皇帝 の 一人 娘。 漫画「皇帝の一人娘」173話の作品内容のネタバレと感想

皇帝の一人娘|無料漫画(まんが)ならピッコマ|RINO YUNSUL

皇帝 の 一人 娘

西太后の生涯 西太后は満州民族のエホナラ氏族出身 清の時代、中国を支配していたのは漢民族ではなく「 満州民族 女真族 」になりますが、西太后 せいたいごう/せいたいこう はその中でも エホナラ 葉赫那拉 と呼ばれる氏族出身です。 父親は清王朝に仕えていた中堅の官僚であり、それなりに裕福な一族に西太后は生まれます。 西太后が生まれた土地は不明であり、内モンゴル説、山西省説、そして北京説などが有力候補です。 西太后の幼名は 「蘭児 らんじ 」になります。 そして西太后の 最終的なフルネームは「孝欽慈禧端佑康頤昭豫荘誠寿恭欽献崇煕配天興聖顕皇后」であり、これほど長くなってしまう理由は、彼女が出世したり、出産などの 良いイベントに巡り合ったりする度に二文字ずつ足していったからです。 西太后は名前の長さが示す通りに、多くの幸運や出世を繰り返していった人物になります。 【関連記事】 西太后が宮廷に入る 西太后は17才のときに紫禁城で行われた皇帝 咸豊帝/かんぽうてい の后や愛人を選ぶ試験に合格し、18才のときから後宮に入り、皇帝の妻の一人となります。 皇后=本妻ではなく、いわゆる側室 二番目以下の順位の妻 のような地位ではあったのですが、上位の妻である「 東太后 とうたいごう/とうたいこう 」たちが男の子を出産することがなく、西太后が男の子 長男 を出産したため地位が向上したのです。 出世した西太后にとって、当時の中国は権力を得るための機会に満ちていました。 中国では 太平天国の乱や、 アヘン戦争、イギリス・フランス連合軍の戦である アロー戦争 第二次アヘン戦争 などが立て続けに起こり、多くの戦争で清は敗北し疲弊していたのです。 西太后が権力を掌握する アロー戦争の果てに西太后の夫である咸豊帝は死亡し、咸豊帝の後継者であり西太后の長男である「 同治帝 どうちてい 」を巡り 政治的な対立が起こります。 咸豊帝の遺言により、まだ5才であった同治帝の後見人の候補とされていた8人の大臣たちがいたのですが、西太后は自分が息子の後見人となることを望みました。 西太后は、東太后 咸豊帝の妻の一人 と「咸豊帝の弟」である愛新覚羅エキキンこと「恭親王 きょうしんのう 」と手を結び、クーデターを起こします。 咸豊帝の棺が運ばれている最中に起きたクーデターであり、これに西太后は 成功したのです。 後見人候補たちを次々と処刑していくことで、1861年「辛酉政変 しんゆうせいへん 」により権力掌握に成功します。 皇帝になる5才の息子を手に入れるために、「夫の本妻であり息子の育ての母親」 生みの母と育ての母が違う風習であり、東太后は同治帝の育ての母親 と、「夫の弟」と手を組んだクーデターだったのです。 西太后がより権力を強めていく 幼い同治帝が皇帝として即位したあと、同治帝と3人の後見人による政治が始まります。 西太后、東太后、恭親王の3人が政治の実権を握っていた立場にありましたが、東太后は政治に関心がなく、実質は西太后と恭親王の2人による政治です。 1874年に14才になった同治帝は、西太后と恭親王から独立して自らの政治を始めようとしましたが、若くして死亡します。 同治帝の死亡した原因には、梅毒と天然痘が候補です。 同治帝は幼く、後継者である子供を持っていなかったため、このまま他の皇族が帝位を継承することになれば西太后の権力は低下します。 西太后の権力は「皇帝の母親」だからこそ振るうことが出来たのです。 西太后は権力の低下を防ぐために、自分の妹の子供である「光緒帝 こうしょてい 」を次の皇帝に選びます。 こうして西太后と東太后は、西太后の甥っ子の後見人となることで権力を維持したのです。 西太后と東太后の仲は良好であったとも伝わりますが、1881年には東太后は脳卒中で亡くなります。 当時は西太后による暗殺説が出たものの、東太后に政治的な興味はなかったため、ただの病死であろうと現在は考えられているのです。 また 1884年に起きた清仏戦争の敗戦の責任を、恭親王に取らせることで政治の世界から追放します。 こうして、西太后、東太后、恭親王が掌握していた権力は、西太后だけのものとなったのです。 西太后と頤和園と日清戦争 甥でもある光緒帝に、西太后は自分の姪を嫁がせるなどして権力を確保していきましたが、光緒帝は大人になると西太后と対立するようになっていきます。 西太后は内政を掌握する一方で、西洋風の技術革新を目指した「 洋務運動 ようむうんどう 」を官僚たちに行わせて、それなりに効果を上げて清朝の威信を回復する時期もあったのです。 しかし、1895年の日清戦争の敗戦により洋務運動は挫折します。 日清戦争の敗因のひとつは、最新鋭の艦隊をそろえてはいましたが、予算不足から練習などが行えず成熟した海軍とは呼べなかったからです。 予算不足の原因には北京にある広大な庭園、「 頤和園 いわえん 」の再建工事に 日清戦争の費用の3倍がかかり、 西太后の還暦祝いのパーティーに日清戦争の費用の2倍が注ぎ込まれていたからという説もあります。 西太后は頤和園などの庭園の整備に執心しており、お気に入りの 宦官 かんがん が海軍の経費を頤和園の整備に流用することを止めてくれと進言したところ、彼のことを処刑しているのです。 【関連記事】 西太后と光緒帝 光緒帝は日清戦争の敗北により洋務運動を見直し、西洋の技術だけでなく、政治体制なども西洋化を目指すのだという政策を打ち出します。 光緒帝の改革は急進的であったため、西太后を支持する保守的な官僚たちや、光緒帝自身の重臣たちからも反対意見が出始めていくのです。 役人たちの不満に推される形で、西太后は再び権力を掌握しようと動き始めます。 西太后の動きに対抗するために、光緒帝は有力軍閥のリーダーである「 袁世凱 えんせいがい 」を味方に引き入れたのです。 袁世凱は革新派が西太后を捕らえ、西太后の腹心を暗殺しようとしている計画を聞きます。 袁世凱はこの暗殺が失敗すると考え、光緒帝を裏切って西太后にこの計画を伝えて自分の身の安全を確保したのです。 西太后は怒り、クーデターを実行、主要メンバーを処刑し 一部は日本に亡命する=日本に逃げた 、 光緒帝を幽閉して再び権力の座に返り咲きます。 西太后と光緒帝暗殺 「海外かぶれ」の光緒帝に殺されかけた西太后は、海外勢力に対して攻撃的になります。 1900年に 義和団の乱が起こると、外国人やキリスト教徒を排斥する彼らのことを西太后や清朝政府は黙認し、この機運に乗じて外国勢力を中国から追い出すために清朝も動くべきだという意見が生まれたのです。 諸外国に対して西太后は宣戦を布告、戦いを挑みますが、諸外国は八カ国連合軍を結成して北京に迫ります。 西太后は側近と一緒に北京を脱出しますが、このとき光緒帝の妻である珍妃 ちんぴ を井戸に投げ捨てて殺害しているのです。 珍姫は西太后に北京に残って八カ国連合軍と和平交渉 事実上の降伏 することを望んでいましたが、西太后はそれを政治的に悪手だと判断したのかもしれません。 海外勢力からの傀儡 かいらい/言いなりの意 になる危険もあった「海外かぶれ」の光緒帝に力を与えることを嫌った可能性があります。 西洋化を進めようと目論んだ「海外かぶれ」の光緒帝は、当然ながら海外勢力から支持されていたのです。 西太后からすれば、光緒帝も海外勢力も同じように清王朝の伝統を破壊する外敵でした。 しかし、 義和団の乱が終結したのち、中国全土には半植民地のような地域がますます拡大していったのです。 そして民衆には西洋化の必要性を訴える知識人が増えていき、西太后もその流れに乗るような形で政治改革に着手します。 西太后は「立憲君主制への移行」、「科挙の廃止を含む教育改革」、「新たな軍の建設」、「商業の奨励 儒教の価値観においては商業は悪でした 」を計画したのです。 これは光緒帝が目指した改革案とほとんど同じようなものでしたが、西太后はますます衰退してしまった清朝の延命を必死にはかろうとしました。 1908年、西太后は光緒帝を暗殺した翌日に死亡します。 光緒帝の遺体からは近年の研究でヒ素が発見されているため、毒殺されたと考えられていまるのです。 西太后は死ぬ直前に「愛新覚羅溥儀 あいしんかくらふぎ 」を、清国の第12代皇帝に任命したのです。 愛新覚羅溥儀は光緒帝の弟と、西太后の腹心の部下の娘のあいだに生まれた子であり、清国最後にして、中国王朝最後の皇帝となり 「ラスト・エンペラー」とも呼ばれます。 2才10か月で帝位に就きましたが、その4年後には 辛亥革命により清朝は滅亡することになるのです。 【関連記事】 西太后は中国三大悪女の一人 西太后は中国三大悪女 西太后の政治的野心に満ちた人生は、多くの政治的ライバルを処刑し、クーデターを起こして甥である光緒帝を捕らえたり、指導者として多くの戦争を行うも敗北したり、軍費を庭園の改築に使うなど悪評が立ちそうなイベントに満ちています。 日清戦争の費用総額の二倍を超えた誕生パーティーは適切な政治費用だったのかにも、大きな疑問は生まれてもおかしくはありません。 そして、西太后が事実上、中国王朝時代を終わらせたこと そういう時代に生まれてしまっただけなのかもしれません 、 中国には珍しい女性の政治的指導者であったことも悪女と呼ばれる原因です。 三大悪女には紀元前の漢の高祖劉邦の皇后であった「呂后 りょこう 」、中国史上唯一の女帝であった「則天武后 そくてんぶこう 」も並びます。 男尊女卑の世界観においては、女性が権力を持った時点だけでも悪評が立つこともあるのです。 また三大悪女には殷王朝を破滅させたと伝わる 「妲己 だっき 」も含まれることがあります。 西太后の三大悪女としての悪行 西太后は自分の権力を奪おうとする人物に対しては、とても 狂暴な側面を持っています。 西太后にまつわる嘘• 咸豊帝の寵愛を受けていた「麗妃」の手足を切り落として大きな壺に入れた。 下級役人の娘あるいは貧乏な家に生まれた。 エホナラの呪いのせいで国が滅びた。 史実には見られない民間に伝わる物語であり、そもそも西太后以前にも多くのエホナラ氏族の娘たちが皇帝に嫁いでいます。 西太后の意外な人物像 西太后は面倒見がいい 西太后は息子の妻を殺したり、甥の愛人を殺したり、甥を毒殺したりしましたが、かつてのライバルであった咸豊帝の側室たちに危害を加えることはなかったのです。 西太后は東太后と共に、夫の妻の一人であり上述の「麗妃 れいひ 」も手足を切られることもなく静かに後宮で余生を過ごし、やがて公式な墓に埋葬されています。 そして、麗妃の娘 咸豊帝の唯一の娘 である「栄安固倫公主 えいあんこりんこうしゅ 」のことを可愛がり、「公主」という高い称号を与えてもいるのです。 政治的なライバルでもあった恭親王の娘たちを養女として育て、彼女たちにも地位の高い称号を与えています。 西太后は美人 当時の文化としては化粧することは珍しかったのですが 西太后は化粧が好きで、にはなかった 髪を洗うという文化も自身の生活に取り入れているのです。 また西洋文化と政治的に激しく対立した時期もありますが、西洋の技術を取り入れようという政治方針は治世の長い時間において一般的に見られもします。 西太后は カメラで撮影されることを好み、そのため多くの写真が今にも残されているのです。 ときには観音さまの衣装を着て、部下たちと共に一緒に写真に写ったものも残されています。 一種のコスプレともいえるものです。 西太后は「指甲套」という 付け爪を愛用しています。 これは長く美しい飾りの爪であり、身分の高い女性しか付けられないものです。 また西太后は纏足をしておらず、その理由は漢民族ではなく満州民族だからになります。 西太后は皇帝の后に選ばれるほどに美しく、美への意識も強かった人物です。 宝石による 美顔ローラーや 美肌効果のあると伝わる薬草の数々、さらには若さを保つために 毎日のように母乳 乳母を雇って出させていた を飲んでいたとも伝わります。 西太后の 食事は中国の宮廷料理の贅を尽くしたものであり、 百種類以上の料理が作られていたのです。 美と健康を求めた彼女は 70才を過ぎても、40才のような肌をしていたと伝わります。 【関連記事】• 西太后は中国三大悪女の一人。 西太后はの一グループであるエホナラ氏族出身。 西太后は咸豊帝に嫁いで、長男を産んだことで権力を得る。 西太后は東太后 息子の育ての母 と恭親王 息子の叔父 と組み、息子・同治帝を使って権力を得た。 西太后は息子が死んだあとは、甥である光緒帝を皇帝にして権力を維持した。 西太后は技術革新を望んだ。 光緒帝は技術革新だけでなく、幅広い西欧化を望んだ。 西太后と光緒帝は対立して、光緒帝はヒ素で暗殺された。 西太后は自分の傀儡である皇帝たちの后や愛人、自分のお気に入りのを殺している。 西太后は善良なエピソードもあり、後宮の女性たちについて面倒見がいい。 西太后はしておらず、美の追求に余念がなかった。 西太后は人気のない人物ですが、実際のところ彼女の政治により中国は近代化を本格的に推し進めていくことになります。 動乱の時代に生まれましたが、天寿を全うして権力を維持した保守的な女性リーダーという稀有な人物です。 日本も含め列強の国々に侵略されながらも、彼女が生存していた時期に清朝は滅びなかったことを考えれば、政治的なリーダーシップの高い人物なのかもしれません。 西太后は清朝最後の守護者として、宮廷文化や清朝の哲学を全うした気高い人物でもあります。

次の

漫画「皇帝の一人娘」165話の作品内容のネタバレと感想

皇帝 の 一人 娘

漫画「皇帝の一人娘」166話のネタバレ リアの部屋に集まったヴァルやサンセ、グレシット。 完全に子供扱いされている彼女の状況を気の毒に思う彼ら。 こんなことなら剣術やめなければよかった、剣があればいっそ自害するといってカイテルを脅すことができるかもしれないというリアに、彼らは確かにリアがするなら効果ありそうだと言う。 でもそんなこと認められても嬉しくはない。 ちなみに彼らは、任務としてリアを監視しているのだった。 さらに秋星の騎士団、冬月の騎士団が、彼女の宮を包囲しているので、彼女は言葉通り監禁されているのだ。 騎士団は国を守るためにあるのに、娘の監禁に使うとは。 これまで何回もカイテルの暴走を止めてきたし、仕事も頑張って国の平和を守ってきたのに、この仕打ちはあんまりである。 ヴァルが、プレツィアの皇帝と仲が良さそうという理由だけで監禁されるなら、僕らとも切り離されておかしくないのになと言う。 赤ん坊から知っている彼らは男のうちに入らないので、男じゃないじゃんと返すリア。 俺って女だったんだと嘆くヴァルに、バカかなとサンセ。 すると、今度はアシシがやってきた。 アシシは、リアが監禁された直後に、カイテルに呼び出されていたので、話ができなかった。 リアはアシシの手をとると、今回のことひどくない、皇帝だからって調子に乗っているよねと、彼の意見を聞く。 多少行き過ぎた部分があるかもしれないと答えるアシシ。 ですが、皇女様には陛下のご命令に従って頂きたいと続けた。 なんだかどこにも行かせたくないという顔をしているアシシを見て、嫁ぐとは言っていないのに、何故皆こうなのかと困り果てるリア。 そしてアシシはリアから目を逸し、申し訳ないのか黙って部屋を出ていった。 これも全てカイテルのせいだと頭を抱えるリア。 いつもなら逃げようとするのに、どうして今回は大人しいのかと彼らに聞かれる。 カイテルに逆らうと、あとで自分に返ってくるからだと言う彼女。 だが、リアは、この際とんでもないことをやらかして、ギャフンを言わせようと企む。 カイテルは、一番安全な自分の元に置いておくために、彼女がどこにも行かないようにしている。 これまではカイテルの言う通りに生きてきたのだが、永遠にそうするわけにはいかない、自分には自分の人生があるのだからと、考え込む彼女。 傍にさえいてくれれば、欲しいものは何でも与えるというカイテルだが、自分はそれではいけないと思うのだ。 欲しいものは自分の力で手に入れないと、もう子供じゃないからこの世界に一人の人間として生きていかなければならないからと。 それに自分だってカイテルに何かしてあげたい。 そして彼女が導き出した答えは、家出。 ポカーンとする男3人。 盛り上げたり脅したりして、その3人の説得に成功する。 さすがに彼らを脅すことまではしたくはなかったが、相手はあのカイテルのため、皆の協力がどうしても必要だった。 ヴァル、サンセ、グレシットの3人に承諾してもらうのは楽勝だったが、アシシとセルイラはどう説得したものか。 ところが、この計画を話すと、アシシはすんなりと承諾してくれた。 リアが呆気にとられると、どうせ止めても行くのだろうから、皇女様をお守りするために協力するのだと、彼は微笑む。 ひょっとしてアシシは、リアとハーベルが仲良くなるのが嫌なだけだったのかと気づく。 そして自分にはやはりアシシしかいないと、彼の存在に感激するのだった。 漫画「皇帝の一人娘」166話の感想 リアはカイテルに反抗するため、家出することにしました。 そのために、まずヴァル、サンセ、グレシットの3人を説得します。 恋人に黒歴史を話してやるとか、女装させられていた過去を公表すると脅して。 彼らも大変ですね。 昔のカイテルなら、そんなことに協力しようとした時点で、彼らが処刑されそうなものですが、彼らがしぶしぶ了承しているところを見ると、現在のカイテルなら少し暴れるだけで済みそうですね。 しかもアシシまでリアに協力します。 もうカイテルとしては、リアの自立を受け入れるしかないのでは。 しかしリアはどこへ向かうのでしょうか。 アグリジェント内を旅行するのか、国外へ出るのか。 プレツィアに行くとなると、完全に戦争になりそうなので、行くとしても違う国に行きそうですね。 次回のエピソードは それではここまで読んで下さってありがとうございました また次回もお楽しみに.

次の

中国の最後の皇帝の 生き残りの人々とかってまだいるんでしょ...

皇帝 の 一人 娘

生涯 [ ] 生い立ちと最初の結婚 [ ] 後のアウグストゥスであるガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌスは、紀元前40年、スクリボニアと結婚をした。 ユリアはこの翌年の紀元前39年に生まれ、オクタウィアヌスにとって初めての子供であったが、オクタウィアヌスはこのユリア以降、実子を得ることはなかった。 ユリアが誕生した、父オクタウィアヌスはスクリボニアの気の強い性格に耐え切れず、またセクストゥス・ポンペイウスとの関係が冷却化したため離婚し、翌年と3度目の結婚をする。 オクタウィアヌスは古きローマの堅実で素朴な風紀を理想とし、そうした美徳を持った貞淑な女性としてユリアを育てようとしていて、ユリアの身近な女性であった継母リウィアと伯母は、当時としては珍しくこうした美徳を持ち合わせていた女性であった。 オクタウィアヌスはのの勝利によって内乱を終結させると、には「アウグストゥス」の称号を受け、帝政の基盤をほぼ磐石のものとした。 こうした中、アウグストゥスは自身の人格に依拠している権力を円滑に継承させるため、ユリアを自らの後継者候補と結婚させ、関係の強化を図った。 、ユリアが14歳の時に従兄弟にあたる当時17歳の後継者候補と結婚させた。 しかしその2年後のにマルケッルスは逝去し、ユリアは寡婦となる。 アグリッパとの結婚 [ ] 2年後、紀元前21年、18歳のユリアはアウグストゥスの盟友と2度目の結婚をする。 このときアグリッパはすでに41歳で2度の結婚をしており、前妻と離婚した上での結婚であった。 この結婚は20歳以上の年齢差があったが幸福なものであったといわれている。 この結婚でユリアは• の5人の子供を出産した。 特に、に誕生した長男ガイウスはアウグストゥスから有望な後継者候補と目され、に誕生した弟のルキウスと共にアウグストゥスの養子とされ、ユリアから引き離された。 息子達が皇帝の後継者となる一方、ユリアは結婚の後半には夫以外の男と密通を重ねるようになっていったといわれる。 こうした密通について、なぜ子供たちが父親に似ているのかと尋ねた者に対し、ユリアは「船荷が一杯でなければ客は乗せないから」と答えたという。 つまり、夫の子供を妊娠した後でなければ他の男と密通はしないということだった。 紀元前12年にアグリッパは没した。 姦通罪 [ ] 再び寡婦となったユリアは、にリウィアの連れ子であったと結婚した。 この結婚に際してティベリウスは愛する妻と離婚しており、この結婚をあまり歓迎してはいなかった。 またユリアはアグリッパの妻であった時からティベリウスに対し色目を使っていたため、ティベリウスはユリアを嫌っていたといわれる。 それでも2人の結婚生活も当初それほど悪いものではなかった。 しかし、ユリアが出産したティベリウスの息子が赤子の時にで死亡すると、2人の関係は急速に悪化していった。 紀元前6年にティベリウスがへ隠棲するとユリアは公然と多くの愛人をつくるようになった。 このティベリウスの隠棲には様々な理由が挙げられるが、ユリアとの不仲もその一つとされる。 ユリアはこうした愛人たちの一人であったの息子らと元首への内乱を謀ったとして、姦通罪で断罪される。 にアウグストゥスは、自らの権威とティベリウスの名においてユリアにティベリウスとの離婚を命じ、さらにパンダテリア島(現在の)へと追放した。 このとき同行したのは実母スクリボニアだけであり、島への出入りは厳密に管理された。 姦通の相手ユッルス・アントニウスは死刑を命じられ、自害した。 アウグストゥスは厳しく娘を姦通罪で断罪したが、自分自身の身持ちは悪く、また政治的理由で親の意思のまま結婚させられたユリアに対してローマ市民から同情の声があがった。 そのためアウグストゥスは、パンダテリア島へ追放された5年後、ユリアの流刑地をイタリア本土のレギウム(現在の)へ移した。 紀元14年8月19日に父アウグストゥスが死ぬと、遺言でかつての夫ティベリウスが後継者に指名された。 ティベリウスはアウグストゥスの遺言状に記されていなかったとして、それまで支給されていた年金を停止するなどユリアを窮乏に追い込み、同じ年のうちにユリアは死んだ。

次の