一橋 アウ ティング 事件。 一橋アウティング問題から学ぶ 「人の幸せ」の正体とは何か

一橋大学ロースクールでのアウティング転落事件〜原告代理人弁護士に聞く、問題の全容

一橋 アウ ティング 事件

訴状などによると、亡くなった学生は、自分がゲイ(男性の同性愛者)であることを家族にも言っていなかった。 2015年4月、恋愛感情を抱いた同級生に告白。 告白によって知った同級生がその年の6月、法科大学院の同級生たちのLINEグループで、学生がゲイであることをアウティングした。 アウティングに大きなショックを受けた学生は、その後授業などで暴露した同級生と顔を合わせるとパニック発作が起こるようになる。 2015年7月から心療内科を受診、不安神経症やうつ、パニックなどの診断を受け薬を処方され、一連の事実や症状について大学のハラスメント相談室や保健センターに伝えていた。 学生の両親が訴えていたのは以下の点など。 ・大学側は、アウティングというセクハラ防止対策をしなかった ・大学のハラスメント相談室が自死を防ぐ手立てをしなかった ・パニック発作や薬の処方などについて知っており、自死の予測ができたのに授業に出ることを防止しなかった これに対して、大学側は以下のように反論していた。 ・セクシュアルマイノリティも含むハラスメント防止のための啓発に努めている ・具体的なハラスメントを防止するのは現実的に不可能 ・突発的な自死を予測するのは不可能 ・専門の相談機関も紹介していた (ただしそれは性同一性障害のクリニックで、大学側が問題を正しく認識していなかったことの現れと原告側は指摘) 判決を受けて一橋大学は以下のコメントを発表した。 改めて亡くなられた学生のご冥福をお祈りし、遺族の方々に弔意を表します。 本件につきましては、裁判において、事実に基づき、大学側の立場を明らかにして参りました。 本学と致しましては、引き続き、学内におけるマイノリティーの方々の権利についての啓発と保護に努めて参ります。 一方、原告側は記者会見を開き、南和行弁護士らが両親の思いを以下のように語った。 【記者会見詳報】 彼のお母さんお父さんは、裁判のたびにこう話していました。 「本人の気持ちも一緒に法廷に来ているから。 弁護士にはなれなかったけど、あなたの裁判だよ」と。 この裁判が勝つか負けるかよりも、裁判所が「アウティング」をどう捉えるか、その本質を気にされていました。 「目指していた弁護士にはなれなかったけれど、本人の生きたことが日本の裁判の歴史の中で大きな基準になるような判決になれば、夢は果たせなくても意味はあったんじゃないかな」それがご両親の思いでした。 「アウティング」は集団の中で人間関係がガラッと変わってしまうこと。 しかし裁判では表面的な判断しかされなかった。 私達、原告代理人も残念でなりません。

次の

ゲイを暴露された一橋生の死から4年「事件を風化させない」行動する在学生や卒業生

一橋 アウ ティング 事件

今回この自殺事件を振り返って、このサイトでまとめている「いじめ問題」とで共通している事に着目しながら「人の幸せ」とは何かをまとめて行きたいと思います。 もしこの記事を読んでいる方がいらっしゃったら1度胸に手を置いて「自分は何の為に生きているのか」について考えて欲しいです。 今自分が生きている事の意味についてボンヤリでもいいから何か掴めた時に、人は幸せを感じる事が出来るのだと私は考えています。 いろいろ偉そうな事を書いてしまうかもしれませんが、本当に「今を生きている意味」を考える事こそ「いじめ問題の解決策」について考える事に繋がると記事を作る度に思います。 自信を無くしてしまった時 死にたいと思った時 学校や会社に行きたくないと思った時 相手を信じられなくなった時 少しで良いからこの記事を読んでもらえたら嬉しいです。 「いじめ」が他人ごとでは無く明日は我が子に降りかかる問題であり、風化させない為にも実体験を基に記事にまとめています。 もし、 我が子が不登校になってどう守って行けば良いのか分からなくなった時にも、あわせて読んで頂ければお役に立てる内容となっています。 実際に裁判を起こしたり、弁護士や行政書士の方のお話を聞いたりと解決策に向けて取り組んできた事の内容を書いていますので是非1度読んでみてください!!• 今回の自殺事件の根底にあるもの 今回の自殺事件の根底にあるものとして「なぜアウティングをしたのか」について考えなければならないでしょう。 先ほども書いた様に「アウティング」とは相手の同意無く第三者にLGBTである事を公言する事を言います。 今回自殺した男性の友人は直接本人から相談を受けていたという事なので、信頼のおける人物だったと考えられます。 その人の大事な事を同意無く他人に公言する事は「相談した相手の信頼」を裏切る事になると思います。 何故、胸の内に秘めておく事が出来なかったのか...。 その理由として今現在の日本でLGBTについての理解を深める機会が少ない事が挙げられるでしょう。 私もこの事件が起きるまで「LGBT」について深く考えた事はありませんでした。 実際にどれだけの人が「性的マイノリティー」に該当するのかを調査したデータ(LGBT総合研究所)によると20~60歳位の男女へアンケート調査したところだと 約10万人に対し約6%の割合で該当している事が判明しています。 ホワイトリボン・キャンペーン さらに今回参考とさせて頂いた上記の資料によると 男性の場合に「性に対する違和感を感じる時期」は小学校入学辺りが多く、逆に女性だと中学校入学辺りと男性に比べて比較的遅い結果となっている事が判明しています。 少なくとも中学校辺りでは既に「自分は他の子とは何かが違う」と不安になっている事が分かると思います。 また別の項目の調査「自分の事を話さなかった理由」として挙げられているものは、「理解されるかが不安」が一番多く、次に挙げられる理由として「いじめや差別の対象になる事」となっていました。 この事から自分が悩んでいる事について他の人からの理解を受けられにくいものと考えられている事と、学校などの狭い価値観の中で相談してしまうと広まってしまう危険性がある事を示している事が分かります。 以上の結果から今回自殺してしまった男性が友人に相談した行為そのものは「相当の覚悟」をもって相談した事が分かると言えます。 自分の気持ちに素直になって「自分らしく」行きたいと思っただけなのに、その気持ちに反して友人からまさかの「アウティング」。 この事件が起きてしまったのは私たちを含めた「人の理解のなさ」が産んだ事件だと感じています。 ほとんどの人が「自分らしさを大事に」って言うけど、「自分らしく」する為に努力するほど傷付いて行く「今」がある ほとんどの人が口にするであろう言葉として「自分らしく」という言葉があります。 生きる事はもちろんの事として、仕事だったり勉強だったりひたむきにしている人を応援する事を素晴らしい事と考え自分自身もかくあるべきと行動に移している人もいるでしょう。 私もその考えは正しいと思うし、頑張っている人を見れば自然に応援したくなってきます。 多分ほとんどの人がそうだと思います。 だけど、今の世の中は「自分らしく」して行けば行くほど叩かれたり嫌みを言われたり「傷付く事」が多くなってしまいます...。 自分は「自分らしく」ありたい。 けど他の人がそうしているのを見るとと無性に不安になったり、感情が歪んでくると嫉みに変わり「攻撃」してしまうのが人間。 ほとんどの人がこれに該当してしまいます。 どんなに善意のある人間でも該当します。 この記事を書いている私だってそうです。 そしていろいろ自分自身が攻撃して逆にされてきて分かった事が 「自分らしさを求めれば求める程、他の人間がそれを見た時に不安になりやがて攻撃してしまう事」=「人の弱さ」というものなんだと言うことです。 すなわち人間の「善」と「悪」両方を認めてこそ、相手を受け入れる事が出来るのではと言うことになります。 多くの人は「自分の考えたとおり、そのままの自分」とだけ考えている事が多いのではないでしょうか?? それ故に「自分の考えている事」と離れてしまっている事に対して過剰に拒否反応を起こしてしまうから「生きづらい」と感じさせてしまうのではと私は考えています。 今の世の中で人は様々な人生を通して「人」を形作っている事を考えたり意識したりする時間がほとんどありません。 他人を受け入れて自分の考えと合せる事は誰にでも出来たハズ。 小さい時にぬいぐるみを友達と思えたりペットを親友と思えたり、時には年齢を気にせず近所のお兄ちゃんやお姉ちゃんなどと楽しく遊んだりなどある意味純粋な心は誰にでもあったハズです。 何故か大人になればなるほどその心は無くなって、後に残るのは「ギスギスした心」だけ。 ・アイツよりも認められたい ・他のヤツよりも評価されたい ・アイツが憎い ・ムカつく ・気に入らない などトゲトゲした心だけが大きくなりますよね...。 自分の「善」と「悪」は最初からあって、それを認める事は誰からか教えてもらえる事ではなく、本来既に持っているものです。 自殺した男性の友人に少しでもこの「善」と「悪」を認める(他者を認める)事や自殺した男性の勇気と覚悟を知る事が出来れば違った結果が待っていたのだと思えてなりません...。 性の問題といじめとの繋がり 先ほど参考にさせて頂いた資料の中で 自分の性に悩みを抱えている子の約6割弱がいじめを経験している事が判明しています。 見た目やトイレに入る事やプールの授業など、自分自身の「性」について違和感を感じていても表に出せない状況が現実問題がそこにあります。 心無い一言が一生ものの傷になったり、トラウマで悩み続けてしまう所は「いじめ問題」と同じでしょう。 先ほどまとめたように「自分の善悪を認める事(他者を認める事)」は幼い子供には難しいのかも知れません。 しかし、自分の価値観だけで相手を否定するのでは無く「そういう人も同じ人として一生懸命生きている」と学ばなければならないでしょう。 いじめの被害にあってしまった後でも同じで、相手を憎む事もあるけれど「いじめられた事に屈しない事」が大事になってきます。 今回の自殺事件の様に死んでしまっては、後に残された家族は悲しむ事しか出来ません...。 支える事も戦う事も、ましてや話を聞いてあげる事も出来ません。 例え学校などで虐げられたとしても(あってはならない事ですが)、家族で支えられる様な体制を取れる必要があるでしょう。 そんな時には決して否定せずに我が子の話を聞いてあげて下さいね。 この自殺事件を踏まえての社会の動き この事件が報道されてから学校や会社を問わず少しずつではあるけれど流れが変わってきています。 まず始めに「お茶の水女子大学」は2020年度の入学者からトランズジェンダーの人でも入学を許可する事を表明。 これにより戸籍上の性別が男であっても自認している性が女性であれば原則入学出来る事になります。 また大企業をはじめ多くの会社が結婚と同じ福利厚生を受ける事が出来る規定やエントリーシートの性別の書き方(自分が認識している性で記入可)など少しずつではありますが今までの認識を改めている会社が多くなってきています。 さらに自治体でもLGBTを受け入れる対策を進めている地域も増えてきて東京や神奈川、千葉、沖縄、北海道などの地域で進められています。 内容は賃貸借の優遇、同性カップルに対する証明書の発行(行政手続きの簡略化)などを実施している様です。 まとめ 今回は2015に起きた年一橋大学自殺事件をまとめつつ、今現在のLGBTの現状と子供の性の悩みについて触れてきました。 今回の事件に限らず性の問題はいじめ問題と密接に絡んで深い傷になり、大人になっても解消される事無く残り続けます。 今回参考にさせて頂いた資料『LGBTの学校生活に関する実態調査 2013 結果報告書』では、性の問題に悩んでいる子の約6割近くがいじめを受けて経験があるとしており実際のいじめの内容にも性に絡んだ嫌がらせが多くなってきています。 この問題で否定的な事を言われたり嫌がらせをされると悪口を言われたり暴力を振るわれるよりも心の傷が深くなる確率が高く、長い間不登校やPTSDなどの精神に影響をきたすケースが多くなります。 このサイトでまとめた記事の内容で『』があるのですが、どのケースも性的嫌がらせを受けており長期間心に悪影響を与えている事が実際に起きた事例でも証明しています。 子供の性の問題はなかなか難しく、子供が親に相談する場合や親が子供に教える事にせよ簡単にできる内容ではありません。 しかし、今の子供達が「自分の性について違和感を感じていたり、否定的に感じている」のであれば何の為に生まれてきたのかを伝えなければならないでしょう。 様々な問題を抱えていたとしても人は生きなければならず、その先に「幸せ」があって誰しもが「幸せ」になる資格がある事を伝えなければなりません。 例え今が本当に地獄だとしても。 死んでしまってはその先には何もないから。 この「いじめ-ラボ」では今回の事件の内容に限らず「いじめ問題で苦しむ人達」を無くす為に「相談コーナー」を実施していて、我が子のいじめ発覚から裁判を起こした経験を元に、学校の対応の仕方やイジメをどうやって認めて貰うのか等について具体的に答えています。 もし、これからどうしていけば良いのか分からず迷っているなら一度お話を聞かせて貰えませんか!? いじめが起きてから裁判で勝つまでの経験を元に相談コーナーを実施中!! この記事で書いた事や「いじめ-ラボ」でまとめている内容は私たちの子が実際に受けたいじめをベースにまとめています。 さらにこの記事を読んでいるあなたをはじめ、今現在いじめで悩んでいる方々に少しでもお役に立てれる様に日々勉強をしています。 そこで今回このサイトでは記事の紹介だけで無く 「これからどうやってこの問題と向き合って行くか、分からない事」などについて随時相談を受け付けております。 我が子にいじめが発覚して、これからどうして良いのか分からない• 学校がキチンと対応してくれなくて不安だ...• 子供の様子がいつもとおかしい• 誰にも相談出来なくて、今の気持ちを聞いて欲しい! など、私たちの経験を基に記事に書いていない事なども答えられる範囲でお答えします!! 宮城県在住の いじめ解決専門家で、 「ひまわり行政書士事務所」を運営しています。

次の

一橋大学アウティング裁判、大学訴えた遺族が敗訴

一橋 アウ ティング 事件

みなさん天機です。 できれば、 うれしいことや楽しいことは多くて、 つらいことや嫌なことは少ないほうが、 人生はきっとよりよくなる。 そう考える人も、多いかもしれません。 では、ここで、 こんなことを考えてみましょう。 あなたは、ある飲食店に入ります。 そこでは、高級なお寿司とか、高級な焼き肉とか、 フランス料理のフルコースとか、 とにかく、普段めったに食べられないような、 高級で美味しそうな料理を食べることができます。 値段にすると、数万円でしょうか。 これが、うれしいことが多いということです。 ところが、その飲食店の店内には、 ハエがひっきりなしに頭上を飛び交っています。 床の上には、わけのわからない虫もうごめいていて、 いたって不潔な印象です。 これが、嫌なことも多い、ということです。 あなたは、ある飲食店に入ります。 そこはごく一般的な庶民的なさんで、 あなたが頼むのは、数百円程度のきざみそば定食です。 料理が比較的質素ということで、うれしいことは少ないのです。 ただ、その店内はこざっぱりとした感じで、 豪勢な感じでは全然ないのですが、 素朴ななかにも、清潔で、掃除も行き届いています。 これが、嫌なことも少ない、ということです。 天機ならば。 というのは、天機はこの事例にかぎらず、 プラスが存在するということよりも マイナスが存在しないということのほうに 非常に大きな価値を置くから なのです。 なので、たとえば1000円あるとしますよね? その1000円しか持っていないとして、 殺虫剤を買いますか、CDを買いますか、ってなったときは、 天機は、殺虫剤のほうを買う可能性の高い人間なのです。 CDを買えば、楽しみというプラスが増します。 しかし、殺虫剤を買えば、 虫がでてきたときに嫌な思いをするというマイナスを除去できます。 そして天機は、 マイナスを放置したままプラスを喜ぶよりも、 たとえプラスが手に入らなくてもマイナスを除去できるほうを 選択する人間なのです。 この点は、みなさんはどうお考えになるか、 非常に興味深いところです。 今回は、そのに関連するお話です。 には、いろんな星があります。 よい影響をあたえてくれる吉星もあれば、 よくない影響をおよぼしてくる凶星もあります。 ずいぶん昔ですが、 西村天然というひとの書いた、 開運星占術 という本がありました。 この本のなかでは、 天魁星と天鉞星の2つについては、 きわめて高く評価されていましたね。 なんでも、この2つのどちらかが命宮にあるひとというのは、 めちゃくちゃ運のいいひとで、幸運にめぐまれ、 僥倖(ぎょうこう=偶然の幸運)にめぐまれる、 なんてことが書いてあったりしました。 ところで、この星に関してすこし気になるのは、 老年期に入ると、周囲からの助けは あまり期待できなくなってしまう という性質です。 たとえば、 でも、10年ごとの運勢を見る大運などの 行運というものがあります。 もし、そのひとの行運が、 若い頃の行運がわるくて、老年期の行運がよいならば、 たとえ、天魁星や天鉞星が命宮などにはいっていたとしても、 そのひとは、 老年期に入ってからのほうが、 運がよくなるだろうと予想できます。 同様に、 命宮と身宮をくらべた場合に、 身宮のほうが良い、というようなひとも、 身宮の表わすのが後天運、後半生であることを考えると、 そのひとは、 たとえ天魁星や天鉞星が命宮などにはいっていたとしても、 後半生のほうが運勢がよくなると予想できます。 さらには、一般的にいって、 いわゆる 命無正曜格(めいむせいようかく=命宮に甲級主星が1つも はいらないような特殊な格)のひとは、 若いうちには苦労することになる、と言われていますから、 そのようなひとの場合、 たとえ天魁星や天鉞星が命宮などにはいっていたとしても、 若いうちはつらい目に遭ったりすることのほうが、 多いかもしれません。 つまり、こういうことなのです。 天魁星や天鉞星が命宮などに入った場合には、 たしかに、 目上の人や有力者から引き立てなどを受ける、 という面においては恵まれるかもしれないのですが、 それを超えて、 若い頃の運勢「全般」がよくなる、とか、 老年期にはいったときの運勢「全般」がわるくなる、とか、 そういったことまでを確定させるものではない、 ということなのです。 なので、天魁星や天鉞星が命宮などに入った人の場合には、 若い頃、 なにかと教師や親せきのおじさんから 可愛がられるいっぽうで、 友達との関係はあまりよくなかったり、 なにか悩みをかかえていたり、 貧乏だったり、 といったことは、ふつうにありうることだと思います。 天魁星や天鉞星は、 たしかに、ある一面においての幸運を暗示はしていますが、 運勢全般においての絶対的な幸運を保証してくれるほどの 力はないと考えています。 同様に、天魁星や天鉞星が命宮に入ったばあい、 老年期に入ってからは周囲の助けが得られなくなる、 とはいうものの、 そのことだけで、 老年期や後半生の運勢がわるくなる、 と考えるのも、早計だろうと、天機は思います。 そういうとき、どうすればいいかなんですが、 いろんな方法があると思います。 天機は最近、でよく、 漫才やコントを見て、ひとりで大笑いします。 むかしは、お笑いを見ようと思ったら、 テレビでを見なければいけなかったのですが、 いつもやってるわけでもないし、 自分の好きな面白い芸人さんばかりがでてくるとも かぎりませんよね。 だと、その点、 自分の好きなお笑い芸人の面白いコントや漫才を 連続的に浴びるように見ることができて、 心ゆくまで大笑いできます。 自分の心を落ち込ませている、重苦しくしている 原因となる出来事を、 数え上げていくのも、いいかもしれません。 ふらっと入った定食屋さんで出された食事が すごく美味しくなくて。 どこのだれだかわからない 変な着信が携帯にあって。 のアクセス数がのびず。 前回記事を書いてからずいぶん 間が開いていて、 そろそろ書かなくちゃ、とあせっており。 なんだか知らない吹き出物が ほっぺたにできていて。 自転車の前かごに よくわからんゴミが投げ込まれていた。 みたいに、 1日のうちに、 何個も何個も嫌なことが知らないうちに重なっていると、 いつの間にか、 心やあたまが、 ずーーーんと重くなっていることがあります。 これを応用したものに、 横断歩道とかで、 青信号になるまでの待ち時間を秒数表示してくれる 機器のようなものがあります。 自分は家族との間でよくこの問題が生じます。 注意して見ていると、 水掛け論が頻繁に発生する相手というのは、 案外、決まっていたりします。 言ったよ、言ってないよ、という水掛け論は、 あまり発生しない相手とは、ほんとうに発生しません。 最近では、がだんだんと普及しつつあるので、 その機能の1つとして、 会話のすべてをリアルタイムで記録しておいて、 水掛け論が発生した場合に、 その時刻での会話を再生してくれるような、 そんな機能があったら面白いだろうなあ、 とも思うのですが。 よほど論理性にたけたひとでもないかぎり、 相手がもし言っていないとしたならば生じる矛盾、あるいは、 相手がもし言ったとしたら生じる矛盾を、 正確に思い出して指摘するのは、至難のわざです。 というわけで、 証拠がなにもないまま、おたがいに自分が正しいと思って 論陣を張り、 結果、消耗していやな気分だけが残るのです。 この問題のなにが非生産的なところかというと、 証拠を発見することが難しいのにも関わらず、 真実を発見できるとお互いが思っていて、 その真実は自分の側にあり、 相手をぎゃふんと言わせることができる、 と思い込んでいるところなのです。 つまり、この論争をしている当事者双方が フォーカスしているのは、 真実発見 なのです。 その結果どうなるのかというと、 真実発見ができずに、おたがいが消耗し嫌な気分になるという、 苦 がのこります。 なので、この、 言った言っていないの水掛け論を退治する作戦として、 たぶん効果的なのは、 真実発見にフォーカスするのではなく、 苦の除去にフォーカスする ことです。 おたがいが半分ずつ、譲ったようなかたちです。 でもその結果、 生じるはずだった苦が生じなくなります。 この世界では、油断していると、 すぐにいろんな苦が発生するようにできています。 言った言っていないの水掛け論で生じる苦も、 そんな苦の1つだと思うんですね。 なので、あらかじめ苦を除去するような作戦をとることは、 そんな、 苦をなんとかして与えてこようとするこの世界に対する、 狡猾な対抗策にもなるものと、天機は考えます。 いろいろありますが、日本では ヤフー検索とグーグル検索の2つで圧倒的なシェアを占めています。 というのは。 そんなときに、自分の注目をひいたのが、 Bing検索だったのです。 でも、ほかにもBing検索のいいところもあります。 それは逆に言うと、グーグル検索のわるいところでもあります。 エッチなことを頑強に拒絶する。 そんな意味不明な思想が、グーグルにはどうもありそうな気がするんですよね。 その点、Bing検索は、 あまりそんなことがないような気がします。 これは別にエッチなことに関係ないのですが、 なにか言葉を検索したときに、 グーグル検索とBing検索では、 トップページ以下に検索結果として表示する内容も、 微妙に違っているような気がします。 (この記事の字数は 約2100字) 先ごろ、こんなニュースがありました。 ?なんだそれ? ふつうはそういう印象を受けるかもしれません。 最近は、いろんな用語が外来語で表現されることもおおくて、 パッと見た感じでは、 意味がなかなかわからないものも、多々あります。 日本語で表現できるものならば、 できるだけそうすべきだと、個人的には思いますが。 ともあれ、 このが禁止される条例がでつくられた 背景には、 によって深刻なダメージをこうむる の権利を保護していこう、 という考え方がありました。 そのきっかけの1つになったのが、 での事件です。 に通っていたのAさん(男性)は、 同級生の男性に好意を持ち、その気持ちを告白しました。 同級生の男性は、残念ながらその気持ちは受け入れられないけれど、 今後も友達としてやっていこう、 と、当初は回答したのですね。 簡単に考えて、 みずからがであるという情報は、 そのひとの人格の核心にもかかわる きわめてセンシティブな情報であって、 真摯な取り扱いを要することは、いうまでもないことだと思います。 それが慎重になされないと、 での事件のような悲劇に結びついて しまう可能性もあって、 そのような危険性にさらされているの権利を 保護する必要性は高いでしょう。 しかし、ここでもうひとつ、考えなくてはいけないことは、 の権利があれば、 いっぽうで、 相手方の権利もある、ということです。 世の中では、 いっぽうだけの権利や必要性を擁護すればそれでかたがつく、 ということは、あまりないと思います。 考えてみればわかることですが、 この同級生男性は、Aさんから好意を持たれて言い寄られています。 一般的なの観点からすると、 それはあまり受け入れられないものですから、 同級生の男性は、Aさんを避けるようになるかもしれません。 すると、 ほかの同級生からみれば、 その同級生の男性が、理由もなくAさんに冷たくあたっている ようにも見えるでしょう。 そしてこの社会では、通常、 理由もないのになんらかの責任が課されるということは、 ないはずですし、 あってはならないものだと思います。 その、責任が課されることになる理由の1つとして考えられる条件は、 双方の同意です。 つまり、 「自分はいまからあなたに、ある秘密を打ち明けようと思っている。 その秘密はとても重大なものだから、 もし打ち明けられたら、その秘密を生涯守り通してほしい。 でなければ、自分は死んでしまうかもしれない。 でも、あなたは自分にとって大切なひとだから、 あなたを信頼して、勇気をだして、自分の秘密を打ち明けたい。 けど、あなたにも、その秘密を受け入れるかどうか、 聞くかどうかの、選択の自由があることも承知している。 なので、あなたに問いたい。 わたしの秘密を打ち明ける前に、あなたに問いたい。 あなたは、わたしの秘密を打ち明けられることを承知するか? 秘密を打ち明けても、かまわないか? また、秘密を打ち明けたら、それを全力で守ってくれるか?」 と、事前に確認しておけば、 での事件のような悲劇を防ぐ可能性も、 もしかしたらあったのではないだろうか…? 天機は、そう思うのですね。 (この記事の字数は 約1900字) さて、みなさんは、勉強は好きでしょうか。 天機は比較的、これまでの人生で勉強が好きでした。 (運動は苦手でした) 本を読んだり、考えたりすることが好きな性質が うまれつき、あったのかもしれません。 それでも、漫画を読んだり、音楽を聴いたり、 テレビを見たりすることにくらべれば、 勉強は退屈で、 苦痛の多いものだと感じていたものです。 まして、勉強がそれほど好きでないひとにとっては、 非常におおきな苦痛になっただろうな、 と想像します。 こんな、苦痛のおおい勉強ですから、 ひとはみんな、できることなら、勉強なんかしたくない。 たとえ、しなければならないとしても、 意味のない勉強はぜったいにしたくないと思います。 そこで、ひとは、 そんなこと本当に勉強して意味あるんかな? ということが、気になってきます。 たとえば。 お買い物をするときに簡単な計算ができたほうが便利ですが、 なんか使わないよね? そんなこと勉強して、意味あるんかな。 人と会話したり、パソコンやで文章を入力したりするのに、 国語の力は必要だけど、 古文単語なんか、現代の日常では使わないよね。 そんなこと勉強して、意味あるんかな。 いろいろです。 たしかに、社会生活に意味のある学習内容というのは、 時代時代によって、変化してくるものです。 なので、学習指導要領なんかも、頻繁に改訂されていますね。 意味のある内容、社会で役立つ内容を勉強していれば、 たしかに、それが知識となって、 世の中をわたっていくのに役だったり、 収入が増えたりすることがあります。 これが、勉強して、 なんらかの知識を得ることにともなう、 勉強の効用の1つです。 100メートルを人間は、 全力で走り抜ける練習を繰り返したり、あるいは、 100キロのバーベルを何回も持ち上げる練習を 人間はしたりします。 この、100メートルとか、100キロとかは、 それ自体では、 とくに意味のないものです。 自動車ならば、もっと速いスピードで 100メートルを走り抜けるでしょうし、 なら、 100キロよりももっと重いものでも、 持ち上げて運ぶことも可能でしょう。 ですが、人間が100メートルを駆け抜ける練習をしたり、 100キロを持ち上げる練習をしたりするのは、 それをすることで、 人間の肉体が変化するからです。 たとえば、そういった運動をするのに適した筋肉が、 人間の肉体に備わることになります。 俊敏性や、持久力といったものも、 身につくかもしれません。 つまり、そういった肉体的な鍛錬を繰り返したあとには、 なんらかの能力として、 人間の肉体に「 のこる」ものがあるわけです。 学習によって、知識が身につきます。 それは、学習のおおきな効用の1つです。 あるいは、 学習する時につきものの、いやだなあ、という気持ちは、 以前よりも減っているかもしれないのです。 つまり、 人間の肉体が鍛錬によってその筋力を向上させるように、 脳もまた、学習によって、 あたかも「 脳の筋力」とでもいえるようなものが 向上していて、 その後の人生で、いろんなことをあらたに学んだり、 考えたりする場面で、 もしかしたら役に立ってくれるかもしれない。 そう、天機は思うのです。

次の