠の釜めし店、まだ朝早く(9時15分)、締まっていました。 関所跡、写真右端の白い柱、東門の位置とあります。 桜はもう散っていました。 碓氷関所跡 資料館もありましたが、春、秋の土日祭日限定でした。 おじぎ石、通行人はこの石に手をついて手形を差し出したようです。 899年にできた碓氷坂の関所跡はこの先で出てきます。 ここにできたのは江戸初期 前回通ったアプトの道の下をくぐります。 18号線はこの先で碓氷バイパスと中山道(めがね橋を通る)に分岐しています。 霧積川を渡ります。 江戸時代には橋が流されたりして往来は大変であったようです。 ロープで書状を運んだりしていたようです。 薬師坂(心太坂) カラスが倒木で何かをついばんでいました。 ツツジ ボケ 自生しているボケの花 坂本宿への道、「花と緑のぐんまづくり」、道路の両側、鉢植えの花が1km以上にわたって置かれていました。 桜は散りましたが、色々な花が咲いています。 上信越自動車道が中ほどで上を横切っていました。 坂本宿、下木戸跡、9時45分頃到着です。 道路に沿って綺麗な水が流れています。 坂本町道路元標 武井九夏 佐藤本陣跡 坂本小学校発祥の地 この辺り、多くの家に屋号 かぎや 若山牧水とつたや、明治の末期には宿屋はここだけであったようです。 江戸へ三十四里、京へ百二里、先は長いです。 この辺りから右に入ると前回歩いたアプトの道の途中、とうげの湯へ行きます。 芭蕉の句碑、この後登る刎石にあったものをここに移したようです。 坂本宿を後に、碓氷峠へと向かいます。 坂本宿のはずれ、八幡宮 旧道(自動車道)は右に曲がりますが、ガードレールの左を直進します。 旧道に戻ったところが旧中山道の入り口です。 中山道、碓氷小屋、碓氷峠登り口と書いてあります。 日本の道百選、旧中山道と書いてあります。 安政遠足マラソンコースとなっている。 安政の御遠足(おんとおあし)は1回限りだったようですが、 昭和の時代に復活したようです。 急な登りが続きます。 東軽井沢ゴルフクラブ? 群馬県ですが軽井沢 柱状節理、ケルンも作られていました。 刎石(はねいし)坂、刎石山への登りは急で落石注意の個所もあります。 登山口からここまで約25分、かなりきつい登りでした。 坂本宿全体を見渡すことができます。 風穴 弘法の井戸、案内板は倒れてしまっています。 井戸の覆いも倒れてしまっているのでしょうか。 刎石(はねいし)山頂上付近には四軒の茶屋があったようです。 土台らしきものが残っているのが見えます。 碓氷坂の関所跡、899年に設けられたようです。 熊野神社まであと6. 関所跡近くで4名ほどの外人さんとすれ違いました。 軽井沢から来たようです。 この後もすれ違うのはほとんどヨーロッパ系の外人でした。 掘り切り、1590年、豊臣秀吉の小田原攻めへの防戦で両側を切り崩し、道を狭くしたようです。 青葉が芽吹く時期です。 遠くに花が咲いているのが見えました。 桜でしょうか。 それとも大きなツツジの木、よくわかりません。 刎石山を過ぎてからはなだらかな道が続きます。 南向馬頭観世音 北向馬頭観世音 近くに慶長以前の旧道(東山道)、一里塚があるようです。 また二人の外人さんとすれ違いました。 碓氷峠までに20名弱の人とすれ違いましたが、日本人は3名、残りはヨーロッパ系の外国人でした。 座頭転がし(釜場)、ここもやや急な坂道でした。 安政遠足の標識、ところどころにありました。 栗が原、栗の木が多いのでしょうか、明治天皇御巡幸道路と中山道が分かれるとことのようです。 「見回り方屯所」、交番の始まりと書いてあります。 coocan. html」にいろいろ説明がありました。 安政遠足 このような窪地をかなり歩きます。 数百年の間の人の通行や雨水の流れでこのようになってしまったのでしょうか。 木々が生い茂り、刎石山での坂本宿の眺めから後、遠くまで見渡せるところはありませんでしたが、ようやく見晴らしの良いところに来ました。 鹿が食べたのでしょうか。 入道くぼ、馬頭観音 造成地の址、廃墟のようなところに来ました。 山中茶屋、昔は小学校もあったようです。 この辺りも造成した跡が残っています。 山中坂 廃墟があちらこちらに見られます。 まだ碓氷峠までかなりあるところです。 今回の歩きではこのあと30分ほど歩き、熊野神社辺りに到着できました。 12時近くなり、この辺りで10分ほど休み、昼をとりました。 バスの残骸もありました。 開発会社の名前も見えます。 この道を車が通ったのでしょうか。 ここで旧中山道は左に下り、安政遠足の道は右に行きます。 この辺りが陣が原、古戦場 旧中山道はここで若干下ります。 化粧水跡、近くに水は見当たりませんでしたが、写真の奥にあるのでしょうか。 人馬施行所跡、坂本宿から登りはじめ、沢を渡ったのはここだけです。 峠へ向けての上り坂です。 長坂道 ようやく峠につきました。 上州路碓氷峠越えのみち、坂本宿8. 熊野神社まだあと少しです。 霧積温泉は坂本宿からさらに奥にありますが、上州路はどのように通っていたのでしょうか。 霧積温泉は明治のころ栄えていたようですが、1910年の山津波で壊滅的被害にあったようで、現在は1件だけ温泉旅館が残っているようです。 思婦石 道標が入り乱れている感じです。 熊野神社近くの茶屋が見えてきました。 12時40分頃でした。 峠の茶屋で一休み、力餅を食べ、13時ころ出発しました。 赤門屋敷跡 熊野神社 安政遠足(とおあし)決勝点 室町時代からある狛犬 熊野神社が群馬県と長野県の県境です。 日本武尊とヤタガラス イチイの御神木 石の風車 奥に見えるのはトイレ 碓氷遊歩道を歩き、軽井沢へ下りました。 この辺り旧中山道は分かりにくいようです。 木々の間に浅間山が見えました。 葉が茂ってからでは無理な感じです。 道はしっかり整備されていましたが、人家に近づくとややわかりにくいところがありました。 標識が腐っていたりです。 どうにか自動車道へ出られました。 二手橋 修学旅行でしょうか、生徒がたくさん 芭蕉句碑 つるや旅館 軽井沢宿到着です。 14時ころでした。 脇へ入ったところに脇本陣江戸屋、アートカフェ 新幹線軽井沢駅は左へ、中山道は右へ、中軽井沢へ向かいます。 軽井沢宿の繁華街を過ぎると人も車もほとんどない太い道路を歩きます。 時々レンタサイクルの人が追い越してゆきました。 旧近衛文麿別荘(市村記念館) しなの鉄道の踏切を渡り、南側の細い道を歩きます。 浅間山がよく見えました。 15時5分頃、しなの鉄道中軽井沢駅へ着きました。 しなの鉄道中軽井沢駅から軽井沢駅までは一駅 軽井沢駅からの帰路の鉄道は新幹線しかありません。 上野近く.

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